第2話 一千年のアウレリア王国期 その4
そして、三代目の聖女があらわれたのは百年前。
かの新興の帝国の時代だ。周辺の国を次々に併呑し、魔法帝国と国名を変え、王は魔法皇帝を名乗った。
元は力のない小国だった国が急速に拡大したのは、いびつに発展した魔法技術によってだ。膨大な魔力を秘めた深紅の魔宝石から放たれる閃光は、周辺国の民と国土を焼き尽くした。
さすがのアウレリア王国の聖竜騎士隊でも、対抗は不可能か?と思えたこの武器を前に、女神の預言を受けたという聖女が現れ、彼女は国境の平原から現れた巨大な魔兵器を前に、女神に祈りを捧げた。
そんなちっぽけな娘をあざ笑うがごとく、禍々しく赫い閃光が放たれたが、これは大地にひざまずき祈る彼女を守るように空に展開した、聖竜騎士団が連携して結んだ光の結界により防がれた。
閃光の威力すさまじく、大陸最強をうたわれる団員の魔力とて限界はある。結界があと一撃で耐えられないとなったときに、祈る少女の胸から、光の矢が放たれた。
それはひと筋の流星のごとく、巨大な魔宝石を貫き砕いた。強力な兵器を失った帝国軍は、地上に展開したアウレリア国軍の敵ではなかった。彼らは騎士の馬蹄に踏みにじられ、隊列を乱さず前進する歩兵の銀の槍に貫かれ、二時間足らずで総崩れとなった。
この国の時間の単位は、史朗のやってきた世界と変わらず二十四時間。午前と午後の十二時間単位。季節もまた春夏秋冬の四つの季節に、一月は三十日で、十二の月に分かれていた。時間は数字で、月も数字で呼ばれているが、別の古風な呼び名もある。ともあれ、前の世界と変わらない時間感覚というのはありがたい。
現在は三の月の二十八日。時刻はさっきちらりと見た時計では九時を過ぎていた。
さて、話を戻す。帝国崩壊後、魔宝石の正体を知った人々は驚愕した。なんとそれは、幾千万の人の血の塊だったのだ。魔法皇帝と呼ばれた男は、まず自国の千人の民を贄とし、さらに他国の民の命を取り込み続けて、魔宝石を巨大化させた。
当然この魔法技術は禁忌とされて、大陸各国の条約となっている。新興の国が出来て、宗主国のアウレリアに認めてもらうには、同時にこの条約に署名する必要がある。
三人目の聖女は光の聖女という。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「今回はどんなことが起こったんですか?」
史朗はヴィルタークに訊ねた。国が滅ぶような困難が襲いかかったからこそ、女神の依り代たる聖女に助けを求めたのだろう。
わざわざ、異世界から召喚してだ。
「ビンネンメーア、この国では内海と呼ばれる、大陸一の湖が干上がりそうになってる。普段の水量の半分だ。これでは晩夏の小麦の収穫まで畑がもたない」
去年の秋から、雨がまったく降らないのだという。巨大な湖ゆえに、まだ保っているが夏を迎える前に干上がりそうだと。
国の半分を支える穀倉地帯であり、このままでは食糧不足となる。
たしかに食糧問題はどこの世界でも国の重要な柱だ。民を飢えさせないことが治政者の第一の役割といえる。飢えれば人は凶暴化し暴徒となり、国が滅んだという歴史は多々ある。
しかし、アウレリアは大陸一の大国だという。
「五百年も続く国なら、天候不順なんて十年に一度ぐらいはあるはずで、そのための国庫の蓄えとかないんですか?」
そのような重大事にまったく無策の国が、五百年も保つとは思えない。それに「鋭いな」とヴィルタークは苦笑し「国庫には三年以上の蓄えがある」と答えた。しかし、続けて。
「女神の神託があったのは確かだ」
ヴィルタークが語るには、王都の大聖堂で朝の祈りの手伝いをしていた少女に起こったという。
その身体は宙に浮かび、身体は女神の象徴たる光に包まれたというから本物の奇跡だ。それも、王都の住民達が集まった衆人環視の中で。
普段の娘とは違う、落ち着いた慈愛あふれる女性の声が高い大聖堂の天井に響いた。
『今、王国に危険な見えない足音が近づいてきています。これを退けるために、外の世界から月を呼ぶのです』
と。
文言だけ聞けば、曖昧なお告げであるが、これを女神アウレリアの神託ならば、それは聖女だと神官達は断言し、宮廷魔術師達は外の世界とは異世界だと結論付けたという。
「安直な思いつきですね」
「俺もそう思う」
「へ?」
浴槽で筋肉が綺麗についた腕を胸の前で組んだヴィルタークに思わず史朗はまぬけな声をあげてしまう。さらに彼は。
「さっぱりわからん神託だろう?」
「そ、そうですね、ふふ……」
形の良い額に深い皺を寄せたヴィルタークのいっそ真面目な顔がおかしくて吹き出せば、彼もつられるように「ははは」と豪快に笑った。
その笑顔もまた、彼が竜にまたがって飛ぶ蒼天の空のようだったが、一瞬後にはその笑いを収めて、また真顔となって口を開く。
「だが、あの少女とお前が異世界より召喚されたのは事実だ」
「……僕はオマケですけどね」
そもそもあんな無茶な召喚が成功したのが“奇跡”だ。史朗の計算で成功率など百万に一つといったところだった。
さらにそこに史朗が通り掛かることを考えると、それこそ天文学的確率だか……と考えて、彼は軽く目を見開く。
それが女神の“思惑”だとしたらだ。たしかに史朗から彼女に移った魔法紋章の力ならば、湖に雨を降らすぐらいの奇跡は起こせるだろう。
神という存在について、史朗は賢者として“いる”とは認識していた。
彼らは極めて高次元の存在だ。それこそ、異世界だろうと、別の宇宙だろうと、超越して同時に存在することも出来るし、逆にどこにも存在しない。ゆらぎのようなものだ。
そして、こちらの世界に干渉するのはなんらかの理由があるはずだが、しかし、それも不明だ。
それこそ、神様の言う通りという奴だ。
今回はそれにひっかかったか?と史朗がうなって考えていると。
「わっ!」
伸びた手にとうとつに濡れた前髪をかき上げられた。ずいっと顔が吐息がかかるほど近づく。わあ、ド迫力の美形だと史朗が内心でつぶやけば、相手も自分の顔をじっと見ていて。
「なぜ前髪で半分も顔を隠している?」
「人の視線が嫌だからですよ」
だから前髪で目を隠すようにしていた。長年の引きこもりは伊達ではない。
「可愛い顔をしているのに」
「……やっぱり隠します」
ついと顔を引いて男の手から逃れる。ばっさりと濡れた髪をおとした。濡れた髪が頬に張り付いて気持ち悪いけど。
「なぜだ?」と問われて「あなたが今、言ったとおりですよ」とふてくされた。
「愛らしい顔だと思うがな」
可愛いよりさらに進化?して酷くなってないか?と史朗は膨れつつ。
「だからそれが嫌なんです」
中学で不登校になったのも、母親譲りで目が大きい女顔のせいだった。まあ、それは今となってはどうでもいいことだ。初恋の明るく良い子だと思っていたクラスメイトが「あんな、なよなよした女の腐ったみたいなの」とクラスメイトと陰で笑い合っていたのも……鮮烈に覚えているんだから、やはりどうでもよくないか。
賢者の能力と記憶が蘇ったって、それでも心は十九の若造だと、史朗は認めざるをえなかった。低い背丈にしても、女顔にしても気にして悪いか!
そもそも、賢者と呼ばれていたって、あの頃の自分だって完璧ではなかった。長いローブの裾をひきずり、長老よろしく杖をついて、目深にとんがり帽子を被って顔の大半を隠していたのは、今の前髪と変わらない。
そもそも天才が人格者なんて考えてはならない。だいたい奴らは破綻しているものだ。
自分で言うなと声が聞こえたが、それは無視した。
一番賢い者だけに、質が悪いと言ったのは、同じ七月の女賢者だったか。
「そういえば、僕と女の子が召喚されたのは玉座の間でしたよね?」
「ああ、そうだ」
国の重要な聖女の召喚ならば、宮殿で一番大切な部屋なのはわかる。そこにすべての宮廷の人々が集まるのも。ヴィルターク以下の軍人に、貴族、宰相に皇太子殿下もいたか。
それだけ揃っていたのに、一人だけいない人物がいた。
「少し高い場所に黄金の椅子がありましたよね?あれは玉座ですか?」
「そうだ」
「だったら、王様はどうしたんですか?」
誰も座っていない空の玉座に史朗は違和感を覚えていた。聖女をこの世界に招くという重大な場に、どうして王が不在だったのか。
「いない」
「はい?」
「この国には、現在、王はいない。空位の状態だ」
「どうして?」といいかけて、くらりと目眩がした。上体がぐらりと傾いた史朗の上半身を、力強い片腕が支える。
「おい、しまった!長居しすぎた!のぼせたか!」
ヴィルタークの声が遠くに聞こえた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
額に当てられた手は温かいのに、流れこんできたものはヒンヤリと心地よい。
寝台に横たえられていることはわかった。
「気がついたか?」
うっすら目をあけると、室内は灯りが落とされて暗いが、間近だと濃紺の瞳が綺麗に見えた。
「すまないな。長く話し過ぎた」
「いえ、僕も……」
興味深い話ばかりで、本と同じでのめり込みすぎた。知識の探求となると周りが見えなくなると、前世、誰に言われただろうか?ああ、全員が全員に呆れたような顔をされた気がする。
額に当てられた大きな手はやはり温かいのに、身体に流れこんでくる魔力はひやりと心地よい。のぼせた熱をとってくれているのだろう。
「いつも、すみません……」
「なにを言う。俺は俺の出来ることをやっているだけだ」
「とても気持ちいいです」
その手をごく自然に差し出せる人がどれだけいるだろうと、史朗は心地よさに目を閉じた。