第2話 一千年のアウレリア王国期 その3
ヴィルタークに抱っこされて、連れて行かれた浴場は、各部屋に備え付けられた一人用のちいさなものでなく、かなり広かった。浴槽も大きくヴィルタークほどの男でも三人ははいれそうだ。竜の頭をかたどった彫像の口から、お湯が絶え間なく流れている。
広いお風呂で足を伸ばせるのはいいけれど、どうして一緒に入っているんだろう?
史朗はそれを隣に座るヴィルタークに訊ねなかった。いや、本当なら脱衣所でそれを聞くべきだったのに、まだ歴史書の記述に考えがどこか漂っていたから。
男同士だから別に裸を見られたところで、恥ずかしくもないというのもある。引きこもりではあるが小学生のときは、家族で温泉にいったこともある。
さてこの異世界に、共同浴場の概念があるかどうかわからないけど。
脱衣所では、黒いシャツを肩から落とした、ヴィルタークの、綺麗に筋肉のついた広い背がなぜかまぶしくて、目を逸らして自分の服のボタンに手をかけた。
そして、横に並んで大きな石の風呂にはいっている。隣のヴィルタークの広い肩幅に、厚みのある身体の輪郭。伸ばしていた足を縮こめて、貧相な自分の身体を隠したいという気持ちに一瞬なったが、やはり足を伸ばせる湯船でゆったり、くつろがなければもったい無いとやめた。
しかし、この体格差。なんか悔しい。
「文字が読めたのか?いや、あれだけ真剣に没頭していたんだ。理解してなければおかしいか」
「あ、はい」
しまった。こちらの世界の言葉で話していても、文字が読めるのはやはりおかしく感じるだろう。中世から近世ぐらいの文化水準だと思うが、それぐらいの時代の人々の識字率を考えれば、一般庶民は文字が読めなくてもおかしくはない。
まして、自分は異世界の人間なのだ。
「ドイツ語に似てるんです。あ、元の世界の国の言葉の一つなんですけど」
実際、この世界の言葉の響きも、それから文章の綴りもかなり似ているような気がした。
通信制の大学で第二外国語に史朗はドイツ語をとっていた。
「そちらは国ごとに違うのか?こちらは、地方や周辺国になまりはあるが、言葉は同じだからな」
「元は一つの王国だったからですか?」
「第二王国期には大陸全土を支配していたからな」
この国というより、世界の歴史は大きく三つに区分できる。神々の時代の第一王国期、三百年間の第二王国期、そして動乱の二百年の暗黒時代を挟んでの、五百年前から現在の第三王国期だ。
第一王国期というのは初めに神々の名前を連ねただけの黄金の楽園をうたい、そして最後は空から星が落ち、大地が砕け散る劇的な終焉によって幕を閉じる。その終末に七人の大賢者によって箱船に乗せられた者達が、このエァーデボーデンとよばれる大陸におりたった。それがアウレリア王家の祖先であり、次の第二王国期から人の王国が誕生し、歴史が始まるといっていい。
一つの国は大陸全土を支配するほど巨大化した果てに、王位継承の争いのため建国から三百年で三つに分裂。さらに有力貴族の反逆によって国は細分化されて、五公国二十五種族とよばれる大国小国乱立の二百年あまりの長い戦乱の暗黒時代を迎える。
それを終焉させたのが、約五百年のいままで続いている、第三王国期の初代国王だ。先の三つに分裂したアウレリア王家の一つ西方家の末裔だという。
彼は神獣である竜と心を通わせ、その背にまたがることを許された最初の騎士となった。さらに聖魔法の使い手であり、英雄の中の英雄王とその賛辞の詩が、歴史書に記述されていたが、初代というのはだいたい、神格化されるものだ。
その聖竜騎士王が、今の大陸南部を占めるアウレリア王国を再興した。大陸全土ではなく、季候も良く、土地も豊かな南部を領土とするだけでよしとした初代王は、統治者として賢明であり優秀であったと、史朗は感想をもった。
第二王国期の王国が滅んだのは、民が増え、富み栄えるままに、領土を拡大し続け、ついには大陸一つ丸ごと統治したが、あまりに巨大化しすぎたために中央から末端まで目が届かなくなり、統治不全となった。分裂は当然の結果だと言えただろう。
だから、英雄王は南部の豊かな土地をアウレリア王国とすることで、これ以上の領土拡大はならないと、子々孫々に命じたのだ。
周辺の諸国や、さらに北方辺境の国にもならない遊牧民族には、それでも元は一つの国の長であったと、宗主国として君臨すれど、統治も侵略もせず。小国同士の争いが起こっても、和平の仲裁役はするが深入りはしない。同時に、周辺国がアウレリアの領土を一歩たりとも脅かすようなことがあれば、断固として防衛することに歴代の王達は徹している。これを純血の誓いと称して。
この五百年、周辺国が滅んだり、その国境線の書き換えが度々起これど、アウレリアの領土は一ミリたりとも侵されたことはない。北方の早すぎる冬による飢餓での蛮族の襲来にも、百年前の急速に軍事力を増して周辺国を次々とのみ込んで、帝国を名乗った新興国も、国境で大敗させている。その大敗がきっかけで、帝国は滅んだ。
もちろん、外からの憂慮だけでなく、国内でも王位継承の争いや、外戚である有力貴族の反乱……など、事件は多々あったが、それでも国は初代王の定めた国土を維持し、民は外敵からの襲来を知らずの繁栄を保ってきた。
「聖女伝説についても、出てきました。第三王国期が始まって三人」
「竜の聖女と緋色の聖女、それに百年前の光の聖女だな」
この三人の話は小さな子どもから文字の読めない農夫まで知ってる話だという。アウレリア女神の教会にて、神官が盛んに語るからだとも。
この国というより、大陸は多神教であり、それぞれの国や部族を守る守護神があって、この王国は国名そのままの光と豊穣の女神アウレリア。
その女神の神託を受け大小様々な奇跡を起こし、教会が認定したものが聖女と呼ばれる。そのうち歴史に名を残した有名な聖女は三人。
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一番最初の聖女は、第三王国期の始祖である英雄王ジグムント一世の時代。その妹だ。突如神がかった彼女は、あなたこそこの二百年の暗黒の時代に光をもたらし王となるものとの女神アウレリアの神託を下した。さらには大陸の中央にそびえる霊峰オンハネスにて王となる試練を受けよと。
オンハネスの頂で、ジグムントはそこに住まう竜と三日三晩戦い続け、ついには屈服させた。己の命を取らぬ、英雄王の心に打たれた竜は、己の眷族たる真白き飛竜を彼に使わした。これが聖竜騎士のはじまりと言われる。
これを竜の聖女と呼ぶ。
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二代目は三百年の昔、あの暗黒の二百年前を思わせる。王国を二分させる内乱となりかけた。兄と弟、二人の王子が王位をあらそったのだ。
兄王子はその公明正大な人柄により人徳を集め、弟王子はその武勇で名を馳せていた。しかし、己の力におごった弟王子は、自分こそが王に相応しいと反乱を起こしたのだ。
同じ民同士が争い合うことを嘆いた兄王子は、争うことなく、己を慕う家臣たちを連れて王都から遠く逃れた。それを弟王子は臆病者と嘲笑したという。
その兄の頼った領主の館に一人の娘がやってきた。兄王子の命を守るため、周囲の者達は一計を案じ、偽物の王子を立てて、本物の兄王子はその従者に身をやつしていた。
だが、娘は真っ直ぐ兄王子へと歩み寄り、その膝をおったという。
彼女は女神の神託を受けて、正当なる王を玉座につけるためにやってきたという。その娘の『王都へ』と叫ぶ声に、大衆は熱狂し、彼らは木の棒などロクな武器も持たずに、王都へと押し寄せた。
優勢であった弟の軍は、有象無象の群だと、彼らが王都に辿り着く前に蹴散らそうとした。しかし、街道にて彼らは止まらぬ人々に、一日で三度退いた。
しかし、王都まで人々があと一歩へと迫ったとき、悲劇が起きた。
正当なる国軍を示す軍旗を手に、先頭を馬で駆けていた聖女が、敵軍に捕らえられたのだ。彼らは女神と彼女をあがめる人々の足を止めるために、王都の大門の上に、彼女を磔にして見せしめとした。槍を持った兵で囲み、このまま王都の門を破るというなら、女神の神託を受けたなどという“異端”の娘を処刑すると。
だが、赤い夕日にそまる槍に囲まれた彼女は「おそれることはありません」と民衆に叫んだ。
「自分がここで天に召されるのは女神が定められたこと。歩みを止めてはなりません。正当なる王をこの都に迎え入れるのです!」
人々は王都の門を突き破り、槍が彼女の胸を貫いた。
追い詰められた弟王子は玉座の間にて自死し、兄は、玉座についた。
二代目聖女は、緋の聖女と呼ばれる。