第九話 闇の正体 その1
夕餉のあと、居間に移動して、長椅子にヴィルタークと並んで腰掛けてお茶を頂く。
大神官長との夕餉は単なる会食ではなく、この後の相談だった。
神官長が二人まで殺されて、旧神殿にて国王代理として儀式をすべきかという。日取りは星見により決められていて、三日後に迫っていた。
延期するとなると、次の日取りは半年後になるという。
儀式を急ぐことはないというのが、大神官長とヴィルタークの共通した意見ではあった。だが、神官長を殺した犯人をこのままにしておくわけにもいかない。
「猊下の身辺警護も手厚くします。犯人が見つかるまでは、御身の周辺の警戒を怠ってはなりません」
「身内は疑いたくはないのですが、この状況から見ても悲しいことに、どこに闇の教団とやらの勢力があるのかわかないのが実情ですな」
儀式が延期となるのならば、明日にでもヴィルターク達は王都へと帰る。そんな話の流れとなりそうであった。
話も終わりかけて、それまで黙っていた史朗は、気になっていたことを聞いた。
「あとの二人の神官長はどうされていますか?」
大神官長にすがりついて、己の罪を洗いざらい告白したのだから、無事では済まないだろうとは分かっていた。そもそも、大神官長に次ぐべき地位の二人がこの席にいないのが、なんらかの処分を受けた証拠だ。
「懲罰房に入っております」
大神官長が少し困ったような顔をしながら答えた。
「私は追って沙汰はする故に、私室にて謹慎で良いと告げたのですが、二人とも自ら入りたいと申し出ましてな」
大神殿に付属する修道院の地下にあるのだという。岩壁に囲まれた、人一人が寝起きするのがやっとの部屋で、入り口には鉄の扉と懲罰房いう名の牢獄だ。
彼らがなぜそこに入りたがったのか、史朗はそれも理解した。地下の牢獄、頑丈な鉄の扉には鍵がかけられ、出入り口は一つであり、そこには当然看守が詰めている。不審な人物は近づけない状況だろう。
────通常の常識ならば。
史朗はそこでハッ!と目を見開く。ヴィルタークの隣から立ち上がった彼に「シロウ?」と声がかかる。
「猊下、今すぐに懲罰房にいる神官長二人の安否を確認しないといけません」
史朗の言葉に大神官長が「それは?」と戸惑った風だ。ヴィルタークもまた「シロウ?」ともう一度呼びかける。それに史朗は短く答えた。
「闇の魔女の術だよ、ヴィル」
それだけで彼はわかってくれたようだ。史朗同様に立ち上がり「猊下、私からも申し上げます。今すぐに神官長二人の無事の確認をしたい」と強く言えば、大神官長も後ろに控えていた、執事の役職の修道僧に「お二人をご案内してくれ」と声をかける。
その執事の修道僧の先導で二人は、修道院の地下へと向かった。懲罰房の入り口の詰め所にいた看守当番の修道僧二人は「なにごとですか?」と驚いた様子だったが、執事である修道僧の「猊下のご命令でこの二人をご案内しました。神官長二人にお会いしたいそうです」との言葉に、奥へと案内する。
懲罰房は想像どおりの地下牢だった。狭い通路の両側に、これまた狭い間隔で扉が並んでいる。扉は話通りの分厚い鉄製で、上部にのぞき窓らしきものが細く開いていた。
神官長二人が入っている懲罰房は詰め所に比較的近い場所にあった。「面会です」と看守当番の修道僧が声をかけてから、のぞき窓から中を見て驚愕の表情となる。
「こ、これは」
震える手で鍵束を取り出し、鍵穴に差し込もうとするが、ガタガタと震えてなかなか穴に入らない。「貸してくれ」とヴィルタークが手にとって、扉を開けば、むわっと血を匂いが鼻をつく。
それだけで中の状況は見なくともわかるが、史朗はあえて中を見た。
石の寝台が置かれた狭い部屋。その石壁に寄りかかり、聖シルウェストル会の神官長は絶命していた。胸には大きな穴があり、赤い鮮血が流れ出している。心臓をえぐり取られていた。
「ヴィル、隣も見て」
「ああ」
ヴィルタークが「四番、このカギか?」と隣を開けば、同じように絶命している聖ビルギッタ会の神官長の姿があった。
これで四人全員の神官長の命が奪われたことになる。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
地下の懲罰房への出入り口は一つ。詰め所には本日の当番である看守役の修道僧が詰めていた。
「私達はこの詰め所にいました。居眠りもしておりませんし、なにも見てはおりません」
「本当です。信じてください。神官長お二人があのような恐ろしいことになるなど」
その詰め所にて、二人は必死に弁明していた。
たしかに懲罰房のカギを管理しているのはこの二人であり、この状況で真っ先に疑われるのは彼らだろう。
実際、駆けつけた修道僧達は二人を疑惑の目で見ている。
「お前達が犯人でないことはわかっている。これほどあからさまに疑われる状況で、姿を消さなかったことがなによりの証拠だ」
そのヴィルタークの言葉に看守役の修道僧達はホッとして、他の修道僧達もなるほどと納得した顔になった。ある者などは同胞を疑ったことをわびるかのように、小さく女神への謝罪の祈とう文を唱える者もいた。
「だけど、神官長を殺した者が、君達の目の前を通り過ぎたのは確かだ」
史朗の言葉に監視役の二人の修道僧は再び青ざめて「私達はなにも見ていません」と二人ともくり返す。それに史朗はうなずく。
「そう“暗示”をかけられている。君達はなにも見ていないし聞いていないと思いこむようにね」
「ですから、本当に私達はなにも……」と声をそろえた二人は、史朗の顔を見たまま固まった。正確にはその黒い瞳から、二人とも目を離せない。
周囲の修道達がその異様な様子にざわつくが、ヴィルタークの「心配ない」のひと言で、みな様子見となる。
「さあ、君達の封じられた記憶のふたを少し開くよ。あのときなにがあったのか、答えて?」
叡智の冠の力を瞬かせて、史朗は訊ねる。修道僧達はぼんやりとした瞳で、それぞれに「あのとき……」と口を開く。
「黒いローブの男が現れたんです」
「私達は彼を仲間だと思いました。黒なんておかしいのに」
たしかに黒は闇の色であり、この大神殿では忌避される色だ。神官達や修道僧はもちろん、信徒達も参拝の服装は黒を選ぶことはない。
「そして、言われるがままカギを渡したのです」
「男はそのまま奥へと入って行って、しばらくして私達にカギを渡して出ていきました」
「私達はカギを所定の場所に戻して、この詰め所にいたのです」
たいした暗示だと史朗は思った。二人とも同時に闇の魔法に絡め取るなど、そして、彼らにそれがなんら不自然なことではないと思いこませた。
「では、質問するよ。その黒いローブの男の顔は?」
修道僧達に暗示をかけるときに、史朗のようにかならず彼らの瞳を見たはずだ。それが精神を操る魔法の基本といえる。
「あ、ああ、ローブの下の顔は黒いもやに包まれてよく……」
はくっと一人の修道僧が苦しげに息をつく。もう一人はさらにガタガタと震えだ。
「あれは、あのお顔は……あ、ああああ!」
「はい、もういい!」と叫んで、パン!と史朗は手を鳴らした。その音に修道僧二人は、夢から覚めたがごとくぱちぱちと目をしばたかせる。
「君達はなにも見てないんだね?」
確認するように史朗が訊ねれば、彼らはこくこくとうなずいた。ヴィルタークに史朗は「これ以上は無理だよ」と小声でささやく。
「かなり強い暗示だ。無理矢理こじ開けようなんてしたら、精神崩壊の危険がある」
看守当番だった二人を、しばらくはすべての役目から外して、毎日聖水でその身を清め、神殿にて祈りの業をさせることと史朗は勧めた。これは看守を怠った罰ではない。心に刻み込まれた闇の魔法を心に害なく、ゆっくり浄化するためだ。




