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長い物語の終わりはハッピーエンドで  作者: 志麻友紀
長い物語の続きもハッピーエンドで
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第七話 脅迫文と元婚約者 その2




 艶然と微笑みながら、口にしたウージェニーの言葉に、ひゅっと息をのんだのは史朗だった。すかさず「それは出来ない」と答えた、ヴィルタークに安堵する。ホッと息をつく。


 「冗談よ」と彼女はじっと史朗を見ていて、ヴィルタークじゃなくて、自分をからかっていた? と頬が熱くなる。くすくす彼女は笑いながら。


「そんな野望を持っているなら、あなたから使者が来た時点で、すぐに還俗して王都に戻っているわよ」

「わかってはいた。使者に返事がないということは、君がこの修道院を出るつもりがないということは」


「なら、なぜ、わたくしに会いに来たの?」

「友人が近くにいるというのに、訪ねないという選択肢はないだろう?」


 今度はヴィルタークの答えにウージェニーが、軽く目を見開く番だった。「あなたってあいかわらずね」と意地悪なくすくす笑いではなく「あはは」と声をあげて笑うのに、史朗は目を丸くした。


 王宮の女官でも貴婦人でも扇で口許を隠したおほほ笑いで、こんな風に豪快に笑う高貴な女性など初めて見たからだ。


 その笑い声にサロンの開きっぱなしの扉から、ぬうっとお堅そうな年寄りの修道女が現れて「ドロティア、修道女の静謐の誓いを忘れたのですか?」と険しい顔でたずねる。それに「申し訳ありません、カタリナ副修道院長」とウージェニーが、目に浮かんだ涙をハンカチでふきふき答える。


「あまりにおかしくって、でも、聖アントニオ様の教えでは、楽しいときはそのままに笑えというお言葉もありますわ」


 「とにかく、修道院ではお静かにいいですね」と老女は言いつけてサロンを出ていく。それを見送りウージェニーは「わたくしはここの静かな暮らしが気に入っているの」とヴィルタークに向き直る。


「支援というならそうね。貧しい子女のための職業訓練所を以前から細々やっているの。ただ資金が足りなくてね。その援助をして欲しいわ」


 手に職がないから身を売るしかない。そんな悲しい女性達の支援をウージェニーはしているという。それにヴィルタークは「わかった、ぜひ国でも支援しよう」と答えた。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「元婚約者と聞いてびっくりしたけど」


 ヴィルタークにあてがわれた部屋に共に戻って史朗は口を開いた。

 史朗が闇に襲われた問題もあって、部屋を行き来するのではなく、大神殿での滞在はヴィルタークの部屋でと決まった。日替わりで行き来しなくていいのは、正直めんどくさくなくていい。荷物の移動とかあるし。


「正式に決まっていた訳ではないが、親同士の口約束のようなものだ。幼なじみでもあったしな」

「そうなんだ」


 彼女の家はヴィルタークと同じ侯爵家“だった”そうだ。“だった”と言うのがひっかかるが。


「好きだったの?」


 居間の長椅子に並んで腰掛けて史朗が訊ねれば「恋愛感情ではなく、友人として好ましく思っていた」とヴィルタークは答えた。


「ただ結婚の意思がまったく無かった訳ではない。会って分かったと思うが、おしとやかな令嬢よりは、ああいう性格の女性のほうが俺には気が楽だったからな」

「うん、そうだね。たしかにヴィルとは気が合いそう」


 恋愛感情抜きにしても、ヴィルタークと彼女ならうまくやっていけたような気がする。


「俺がいままで彼女の存在をお前に黙っていたのは、自分のふがいなさを思い出すからだな。情けない話だが聞いてくれるか?」

「うん」


「彼女の侯爵家が取り潰しになったのは、俺の両親が事故死ではなく、王族の者達が荷担した隠謀だったと発覚したときだ。

 彼女の侯爵家も王家の血を引いており、当主であった彼女の父も隠謀には荷担していなかったが、これを知っていながら黙認したと、その罪を問われた」


 このときの王は、偉大なる大王とよばれたジグムント二世。ヴィルタークの実の父親だ。


 長い統治と穏やかな治政を誇った王であったが、この事件の処分は苛烈であったと史朗も記録を読んで知っている。隠謀に荷担した者達はすべて処刑、少しでも関わった家も爵位も領地もとりあげられた。


 偉大なる王の治政の末を血の粛清でけがしたと言われた、唯一の汚点。


 「彼女の父はその屈辱に耐えられずに自死した」とヴィルタークの言葉に史朗は息を呑んだ。王族の血を引く侯爵から一転して、ただの平民となるなど誇り高い人であればあるほど、屈辱であったのだろう。


「粛正の嵐が吹き荒れたとき、俺は聖竜騎士団の副団長として僻地で任務していてな。急ぎ王都に戻って彼女の元に駆けつけて、結婚をしようと申し込んだ」


 まったくヴィルタークらしい思う。父親は侯爵の地位も領地も取り上げられて、ただの平民として自死したのだ。彼女も当然なんの身分もない娘になってしまった。


 普通の貴族の男性ならば、そんな女性など見向きもしないだろう。正式な婚約者であってもその時点で婚約解消だ。


 ただ、親同士の口約束で幼なじみ。恋愛感情はない女性に彼は求婚したのだ。


「でも、彼女は修道院に入った?」

「ああ、俺が駆けつけたときはすっかり仕度が済んでいてな。『同情しないで! 』と横っ面を張り飛ばされた」


「っ!」


 思わず吹き出してしまった。あまりにも今日会った、あの女性らしくて。


「ヴィルの顔をたたいた御婦人なんて、彼女だけじゃない?」


 なにしろひざまづいて求婚すれば、誰もがうなずきそうな美丈夫が、ヴィルタークだ。「まったくだ」と彼は笑った。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「こちら、よろしいかしら?」


 その翌日、史朗は再びウージェニーと会うことになった。大神殿の中にある聖職者達の私的な空間といえる小さな中庭だ。


 ヴィルタークはあいかわらず公務で忙しく、史朗は図書館から借りた本を読むのに「良い天気ですから、あちらがお勧めですよ」と円形の花壇が咲き誇る図書館の外の庭を勧められたのだ。


 地下の書庫へは闇に襲われた事件があって、入るのはヴィルタークと共にいうことになってしまった。国王代理の彼ならば禁書の書庫に入れるが、護衛の聖騎士達はダメだというのだから、まったく宗教者というのは頭が固い。


 置かれた木の椅子に腰掛けて本を広げてしばらくたって、声をかけられた。「どうぞ」と長椅子の横に腰掛けるように示せば、彼女は遠慮なく腰を下ろした。


 「えっと」と史朗が迷ったのは、どう呼びかけるべきか? だ。ウージェニーと呼ぶべきか、それともここの修道女としての呼び名であるドロティアと呼ぶべきか? 


 それを察した彼女は「ウージェニーでいいわ」と答える。「ヴィルタークもわたくしをそう呼び続けるでしょうしね、賢者様」と。


「あなたともう少しお話してみたくて」

「僕ですか?」


「だって、恋なんかするんだろうか? というあの朴念仁が、自分の伴侶だってみんなに堂々と言い放つぐらい、熱愛している賢者様だもの。幼なじみとしては興味を持つわ」

「はぁ、僕もどうしてヴィルが僕をそこまで好きなのか、わかりません」


 本当に未だ疑問だと史朗が答えれば、ウージェニーがプッと吹き出す。「その正直さ、ヴィルタークに似ているわね」と。


「たしかにまあ、これが彼の好みだったのかと、あなたを見て思ったわよ。艶やかな黒髪に、大きく輝く黒い瞳。小さくて形のよいお顔に、どこもかしこもかわいらしい」

「は、はあ、僕、男なんですけど」


 褒めてくれているのはわかるのだが、やはり男の子として複雑だと返す。


「じゃあ、あなたはヴィルタークのどんなところが好きなの?」

「口に出して言うとなると恥ずかしいですね。初めにあんな男前がいるのかと見とれましたけど。

 それだけじゃなくて、あの人はなにもかもが大きいでしょう?」

「まあ、たしかに大きすぎて並の人間だとついていけないところがあるかもしれないけど」


 ウージェニーは楽しそうに目を細めて「ねぇ」とイタズラを思いついた猫みたいな顔をする。


「ヴィルタークからわたくしの身の上は聞いたでしょう?」

「ええ、まあ一応」

「可哀想だと思って、わたくしをあの人の形だけの妻にしてもらえるように頼んでくれないかしら? 

 もちろん屋敷も別の白き結婚よ」


 白き結婚とは契約のみの肉体関係の無い夫婦のことを指す。「ヴィルタークの本当の伴侶はあなたのまま。異世界の賢者様の地位は揺るぎがないでしょ」と彼女は続ける。


「お断りします。もちろん、あなたが本気でないことはわかってますけど」

「迷いなく断るのね」

「だって、それはヴィルも僕もあなたも幸せにならないでしょ?」


 史朗の言葉にウージェニーは目を丸くして、そしてにっこり微笑む。


「やっぱりあなた達似ているわね」

「そうですか? 言われたことないですけど」

「そうね、だからあの朴念仁が夢中になったか」


 なにか納得しているウージェニーに史朗が首をかしげて、そして、思いついたとぱちぱち長いまつげをしばたかせて「あの」と訊ねる。


「なに?」

「神官長達の寝室に脅迫文が貼り付けられていたことは、ご存じですよね?」

「一応、内密にはされているけどね。宮廷同様、こういう場所では噂の周りは早いものよ」


 そうたしかに、こういうところでは風聞というのは伝達が早い。閉鎖された空間ならばなおさらというべきか。

 だが、逆に外部の人間には口が重くなる傾向にあるわけで、だから史朗は思いついて彼女に尋ねてみることにしたのだ。


「その内容はわかりますか? 根拠のない噂でかまいません」

「根拠のないどころか、前々からのこれもうわさで、みんなさもあらんと思ったのだけれど。

 大神官長様に対しては純粋な脅迫よ。闇の教団は常にお前の背後にいるとかなんとか、そんなのね」


「はあ」


「神官長様方に関しては、高位の聖職者の醜聞の定番ね。女に金。会派の金の流れがどうなっているか図星をさされて青ざめたみたい」

「なるほど」


 そりゃ脅迫に関して神官長達が積極的に話したがらなかったはずだ……と史朗は納得する。「あと」とウージェニーが思いついたというように、唇に指をあてて。


「聖ワシリイ会の神官長様の場合は、女ではなく男ね。あの方は美しい美少年や美青年に目がないのよ」


 「あなたも気をつけてね」と言われて、史朗はぞくりと背を振るわせた。




 しかし、その神官長の死体が発見されたのは、翌日の朝のことだ。

 それも顔を潰され、心臓をえぐり取られるという陰惨な形で。








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