第六話 闇の気配 その1
四つの派閥の名は、聖イオアン会、聖シルウェストル会、聖ビルギッタ会、聖ワシリイ会。
「それぞれの会の発祥と理念の説明も必要か?」とのヴィルタークの言葉に、史朗は首を振る。必要ならあとで、この神殿の図書館で調べればいいことだ。
「それより、その派閥というか、会が、それぞれどちらの部屋を担当していたのか、知りたいな」
「ああ、国王代理である俺の部屋は、イオアン会とシルウェストル会の神官長だったな」
「じゃあ、賢者である僕の部屋は、ビルギッタ会、ワシリイ会だね。二つの派閥がそれぞれ手を組んでいるってこと?」
「今のところはな。とはいえご高齢の猊下は今は健康でらっしゃるが、どうなるのかわからん。そうなれば、次の大神官長をどこの会から出すかで、四つがそれぞれにいがみ合うことになるだろうな」
長い神殿の歴史の中で生まれた四つの会派は、それぞれを蹴落としあい、勢力を広げようと争いあってきたという。
それの最たるものが大神官長の座だろうことは、史朗にもわかった。なにしろこの大神殿の主にして、アウレリア神殿のすべての長なのだから。
「それで今の大神官長はどこの会から出たの?」
通常ならその会の派閥が、一番力を持っているはずだが、どの神官長も同格に史朗の目には見えた。
横一線で争っていると。
「いや、アナクレトゥス猊下はどこにも属していない。あえていうならば、大王ジグムント陛下が彼の後ろ盾であったんだ」
偉大なるとかならず頭について呼ばれるほどの先々代王のジグムント二世。彼が偉大だったのは、善政を行ったことと同時に、その安定した治政が長く続いたことにあった。
だからこそ時間がかかる宗教改革にも乗り出せたのだ。民衆の信仰と多額の寄進の資金力を背景に、政治に食い込んでいた神官達の影響力を徐々に排斥し、政教分離を成し遂げた。
その最後の仕上げとも言うべきものが、現大神官長であるアナクレトゥス二世の擁立だったという。
「王宮への政治力を無くしていた四大派閥は、そのうえにそれぞれに醜聞を抱えていた。というより、あまりに政治と権力を持ち過ぎた神殿は腐敗は極まっていたといっていいだろうな」
材料はいくらでもあったわけだ。大王ジグムントはそれを不問とする代わりに、どこの会にも属していない地方のその高潔さと人格者で名高かった神官長を、次の大神官長に推したのだという。
大神殿のそれぞれの派閥は、その大神官長を結局受け入れるしかなかった。
「ところがだ。アナクレトゥス二世が誕生してすぐに、大王は大神殿の“大掃除”を行った」
不問にすると取引した醜聞で、多くの神官が捕縛、破門とされて流刑となったのだという。
「これによって各派閥の力は大いに削がれ低迷し、もともと終身制の大神官長の地位は逆に盤石となったわけだ」
史朗は先の宮殿の大サロンでの光景を思い出す。四人の神官長がなにか言いたげだったのを、視線だけで制した大神官長の姿を。大王ジグムントが選んだだけあって、ただ温厚な人物なだけではないのだろう。派閥の支持がなくとも、この大神殿の頂天に立っているのだから。
「だけど、その大神官長猊下も、ヴィルと僕の聖人列聖と名誉神官長の聖別には、ずいぶん乗り気のように思えたけど?」
「あれは俺達が断るのも計算の内だ。だから、素直にあっさり引かれただろう?」
「ああ、うん。たしかにこっちの断りにも、あえて引き留めるなんてしなかったね」
王宮では連日とは言わないまでも、しつこい神官達にはうんざりしていた史朗には、大神官長の態度は意外だった。
「あれで猊下は、四つの派閥の神官長の顔を一応立てた形にはなったわけだ。彼らの意見を受け入れるようでいて、のらりくらりと結局は自分の思い通りになさる。派閥のどれにも肩入れもしないから、その力は拮抗したままだ。
食わせ者だよ、あの方は」
そうヴィルタークが評するのだから、なかなかの傑物なのだろうと史朗は思った。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
しかし、四つの派閥の神官長達は諦めていなかった。
初日の晩餐は国王代理の部屋の世話係である聖イオアン会、聖シルウェストル会の神官長二人ととったがにこやかに話しかけてきておいて、話をヴィルタークの聖人列聖や史朗の名誉神官長就任を匂わせようとする。
さすが神官長だけあって話がうまい。それも二人とも協力して、片方がヴィルタークと話しておいて、もう片方は史朗と。それもヴィルタークよりも、確実に史朗が攻めやすいと見て、その言質を取ろうとするのだ。
王宮ならば己の執務室でのこと、神官がしつこくとも面会時間が過ぎたと、秘書官がやってきて摘まみだしてくれるが、ここは大神殿の大神官長宮殿だ。
それも国王代理の顧問である賢者としてやって来ているわけで、歓迎の晩餐の式で席をけって立つようなことは非礼となる。
そこで史朗はとにかくあいまいに微笑んで、ごまかす……ようなことはしなかった。
「そういえば、私は今、王宮の封印されてきた地下書庫の禁書を解読しているのですが」
「禁書……ですか?」
聖シルウェストル会の神官長の顔が、少し引きつった。しかし、それを史朗はさらりと気付かなかったふりをして続ける。
「ええ、そこで緋の聖女に関しての異聞書を発見したのですよ。にわかには信じられないような内容でした。これは国王と神殿が禁書にされるのもわかる」
「は、はあ、緋の聖女様を冒涜するとは信じられませんな」
ぴくぴくと中年の神官長の微笑を浮かべた口の端が引きつるのを、史朗は見逃さなかった。
神官長は緋の聖女に対しての“冒涜”と言った。史朗が禁書の内容を一つも語っていないのにもかかわらずだ。もちろん、聖女が闇の魔女だったとも口にしていない。
ヴィルタークは知らなかったが、やはり大神殿には、緋の聖女の真実が伝えれているのだろう。おそらくは神官長あたりまでの秘密として。
緋の聖女のことは大神殿としても隠したい恥でもあるのだ。兄軍の勢いに乗じて、大神殿側もいそぎ彼女を聖女と認めたのだと禁書には書かれていた。初めはただの田舎娘の妄言と取り合いもしなかったのにも、関わらずだ。
一旦認定した聖女をいまさら闇の魔女などとは言えない。それは神殿の過ちを認めることとなる。
「ええ、もちろん私もあのような禁書のよた話など信じていません」
史朗の言葉に「そうですか」と神官長はあきらかにホッとした顔となる。
「それより気になるのは、あそこに書かれていた闇の教団です。本当に存在するのでしょうかね?」
史朗はうそをついた。禁書には闇の魔女との記述はあっても、教団とは書かれていなかった。
が、神官長はあきらかに虚を突かれたような顔となって「そ、そのようなもの知りません!」と答えた。
そのやりとりに気付いたヴィルタークと、そしてヴィルタークと話していた神官長がこちらを見る。史朗は「なんでもありませんよ」とにっこり微笑む。「ね?」と神官長を見れば「え、ええ」と彼は上ずった声で答えてうなずいた。
二日目、二人は史朗にあてがわれていた部屋へと移った。そして、午後のお茶の時間にビルギッタ会、ワシリイ会の神官長達がやってきた。
せっかくの気に入りのキャラメルナッツのタルトがあるのに……とそれを一番に食べて、それまでワシリイ会の神官長がしゃべるがままに任せていた。
「賢者殿がその身の内に闇を抱えていようとも、それに惑わされないことこそ、まさしくアウレリア女神様が招かれた、その証。固辞されるお気持ちもわかりますが、名誉神官長の位を受け取っていただけませんか? 本当に名誉としての神官長の称号だけなのですから」
「闇、闇ですか、それで思いだしたのですが」
と昨夜と同じような禁書の話題を史朗がつらつらと語り“教団”の名を出せば。
「そ、そのようなもの知りません!」
昨夜の神官長と同じように声をあげて、あげく立ち上がり椅子をひっくり返したのだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「あやしい」
二人きりとなった、今夜は賢者のためにあてがわれた寝室にて、クッションを抱えて寝台にひっくりかえり史朗はつぶやいた。
「たしかに闇の教団の名にあからさまに動揺していたな」
ヴィルタークが寝台に腰掛ける。そっと頬に添えられた手に「ん」と子猫のように頬をすりつける。
「たださ、逆にあからさますぎて、そこが浅い感じもするんだよね」
「だが、シロウが口に出した名に反応したということは、知っているということだぞ」
「たしかにね。『知らない』とは言っていたけど、あれは『知らない』反応でもないんだよねぇ」
「うーん」とうなっていると、ちゅっと口づけられた。軽く何度もついばまれて、合わせが深くなる。
「ふ…ぁ……」
舌を絡め取られて意識がふわふわしたのは、口付けだけじゃなくて……。
「するの?」
「眠そうだな」
「うん、昨日の今日で……やっぱり僕、ああいう腹の探り合いは得意じゃないな。すごい疲れる」
横になって抱きしめられてヴィルタークの広い肩にぐりぐりとひたいを押しつければ、上手くやっていたと思うぞと、よしよしと頭をなでられた。
「眠いなら寝て、明日は元気になれ」
「うん……おやすみ」
「ああ、良い夢を」
ひたいにそっと口づけられて、ヴィルタークの腕の中、史朗は夢の中へと落ちた。




