第一話 女神襲来! その2
神様以外にやっかいなのは、マッドな魔法使いと狂信的な聖職者だと思う。
「賢者様!わたくしめの崇高なる魔法論文を添削してくださって、ありがとうございます。あのお美しい赤の筆跡はわたくしめのためを思ってのお言葉。このゲッケ、感涙の涙にむせびお美しい文字が思わず見えなくなるほどでした」
王宮にある宰相の執務室。大きな執務机の椅子にゆったりと腰掛ける史朗の反対側にいるのは、あいかわらず派手な紫のガウンに魔導具のアクセサリーだらけの宮廷魔術師のゲッケだ。
聖女の召喚に巻き込まれてやってきた史朗を、初めはまったく眼中にないゴミとして見ていたのだが、それが異世界からの賢者とわかったとたんのこの手の平返しだ。
「賢者様、厚かましい申し出ですが、これからもわたくしめの革新的論文の添削を……」
「断る」
「あっああ!つれないお言葉、あんなにご親切にもわたくしめの魔法論文を添削してくださったではないですか」
「それはムスケルに頼まれたからだ」
宰相として忙しいあれに押しつけられたこいつの予算請求の論文の添削をしただけだ。実現不可能な机上の空論の。当然予算はつかなかったが。
「だいたいお前の論文は破綻だらけだ。僕は良い子の魔法書から始めろ!と書かなかったか?」
「おお~師は見所ある弟子には厳しいものです。是非是非、このわたくしめが魔法の探求に精進できるように、鞭打つような厳しいお言葉を」
話に熱がこもりだしたゲッケは左右にカサカサと嫌な効果音がつきそうな動きをしだす。
なんでこんな動きになっているかというと、史朗への接触禁止令を、国王代理のヴィルタークから厳命されているからだ。
史朗の足下にひざまづいて、さらにはそのブーツを引っ込んで、靴底に頬ずりするというヘンタイ行為をやらかしたせいだ。
「ああん~むしろ、本当に鞭でぶって……」
それ以上の言葉は精神が穢れそうだったので、史朗は風の魔法を詠唱もなしに発動させて、ゲッケの身体を己の執務室の外に吹っ飛ばした。
ごろごろとゲッケの身体が転がっていく。「ありがとうございま~す」という気持ち悪い声が、見えない魔法の手が開いた扉の向こうに消えた。扉をぱたんとしっかり閉じて、執務机の椅子に埋もれるようにもたれかかった史朗は「ふう……」と息をついた。
しかし、災難?とは続くものである。ゲッケに続いて今日は、宮廷神官の訪問を受けた。面談の確認を自分付の秘書官から受けた史朗は、遠い目で「お通ししろ」と告げた。
そして。
「……このように偉大なるアウレリア女神は人々に慈愛と光を与え、歴代の聖女様は女神様の化身として人々を救済なさったのです。
そして、異世界の賢者であるあなたは、女神様に召喚されてこの世界に来られたかた。ぜひぜひ、名誉神官長の称号授けたいと、大神官長猊下もおっしゃられております」
「ありがたいお話ですが、お断りします」
アウレリア女神の神話と歴代聖女の話を聞くのはこれで何度目か?そして、これを断るのも同じ数だなと、史朗はほとんど無の境地になりながら返す。
「賢者殿はまったく奥ゆかしい。しかし、ご遠慮されるのはそろそろ止めにして、我らのお心をおくみになってくださいませんか?」
「はあ、しかし、うちは浄土真宗でして」
「じょ、じょうど?」
「日本人定番の無節操さですよ。当然クリスマスにはケーキを食べ、お正月には神社に初詣に行く」
「くりすます?じんじゃ?」
首を傾げる神官を今日も史朗は煙に巻くのだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「疲れているようだな?」
史朗の執務室と国王代理であるヴィルタークの執務室は近い。その間にあるサロンがこの頃の二人の休憩場所となっている。
午後のお茶の時間。アウレリアの人々はお茶とそれを楽しむ時間をこよなく愛している。宮廷から地方の村々まで、かならず午前と午後のお茶の休憩をとり、ちょっとした茶菓子をつまむ。
「ゲッケと宮廷神官が立て続けに執務室に来たんだよ」
史朗の言葉にヴィルタークが「それはお疲れだったな」と苦笑する。
「俺のほうにも、邪悪な魔王をしりぞけた聖人として、生前列聖したいと話が来ている」
その言葉に史朗は軽く目を見開いた。この世界の神殿史にも目を通したから知っているが、聖人認定は死後されるものであり、生きているうちというのは前代未聞だ。
「それだけ神殿はこちらを取り込みたいのだろうな。
なにしろ頼りの聖女はお前が元の世界に帰した」
「ノリコちゃんはあちらの世界で無事に暮らしているって、このあいだ女神アウレリアが言っていたけど」
「それはよかった」
偉大なる大王と呼ばれた、ヴィルタークの実の父であるジグムント王の時代。政治にまで口出しするようになっていた神殿の権力は、この王によって大幅に削られた。
神殿と神官の役割とは女神を讃え奉仕すべしと、政教分離の考えを浸透させたのだ。
しかし、一度手にした権力の味を人間なかなか忘れないものだ。ジグムント王亡き後、一年に王が二度も替わるという王家の混乱に乗じての、聖女召喚によって神殿はかっての権力を取りもどそうとしたのだ。
その聖女召喚だが、実は召喚されたのはオマケと思われていた史朗が異世界の賢者で、魔王として復活しかけた魔法王をヴィルタークとともに撃退。さらには聖女として召喚されていた異世界の少女ノリコを元の世界に帰した。
「神殿側としては失った聖女様の代わりに、賢者である僕とヴィルタークで、政治的権力を取りもどそうって考えなんだろうけどさ」
しかし、簡単に利用できる人物かどうか、よく見てから仕掛けるべきだと史朗は思う。ヴィルタークが聖人にすると言われて喜ぶと思うのだろうか?
「僕だって名誉神官長なんて面倒くさいものは嫌だよ」
「はっきり断れないところが、お互い辛いな」
「宗教はどこの世界でも微妙な問題だからね」
権力は失ったとはいえ、アウレリア女神を国名とするこの国では、神殿の権威と民衆の信仰心は高いのだ。
「そもそも、僕、よくわからないし」
賢者様でも?と言われそうだが、崩壊した世界では宗教なんてものはなかったのだ。さらに転生した日本では八百万の神ときている。なんでも神様にしてしまう国民性だ。
「神は死んだ」
「なんだそれは?」
「僕の世界の有名な哲学者の言葉だよ」
「それは神官達が泡を吹きそうな文句だな」
二人は顔を見合わせて苦笑しあったのだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
ヴィルタークが国王代理となって、初めてのアウレリア王国の花祭。
この日は賢者に導かれた箱船がこの地に降り立った日とされていた。アウレリア王国のみならず、すべての国々が世界の始まりとアウレリア女神を讃える祭でもある。
今年の花祭は、大いにもりあがっていた。なにしろ二年ぶりなのだ。去年一年は、コロコロと王が変わり、その喪中ということもあって、祭としてやることはやったが、かなり縮小されたものだったという。
なのでそのうっぷんを晴らすかのように、今年はひときわ華やかに。王都のすべての家々の扉には祭の象徴である花輪が飾られていた。
大通りの商家の家々のものなどは、人がくぐれるほど大きい。さらに豪奢なものとなると両わきに花車も添えられている。
そして、王宮にもその花輪があちこちに飾られていた。女官達の髪にも、建国祝いの儀式につどった貴婦人達の髪にも花が揺れる。
そして、大広間につくられた仮の玉座の間。黄金の椅子の前に国王代理であるヴィルタークが立つ。
本日の彼の服装は、儀式ということで聖竜騎士団の制服ではなく、体格のよかったジグムント大王の儀典用の服をそのまま借りた。通常ならば新調するところだが、こんなところにも国王代理の質実剛健の精神が現れているようだった。
深い青の長衣に、白のケープ付きの裾を引く毛皮マント姿に、廷臣達の間からは思わず「ジグムント大王様」と偉大なる王と彼の姿を重ねて声が漏れる。
彼は片腕に王冠を抱えていた。玉座に座ることなく王冠をその頭にのせることもない。自分は国王代理であるという、強い姿勢の現れだった。
そして、続いて広間に入ってきた可憐な姿に人々は再び目を見張る。
艶やかな黒髪はいつものように横の毛を編み込むことなく垂らしたまま。頭には色とりどりの花の冠を被っている。
白い古代風の長い衣にも、右肩から斜めに腰にかけて花々の飾りがあしらわれていた。裾をひくマントは透けるきらめく布で出来ている。
それはまるで伝説の妖精のようで、黄金の玉座の前で対峙する堂々たる国王代理と、ほっそりと幻想的な異世界の賢者の姿に人々は、うっとりと見とれたのだった。
史朗が両手に持っていた花冠を、ヴィルタークが差し出した王冠に被せる。
そのとたんに静まり返っていた大広間が、歓声に包まれる。「アウレリア万歳」「建国万歳」との廷臣達の歓声を、国王代理と賢者は受けたのだった。




