第1話 よばれてない その4
「お前を元の世界に戻す方法だが、残念ながら、今のところない」
ぐだぐだ周りくどい説明もなく、ここはどこなのか? どういう事情で自分がこの“事故”にあったのか。さらに元の世界に帰れるのか帰れないのか、一番知りたかったことを、いたって簡潔にヴィルタークは説明してくれ、史朗はまた、こくこくとうなずいた。
自分はよい人物に保護されたのだろう。あの宮廷魔術師長官だったか? の言動と、彼の他に自分に無関心な貴族達の様子からして、城の外にそのまま放り出されていた可能性だってあった。
それこそ、今日の食事と寝床に困る有様だった。
とはいえ、これは言いたい。
「これ、あちらの世界では“拉致”という犯罪なんですけど、こちらでは違うんですか?」
「人さらいは立派な罪だ」
正直に認めて「すまない」と頭を下げる彼は、本当に立派な人だと思う。なので「頭をあげてください」と史朗は言う。
『あなたのせいではない』とは言わない。国政に関わる人間ならば、その責任はある。それを感じたから、彼はここに自分を連れてきてくれたのだろう。
「元の世界に返せない代償にもならないが、お前の願いは、私の出来る範囲でなるべく叶えよう。もちろん、衣食住の心配はしなくていい。
とりあえずの希望はなんだ?」
頭をあげた彼が訊く。とりあえずの希望なんて、史朗には決まっていた。
「身体を鍛えたいです」
「は?」
男が目を丸くするが、史朗にとっては一番重要なことだった。
バラバラにした術式とともに六つの魔法紋を取りもどすには、まずはこの身体を“人並み”に鍛える必要がある。中学時代から数年間引きこもり続けた、運動なんてしたことのない身体を。
実のところ、術式を分断する必要があったのはこの身体のせいもある。いきなり蘇った記憶と膨大な魔力に、ひ弱な身体が耐えられなかった。
とはいえだ、それだって術式を展開し、もとの世界に戻るには瞬き一つほど耐えればよかった。あの滅茶苦茶な召喚式でなけば、双方の街が吹っ飛ぶなんてこともなかったから、やはりあの真っ赤なローブのへぼ魔術師が……(以下略)。
「身体が弱いのか?」
目の前の男、ヴィルタークが心配そうに見る。史朗は首を振った。
「病弱ではなく、単純に体力がないんです」
そう持病などない。ただ、この身体はひ弱なのだ。お手軽ハイキングだって、十分たらずで休憩を取りたくなるほどの。
「なので、衣食住の保証は感謝します。あとは歩いたり走ったりして、自分でなんとか出来ると思いますから」
おそらくはこの屋敷には数日の滞在で、その後は町屋の部屋を一室提供されるか、それともこぢんまりした一軒家を家政婦付きでもらえるか、そのあたりだろうと思っていた。それぐらいの生活費ならば、これだけの邸宅を構える男の懐は、みじんも痛むまい。
が。
「鍛錬が必要ならば、しかるべき教師をつけよう。今日はこの屋敷の案内と庭の散策だけでも、十分な運動になるはずだ」
「クラーラ」と名を呼ばれて「はい、旦那様」と後ろに控えていたメイドの一人が一歩前に出る。それは昨日から史朗の面倒を見てくれている彼女だ。
「昨日からだが、これからお前付きのメイドとなる」
史朗は長い前髪に隠れた目を見開いた。自分付きの世話係なんて、つまりはこの屋敷にずっと置いてくれるということか?
さらには「ヨッヘム」と呼ばれて、後ろになでつけた頭髪も整えた鼻の下の髭もまっ白の初老の男性が出てきた。昨夜、玄関で迎えてくれた執事だ。要望ならば彼に告げるように言われて、史朗はこくりとうなずいた。
「ああ、時間だな。少し遅くなったが」
彼が視線を時計に向けた。振り子時計に見えるが、その振り子の部分が、クリスタルで出来ており、ほのかな蒼に輝いている。これは魔導具だ。
「これから王宮に向かう。今日はなるべく早く帰るつもりだ」
自分に向けられた視線に、史朗は自然に口を開いていた。
「いってらっしゃい、ヴィルタークさん」
昨日からこの屋敷の居候の自分が“いってらっしゃい”でいいのだろうか? しかし、早く帰ると言われて返す言葉は、これだろう。
ヴィルタークは老執事に肩からかけてもらったマントの紐を結ぶ手を止めて、こちらを見る。
「いってくる、シロウ」
史朗は目を見開いた。自分の名だ。だけど、こんな風に言ってくれると思わなくて、ぽ……と胸が熱くなった。……だけでなく、なんか切ない。
────なんだ?
憶えのない感覚だった。前世の賢者においても。
HOOOOOOOOOON!
そのとき、ホルンのような音が響いた。「催促が来た」とヴィルタークが苦笑すれば「ギング様は時間に正確ですから」と老執事が答える。
そのとき、食堂の天井まである窓に大きな影が見えた。鳥? と思ったがあまりにも大きすぎると思ったのと同時に、窓から見える緑の芝生の庭に降り立った姿に、史朗は目を見開いた。
「竜……?」
それは白く大きな翼を持つ飛竜だった。
食堂から、男性使用人を一人後ろに連れて、出て行ったヴィルタークの姿が、再び庭へと現れる。彼は竜へと歩み寄って、愛馬にするようにその長い鼻面を優しく撫でて、二言三言話しかけると、竜の背にひらりとまたがった。
背には鞍はなく裸で、また手綱のように制御するものもなかった。しかし、竜は乗り手の意思がわかっているように、上空に舞うと旋回し、庭の向こうの森に見える、いくつもの尖塔が目立つ王城へと飛んでいった。
「旦那様は聖竜騎士団の団長でございます」
その様を食堂の窓越し見送った史朗の後ろから話しかけたのは、執事のヨッヘムだ。
「竜騎士、なるほど」
たしかにあれは竜で、それに乗れるならば騎士だ。だが、次の疑問がわく。
「聖とはなんですか?」
まあ、たんなる飾りについている場合も多い。聖なるとつけば、なんだって高尚に見えるのだから。
「聖魔法の使い手であり、飛竜と心を通わすことが出来る者。それが聖竜騎士にございます」
なるほどなるほど、ならば昨日の癒しの波動はその聖魔法。自分達は白魔法とも光魔法とも呼んではいたが、とりあえず、回復や蘇生系のものだろうと史朗は理解した。
「こちらはゼーゲブレヒト侯爵家の王都の本宅。旦那様は五十五代目のご当主に当たります」
ヴィルタークは自分の名だけを史朗に名乗った。聖竜騎士団長とも、自分が名門の侯爵家の当主であると、その地位など語らなかった。
それだけで地位や身分にこだわらない開明的な人物だとわかる。異世界からおまけで迷い込んだ、人間にも親切にしてくれた。
自分の身分や地位にも頼ることはない。己自身の力に絶対の自信があるだろう。たぶんそれは傲慢ではなく、地に足をしっかりつけたものだ。
「ヴィルタークさんって、すごい人なんですね」
史朗の感想はこうなる。