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長い物語の終わりはハッピーエンドで  作者: 志麻友紀
長い物語のおわりはハッピーエンドで
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第8話 炎の蛇と英雄の冠 その4




 夜の天幕の中。ベッドに腰掛けた史朗は「これ」とヴィルタークに渡した。それは朝、髪飾りから落ちた濃紺に星空のような金が散っている石だ。


「これは?」

「えーと、朝、髪飾りから落ちて、あ、ヨルンが壊したわけじゃないんだ。本当に落っこちて」


 だから彼の落ち度ではないと説明する。これぐらいで、ヴィルタークも咎めないし、クラーラも怒るとは思わないけど。


「それで、ムスケルさんに魔法で穴を開けてもらった」

「ああ、あれは攻撃以外の魔法は器用だからな」

「ヒモでも通して、どっかつり下げておいてくれればいいかなって、ちょっとした、おまじないがしてあるから」

「おまじない?」

「健康祈願だよ」


 魔力も感じられないだろう。まあ、本当に気休めのお守りだ。

 ヴィルタークのためというより、史朗の安心のための。


「それは、素敵な贈り物、ありがたく頂こう」

「いや、元はヴィルの家のものだし、穴あけたのムスケルさんだしね」


 いままでお世話になったお礼というには小さすぎる。それでも。


「なんか、あげたくて」


 照れて俯いたら、そっと頬を片手で包み込まれて、上を向かされて、口づけられた。


「んっ……」


 舌を絡め取られて、意識がふわりとする。唇が離れて、ヴィルタークが「たしか、ここらへんにあったな」とチェストの一番上の引き出しをあけて、革紐を取り出し、石にあいた穴に通して、首にかけた。


「どうだ?」


 開いたシャツの間、揺れるそれに史朗は目を見張る。お守りだからなるべく持っていてくれと、頼むつもりだったけど、穴を開けたのはせいぜい根付けかなにかの飾りにと思っていたから、もう、こんな真っ直ぐ。


「ありがとう」

「贈られたのは俺だぞ」

「だけど、うれしいし」


 「もう寝る、おやすみ」とベッドにもぐりこんだら「おやすみ」と低い声がして、後ろから抱きしめられた。

 その体温に安心して寝てしまうのは、この遠征がはじまって、いつものことだった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 湖のほとりで、ノリコが地に両膝をついて祈りささげる。当世の流行のふんわりスカートが膨らんだドレスではなく、一枚の布を襞を綺麗につけて巻き付けた古代風のもの。それは教会にある聖女の像そのままだ。髪には色とりどりの造花が揺れる冠と、それも女神と聖女の像によく見られるもの。

 祈る聖女の後ろには、トビアスに神官達と、近衛の赤い制服が壁のように取り囲んでいる。その外には、湖畔の町ダクマクダの人々や穀倉地帯に点在する村人達も、聖女様の姿をひと目見ようと集っている。


 ノリコが一心に祈る……と、やがて湖面の雲一つなかった空が、やにわにかき曇り、やがてぽつぽつと水滴が、ひび割れた湖の地面にしみをつくる。


「雨だ!」

「奇跡だ!」

「聖女様、万歳!」

「女神アウレリア様、感謝いたします!」


 町の人々と村人達が歓呼の声をあげる中。ノリコの手をとって立ち上がらせた、トビアスが手を振って、まるで自分の手柄のように満面の笑みを浮かべている。

 その向こうでは、随行した役人達が魔導具の紙にペンで素早く文字をつづり、それを同じく随行の宮廷魔術師達がたちまち、鳥の姿にかえて空へと飛ばす。行き先は王都だ。

 鳥の手紙は明日には王都に届いて、この聖なる雨乞いの成功は、辻新聞として街角のあちこちに張り出されて、民の知るところになるだろう。貴族や裕福な商人の家、御用達の新聞にもだ。


 これで王都に戻ったノリコは、正式に聖女として教会に認められ、その儀式のあとに、続けてアウレリア次代王の神託を行うという。当然その名を呼ばれるのは“暫定”皇太子であるトビアスという、予定調和だ。

 だから、市民の歓声に応える、奴の上機嫌ぶりもわかるというもの。降り続く雨に一張羅が濡れてもご機嫌というものだ。それこそ祝い酒を浴びた気分だろう。


 実のところ、ノリコが起こしたこの程度の雨で、湖が満たされることはない。だが、あの炎の蛇が倒され、それを封じていた水の結界が解除されたことで、水源である北東の山林地帯から水が流れ込んでくるようになったから、湖の水位も徐々にあがっていくだろう。これで晩夏の小麦の収穫に憂いは無くなったはずだ。

 「今日にでも聖女様の一行は、王都に立たれるらしいな」というムスケルの言葉に、史朗は「もう?」と振り返る。


「あの“暫定”皇太子様のことだから、夜明けまで祝宴をやって、翌々日に出発かと思ったのに」


 派手な騒ぎが大好きそうなトビアスだ。当然、ダクマクダの街を治める、領主の館で昼間っから夜明けまでどんちゃん騒ぎで、翌日は使いものにならず、だから、翌々日出発と史朗は言ったのだが。


「一刻も早く“暫定”皇太子殿下から、抜け出たいんだろうさ」


 それに「ああ」と史朗は答える。そこに「佐藤さん」とノリコが駆けてくる。

 トビアスはこちらにはやってこない。苦虫をかみつぶしたような顔でにらみつけているが、無駄な騒ぎを起こさないように、監視付きというのは本当らしい。横にそれらしき中年の男がいる。あとでムスケルが、宰相の補佐官の一人だと教えてくれた。

 目の前までやってきたノリコは「ヴィルタークさんも、えーと、参議の伯爵さんも、こんにちは」と挨拶する。まあ、一度お茶会に乱入してきたムスケルの名前は覚えられないだろう。ムスケルもうやうやしく「聖女様におかれてはご機嫌うるわしく……」と胸に手をあてている。

 やっぱりヴィルタークが目当てかと、彼女は大人達二人に言葉をかけたあとに、すぐに史朗に向き直った。「おや?」と思っていると。


「わたし、雨を降らせることが出来ました」

「うん、よかったね」


 光の魔法紋章は彼女の中にある。魔術が使えない彼女でも祈れば、にわか雨程度は降るだろうとは思っていた。

 実際、人々が奇跡だと喜んだ雨は、聖女が立ち去ると同時に止んでしまったが、その後徐々に湖の水量が回復したために、やはり聖女のおこした奇跡とされたのだが。


 ここで魔法紋章を回収してもいいが、ここまでの道中の町や村々でも、朝に聖女の癒やしの恵み……つまり、一日一人病人に触れて、その病を治していると、聞いていた。

 王都のみならず、地方にも聖女の名を高めたいのだろうが、おそらく急ぎの帰りの道でも、それは止めないだろう。雨乞いの奇跡とともに、さらなる聖女の栄光と、それにあやかって、あの暫定皇太子が正式な王として指名される舞台を整えるために。

 だから、ここで紋章を取り上げたら、ノリコの立場が悪くなると史朗は判断した。風と火と水と土、四大元素の紋章はすでに揃っているのだから、あとはノリコから回収すれば、いつでも彼女を元の世界に戻せるのだから。


 よく考えれば、この湖でそれを実行して、女神の奇跡は起こったし、さようならとすればよかったのかもしれない。あとに取り残された暫定皇太子が、正式な王になる、ならないなど知ったことか。

 ただ、史朗にも史朗の事情が生じていた。自分の横に立つ、ヴィルタークの深い瞳の色とか。水と火の紋章を回収してから、彼はなにか物言いたげにじっと自分の顔を見ているのだ。それを、わからないフリを史朗はし続けているけど。


「あの、雨を降らせて、王都に戻って、トビアス殿下を次の王様だって、女神様の代理として、わたしがみんなに宣言したら……そうしたら、聖女としての役目が終わって、元の世界に帰れるって。

 佐藤さんも一緒ですね」


 その瞳が不安げに揺れて、史朗を見る。


 元の世界に戻れるなど、周りの大人達のもちろん嘘だ。あんな滅茶滅茶な一方通行の召喚の儀式をしておいて、戻す算段なんてしてないだろう。

 夢のような世界でお姫様扱いされて、物語のヒロインのような気分になって浮かれていても、それも一月も続けば、冷静になってくるものだ。家族や友人が恋しくなって、元の世界に戻りたいとも。

 もしかしたら、最初に戸惑って泣きべそをかいたノリコに、周囲があなたは選ばれた聖女だが、役目を果たせば元の世界に戻れると、都合のいい嘘を吹き込んだからこその、いままでの彼女の浮かれ具合だったかもしれない。

 実際、それは召喚初日に「も、元の世界に戻してください!」と泣きじゃくったノリコをなだめるために、トビアスの取り巻きが並べ立てた嘘だったとあとでわかるのだが。


「うん、これでようやく帰れるね」

「はい」


 トビアスのような奴のうそに付き合うのは、業腹であるが、とはいえ、今のノリコに真実を告げるわけにもいかない。史朗も、それを信じたフリをしてうなずいた。

 すべては王都に帰ってから、色々と考えなければならないことがあった。

 先延ばしの自分の考えが甘かったと、史朗は思い知ることになるのだが。






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