第8話 炎の蛇と英雄の冠 その3
熱くて心地よい。
「ん……」
「気がついたか?」
大きな手が胸をすべり、上へとあがってくるのに、ほうっ……と息をはいて、すりっと頬ずりすると声をかけられた。
「あ……」
史朗はぽっかりと目を開くと、見知らぬ天井ではなくて、布と木の枠の天井。ここは天幕か。
「また、魔力切れを起こした」
短く説明されて、それで肌を合わせているのか?とふわふわした頭で思う。それでも紋章が二つ先にあったことで、魔力の蓄積があって、前回よりは意識はしっかりしてる。
それがいいのか、悪いのか。
「は……」と息をついて、目の前の厚い胸板に両手をついて、無意識に押してしまう。
「嫌だったか?」
ヴィルタークが苦笑して離れようとするのを、今度もまた反射的に「イヤ」と口にして、背中に手を回してしがみつく。
自分でも大胆な行動に頬を染めて、恐る恐る上をみれば、彼は目を見開いていた。
「えっと、離れるのはイヤで、触れてるのはイヤじゃなくて……ぅぅう……」
「恥ずかしい……」と小さな声でつぶやく。頬が熱い。
「治療なの…に……」
そう言ったとたん、ぐっと力強い両腕に包み混むように抱きしめられる
「それでいい。俺だって、治療だけで抱いてるわけじゃない」
「愛してる、シロウ」とささやかれて、包み込むように抱きしめられて、広い背中に手を回した。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
翌朝。小鳥の声で目を覚ました……なんて、良い目覚めだ。
広い胸に頭を預け、温かな腕に抱きしめられて、触れあう肌は心地よく……っと、ここで史朗は裸で触れあっているのが誰なのか。そして昨夜のことを思い出して真っ赤になった。
「ん?熱があるのか?」
ひたいに大きな手があてられて、瞳を覗きこまれる。濃紺の深い色に「おはようございます」と言えば「おはよう」と返る。
「熱はありません」
「そうか?」
「こ、これは恥ずかしくて……」
それを口に出すのもいたたまれないとぎゅっと目をつぶれば、唇にちょこんと触れるだけの感触。
「かわいい」
「だから僕は十九歳の成人男子」
って主張するのもなんだか、形ばかりの意地になってきているなぁ……と、目の前で微笑んでいる男を見て思うのだった。
それから、シャツとズボンを身につけて、天幕の外へと出れば、世話係のヨルンが待ち構えていて、日よけだけを張った別の天幕の下へと。椅子に座らされて、手水がすむと、クラーラにされていたように髪を整えられる。この弟も姉同様に手先が器用で、史朗の髪の両脇をねじって、後ろで一つにまとめて、今日の髪留めを……と選ぼうとしたところで。
「あ……」
という声に横をみれば、銀の髪留めから一つ石が外れていた。濃い蒼に星のように金が散らばっている親指の爪ほどの丸い石。
「も、申し訳……」
「いや、君が壊したんじゃないってわかっているよ。持ち上げたら取れたんだろう?」
「はい」
留め金が甘くなっていたんだろうなと思う。史朗は手を伸ばして、その石を取り。
「これ、僕がもらってもいい?」
「はい、もちろん、シロ様の髪飾りですから」
いや、これは侯爵家の持ち物だよね……とは史朗は思ったが「ありがとう」と微笑んだ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
髪を整えて、また別の布を張った日よけだけの天幕へといく。椅子とテーブルが出された朝食の席だ。そこにムスケルの姿があった。
「おはよう」と声をかければ、同じ挨拶ではなく「昨夜は酷い目にあった」と返ってきた。それに史朗は目を丸くする。
「あの炎の蛇はヴィルが倒したじゃない」
ヨルンが史朗の前にお茶を置く。ミルクたっぷりのほんのりとカエデの蜜の甘い味がする。史朗ごのみのそれも、クラーラに教えられたものだろう。
それから、木のボウルに入った具だくさんのスープに、焼いたソーセージに、薄く焼いたパン。野営の大所帯であるから、大鍋での煮込み料理と焼くだけの料理ということになるが、こういう豪快な料理ほど美味しいものだ。
薄い円形のパンに大きいソーセージを挟んで、史朗はかぶりつく。うん、鉄板の組み合わせだ。
「そのあとだ。ヴィルタークのやつ、魔力切れをおこした君を抱えて、ギングに飛び乗って、俺を置いて行ってしまった」
「当然、クーンは私に見向きもしないで、君達のあとを追った」とムスケルが憮然とした表情でいうのに「あ~」と思う。
「ごめんなさい?」
「なんだ、その疑問形は。ヴィルタークも、俺の顔をみるなり『すまん、忘れていた』ときた」
それでも早朝、気付いたヴィルタークが、起き出していた竜騎士団員に指示をして、ムスケルを回収に来たんだという。
「夜明けまでどうしてたの?」
「真っ暗な中だぞ。やることもないから、結界を張って寝た」
あの風穴で寝たのか。いや、夜は寝るしかないけど。
「結界を張る腕は見事だったね」
「褒めてもらっても嬉しくないぞ」
ムスケルは先に朝食を平らげて、食後の茶を飲んでいる。
ヴィルタークは、少し離れた場所の日よけだけの天幕の下、副団長以下の幹部達と朝食を兼ねての今日一日の日程の打ち合わせ中だ。
紺色の竜騎士団の制服に身を包んだ姿を遠目で見て、史朗は口を開く。
「ムスケルさん、ヴィルは昨夜、僕に魔力補給してくれたんだけど」
口にして頬に血が昇ってくる。しかし、これは確認せねば。
「平気そうな顔してるけど、疲れてないかな?」
「からかうのはなし」と先に、この食えない伯爵様に断っておく。
人一人の魔力切れを補うのだ。その相手だって膨大な魔力がいる。
「ああ、平気だろう。昨日、奴は魔力体力馬鹿と言ったはずだ」
「わからないのか?」と訊ねたのは、賢者なのにという意味だろう。それに史朗は「あ、うん」とうなずく。
「ムスケルさん、僕の魔力量計れる?」
「質問に質問とはずるいぞ」
「鑑定が得意なんでしょ?」
そのかわりに攻撃はからっきしなのだと、昨日、ムスケルが話していた。それで、この男が宮廷魔術師の道を選ばなかったのは、なんとなくわかったが。
「君のはさっぱりわからん。魔力なしとゲッケが判断したときは、本当に魔力なしだったんだろうがな。今もなあ」
「それは叡智の冠の効果だよ。賢者の別名は隠者だ。
魔術は世界に利があるものばかりじゃない。究極へと到る道を突き進めば、ときに破滅さえ見えることもある。そうなったときに、それは己のだけの中に隠しておかねばならない」
「なかなかに深淵だな。とはいえ、その秘密を知りたくなるのも、また人だ」
「一つ秘密を話すとすると」
ムスケルの瞳も見えない細い目を見て、史朗は口を開く。
「叡智の冠をもってしても“冠持ち”の力を見ることは出来ない」
「それは賢者に生来備わっている能力のことか。じゃあ、ヴィルタークの奴にも?」
「彼の場合は叡智の冠じゃないよ。英雄の冠だ」
「…………」
普段はよくペラペラしゃべる男なのに、こういう時は黙りこむなと思う。
冠はすべての人間にある訳じゃない。それこそ、それを持って生まれてくる者はごくまれだ。そして、その者は世界になにかしらの影響をもたらす。良くも悪くも。
英雄と呼ばれる者達がいる。だが、彼らの歩む道は、必ずしも栄光に輝いているとばかりは限らない。時に運命に翻弄され失墜し、悲劇的な最後を迎えるところまで、それさえも後に彼らの証を世界に爪痕を残す。
「魔力を視ることは出来なくても、ある程度の予測ぐらいできるけどね。たしかにヴィルの光に特化した魔力はものすごく膨大だとはわかる」
あれは小さな太陽だ……とさえ、史朗は思う。なるほど、英雄の冠を持つに相応しいが。
「ああ、たしかにアウラの民には生来魔力が備わっていて、風と土が得意な私でも、他の要素の生活魔法ぐらいは使える。が、あれは光しか適性がない」
火・風・水・土の四大元素の魔法をヴィルタークは使えないというのに、史朗は目を見開く。
「でも、光さえ使えれば、攻撃に結界に回復とすべてにおいて万能ではあるからね」
光は四大元素の元でもあるのだ。だから、極端な話、他の属性がなくとも光から、闇以外のすべての元素は作れるし、その魔法も使うことは出来る。
が、しかし、これは膨大な魔力がいる。そもそも光というのが、元々多量の魔力を要求するのだ。その分、強力ではあるが。
だから、この世界で光魔法を扱う、聖竜騎士団が大陸最強と言われるのもうなずける。
「まあ、今のあいつはピンピンしてるだろう。心配ない」
「うん、元気だね」
朝からも、その健啖家ぶりは健在で、史朗が一つのパンとソーセージを食べている間に、ヴィルタークは三枚のパンとソーセージを平らげていた。あいかわらずの大口で、綺麗な所作でいて豪快で気持ち良くもある。
魔力って食べ物で回復できたっけ?と思う。いや、まあ、魔力は身体が資本だから間違ってはいないけど。
昨日、散々戦わせておいて、さらには魔力回復までさせておいてだけど、身体には気をつけてほしいと思う。
そこで、史朗はポケットの中の石の存在を思い出した。ゆったりした飛竜用ズボンの後ろから、それを取り出す。
「ムスケルさん、攻撃はともかく、合成は得意だって言ってたよね?」
「合成だけじゃなくて、攻撃以外なら得意だ!」
それは自慢になるのか?まあ、攻撃出来ないだけだから、なるか。
「じゃあ、頼みがあるんだけど」




