第7話 森の主(ぬし) その2
ゼーゲブレヒト侯爵邸。
真夜中、寝室をそっと抜け出した史朗は、飛竜マントを片手に庭へと。池を回り込んで、その向こうにある石造りの竜舎へとむかった。
「お前は本当に夜のお散歩が好きだね、シロウ」
「ヴ、ヴィル!」
竜舎に入ると、自分の気配を察したクーンに駆け寄れば、後ろから声をかけられる。ぐるりと振り返れば、そこには飛竜マントを肩にひっかけたヴィルタークの姿が。
「夜、いつまでも起きていると、怖い魔物がやってきてさらわれてしまうと、お前の世界では習わなかったかな?」
いつまでも寝ない子供を躾ける言葉は、どこの世界でも同じだなあと、史朗は長い足を動かしてこちらにやってくる、美丈夫を見て思う。
「どこに行くつもりだ? シロウ?」
「怒ってる? ヴィル?」
自分を見下ろす濃紺の瞳にちょっとそんなことを思った。
「ん? いいや、楽しい散歩に誘って貰えなくて、俺は拗ねてる」
え? いかにも人格者なこの人が? と史朗が思ってると、唇に吐息がかかって、ごく自然に目を閉じたが。
「お~い。ここにも、楽しいお散歩に参加したい、お友達がいるんだがな」
突然かけられた声に、またもや史朗は飛び上がって、自分の肩を抱き寄せていたヴィルタークから離れる。
そこには真夜中に生け垣を越えたのか、白い髪に葉っぱをつけた、うさんくさい伯爵様が立っていた。
「ムスケル」
ギロリとヴィルタークが悪友を見る。あ、これはちょっと本気でムッとしてる。
「なんだ?」
「お前の墓碑銘に、竜の落とし物が頭に当たって死亡と書かれたいか?」
「失礼な! 私はそんな野暮天ではないぞ!」
あとで、それが馬に蹴られて死んでしまえ! と同意義だと知った史朗だった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
クーンの背には当然史朗が。ギングにはヴィルタークとムスケルが乗り込んだ。
ちなみに主人同様温厚なギングだが、史朗は喜んで背に乗せるが、ムスケルのときは内心ちょっと思うところがあるそうだと、あとでヴィルタークに聞いて、二人で顔を見合わせて笑い合ってしまった。
さらにいうなら、クーンはおそらく絶対拒否だろう。
星明かりの下の森はまるで海のように黒く見えた。二つの飛竜の影は並んでそこを飛ぶ。
「火・風・水・土の四大元素は、それぞれ対になってる」
真夜中の散歩の目的地は、王都郊外の森。史朗が風の魔法紋章を回収した場所から徒歩や馬でも離れているが、竜の翼ならばすぐ近くとも言える場所だ。
「火は水に風は土に、魔術の基本であるな」
史朗の言葉にムスケルが答える。それにヴィルタークが。
「光には闇が。しかし、闇は禁呪となっている」
たしかに闇の魔法は慎重に扱わねばならない。闇に近づくということは、己の心の暗い部分もまた照らし出されるということだ。それで落ちた魔術師が過去、どれほどいたことか。それを史朗も前世賢者として知っている。
この世界でも、百年前の魔法帝国、その魔法皇帝を名乗った男がそうだ。魔術の天才であった彼は、禁断の闇魔法に手を染めて、己の民の血で魔宝石をつくり、その力で侵略した他国の民の血を搾り取って、さらに巨大な石を作り出した。
その魔の手がアウレリアに伸びたとき、光の聖女が現れ、彼女の祈りによって巨大な魔宝石は砕かれた。
百年前の出来事以来、闇の魔法はこの世界ではますます忌避されるものとなった。
「だから、風の魔法紋章のそばに、土の魔法紋章も落っこちているはずなんだ」
「シロ君の真夜中の散歩の目的はそれか?」
「そう。対となる風の魔法紋章のおかげで、位置はぴったり把握出来てる。あそこだよ」
森へとクーンが降下していく。続いてギングも。
うっそうと生える木々の間もすりぬけて、降り立つ飛竜に、史朗は内心でヘリなんかよりずっと、こういう点では、便利だな……と思う。飛行機なら滑走路がいるし、ヘリだってそれなりに開けた場所は必要だ。
二つの竜が降り立った場所に、その巨木はあった。
冬ではなく春だというのに、その葉はすべておちて、黒々とした枝の影を浮かび上がらせている。
「枯れ木か?」というムスケルの言葉に、史朗は首を振る。
「この大樹は森の主だよ。人の営みが始まるずっと前から、ここにあった」
それは第二王国期が始まる千年より前だ。
「そっか、だから、土の魔法紋章をここに引き寄せて、他の森の者達に害がないように、お前の身の内に封印したんだね……すまない」
史朗は木に近寄り、自分の腕を広げてもはるかに回りきらない、その幹に手を、額を当てて目を閉じる。
あの風の魔法紋章によって、小さな魔鳥だった番は、またたく間に巨大な姿となり、凶暴になった。
もしこの森の長老が、魔法紋章を預かり、自らそのものを使って封印しなければ、他の森の動物や植物に悪影響が出ただろう。それこそ魔獣に変質するような。
史朗が当てた両の手の平とそして額の木の幹がぼうっと光る。一瞬浮かんだ幾何学模様の紋章は、史朗の身体に吸い込まれた。
「森の長老に感謝を、あなたをここで終わらせはしない」
土の魔法紋章をこの巨木は己そのもので封じた。その根に抱え込んで、この身が枯れはてようとも倒れず、岩となっても、これを外に出すまいと。
「僕からの感謝と敬意を……」
史朗は今受け取ったばかりの土の魔法紋章だけでなく、先の風の魔法紋章も併用して、術式を展開する。
大樹を中心に浮かび上がる魔法陣と、そして同時にその枯れた姿の周りを取り囲むように円柱型の術式の壁が出現する。それを見ていたヴィルタークも、そしてムスケルも息を呑む。
同時に史朗の口からは歌う様な詠唱が響く。土からは大地の力を、そして、風もまたその大気から癒やしの力を取込み、大木の枯れ枝を優しくゆらし癒す。
大地から力を吸い込み、柔らかな風に誘われるまま、大木はみるみる緑の蕾を付け、若葉をしげらせ、それは濃い緑となる。
「出来た……」
顔をあげたとたん、ふらりとふらついて、力強い腕に受けとめられた。片頬から顎を片手で包み込まれて、上を向かされる。
「魔力切れか?」
「いや、今回はそれほどじゃないけど……んっ!」
口づけられる。舌をからめとられて、そこから流れこんでくる、光の温かな魔力に陶然とする。
何度か唇が吸われて、離れた。目尻にひたいへと口づけられて。
「顔色がよくなったな」
「ありがとう」
「お二人さん、私がいるんだが」
とたん真っ赤になった史朗はヴィルタークの胸に顔を伏せ、そんな黒髪の頭を撫でながら、ギロリと脇の悪友を見た聖竜騎士団長は
「やはり、お前は墓碑銘に竜の落とし物が、その頭に直撃してまぬけに即死と……」
「前よりひどくなってないか!? おい!」
とりあえず、馬に蹴られて死んじまえである。




