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長い物語の終わりはハッピーエンドで  作者: 志麻友紀
長い物語のおわりはハッピーエンドで
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第5話 王者の竜と女王竜 その4




「前髪を切ろうと思うんだ」

「はい?」


 自分の部屋へと戻って、朝の仕度をするために椅子に腰掛け、自分の髪をブラシでとく、クラーラに話しかけた。


「もともと、この世界に来る前にそろそろ少し切らなきゃいけないかな? と思っていて」

「少しですか?」

「いや、ばっさりでいいよ。目が見えるぐらい」


 もともと賢者の記憶がよみがえって、吹っ切れてしまってもよかったのだ。ただ、切る機会を失っていただけで。


 けして、昨日ヴィル……となったからではない! 


 失恋して髪を切るとか定番だけど、いや、あれは童貞を失ったことになるのか? しょ、処女とか……。

 ははは……と自分の心のなかで乾いた笑いがおこる。

 ちなみに前世の賢者では、異性と付き合ったことなどない。まあ、そういう時代でも状況でもなかったし、そういえば、三十過ぎて童貞だと魔法使いになるんだっけ? 十九で賢者になりましたけど、なにか? 


「髪をお切りになるのでしたら、出入りの理髪師をさっそく呼びましょう」

「うん、頼むよ」


 家に理髪師を呼ぶって、さすが貴族の家だなと史朗は思う。

 すぐに理髪師はやってきて、史朗の希望を聞いてきたので、目が見えればいいと答えたら、クラーラがいくつか彼に注文していた。図書室から持って来た、今日読もうと思っていた本をぺらりとめくった史朗はすぐに没頭して、まったく聞いていなかったが。

 気がつけば髪は切り終えられて、理容師も退出したあとだった。鏡を見て史朗は口を開く。


「前髪はいいけど、後ろはもう少し切ってもよかったんじゃないかな?」


 前髪だけじゃなく、当然後ろ髪も肩につくぐらい伸びていたのだ。ざんばらだったから毛先は揃えられているけど、長さはあまり変わってないような。


「後ろ髪は軽く御結いしてよろしいですか? こちらでは、そうなされる方も多いのですよ」


 史朗の艶やかな黒髪をブラシでとかして、クラーラの手が脇の一房をとる。


「これだけお綺麗な髪なのですから」

「真っ黒なだけだよ」

「それがよろしいのです」


 別に髪型にこだわりもないから「髪がうるさくないならいいよ」と史朗は適当に返した。

 それで、クラーラは両脇の髪をくるりとねじって後ろにまとめてくれた。頬にかかる髪がうるさくなくなって、すっきりした。

 自分の後ろは見られないから、髪をまとめた、そこに宝石のお花の髪飾りを差し込まれたなんて、史朗は知らず。

 そして着せられた服も、今日はちょっと襟と袖がさらにぴらぴらしてるな~ぐらいの感想だった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 階下に降りると二階の居間で待っていた、ヴィルタークが史朗の姿をみて軽く目を見開いた。史朗が少し照れたように頬を染めてうつむく。


「この世界にも慣れたし、気分を変えてみようかなと……思って」


 そっと頬と顎を大きな手の平で包むこむようにされて、上を向かされた。


「綺麗だ、シロウ」


 後ろからついてきたクラーラは、心の中で『やりましたわ! 』と叫んでいた。旦那様を驚かせ、喜ばせることも出来たと。


 史朗の世話をずっとしていたクラーラだ。もちろん前髪の下の素顔も知っていて、前々からもったいない……とは、思っていたのだ。しかし、自分達は使用人としてお仕えする身。シロ様はご事情があって前髪をそのままにされているのだろうと、口に出すことはなかった。

 それがお(ぐし)を切りたいとおっしゃられた。これが張り切らずにいられようか。まして、今朝は旦那様とシロ様が、蜂蜜とミルクの甘いお粥を互いに食べさせ合った日。


 理髪師の手配をするときに、ヴィルタークには「奥様の髪飾りを使ってよろしいでしょうか?」と了解を得た。奥様とは先代の侯爵夫人のことだ。元から、シロ様の衿元を飾るブローチなどはヴィルタークから使ってくれと言われていたけれど。

 「あれの黒髪には紫水晶が映えるだろう」ということで本日の髪留めは、その水晶で出来た、五つの花弁の可憐な花が、三つ並んだ髪留めにした。


 もちろん、シロ様が前髪だけでなく、すべての髪も短くと言ったならば、この計画も無駄になるところだったが、クラーラの予想どおり、おっとりとした姫君のようなご性格のシロ様は、うるさくなければいいと、理髪師とクラーラに丸投げされて、手元の本に目を落とされた。

 当然理髪師には前髪を切りそろえ、後ろの髪はなるべく切らずに整えるようにと伝えた。この美しく真っ直ぐな黒髪を短くするなど、考えられない。


 左右の横の髪をすこしとってねじり、後ろでまとめた。紫水晶の髪留めは、真っ黒でつややかな、御髪に本当によく似合っていた。

 それだけでない。前髪を切って露わになった、瞳は大きく、少し潤みがちで、黒……と思うがよく見ると濃い琥珀色なのだ。口に含むと甘い蜜のあめ玉のような。その目の縁を、髪とおなじ黒く長いまつげが飾る。

 十九歳だとお聞きしているけど、まだ子供時代のまろみがのこった頬の線に、ちょこんとしたお鼻はつんと上がり気味で、その下の唇は、この世界に来られたときは、少し荒れていたけれど、クラーラが気付いたときには、花のオイルでお手入れされることをおすすめしたので、いまはぷるんと淡い紅の色だ。


 このお愛らしいシロ様を飾らずにはいられようか? そんなわけで、今日のお衣装はいつもよりは少しレースを多めに、意外に男らしさにこだわるシロ様がお気になさらない程度。

 これから徐々に少しずつお飾りしていけばいいのだ。それに旦那様もお喜びになるだろうから。


「僕は男です、ヴィル」


 ああ、ぷくりと頬を膨らませられるのも、なんて

お愛らしい。


「敬語は無しだ。可愛い」

「もっと嬉しくない!」


 そんな怒られる“ふり”をなされても、ほんのり色付いた目元のお色で、実はけっこううれしがっていられるのが丸分かりですよ……とクラーラは思う。

 そんなご主人様達の様子を、クラーラも幸せにニコニコと見たのだった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 ちょっとふらつく腰をヴィルタークに抱かれて、庭へと。すると見計らったように、隣の伯爵がまた生け垣を越えたのか、服の裾に葉っぱをつけてやってきた。

 そして、親友に腰を抱かれた史朗を、その糸みたいな目で、じっと見て、いや、たぶん見てるのか? 


「君、だれ?」

「絶対言うと思いました、史朗です! ムスケルさん!」


 そう答えると「ええっ!」と本気で驚いている。このうさんくさい男がこんなにびっくりするのは、喜んでいいのか? なんか、複雑だ。


「シロウ、こいつはこういう奴だ」

「うん、知ってるよ、ヴィル」

「え? なにその呼び方。ついに出来ちまったのか?」


 「ち、ちが……」とかあっと赤くなって叫びかけるが、いや、出来てはいないけど、最後までいっちゃったのは確かだ。ムスケルはニヤニヤ、人の悪い笑みを浮かべている。


「は、早く、竜舎を見に行こう、ヴィル」


 庭に出たのは、今は屋敷の竜舎にギングと一緒にいるという、あの飛竜のことだ。

 あなたこそ、わたしの探していた主だと、意思が伝わってきた。

 先日クラーラに案内されて、竜舎の場所はわかっているから、そちらに先に行こうとして、ちょっとふらついて、ヴィルタークの手が伸びて、また腰を抱かれた。


「大丈夫か?」

「う、うん」


 後ろから伯爵様は勝手に着いてくる。寄り添う二人を見てニヤニヤしてるのは無視だ。無視。

 そのとき、ピィイイイイィィイッ! 甲高い鳴き声がした。だけでなく。


「あの子が助けてって言ってる!」

「ギングの奴がやらかしたな!」


 ひょいと史朗を片腕に乗せるように抱きあげて、ヴィルタークが駆け出す。

 館から池をはさんだ反対側のこんもりとした林の中に竜舎はあった。ヴィルタークが聖竜騎士になって建てられたというそれは、比較的新しい、小さな館と見まごうばかりの石造りのもの。

 そうして、ヴィルタークに抱っこされた史朗が見たものは。


「ク、クーンになにしてるの! ギング!」


 自分より一回り小さい、まっ白な竜の長首の後ろにぱっくり噛みついている。ヴィルタークの飛竜である、ギングの姿だった。

 ケンカでもしたのか? しかし、ギングは主人に似て温厚で穏やかな性格をしていた。ヴィルタークも一緒とはいえ、最初から自分を嫌がらず、その背に乗せてくれたし。

 ヴィルタークが「ギング」と静かな声で呼びかけた。


「いくら好きだからとはいえ、いきなり求婚しては、相手がびっくりするだろう。離すんだ」


 求婚!? と史朗が目を丸くすると、ヴィルタークが「飛竜の求愛はそうだと、ギングが言っている」とのこと。飛竜の声はその主人にしか聞こえない。

 ヴィルタークの命令にギングが素直に口を離す。首には怪我がないのにホッとする。たしかに求愛行動なら、相手が傷つくようなことはしないだろうけど。

 え? ということは、この子、女の子!? とヴィルタークの腕から下ろしてもらった史朗が近づくと、「寄ってこないで!」とばかりギングから飛び退いた子が、長首をのばして、史朗の顔にその鼻面をおしつけてくる。


 その心の声は、ひどい、やばん竜、いきなり、噛みついてきた! 主がいなければ、山に飛んで帰っていたわ! だから近寄らないでよ! この乱暴者! と、最後は、ギロリと黄金の瞳でギングをにらみつけている。

 それに対しギングは、申し訳なさそうに長首を下げてこちらというか、彼女を見ている。


「落ち着いて、クーン。ギングはもうしないって」


 とにかく、なだめるためにその鼻面を撫でてやると、気持ち良さそうに目を細める。それにヴィルタークが「ギング、淑女に対する礼がなってないぞ」ととがめ。


「好きな相手には優しくしなければな。強引過ぎるのは嫌われるぞ」


 それ、ヴィルが言うかなぁ……と、史朗は重い腰でちょっぴり思わないでもなかった。


「それより、その彼女の名はクーンというのか?」

「あ、うん、そうみたい」


 そうだ、この子はクーンだと、史朗はいまだ、めそめそ心の声を訴える、竜の頭を撫でてやった。







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