第1話 よばれてない その2
目を覚ますと寝椅子に横たわっていた。黒い毛皮の縁取りの濃紺のマントが身体にかけられていた。あの男のものだろう。
「起きられましたか?」
椅子に座り本を読んでいた、四角い顔の男に声をかけられた。いや、本当に四角いのだ。顔だけでなく、その体つきもがっしりとして、すべてが角張っている。
腰に帯びた剣からして、騎士……騎士という階級があるかどうかわからないが、少なくとも軍属だろう。それに武ひと筋のような見かけとは裏腹のかなりの魔力量が見てとれた。いっぱしの魔道士なみだ。
あの広間に集ったすべての人間に、差はあるものの一様に魔力があることは感じられた。いきなりの召喚からして、ここが魔法のある世界であることは、確実だ。それも特別に選ばれた人間だけでなく、ごく普通の人々も軽い魔法ぐらいならば使える世界ではないか? と推察する。
「お腹は空いてませんか?」
「あ、えっと」
こちらの答えを待たずに、男は部屋を出て行き、すぐに戻ってきた。小卓に出されたのは、具だくさんのスープだ。その美味しそうな匂いに、誘われるままに口をつける。
やさしい薄味に、ほうっと息をつく。野菜の甘みに、肉のそのものは少ないが滋養たっぷりの出汁、ぷちぷちとした雑穀の食感もいい。
「申し訳ありません」
「はい?」
こちらを見ていた四角い顔の男の人に謝られて、パチパチと長い前髪のむこうで瞬きした。
「城のまかないのスープで。団長からは『消化に良いものを』と言われておりまして」
“団長”とは自分を癒してくれた、あの美丈夫か。たしかに強引な召喚でひっくり返った胃腸に、魔力ゼロで意識を失った身としては、今は重いものは受け付けない。
そこでふと、部屋の外の遠くの喧騒に気付く。部屋には寝椅子と、大きな執務机があって、それに今、自分が腰掛けて食べている小卓に椅子と、前世の記憶からすると、宮廷内にある役職付きの執務室に見えた。おそらくはその“団長”の部屋だろう。
そして喧騒は、少し開いた扉から響いてきていた。楽の音に人々のざわめき、これは夜会を開いているのか。
「聖女がこの世界に招かれた祝いと御披露目の夜会です」
と四角い顔の男が説明してくれる。
史朗は玉座の間でちらりと見たきりの、女の子を思い出す。中学の制服を着ていたし、ずいぶんと幼くも見えたから、一年生ぐらいだろうか? いきなりこんな世界につれてこられて、呆然としていたし、不安もあるだろうに。そんな子供を祝いで浮かれているとはいえ、連れ出すなんて……と顔をしかめる。
史朗の険しい表情にどう思ったのか、四角い顔の男は再度「申し訳ない」と謝った。あきらかに年下で、正体不明の自分への丁寧な態度に「いいえ」と日本人特有のあいまいな笑顔を見せる。
「夜会ではもっと豪華な食事も出されているんですが」
「これで十分美味しいですよ。今は、肉の塊なんか出されたら、食べられそうにないですから」
そう答えれば、男は明らかにホッとした顔で「よかった」とつぶやいた。そして、続けた。
「聖女様の降臨で、これで国が救われたと、神官達まで浮き足立っているのです」
「他の世界の方を巻き込むなどと、団長は最後まで反対しておりましたが」と彼は憂い顔でつぶやいた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
食事を終えて一息ついたあとに「ここは王宮なので、外にお部屋を用意しました」と男に告げられた。
馬車に乗せられて、城門を出て、さらに門をくぐったのは、これは都市の門だろう。ならば屋敷は都市の郊外にあるのか? と史朗は少し眠くなった頭で思う。
次の屋敷の門をくぐったのは、感覚では一時間ほどはかかってないかもしれない。だが、スマホはこちらに来る時にどこかに落としてきてしまったからわからない。もっとも、ネットも使えないし、すぐに充電も切れて、ただのガラクタになる運命だっただろうけど。
時刻はわからないが、裏口からではなく、正面玄関から入れられたことで、自分がここで“客”として迎えられたのだとわかる。それは老齢の頭の白い執事が「いらっしゃいませ」と出迎えたことでも。
そこはいかにも大貴族の館らしかった。円形の大きな花壇に噴水が水を噴き上げる車寄せ。ぐるりと弓形の大階段が左右対称に配置された、ここだけで史朗の住んでいた3LDKのマンション一室が余裕ではいってしまうような、玄関ホール。
通されたのは、書き物机にチェスト、猫足の長椅子に小卓を囲む椅子が置かれた部屋。その奥に天蓋付きの寝台がある寝室があった。貴族の館らしく、部屋の内装も家具もすべて一級のものであるが、磨かれた木の風合いを生かした落ち着いたもので、無駄な華美さはない。
「湯浴みをなされますか?」と、自分を部屋に案内した、栗毛の髪も艶やかなメイドに尋ねられて「寝ます」と首を振る。今日は色々と疲れた。頭を整理するためにも眠りたい。
寝間着に着替えるのに「おわかりになられますか?」と訊ねられて「大丈夫です」と返す。言えば着替えまで手伝ってくれそうだが、前世はともかく、現代日本人としては、見知らぬ女性に裸をさらすのは恥ずかしい。
幸い、与えられた寝間着は膝を過ぎたあたりまである長いシャツで、これは前世でも見覚えがあるものだった。ややこしいヒモの結びもなく、ボタンで留めればいいもの。
「ぶかぶかだ」
余った袖に子供のようだと苦笑して腕まくりする。寝る分には問題ないと、早々に布団に潜り込んだ。ふかふかのマットに羽布団の心地よさに、これは昨日まで寝ていたシングルベッドとは、比べものにならない。広さにしても同じ方向に三回転は出来そうだ。
ともかく、この異世界に飛ばされる前に思った、今日の食事と寝る場所には困らなかったと、史朗は目を閉じた。