第5話 王者の竜と女王竜 その3
ぽかぽかと日だまりのような、ここちよい温かさに、史朗の意識は浮上した。
この枕少し固めだけど、弾力があっていいな……なんて、手をぺたぺたさせていたら、上から「おはよう」という声がした。
見上げれば、こちらを優しく見るヴィルタークの整った顔があった。いつもはきっちりあげている前髪が降りていて、二十五歳の年相応の青年の顔に、ドキリとする。
「おはようございます」
挨拶されたのだから挨拶で返すべきだろう。しかし、その直後に自分が枕にしていたものが、なにか気付いて、史朗はヴィルタークのその胸板に手をついて起き上がろうとして、顔をしかめた。
「痛っ……」
「急に動くな。丁寧にはしたつもりだが。回復魔法を使うには、お前の身体が心配でな」
腰のわからない鈍痛に顔をしかめて、倒れこんでくる史朗の身体を受けとめて、ヴィルタークはそっと、その身体を横たえてくれる。彼はそのまま寝台から降りると、なにも身につけてなくて、綺麗に筋肉がついた背に、野生の獣みたいだと見とれ、同時に自分も裸だと気付いて、史朗はうろたえて上掛けを引き上げて顔を隠した。
「ん? まだ寝るか?」
「いえ、もう起きます」
眠たくはないのだ。「そうか」と彼は応えると、裸の背にガウンを羽織る。と見計らったようにノックの音が。
「ああ、ここでいい」
扉を完全に開かずに、ワゴンだけ受け取って、湯気の立つカップを手に、ヴィルタークがやってくる。
「目覚めの一杯をどうぞ」
「ありがとうございます」
身を起こすと、肩にガウンがかけられて、背中にクッションを積まれて、それに寄りかかりながら、ソーサーごとうけとったお茶を一口。
ほんのりと甘い、あ、これはクラーラが煎れたなとわかる。
それから、そのあと皿に二口分ほど盛られた白い押し麦の粥が出てきた。ヴィルタークが銀のスプーンですくって、あーんされるがままに食べる。それに思わず史朗は顔をしかめた。
予想以上に蜂蜜たっぷりで甘かったからだ。え? なんでこんなに甘いのと思う暇もなく、ヴィルタークにスプーンを握らされて、まあ、もう一口だし……とすくって食べようとしたら、その手をがしりと掴まれて、横からパクリと。
「あ……」
ごくりと男らしい喉仏が動くのをぼかんと見る。眉間に皺がよって「ん、甘いな」なんて苦笑してる。ヴィルタークは甘い物が苦手はずなのに、なんで食べたんだろう? そんなにお腹空いたのかな? と首をかしげていると、銀の盆に載せられた色とりどりのサンドイッチが出てきた。
それをベッドに腰掛けたヴィルタークと、一緒に食べる。ベッドの上で食事なんて行儀悪いかな? と一瞬思ったけれど、侯爵様がそうしてるんだし、いいんだろう。ハムとチーズと新鮮なレタスのサンドが美味しい。
ヴィルタークの食べっぷりもまた、やっぱり大口開けて豪快で、しかし、綺麗な所作なのだった。
銀の盆の大半は彼の胃の中に消えたが、史朗もお腹いっぱいだ。ミルクも甘みもなしの食後のお茶をふうふうと頂いて、そこで、はたと気付く。
「えーと、僕は昨日どうして?」
なんで二人とも裸? と目覚めてすぐ聞くべきだったけど、ヴィルタークがあんまり自然な態度で、いつもどおりに朝のお茶が出てきたから……ごまかすつもりは、彼だからないんだろうけど。
どう考えても、これは彼と、し、しちゃった? かああっと真っ赤になった史朗の、子供っぽい丸い頬にヴィルタークの大きな手が包み込むようにあてられる。
「お前は昨日、魔力切れを起こしたんだ」
なるほど、たしかになけなしの魔力を練って放った風魔法からのあとの記憶が曖昧だ。あのあと、あのデカい鳥がもう一羽襲ってきて、そこにヴィルタークが助けにきてくれて、聖魔法の強力な光の矢で一撃……はかっこよかったな……と。
「生活魔法を使用した軽いものなら、三日ほど寝込めばおさまるが、お前のそれは命に関わるものだった。回復魔法も本人の生命力を使っている以上、使う事は出来ない」
こくりと史朗はうなずいた。それはわかる。回復や癒しというのは、その対象の生命力に頼るものだ。定命は覆せない。
「それで魔力補給をすることにした。緊急を要したために、お前の了解も取らずに肌を合わせた。すまない」
それで了解した。魔力補給の方法を。
自分が賢者となった時代には、すでにその方法は廃れていたというか、封印されていたが、性魔術というのがあって……と再び、史朗の頬は熱くなる。
魔力があろうとなかろうと、人の体液というのは魔術の材料となる。たとえば血や精液。それだけ、たっぷり魔力を含んでいるということで、それを直接自分の身体に……。
「い、いえ、謝ることはありません。命を助けてもらってありがとう、ご、ございます?」
なんか語尾が疑問形になってしまった。いや、感謝してる。形はセックスだけど、あ、あれは治療だ。
「いや、そうではあるが、違うな」
まるで、史朗の心の声が聞こえてたみたいに、ヴィルタークが言った。彼は憂い顔で、おろした前髪かきあげて、こちらに視線を向けるのにとくんと心臓がはねた。いい男の眼差しは心臓に悪い。
「緊急事態の治療だったが、それだけではない。お前を好きだからだ」
え、好きって、好きってどういう意味と、史朗が混乱する間もなく。
「愛してる」
誤解しようもない言葉と、熱いまなざし。え? え? と混乱したままの史朗は「ヴィルタークさん」と彼の名を呼んだ。
「違う」
「え?」
「ヴィルだ。昨日呼ぶように言っただろう?」
髪をかきあげた手とは、反対側の右手は史朗の熱くなった頬にあてられたまま、するりと指先がそこまで赤くなっているだろう、耳たぶを挟むように触れる。ぴくんと肩がはねた。
「ヴィルさん?」
「そうじゃない、ヴィルだ」
さんもとれなんて……と戸惑っていると、するりと降りた手に敏感な首筋をなぞられて、さらには近寄ってきた端正な顔に、かしりと軽く耳を甘噛みされる。
「や、やだ! ヴィル!」
「それでいい。敬語も無しだ」
「え?」
ふわりと唇に触れるだけのキスをして、ヴィルタークは離れた。寝室の扉に手をかけて振り返り。
「返事はゆっくり考えてからでいい」
そう告げて、出て行った。
返事、返事って? と史朗はこてんと首をかしげた、もう一度こてんと反対側に首をかたむけて、かあっと頬を染めた。
好きだどころか、愛してるとまで言われたのだから、どういう返事かなんて、一つしかないじゃないか!
しかし、今の史朗にはどう応えていいのかわからないのも事実だ。ノリコと共に元の世界に戻るのか? それとも別の世界に再び旅立つのか?
ヴィルタークの想いに応えたのなら、ここに残ることになるのか?
治療のためとはいえ、触れられて嫌じゃなかったことは確かだ。嫌悪感なんていっさいない。むしろ、触れられて心地よかった……なんて、昨夜のおぼろげな記憶が浮かびあがってきて、史朗は沸騰しそうな頭を抱えた。
彼は大人でとってもいい人だ。優しくて、心もなにもかも大きくて……そして。
返事はゆっくり考えてからでいいと……ずっと待ってるって意味だろうか?
答えを急かすようなことは、絶対しないだろう。そこが大人の男の余裕なのか、それとも、そのあいだに、さらに甘やかされたら、なんだか、とろとろの蜜に溺れたみたいに逃れられなくなってないか?
「大人って、ずるくない?」
ぽつりとつぶやいた。




