第4話 聖女様と“暫定”皇太子 その3
ノリコの部屋から出て、奥の王族の私室がある場所から、玉座の間や広間など表のある場所にでる回廊にて、行きは気付くことのなかった肖像画の前で、史朗は足を止めた。
黒に近い褐色の髪と髭、濃紺の瞳をした威厳のある男性だ。ヴィルタークが口を開く。
「ジグムント七世。大王と呼ばれた方だ」
なるほどこの王様がことの発端か?と史朗はまじまじと、黄金の玉座を背景に、黄金の王冠を頭に頂き、王笏を手に、豪華なマント姿の人物を見つめた。
「これはこれは、ムスケル参議殿」
回廊の角に隠れていたのだろう。赤いローブの男が現れた。あの宮廷魔術師の長だ。ゲッケとかいったか?
あとでフルネームはピンセント・デ・ゲッケと知ったが、まあ、ゲッケでいい。
彼は史朗もヴィルタークもまったく無視して、ムスケルの前に胸を張って立ち。
「どうですか?あなたが不可能と言っていた、異世界召喚が成功しましたよ?これも女神アウレリアの加護が私につき、私の力あってこそ」
私が私がって、結局ようは自分がすごいだろう?と言いたいのが単純にまる分かりだ。「確かに女神様は素晴らしい」と女神だけをムスケルは讃え。
「先を急いでいるんで、失礼」とすれ違い様「お前の話は後で……聞くつもりはないけどな」と小声でささやくのを、後ろにくっついていた史朗は聞き逃さなかった。
「お話、しないんですか?」
怒りで顔を真っ赤にしてこちらをにらみつけているゲッケをちらりと見て、前を行くムスケルに話しかける。王宮内ということで、さすがに大声で罵倒というわけにはいかないだろうから、ムスケルの言い逃げであるが。
それにヴィルタークも面白そうに「ゆっくり“お話”していいんだぞ。俺達は先に帰るから」と告げる。それをジトリと細目で、ムスケルは見る。
「あの男の終わらない自慢話の相手をしたいなら、お前がしろ」
「いや、俺は結構だ」
ヴィルタークが苦笑する。ムスケルなら、あの程度の小物、手の平で転がしてからかって楽しみそうだと、史朗は首をかしげるが。
「そもそも、あれは自分への賛辞しか、耳には入らない。今のぐらいのハッキリした言葉でなければ、遠回しの嫌みさえ、ありあまる自分の才能への賛辞と受けとめる」
「言葉が通じない相手との会話は不毛かな」
「そういうことだ」
叡智の冠で、本日改めて見た宮廷魔道士は、たしかに魔法学科次席なだけの魔力はあった。ただし、かなりの偏りが見られたが。
その偏りがどうにも性格に出ているらしい。
「召喚が成功したというので、有頂天で周りに自慢しまくっているのはわかっているから、しばらくは王宮に来るつもりはなかったが」
参議というのは非常勤で、一月ぐらい詰め所のサロンに出仕しなくても、咎められないらしい。
「僕のつきそいありがとうございます」
ヴィルタークだけでなく、ムスケルまでついてきたのは、無位無冠で王宮に入る史朗の後ろ盾に、二人がいるためと示すだけとわかっていた。実際、衛兵にも他の貴族達にも横やりは入れられることはなかったし。噛みついてきたのは、トビアスのみで、あとは道化みたいな魔術師がさっき絡んできたけど。
一番なにか言いそうだった宰相は、玉座の間でなにも言わずに、こちらさえ見てなかった。鷹のように鋭い容貌の男。
トビアスの大叔父であり、この王宮の実質上の権力者ということで、相当権勢欲が強い人物かと思ったが、帰りの馬車の中でのムスケルの評価は意外なものだった。
「宰相としての仕事はきっちりしているさ。けして辣腕とは言わないが、一年もごたごたの続いた宮廷をまとめているんだからな」
さらに自分が宰相補佐をやめたのは、単純に彼との相性が合わなかったからだと、肩をすくめた。
それにヴィルタークが口を開く。
「献策がことごとく却下されて、拗ねて半年近く王宮に顔も出さなければ、参議に降格となって当たり前だ」
「仕事をさせてもらえないなら、家で昼寝していたほうが有意義だ」
なるほどムスケルらしいと、史朗がくすりと笑うと、閑職参議殿は「それに」と続けて。
「別に自分の甥っ子を無理して王位につけなくとも、ヴィルナー伯爵の宰相の地位は揺らがなかったさ」
「どういう意味です?」
「彼が宰相になったのは三年前、ジグムント陛下がまだご存命だったときだ」
統治五十年あまりの偉大なる大王と呼ばれた五十三代アウレリア王。その末にすでに宰相だった!?
ヴィルナー家は宰相を幾人も出した名門で、先の宰相が亡くなった順当な繰り上がりだったという。
「だから、姪であるルールマン子爵夫人が、ベルムント陛下の寵姫でなくとも、陛下が即位される前から、彼は宰相だったということだ」
しかも、その寵姫は五年も前に亡くなっているのだという。だから生真面目な五十四代王の心を捉えた寵姫の影響力もないのだと。
さらに言うなら、庶子であるトビアスの周囲の評判は、あの性格だ。当然に悪い。
「それに、ベルムント陛下が崩御されたあとに、王位についたフレデリック殿下も、宰相の首をすげ替えることはなかったからな」
「たぶん、面倒くさかったんだろうが」とムスケルは続ける。狩猟が趣味で、政にまったく興味なく家臣に丸投げだった三ヶ月きりの王様だったんだから、なにかを変える気力も暇もなかっただろう。
「とはいえ、唯一残された庶子である自分の甥が、玉座に座るわけだからな。欲が出ないわけがない」
「結局怪しいって結論になるんですね」
「なにを考えているかわからない男だ。怪しくて当然だろうな」
ムスケルがそう評するならば、なるほど食えない政治家だと、史朗は結論付けた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「しかし、聖女様はずいぶんと幼いな」
ムスケルが口を開く。
再びの馬車の中。ムスケルもいるために、帰りはギングに乗ってではなく、馬車で帰宅ということになった。ヴィルタークの館と、ムスケルの館は隣同士にある。
「僕達の世界……というより、日本の十三歳なんてあんなもの、いや、まあちょっと幼いかもですけどね」
とはいえ、なまいきいう子だって十三は十三だ。つい一年前はランドセル背負っていたのだ。
「今は物語みたいな世界にやってきて、さらには自分がその主人公になったなんてと、夢を見てる気分なんでしょう」
それなら、それでいいかと史朗は思っている。別に彼女を見捨てるつもりはない。元の世界に返してやるつもりだが、その間に家へと帰りたいと彼女が泣き続けるのは心が痛む。
あのとき自分が手を差し伸べてもどうしようもなかったが、同じ中学の制服を見てひるんだ、後ろめたさもある。
「それに聖女様とまつりあげられて、素直に従っていれば、あの“暫定”皇太子も彼女の機嫌をとり続けるでしょう。
却って逆らうような態度を少しでもとったなら、ああいう輩はすぐ逆上しそうですし」
あとさき考えずに、感情的になる輩は、なにをしでかすかわからないから、やっかいだ。それはノリコの部屋を出て、本性をむき出しにしたトビアスを見て思った。皇太子殿下が、人を猿呼ばわりとは、逆にお里が知れるって奴だ。
直接的な暴力だけじゃなく、言葉だって人は傷つくのだ。まして十三の子供では、家族も友人も誰も味方のいない中で、たった一人で耐えられないだろう。
こうなると素直な十三の子供でよかったのかもしれない、難しいお年頃の十四、十五だったら……。
「中二病でも発症していたら、やっかいだし」
とはいえ、史朗もその経験はない。その前に登校拒否から見事な引きこもりになったので。
「病?」とムスケルが聞き返す。「ああ、十四か十五ぐらいに誰でも罹患する病ですよ」と適当に答えた。
「史朗もかかったのか?」
ヴィルタークが深刻な顔で聞くのに、史朗は首を振る。
「誰でもかかるって言ってなかったか?」
「あ、病というより、なんというか、やらかしてしまって、消したい恥ずかしい歴史ですよ。別になんともないのに、片目を手で覆ってそこがうずくとかセリフをはいたり」
「目がうずく?眼病なのか?」
「え、あ、だから、本当にそうじゃありません。かっこつけた言動したいだけですよ。やたら大人に反抗したり。
窓ガラス壊して、盗んだ馬で駆け出したり」
こっちの世界にバイクはないから、馬にしてみたが、はて?これ中二病ではないよね?と史朗は思う。やはり、かかったことがないからわからない。
そしたら、ムスケルがいきなり吹き出した。それに史朗はきょとんとし、ヴィルタークはなぜか気まずげな表情だ。
「君が今言ったのは、この男が十五のときにやらかした事件だ」
「ええっ!」と史朗は声をあげた。だって、子供の頃から優等生だっただろう、この聖竜騎士団長だ。ヴィルタークは「事実だ」と認める。実に男らしく腕を組み。
「暴走した魔力で邸内の窓ガラスをすべて吹っ飛ばして、そのまま馬を駆って半月ほど、屋敷に戻らなかった」
「それは豪快ですね」
現代のそこらへんの不良少年だって敵わないんじゃないか?今は品行方正で、清く正しい騎士道精神で、みんなのあこがれの聖竜騎士団長が、昔はとってもやんちゃしてましたなんて。
「すごくかっこいいですね」
「なんだ、褒めてるじゃないか!ヴィルタークの奴も嬉しそうな顔をするな。暴露した私があてられてるなんて、くそっ、損をした」
帰りの馬車の中は賑やかだった。




