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ルイスは決着の後、再びカヨの屋敷に戻ってきた。
根本的な解決にはならなかった、と言っていたが、今まで言えなかったことはちゃんと言えたようだ。
今夜は念の為にまたこちらで寝泊まりをして、明日から自宅に戻るらしい。
スキュブは寝る前にルイスと少し話をした。
ルイスは少し晴れやかな顔で、息子のミシェルのことをぽつぽつと話してくれた。
本当に、かわいい子だったのだろう。容姿がとか、性質がとか、そういうことは関係なく、ただ自分の元へ来てくれた、それだけで十分にかわいかったのだ。
空は黒く、星の輝きが爛々としてきたころ、スキュブはルイスが眠りについたのを確認してから、そっと外へ出る。
窓からこっそり出たのだが、少し進んだ先にはディートリッヒが待っていたかのように立っていた。
何となく予想はついていた。スキュブはディートリッヒに微笑みかけると、ディートリッヒも微笑み返す。
「お兄様、散歩ですか?」
「うん。小腹が空いたから」
「そうですか。私も同行しましょうか?」
「大丈夫だよ。ディートが行くほどのことじゃないし、きっと美味しくないから」
「それなら、お兄様が行くほどのことでもないでしょう。
しかし……お兄様が気を遣ってくださるのであれば、私はここで待つのが良いでしょう」
「ありがとうね、いつも」
「いいえ、家族ですから」
いつものように会話を交わし、スキュブはテレポートを唱えた。
向かう場所は決まっていた。
夜に行くのは久しぶりだ。しかし、友達のステージを見に行くわけではない。
美味しい朝ごはんを食べる分の余裕がなくなってしまうことは嫌だが、腐った肉を放置しておくのはよくない。
街に着くと、スキュブは明かりのない中を速足で進んでいく。
人影もなく、足音はない。
スキュブの姿は風と闇に溶けていくように、ぬらりと路地へ消えていった。
・ ・ ・
街はいつもの活気を取り戻していた。
つい最近までは変な人物がうろうろしており、子どもを外で遊ばせることもできなかったのだ。
変な人物は何かあったのか、数週間前から姿を消した。しかし、その理由を知る者は誰もいない。噂好きの者でさえ、行方を知らなかった。
追いかけっこをしていた子どもたちが何か素敵なものを見つけたように目を輝かせ、指をさす。
「あ!スキュブだ!」
「本当だ!でかい!白い!」
「アヤネさんもおはようございます!」
アヤネと一緒にギルドへ向かっていたスキュブは子どもたちに囲まれる。
「おはよう。どうかしたの?」
以前は顔を曇らせていたスキュブだが、今は何ともない様子で子どもたちに挨拶をしている。
「ねーねー、変なひといたんでしょ?アヤネさんとスキュブならなんかしってる?」
「アヤネさんギルドでいちばんすごいひと?っていうのになるんでしょ?だからしってる?」
あっという間にアヤネも子どもたちに囲まれてしまった。
子どもたちの無垢な好奇心をあしらうのは少々こころが痛む。だが、知らなくていいことを教えるのは絶対にしたくない。
「ごめん、わたしもスキューも知らないんだ」
「うん。でもくりすてぃーにゃんの居場所なら分かる」
「え!?どこ!?」
「あの面白いのどこにいるの!?」
くりすてぃーにゃんとは、以前依頼で遭遇したことがある、メスガキの男の娘である。覚えているだろうか。
彼の態度はあれから変わることなく、たまにこちらに絡んでくることもあったが、最近スキュブは彼が子どもたちには暴言を吐かず、且つ子どもたちに遊ばれているのを知って、毎度居場所をチクるようになった。
なんだかんだで、くりすてぃーにゃんも子ども――少し精神的に幼稚という意味で――ではあるので、子どもたちにとってはちょっと大人な子どもとして、遊び相手にちょうどいいのだろう。
「今日は昼あたりにギルドに来ると思うよ。あいつ昨日わたしにそう言ってた」
「ありがとうスキュブ!」
「やったー!昼はあいつのとこ行こうぜ!」
子どもたちは最初に質問したことなど忘れた様子で駆けていった。
子どもは元気なのがいい。それくらいでちょうどいいのだ。
「……うまいこと誤魔化したね?」
アヤネが片眉を上げると、スキュブはにこりと笑った。
「ふふふ、わたしも上手になったでしょ?」
「うん。本当に成長したねぇ、スキュー」
アヤネは穏やかな笑みを浮かべて、再び歩き出した。
あの女がいなくなった日の朝、スキュブは珍しく朝食のおかわりをしなかった。そもそもの量が多いのだが、おかわりをしないのは始めてのことだった。
アヤネはそのことを心配していたのだが、女がいなくなったと聞いて大抵のことを理解した。おそらくカヨもディートリッヒも何があったかは知っているだろう。わざわざ確認することもない。
ルイスはあれから、徐々に調子を取り戻し、今まで通りの生活を送っている。
変わったことといえば、スキュブと遊ぶ回数が多くなったことくらいだろう。
ルイスは未だにスキュブの姿に息子の影がちらついていることはあるものの、スキュブのことをスキュブとして見てくれているようだ。
スキュブもそのことを理解しており、一度だけ、寝る前にアヤネに『お父さんがいたらあんなかんじなんだろうね』と言ったことがあったが、あくまで友人として接しているらしい。
スキュブはもう、一人でも遊びに行くようになった。
以前はアヤネが傍にいないと不安定になっていたのに、今は遊ぶのも依頼をこなすのも、一人でもできるようになっている。
蛹から蝶になって、燦々と注ぐ陽の光の中を飛ぶようになったのだ。
以前は昔のアヤネの口調を真似したような、声を詰まらせそうにした喋り方も良くなり、今は素直に言いたいことを言えるようになっている。
まるでアヤネの分身のようだったスキュブは、自分を取り戻して、自分らしく生きることができるようになった。
これほど嬉しいことはない。アヤネにとってはそれが一番嬉しいことだった。
あの日、スキュブに貰ったサギソウも元気に風に揺れている。
「アヤネ、今夜はギルドで表彰式があるんだよね?」
歩きながら、スキュブがそう尋ねた。
「うん。わたしたちがギルドに入った目的を達成したとも言えるね。」
今日はギルドで一番依頼をこなした者を表彰する式が催される。
勿論表彰されるのはスキュブとアヤネだ。一つ下の順位の者とは二桁ほどの差をつけての一位である。
二位の者と偶然顔を合わせたことがあったが、何も文句はない、おめでとう、とサムズアップをしてくれた。その顔には半ば諦めのようなものもあったが、まあ仕方がない。アヤネのスケジュールを真似したいのであれば、アヤネ式地獄トレーニングを受ける必要がある。常人であれば死ぬ。死ななくてもこころが折れる。
「目的は達したけど……やめないよね?ギルド」
「ああ……そっか。目的を達成したら今まではすぐに次のに移ってたもんね。
やめないよ。今やめるとみんなに迷惑かかっちゃうし……」
スキュブもアヤネも、武器の扱い方や魔法の扱い方を教えている人がいるし、ここでアヤネたちがやめてしまうと、高難易度の仕事をやる人材が足りなくなってしまう。
「よかった!わたしも教えてる人とか、遊びたい人とかいるからやめたくないなって思ってて……」
「友達増えたもんね。いいことだよ」
そう言うと、スキュブはぱっと輝くような笑みを浮かべた。
太陽のように眩しい。こんなふうに笑えるようになってくれて、本当に良かった。
アヤネは目を細め、穏やかな笑みを浮かべる。
ギルドはすぐそこだ。今日もいつも通り依頼をこなして、夜の表彰式には余裕でギルドに戻ってこよう。




