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 夜、スキュブはベッドを抜け出して廊下へと出た。

 灯りは既に消えている。カーテンも全て閉められており、月明かりさえ差し込んでいない。

 スキュブはアイテムポーチからろうそくを取り出し、魔法を唱えようとしてすぐ思い直した。

 腕のある魔法使いでも、最弱級の炎魔法を使ってろうそくに火をつけるなんて芸当ができるのはアヤネくらいだ。スキュブがやったらろうそくが全部とけて無駄になるし、最悪屋敷が燃える。

 マッチならアヤネがもしものときに、と言って持たせてくれていたはずだ。アイテムポーチを漁ると、新品のマッチがでてくる。

 

 ギルドの人たちがやっているのを真似て火をつけ、ろうそくに火を灯す。

 目が良いとはいえ、暗闇のなかでは動けない。

 マッチの先端をぐっと摘んで火を消してから――ちょっと熱かった――、スキュブは廊下を進んでいった。

 

 目的の部屋の前につき、ノックするか少し迷ったが、軽くノックしてドアを開ける。

 部屋には淡い光が差していた。カーテンを開けたままにしているのだろう、木々の隙間から覗く月の光がうっすらとルイスの輪郭を照らしており、彼のミルクを垂らした青空のような色の目がこちらへ振り向いたのが分かった。

 やはり眠れていないらしい。ノックしてよかったと思いながら、スキュブは部屋へ入った。

 

「眠れない?」

 

 スキュブはルイスに歩み寄り、ろうそくの乗った燭台をベッドサイドのテーブルに置いた。

 ルイスはほろ苦い笑みを浮かべ、俯いている。

 

「……すみません」

 

「ううん、わたしもよくあったから、ルイスもそうかなって思ってきただけ」

 

 スキュブはルイスの隣まで寄り、ルイスの顔を覗き込んだ。

 まだあまり顔色が良くないように見える。月の光に照らされているせいかもしれないが、本調子でないことは明らかだ。

 

「こういうときに寝ちゃうと、嫌な夢とかみちゃうし。そういうのって怖いよね」

 

「夢の中では、それが夢だとは気づけませんからね……気づければ、良いのですが……」

 

 ルイスの表情が曇る。

 

「……わたしも、夢におかあさんが出たときはすっごい怖かったし、また夢に出たらと思うと眠れなかったよ」

 

 スキュブは窓の外に目をやった。満月だ。アヤネと出会ったときと同じ、満月だ。

 

「おかあさんね、夢のなかでもわたしに酷いことばっかり言うし、指とか切ってくるし……

 なにより、お前なんていらないって、言ってくるから……すごい辛かった」

 

 スキュブは目を細める。何度も見た悪夢のことを思い出すと、今も胸が締め付けられ、息苦しくなる。

 

「辛いことって、どこまでも追いかけてくるの。だから辛いのも、眠れないのも、ルイスは悪くないよ」

 

「……そう、ですか。あなたも……辛い思いをしたんですよね……」

 

 ルイスは顔を上げ、月を見た。

 青白い月が木々の葉に覆われ、葉を黒く染め上げている。

 

「……親にとっての子どもって、何なのでしょう」

 

 ルイスの呟きに、スキュブははっとするようにルイスの方へ振り向いた。

 ルイスは月を眺めたまま続ける。

 

「産まれてきてくれたのに、そんなふうにしてしまうなんて。やっぱり、称号のようなものなのでしょうか。胸につけるブローチと大差ないのでしょうか。自分を飾るものに過ぎないのでしょうか……」

 

 ルイスの空色の目が潤む。静かに奥歯を噛み締めているように見えた。

 

「あんなに、可愛かったのに。あなただってそうであったはずです。

 健やかに育ってくれるだけで、幸せだった……それなのに、どうして――」

 

 ルイスの視線が月からスキュブへと移った。

 痛みに揺れる目が、こちらを真っ直ぐに見つめている。その眼差しが、スキュブの胸を刺した。

 

「女性が出産後、体調がすぐれないことは知っています。だから、負担をかけないように家事もやりましたし、子どもの面倒もみました。

 大変だった日もありましたよ。でも、それでも幸せだったんです。そのくらい、可愛かったんです。それなのに、彼女は……私の子どもを、ミシェルを……」

 

 その言葉の続きは聞かずとも分かった。

 苔の跡が残る墓碑、幾年も手向けられる花。

 失敗作だった、と言った女。

 それらを結びつければ、答えは出る。残酷で、目をそむけたくなるような答えだ。

 

「しかも……彼女は、私の……姉だったんです。私が幼い頃に、母が姉だけ連れて家を去ったようで……

 そんなの、わからなくて。結婚する際も、名前などを偽っていたらしく、私の家族も分からないまま……」

 

 ルイスは震える手で口を覆った。

 呼吸がはやい。スキュブは背中を支え、優しくさすった。

 

「彼女にとって、ミシェルは……いったい、なんなのでしょう?

 なんで、気づけなかったんでよう?私が、見抜けていれば、いまごろ――」

 

「そんなこと、言わないで」

 

 スキュブは思わずそう口にしていた。

 その考えの行き着く先をどこかで見たような気がする。暗く、沈むのような闇の中、暗澹を湛えた目でこちらを見るような……

 

「あの女が悪いよ。自分を責めちゃだめ。

 ミシェルだって、飾りでも何でもない。ルイスのかわいい子どもだったんでしょう。道具なんかじゃない。あいつの道具なんかじゃないよ」

 

「……そう、ですよね。そう。ずっと前に、自分にそう言い聞かせていたのに、いつも、いつも、揺らぐ。

 思い出すと、いつもそう。私は……あのころから、何も変わっていない……」

 

 ルイスが自嘲げに笑った。傷だらけでぼろぼろなそれに、スキュブは昔のアヤネを思い出した。

 お酒が入るとよくそんなふうな顔をした。アヤネは何も悪くないのに、あの男がアヤネのこころに治ることのない傷をつけたせいで。

 

「……痛みは、ずっと消えないもん。何年たっても、消えない。」

 

 スキュブは拳を握りしめた。

 いつも、痛みを引きずるのは傷を負った方だ。

 何年も、痛みとともに生き、過去に囚われながら生きる。その辛さがスキュブには分かっていたし、自分の大切な人もそうだ。

 怒りが沸き返る。この手で八つ裂きにしてやりたいほどだった。

 

「怖いことも、痛いことも、影といっしょ。ずっと、自分のあとをついてくる。

 それをどうにかすることなんてできないよ。わたしだって……まだ、ちょっと怖いもん」

 

 ルイスは暫く俯いていた。考えこむように押し黙っていたが、やがてスキュブの方を見て口を開いた。

 

「どうにかすることなんてできない、か。確かに、どうにかできていたら楽ですよね。

 後悔も、痛みも、どうにもできなかったふがいないさも……確かにここにある。そうですよね。ミシェルの死を、そう簡単に乗り越えられるはずがない……」

 

 外の木々が風で揺れ、月明かりが静かにまたたいた。

 

「もうそろそろ、だなんて言っていましたが、やはり後悔は消えませんね。ミシェルは……もしも、ミシェルが今の私を見ていたら、どう思うのでしょうね」

 

「……きっと、隣にいてずっと寄り添ってくれると思うよ」

 

 ルイスはほろ苦い笑みを浮かべ、ゆっくりとまばたきをした。

 

 それから、二人は静かに空を眺めていた。

 長い長い眠れぬ夜の時間を、ただ空を眺めて過ごした。空が明るくなり始めたころ、流石に横になった方がいいかもしれませんね、とルイスが困ったように笑ってくれて、スキュブも微笑み返した。

 

 ろうそくの長さはだいぶ短くなっていた。優しい色の灯火が、早朝のやわらかな光のなかでもあたたかく光って見えた。

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