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気づくと、アヤネたちはカヨの屋敷に来ていた。
急な深い森と大きな屋敷に、アンヘルがきょろきょろと周囲を見渡している。突然こんな場所に来たらそうするのは妥当な判断と言えるだろう。
アヤネもなぜスキュブがここを選んだのかぴんとこなかった。てっきり自宅かと思っていたのだが、何か理由があるのだろうか。
「……うー。まちがえた」
スキュブは肩を落としながらへにゃりと眉尻を下げた。どうやら間違えたらしい。
「アヤネのことも考えてたから、カヨの方に来ちゃった。アンヘルとルイスには適切な場所じゃなかったね……」
「大丈夫。うちは……色々散らかってるし。カヨの家の方がよかったかも。」
アヤネは自宅の人間の肉を干している部屋を思い出し、目をそらしたくなるような気分になった。あれをアンヘルやルイスが見たらパニックになるだろう。
「この大きなお家、アヤネさんのご家族のお家なんですね。ご家族の方、ちょっと気にするかもですが、ルイスがピンチなのでお邪魔しちゃいますね!」
アンヘルはカヨの名前を誰かに聞いていたのか、すぐに状況を理解したようだ。
「大丈夫だよ。わたしが説明しておくし」
スキュブがルイスに声をかけながら身体を支え、立ち上がらせたとき、ちょうど屋敷の入口の扉が開いた。
ディートリッヒだ。アンヘルとルイスにさっと目をやったが、ルイスの様子を見て察したらしい。すぐに出てきてくれた。
「これはお兄様とお姉様。……何か、お望みですか?」
「突然でごめんね、ディート。ちょっと体調が悪くなっちゃった人がいて……」
「構いません。お姉様のお願いであれば、何でも。
ちょうど空いている部屋がありますので、そちらにご案内しましょう」
ディートリッヒは手を鳴らし、メイドを呼ぶと一言二言話して、すぐに部屋を案内してくれた。
途中、部屋からちょうどいいタイミングでひょっこり顔を出したカヨにアヤネは足を止めたが、スキュブたちはディートリッヒに案内されるまま進んでいく。
「……あの人、どうかしたの?」
「うお。急に出てきてビックリした。
ちょっとパニックになっちゃってね。スキュブがここまで連れてきてくれたの」
カヨはふーん、と暫く考えこむように、まばたきせずアヤネを見つめていた。
「ルイスって人だよね。あの人そうそう動揺しなさそうだったのに。なんかあるね?」
「多分そう。お前、そういうところ本当に勘がいいよね」
「そりゃあ……あーちゃんのためだし?」
「説明になってない……って言うにはお前のことを知りすぎてるなぁ……何となく察せちゃった」
カヨはアヤネのことに関する勘が鋭い。そして、アヤネに危害を与えそうな人間をことごとく潰してきたため、誰かの弱点になりうる点を見抜く力は折り紙付きだ。
「分かってるなら言わないの。
なんかあったら言って。スーちゃんにも害があるようなら、原因潰しにいくから」
「遠慮なく言うよ。今回はちょっとヤバいかも。もしかしたらスキューのほうが先に手が出るかもしれない」
「そっか。遺体処理が必要だったらこっちに回して。家畜の餌、そろそろ仕入れないといけないからさ」
「そのときは言うよ。あれじゃあスキューも食いそうにないからね」
カヨは返事の代わりにニコッと笑って部屋に引っ込んだ。
自然な会話なようで、かなり物騒である。アヤネはそんな自分にため息をついて、スキュブたちの後を追った。
部屋に着くと、既にルイスがベッドに腰掛けており、スキュブがその背中をさすっていた。
ベッドサイドのテーブルには水差しとコップが置いてある。先程ディートリッヒが呼んだメイドが準備したのだろう。
スキュブがこちらに気づいて顔を上げた。
「カヨ、いた?」
「いた。多分説明する必要ないね、あの様子だと……いったいどこから見てるんだか……」
「カヨ、いつの間にか知ってるもんね。」
「あいつの前の情報源、ここにはないはずなんだけどね。
違う情報源があるんだろうなぁ……」
カヨは周囲の友人たちと巧みに話し、様々な情報を仕入れていたのだが、その友人たちはここにはいない。
おそらくメイドたちから情報を仕入れたり、自分で調べたりしているのだろう。カヨは追跡がかなり上手い。教えていないのに、アヤネの実家に来たこともある。
「……すいません、色々と……本当に……」
ルイスが消え入りそうな声でそう言った。
周囲の会話が聞こえるくらいには回復してきたらしい。
「気にしないで。わたしもこうなったとき、いっぱい助けてもらったから、今度はわたしの番」
スキュブは優しく微笑みかけ、再びルイスの背中をさする。
「スキューの言う通り気にしないで。ここの家主、こっちが伝える前には知ってるから、本当に何も気にしなくていいよ」
「カヨさん、でしたよね?すごい方なんですね。元諜報員とかそういう感じの方なんですか?」
椅子に腰掛けたアンヘルが顎に指を添えて考える素振りをする。
「いや……化粧品のお店で働いてたよ。あいつ、接客がすっごく上手いんだよね。」
「ええ……それなのにその腕前なんですか?」
アンヘルが若干引き気味に言う。仕方ない反応だ。アヤネも最初のころは自分を守ってくれていると理解しながらも、その技量に若干首を傾げていた。
「そういうこと。探偵にでもなってたら有名になってたんじゃないかな」
「じゃあ本当に気にしなくていいやつですね!僕も何も気にしません!感謝の気持ちは忘れませんが……」
「そうだね。礼儀さえちゃんとなっていればカヨも気にしないと思うから、ゆっくりしていって。
ルイスも、何日か泊まっていってもいいし。」
「いえ……そこまでお世話になるわけには……」
ルイスは申し訳なさそうに顔を上げた。
顔色はまだ良くない。テレポートでなら家に帰れるだろうが、ここから徒歩で家まで帰るのは無謀である。
「だめ。ルイス顔色良くない。帰るっていうならわたし、絞め技かけるよ」
スキュブはさらっとルイスの腕を掴み、いつでも飛びかかれるような姿勢になる。本気らしい。
「ルイス、断ると本気でやられるよ、これ。
迷惑になるとか考えなくていいから。ここ、わたしの第二の実家みたいなものだし。まあ、他人の家で落ち着かないのは分かるけど……」
「……申し訳ありません、何から何まで……」
ルイスはこちら提案を飲んでくれたようだ。元気はないが頷く。
「了解。アンヘルも一緒に泊まっていきなよ。わたし、話を通してくるから」
「本当ですか!?じゃあお言葉に甘えて!」
アンヘルが嬉しそうにニコッと笑う。彼もルイスのことが心配なのだろう。今日は一緒にいたいはずだ。
アヤネはそんなアンヘルに軽く微笑み返し、部屋を出る。
廊下に出ると、すぐにカヨと出会った。待っていたかのようにそこにいたカヨにアヤネは驚くこともなく、淡々と声をかける。
「聞いてた?」
「うん。いい判断だね、あーちゃん。スーちゃんも同じことを思ってると思うよ」
カヨは軽い足どりで壁にもたれかかる。
「……さすがに言うのは、良くないと思ってさ」
「分かる。スーちゃんもナイスだったよね」
「ね。家に帰ったら、パニックの元凶がそこにいました……ってことがあるかもしれないから、なんて言えないもん」
身近にストーカーの才能を持つ者――言わずもがな、無害である――がいるのでなんとなく察せる。
あの女ならやりかねない。どこまでルイスの情報を掴んでいるか分からない今、ルイスが家に帰るのはあまり良くないだろう。
「着替えとか、こっちで用意するから心配しないで。」
「いつもありがとうね。またいつか、どこか行こう。今度はこっちが連れて行くから」
カヨは満足そうな笑みを浮かべ、壁から背中を離した。
「気にしないで。わたしたち、家族でしょ?」
「……そうだね」
カヨはそれを聞くとどこかへ歩いていった。おそらくディートリッヒと情報を共有するのだろう。
アヤネは今の話を伝えるためにスキュブがいる部屋まで戻っていった。




