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家族のかたち  作者: メデュ氷(こんにゃく味)
第一章 始まり
6/74

 この日のギルドは賑わいを見せていた。

 いつもは酒を飲んでは歌って騒ぐ者たちも、話をするのに夢中になって、いつまでもジョッキが空にならないほどだ。

 噂好きの者たちはいつもより大勢で集まっている。常に噂を肴に軽食をつまんでいる者たちだが、今日ばかりは噂がメインらしい。結露で濡れた水のグラスに手を添えたまま、休むことなく喋り続けている。

 

 皆がそこまで騒ぐのは何故か。

 一際高い報酬が約束された依頼が入ってもここまでの騒ぎにはならない。

 まるで王族がこんな街にまでやってくるらしい、というほどの興奮であった。


 ギルドの入り口から二人の人間が入ってくると、ただでさえ賑わっていた話し声がわっ、と 大きくなった。

 皆口々に噂話を言い合い、中には背伸びをしてまでその「噂の人」を一目見ようとする者までいた。

 

 黒い長髪の美女と、白い髪を三つ編みにした美青年。

 美女はあの『魔眼の射手』をおとしたとも言われ、受付にいた従業員を皆虜にしたとも言う。

 まさに絶世の美女。歴史で語られるような、王を傀儡にするほどの美とはこういうものを言うのだろう。

 美青年は凄まじい腕の剣士らしく、その太刀筋は目でとらえられぬほどだと言う。

 モンスターと対面したときにはもう、その首は落ちている。死んだことにすら気づかせないそれは、暗殺者も剣士も皆、羨望するものであった。

 そしてこの二人はギルドに加入してすぐに戦果をあげ、前例にないほどの量の依頼をこなしているらしい。

 淡々と初心者向けのものから玄人向けのものまでこなしていく様は、入りたての者には英雄として映り、長年いるものには焦りを抱かせた。

 

 ある者は美女のことを魔女と呼んだ。並外れた火力の魔法は、悪魔との契約によるものだと。

 その美は悪魔すら手玉にとったのだ。きっと人間を魅了するのには飽きたのだろう。愛を囁くだけで、ありとあらゆるもののこころを奪っていく。

 

 ある者は美青年のことを魔女と契約した悪魔と呼んだ。実際に見たその腕前は人のものとは思えない。凄まじい脚力でモンスターに接近したときには既に、命を摘むのを済ませている。

 静かに、素早く、容易く、狩っていく。大鎌をもっていたのなら、その姿は死神と呼ばれただろう。

 しかも、ずっと魔女の傍にいるらしい。仲睦まじく、身内であるように、恋人であるように。

 魔女のことをじろじろと見ていれば殺気を帯びた目で睨んでくるのだという。それに腰を抜かした者が後を絶たず、被害者の間では五秒以上見つめるな、という話が出ているほどだ。

 

 秀でた者はいつの時代でも、どんな場所でも、疎まれ、ありもしない噂に尾ひれがついて、本人が聞いたら目をまんまるくするような伝説ができていたりするものだ。 

 アヤネとスキュブも例外ではない。

 魔女でも悪魔でもないのに、いつの間やらそんな風に呼ばれ、誰かの近くを通るだけで騒がれる。

 装備品の色もそれに拍車をかけていた。高難易度ダンジョンに出てくるモンスターの素材でできた装備だ。色が全体的に黒寄りであり、魔女だの悪魔だの言われれば、あの見た目ならそうなのかもしれない、と思われる可能性の高いものである。

 

 まあ、アヤネは全く気にしなかったのだが。

 避けられるのも注目されるのも慣れているし、この魔法の火力は普通の者から見たらそう見えるのかもしれない。

 それに、ギルドで最も活躍した者に与えられる衣装をスキュブに着せるために効率よく依頼をこなしていたので、噂のことなど気にしている余裕はなかった。

 気にするだけ無駄だし、時間ももったいない。勝手に言えばいいし、勝手に騒げばいい。

 しかし、一点だけ解せぬところがある。

 スキュブが悪魔というのはいかがなものだろうか。

 こんなにかわいい彼が悪魔?天使の間違いだろ。

 いや、天使どころではない。もはやスキュブは神っている。

 剣の技術をそう例えるしかないのは理解はできるが、それなら死神くらいは言ってほしい。

 というか彼が得意とするのは剣だけではない。

 鈍器、遠距離武器、杖、何でも得意とする。

 魔力はアヤネよりも劣るが、高難易度ダンジョンの敵にも通用する魔力だ。

 そう思えば、死神というのも正しくない。

 天才。そう、天才、パーフェクト、この世の生き物のなかで最も愛おしい者だ。

 その上かわいいのだ!どこがかわいいと聞かれれば全てがかわいい。

 もうこのかわいさであれば「どこが」という言葉すら適切ではない。全部がかわいいに決まってるだろ、何寝ぼけたことを言っているんだ?と謎にキレてもよいほどなのだから!

 実際に、友人にそうしたことがある。

 友人が「スーちゃんかわいいねぇ、ちゅっちゅ!」とか抜かしやがったので、「あたりまえだろ、それどころかすごいかわいいだよ!すごいが抜けてんだよ!てかちゅーすんな!スキューが変なこと覚えたらどうすんだよスケベ!」とキレた――いつもはそこまで言わないのだが、この時は偶々酒が入っていた――覚えがある。

 その後、「スケベじゃないもん!」とか「キスのことちゅーっていうのかわいくない?」とか「キスはスケベの範疇じゃありませ~ん!」等と言い返されたので、こちらも負けじと何かを言い、この日のボイスチャットはもはや匿名掲示板のレスバトルのようなありさまになったが、何故か話の終着点が「パートナーにキスされたら嬉しいか」というところに行き着き、スキュブが頬を染めて「嬉しい……アヤネになら、その……頬に……」と言ったのがアヤネのハートをノックアウトしたので、良い思い出にはなった。


 それはそれとして。

 アヤネは依頼達成の報告をするために受付に向かっていた。

 受注可能なもの全てと、他人が難しくて達成できず困っていたのを代わりにやったので、受付に出すものは沢山ある。

 カウンターのテーブルがいっぱいになって、この前新人の子があたふたしていたのを思い出した。

 先輩たちも目を丸くした量なのでそこまで慌てなくても良いとは言ったのだが、どこから手をつけたらいいのか分からなかったのだろう、少々目が潤んでいた。

 そのせいもあってか、受付にアヤネが近づくと、それなりの年齢の人が出てくるようになった。

 今回受付してくれる人もその人である。

 もう顔を覚えてしまいそうだ。


「いらっしゃいませ、達成されたご依頼の件ですね?」


 受付自ら声をかけてきた。先制攻撃である。こちらから話しかける手間が省けるのは良いのだが、これは身構えられているという風にしか見えない。

 まるでこちらが厄介者みたいではないか。

 ……実際そうなのだが。

 

「はい。今回やったのがこれで……あと、ドラゴン狩るのとデカいダンゴムシのは最初受けようとしてた人に報酬を渡してください。わたしがぶんどったものだから」 


 採集物、狩った証拠の素材、通ったついでに請け負った、迷子の鳥を入れた籠などを並べると、カウンターはあっという間にいっぱいになった。

 木の実などの丸い採集物は溢れた勢いで床に落ちてしまいそうだ。

 籠の中の鳥は迷子であったにも拘わらず元気で、近くに置いてあるいもむしが入った瓶をつつこうと、一生懸命籠にアタックしている。


「かしこまりました。手続きにお時間をいただきますので、何かお飲みになってお待ちください」


 前にも述べた通り、ギルドには酒場がある。アルコールは勿論だが、ジュースもお冷もあり、未成年でも飲食が楽しめるようになっている。

 アヤネはアルコールがダメというわけではないのだが、酔うとスキュブにべたべたになってしまうし、そのうち鬱々としたことを永遠と聞かせるようになるので人前では飲まないように決めている。

 スキュブはというと、未成年なので飲ませていない。

 彼は肉体的な年齢は十五歳で、本人が自覚している年齢は十歳だ。どのみち二十歳には達しないし、もしも飲んでしまったらぽわぽわしたり泣き出したりしそうなので、良くないと感じている。

 それに飲み物の好みはどちらかと言えば子ども寄りなので、アルコールの独特な味はまだ美味しいと思えないだろう。

 因みにお気に入りはりんごジュースだ。オレンジジュースも好んで飲む。

 コーヒーは苦手らしい。この前興味があって飲んでみた結果、目をぎゅっと詰むって、苦さのあまり舌を出していた。かわいい。


 アヤネは近くのテーブルに向かい、スキュブに隣へ座るよう促しながら飲み物のメニューを広げた。


「スキュー、何飲む?」


「……これは何だ?」


 スキュブが切った柑橘類をグラスのふちにさした飲み物を指差した。

 確かに美味しそうだし、色が綺麗で見た目も良いのだが、これはアルコールだ。

 気持ちは分かるがダメだと言わねばなるまい。


「スキュー、それ実はお酒だからダメ。」 


「む。そうか。それなら今日はオレンジジュースにする」


「OK~。他に食べたいのない?プリンとか食べる?」


「……アヤネとはんぶんこできるなら、食べる」


 ルイスのせいでアヤネの食生活には改善が必要だとスキュブも認識してしまったため、彼は近頃このような手段をつかってアヤネにも何か食べさせようとする。

 自ら何か食べようとしないアヤネだが、スキュブが半分くれるというなら食べるからだ。

 それはそうだ。断れるはずがない。スキュブがくれたものを受け取らないという選択肢はないのだから。例えそれが嫌いな食べ物――好き嫌いが無いので、嫌いな食べ物など特にないのだが――だとしても喜んで食べる。

 大好きな誰かから何かもらえるというのは大変嬉しいことだ。

 好意の証左であり、言葉や感情をかたちにした、実体のあるもの。それが贈り物というものだ。

 それは食べ物であっても同じである。

 今の親には食べ物をわけてもらったことのないアヤネにとって、身内から何かを食べさせてもらうというのは、何とも言えぬ高揚感のあることだった。

 幼いころを思い出す。事故で亡くなった前の父親が、お母さんには内緒だと声を潜めて、ケーキを食べさせてくれた、甘くて平和な記憶。

 チョコレートケーキだった。お父さんの分もあげると二切れもくれた、ふわふわでとろける幸せ。

 あの頃は悩みなどなかった。幸せはずっと続いて、この手に落ちぬまま、こぼれぬまま、あり続けるものだと思っていた。

 

「そんじゃわたしケーキも頼むから、半分こずつして食べよう」


「いいのか?」


 スキュブの顔がぱっと明るくなる。アヤネからも半分もらえるのと、ケーキも食べられるのが嬉しいのだろう。

 依頼をてきぱきこなしてくれるお礼だ、これくらいは当然だろう。


「勿論いいとも。今日もいっぱい頑張ってくれたしね」


「ふふ、あのくらい、どうということはない」


 スキュブが誇らしげに軽く胸を張った。常人が見たら分からないが、ちょっぴりドヤ顔までしている。

 近くに人がいないと彼は本来の年相応の反応をする。とても可愛げのある、愛おしくてたまらない動作だ。

 他人がいると警戒して気を張っているので控えめになるが、それでも感情が揺れ動くと素が出たりする。

 本当は素直に笑ったり、照れたり、泣いたりする子なのだ。

 でも、笑顔を母親に否定されたのがトラウマになっているせいで、めいっぱい笑えない。

 5年近くは人と接することなく獣として生きてきた影響か、感情を表現するのが苦手で、しっかりと見なければほとんど無表情に見えてしまう。

 弱い自分を晒せば嫌われるかもしれないと怯えているせいで、声をあげて泣くこともできない。

 

 笑えなくても、どんなものが苦手でも、弱い自分を内包していても、アヤネはスキュブのことが大好きだった。

 生きることすら面倒だったアヤネが普通の人間のように生きることを諦めきれず、どうにかこうにか好きなものを見つけようとがむしゃらに頑張った末に見つけた光が彼である。

 その光が他者にとっては豆電球ほどのものであったとしても、アヤネにとっては、太陽そのものであった。

 故に、アヤネはスキュブの存在そのものを愛している。

 傍にいてくれるだけでいい。毎日そこにあって、たわいもない話をしてくれるだけでいい。

 スキュブという存在こそが光であり、熱であり、生きる理由である。

 だが、アヤネはそれを伝えることができずにいた。

 彼のこころにある底無しの孤独に自分の言葉は、声は届くのだろうか。

 愛を伝えて、彼はそれを信じて、本当に安寧をむかえることができるのだろうか。

 ――行動が言葉に伴わず、彼がそれを嘘だと思ってしまったら。

 傷つけるのが怖かった。その手を掴んで引っ張りあげられないかもしれないのが怖かった。

 それなのに、不安や恐怖がちゃんとそこにあるのに、アヤネはスキュブを愛することを止められない。

 優しく頭を撫でるのも、好きだと言ってしまうのも、ケーキを半分こしてしまうのも、どうしようもなく止めることはできなかった。

 

 だからアヤネは今日も、自分のこころの影に目を瞑って、ウェイターを呼ぶのだった。


 呼ばれたウェイターが注文をとっていると、アヤネの隣に誰かが座った。スキュブの隣にももう一人座るのが見えた。


「ハァイ、ウェイターくん、レモンソーダも追加しておくれ、わたしのぶんだよ」


「アタシは強めの炭酸水で」 


「ダリア、いつもそれだよね~口のなか痛くない?あの強さだと」


「あれくらいで丁度いいだろ」


「……いいわぁ、若いっていいわぁ……お姉さん羨ましい……」


「お姉さんって歳じゃねーだろお前」


「それ言う?わたしのガラスのハートに罅がはいっちゃーう……麻痺にしちゃうぞ?」


「あー怖ぇなー、歳とった女って怖ぇなぁー」


「おちょくってるでしょ?リーナお姉さん怒るよ?」


「そんじゃあその時はそこの『すごい魔法使い』にどうにかしてもらうか。な、スキュブ。隣のはすごいんだろ?」


 ニカっと笑って親指でアヤネを指さすのはダリアだった。

 そしてそれに目を輝かせて反応するのは、アンヘルを街に送り届けたときにルイスの隣にいたヘカテリーナだ。

 薄桃色の髪とキリッとしたレモン色の目はアヤネの記憶にも残っていた。どこかいたずらな笑顔が似合いそうな彼女は、印象的というか個性的だったのだ。


「そう!!!聞いたよそこのウワサのカノジョ!アヤネっていうんだよね?

 覚えてる?わたしのこと!アンヘルのときはありがとうね!あの時一緒にいたんだけど……」


「……覚えてる。レモン色の目の……」


「そーう!綺麗だろう、この目!わたしも気に入ってるんだ!

 なかなか目のつけどころがいいじゃないか~!魔法使い仲間だし、美人さんだし……!これから色々よろしくね!そうそう、わたしのことはヘカテリーナって呼ぶよりリーナお姉さんって呼んでくれた方がかわいいから――」


「お姉さんはつけなくていいからな。それと気をつけろよ?こいつ若いのを見るととにかく面倒をみたがるからな」


 ダリアがヘカテリーナの言葉を遮る。

 ヘカテリーナはそれに唇を尖らせた。


「とにかくって何さ!ちょーーっとしたおせっかいだろう?!」


「なぁにがちょーーっとだ!アタシにやったのを忘れたとは言わせねぇぞ!勝手に上がりこんできて掃除やら洗濯やら、アタシは一人でやれるっつたのによ!朝起こしにまできやがって!

 おいスキュブ。お前も気を付けろよ。たまにお前ぽわーっとしてるときあるだろ。そういうの見るとこいつ暴走すんぞ。」


「……わかった」


 珍しくスキュブが円滑な会話をしている。

 そういえば、スキュブが話しやすい人がいたと言っていたのを思い出した。

 この様子から見るに、彼女がそうなのだろう。確かに自分から話してくれるタイプなので、こちらから話しかける手間がないぶん話しやすい。

 

「あー!ダリア酷いぞ!新人に変なこと吹き込むんじゃない!

 もう!この話はおしまい!それよりも!それよりもだよ!アヤネに聞きたいことがあったんだ!」


 ヘカテリーナがテーブルを手で叩きながらアヤネに話をふる。

 困った。内容によっては答えかねるのだが。


「ねえねえ、あのウワサって本当かい?難攻不落、ハニートラップ無効の男と名高いルイスをおとしたって……!」


「んなの噂話にすぎねぇだろ。サキュバスでも魅了できなかったどころか服装が寒そうだからって、上着を羽織らせたようなヤツだぞ、アイツ」


「もう、ダリアってば乙女のハートが分かってないなぁ!女の子たちの間じゃあ路地裏でこっそりキッスしてたって専らのウワサなんだぞ!」


 待て。それはガチの根も葉もない噂だ。

 ルイスの真面目さから考えれば後輩に手を出すことなどあり得ないし、アヤネの方はというと既に最高の存在が隣にいるので、どんな異性にも振り向いたりしない。

 確かに度々会って話をしたが……特に食生活の改善について話をされたが、そんな恋人のような関係ではない。

 アヤネはヘカテリーナの話を否定しようとした。

 が、それよりもはやく反応した者がいた。

 スキュブである。


「待て。それは本当か。」


「おや!スキュブが食いついた!本当かどうかは分からない……けど!受付の女の子曰く!手を繋いでたとか熱のこもった視線で見つめあってたとか……!となるともうこれは!路地裏でキッスもありうるのでは?!」


「……そんな、そんなはず、ない……」


 スキュブが潤んだ目でこちらに振り向いた。

 ……今にも泣きそうな顔だ。素が出てしまっている。


「アヤネ!今のはなしは本当か?!

 わたしですら、唇にちゅーしてもらったことないのに!」


 そっちが気になってんのかよ!

 付き合ってるかも、という話よりも口づけを交わしたか、という方が気になっているらしい。

 アヤネはもう黙っていられなかった。


「んなわけあるかぁ!!!彼氏なんていたことないし!身内でもないヤツと手ぇ繋ぐとか無理だし!

 それと!わたしのファーストキス奪ったのお前だろ?!」


 忘れたとは言わせない。唾液を吸ったときにスキュブはちゃんと唇に触れている。

 しかし本人にその自覚はないらしい。

 真っ赤に染めた頬を両手でおさえて目をまんまるくしている。

 

「そ、そんな……いつ……?」


「わたしの唾液吸ったときだよ!めっちゃちゅーちゅーしてたじゃんか!」


「あ……そうか…………そうだ……!わたし、いつの間に……アヤネに、えっちなことを……」


 消え入りそうな声でそう言うスキュブの顔は茹でたタコのように真っ赤だ。煙でも出るんじゃないだろうか。

 彼にとって、唇への口づけは「性的なこと」に該当するらしい。

 その行為自体は子どもでも閲覧可能なものであるし、あの程度であれば、規制されるべき表現にはあたらないだろう。

 しかし、彼にとってはそうでないというわけだ。

 ……口づけをしたら妊娠するとか思っていないだろうか。こう見えてウブなところがある。だから弟にとんでもないようなことをふきこまれるのだ。


「大丈夫!お前限定でちゅーはえっちじゃない!大丈夫!!」


「……えっちじゃないのか?わたしのこと、きらいにならない?」


「うん!えっちじゃないし嫌いになんかならない!!大丈夫!」


「そうか……なら……」


 スキュブがもじもじとし始める。

 これは何か言い出しづらいお願いがあるというサインだ。

 食べたいとかそういうお願いでなければどんとこいだ。アヤネは何でもこいと姿勢を正す。


「その……アヤネが、いいのなら……毎晩撫でてくれるときに……頬に……」 


 なでなでタイムのときに、頬に口づけしてほしいということらしい。

 そんなことをしたらこっちの心臓がもたないと思うのだが、かわいいスキュブのお願いだ。頬に口づけくらい何度でもしてやろう。


「いいよ!!やろうぜ!!わたしはやるよ!!今日の晩から!!」


「いいのか……?」


「うん!!お前の顔とゼロ距離とか愛しすぎて死んじゃうかもしれないけどわたし死なないし!!やるし!!」


「愛しすぎて、死んじゃうのか……?」


「そうだよぉ!!お前がどれだけかわいいと思ってるんだ?!世界記録だよもはや!お前宇宙一かわいいって自覚あるか?!」


「……かわ、いい、もあるのか……?愛おしくて……かわいいも……そんな、そんなにたくさん言われたら……」


 ……おや。スキュブの様子がおかしい。

 息が上がってきているし、瞳孔が開いている。

 よく見たら頬をおさえている指が震えていた。

 

 これはマズい。興奮状態だ。

 アヤネが普段は言わずにしまいこんでいる好意をつい喋りすぎてしまったせいで、スキュブは「嬉しすぎる」状態になり、感情が爆発しそうになっている。

 頬に口づけしてもらう夢が叶った上に、言ってもらいたい言葉を次々と言われたのだ。こうなるのは必然であった。

 アヤネは今更ながら反省した。

 過去に深夜テンションの勢いで、好きだのかわいいだの一番大好きだの言いつづけていたら、食べられたのを思い出した。

 嬉しすぎて、嬉しすぎて、心臓が爆発してしまいそうになって、堪らず食べてしまったらしい。かわいいやつめ。

 しかしここは人の目があるギルドの酒場だ。

 ここでレッツカニバリズムとなれば、人々の騒々しさは一気にその声色を変えるだろう。

 死体を見た、と言わんばかりの悲鳴があちらこちらから湧いてくるに違いない。

 

 アヤネはアイテムポーチから素早く鎮静剤を取り出した。

 一度食べにかかると決まればスキュブのそれは目にも止まらぬ速さとなる。

 そのため、食べられないようにするには、そうしようとする前に落ち着かせる必要があるのだ。

 

 だが、スキュブを落ち着かせたのは鎮静剤ではなかった。

 聞き覚えのある男性の声である。


「……人前でなんて話をしてるんですか、二人とも」


 スキュブはその声に気付き、ここが人目のある場所だと思い出したらしい。

 彼は一瞬目を見開いたが、それもすぐになおって、いつもの無表情に戻った。

 頬は、ほんのり赤いままだ。


「わぁお、ウワサをすればなんとやらだねぇ。今君とアヤネがキッスしたかどうだかで色々言い合ってたんだよ、ルイス」


「まったく……あなたはいつもそうだ、つまらない噂話をしたのでしょう?」


 ルイスは呆れた、とため息をついた。


「つまらないなんてもう……それならどうなのさ、真相というやつを君からも聞こうじゃないか!」


「彼女とはお付き合いすらしてません。後輩に手を出すなんてもってのほか。」


「ほぉら言っただろ、リーナ。こいつが女におとされるなんてことねぇって」


 ダリアはジトっとした目でヘカテリーナを見た。


「む~~~!!!まあ、でも……アヤネとスキュブのさっきの会話を聞くに……ルイスとくっついてるってより……」


「こら。年甲斐もなくはしゃぐんじゃありません。」


「んな!女の子はいくつになっても乙女なんだぞ!」


「乙女は結構ですが、あなた、自分が何歳なのかはお分かりですよね?

 いつまでも若々しいのは羨ましいですが、それではお二人が困ってしまうでしょう。」


「う……年齢の話はやめてよぅ……鏡を見るのが嫌になるじゃないか……」


「それなら年相応の落ち着きを。あなたの活発さは他者のこころを元気づけますが、過ぎたるは及ばざるがごとし、と言うでしょう。」


 ヘカテリーナは言葉にならないうめき声をあげて、テーブルに突っ伏した。

 先程から彼女は年齢を気にしているが、何歳くらいなのだろうか。

 見た目は若く見えるし、声もハリがあって活力に溢れている。

 それでもあのようなことを言われるということは、彼女は意外とおばさんなのかもしれない。

 もしも彼女がそうであるのなら、ルイスが腕を組んで諭す訳も分かる。


「お二人とも、ヘカテリーナがすいませんでした。彼女、面倒見はいいんですが……」


 ルイスがこちらへ一礼する。

 フォローを欠かさない男だ。やはり、先輩上司に欲しい人材である。


「はは、いいさいいさ……わたしもつい、熱くなっちゃって……」


「ふふ、あなたがあそこまで声を出すの、はじめて見ました。その子のこととなると熱心になってしまうのですね」


 ルイスは穏やかに微笑んだ。


「そりゃあ……十年は一緒にいるし……好きだもん……」


 次はアヤネが頬を赤くする番であった。何となく目を合わせられなくて、視線を床に落とす。

 好きなのは当然だが、それを言うのはなかなかくすぐったいし、もどかしい。

 本当は好きという言葉では表しきれないくらいに好きなのだが、それはどうやってかたちにすればいいのだろう。

 言葉にすれば届くことなく、空気に溶けて消えていく。

 想うだけでは伝わることなく、存在を自分しか知らないのなら、スキュブにとっては無いのと同じだ。

 このこころは、どのようにしたら良いのだろう。

 正解は見えなかった。


「分かりますよ。明らかに他の人とは接し方が違いますもんね。その行動、言動一つ一つに愛が見えます。

 それに、二人でいるととてもリラックスしていますし。」


 愛が見えると言われ、アヤネは思わず目を見開いた。

 他人に対しての行動とスキュブに対してのそれにわざと差をつけているわけではない。

 確かにスキュブからのお願いであれば何でも聞くが、他人からのはスケジュールが空いていなければ断るし、内容によっては即座に断る。

 スキュブとは何時間でも話していられるが、他人と話すのは基本的に怠い。

 スキュブに対して抱く想いの大きさが他人とは違うというだけなのだが、それでも愛が見えるというのだろうか。

 アヤネはそれを問いたいのを我慢できなかった。


「本当?わたしの愛が見えるって……本当なの?」


「ええ。本当です。」


「どこが?どこからそう感じるの?」


 アヤネが食いつくようにして聞くので、ルイスは首を傾げた。


「だって……まず、あなたたちの距離感は身内の関係のものでしょう。それに、あなたは他者と話すとき……特に、初対面の相手と話すときの声の抑揚の無さといったら、鬱を疑うようなものです。

 それがスキュブに関わることとなったら。今までの物臭さはどこにいったのかと驚きましたよ。

 あなたは、彼のためなら何でもする、というのを行動で示しています。文字通り、自分の事情など差し置いて、彼の幸せが自分の幸せであるかのように。

 それを愛しているというのでしょう。自分の時間を、こころをかけるのを厭わないその姿勢は――」


 ルイスの目が揺れた。優しい空色がどこか、小さな罅が入ったみたいに壊れる。


「……眩しい。きっと、誰もがその子を貶しても、誰もがその子を嫌っても、あなただけはずっと、その子の味方でありつづける。そこに何の損得もありはしない、あなたは当然のようにその子を庇い、全ての傷を代わりに受ける。

 ああ、あなたのような人が、あの子にも、いたら――」


 ルイスはそこまで言ってハッとした。

 我に返ったらしい、憂いなど最初からなかったように笑って取り繕う。


「ごめんなさい、喋りすぎました。最近寝不足で……疲れているのかもしれないな……

 とにかく……あなたのこころは自然と行動に出ているのですよ。」


 しかし、アヤネは見逃すことができなかった。

 遠いどこかを見ていたような、どうしようもないことなのに夢見てしまうような、あの憂いをどこかで見たことがあるような気がしたから。


「ねえ、ルイス」


「はい、何でしょう?」


「君……何か、亡くしたの?」


 ルイスの目蓋がぴくりと震えた。

 取り繕いきれない笑顔が歪む。


「……そんな、何故。何故……そのように?」


「だって、あまりに痛い……目をしてたから……わたし、なんでだろう、こころを針で刺されたみたいで……」


 目が熱くなってきた。普段は絶対に言わないことを言ったせいだろう。喉が腫れたみたいに苦しくなって、続きを言うことができない。

 気づけば涙が頬を伝っていた。


「あれ……なん、で……わたし……」


 涙を手で拭おうとすると、スキュブがアヤネの頬に触れた。

 代わりに拭おうとしているのだろう。白い指が優しくも一生懸命にアヤネの頬を擦る。


「……アヤネ、なかないで……アヤネが痛いのも、悲しいのも嫌だ……」


 スキュブが心配そうに眉尻を下げる。

 ああ、なんということだ。この子を悲しませてはいけないじゃないか。

 自分のどこか知らない感情で彼を傷つけてしまうなんて、パートナー失格だ。

 アヤネは精一杯笑って、涙を目から追い出した。


「大丈夫、大丈夫だよスキュー。ほら、わたし元気だから……」


 スキュブはそれを聞いた途端、とても悲しそうな顔になった。

 アヤネは思ってもいなかったその反応にドキっとする。

 逆効果だったようだ。何かマズいこちでも言っただろうか。

 アヤネはどうしたら良いか分からなくてあたふたする。強がりが剥がれ落ちた顔は動揺と涙でぐちゃぐちゃだった。


 ――スキュブが悲しむのは当然のことだ。

 先程のアヤネの笑顔は、取り繕えずに歪んだ笑顔だったのだから。

 それは優しい嘘だ。誰かを悲しませまいとこしらえた、笑顔の仮面である。

 しかしそれを見抜かれては意味がない。

 むしろ、痛みを共にさせてくれなかったことに深く悲しむことになる。

 戸惑うアヤネにはまだ、そのことが分からなかった。

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