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クリスマスには予定なんてないので2話投稿しますね
あれから数日ほど、カヨとディートリッヒが代わりに仕事をしていた。
カヨが少しぷりぷりとしながらアヤネのスケジュールを組み直したりする様子が見られたり――自分のスケジュールは組み直していないので、これからのアヤネを心配してのことだろう――ディートリッヒがマシロに絡まれて閉口する様が見られたりしており、ギルドの皆も警戒を解きつつあった。
しかし、近寄りがたいのは変わらない。アヤネとスキュブは話していくうちに、普通ではないが普通の人であることが分かるが、カヨとディートリッヒはどこか触れてはいけないところがあるような、そこに間違えて触れればたちまちに首を落とされそうな雰囲気がある。
この二人がアヤネとスキュブの親戚だというのは頷けるようで、あまり信じられない。特にカヨの方は、勘が良い者には無意識に避けられていた。
「今のところ、潰さなきゃいけないのはいなさそうなんだよな〜」
依頼を終えて一息ついたとき、カヨはヘルムを脱いで髪をほどいた。
「そうでしょうか。あの男、そろそろ潰したほうがいいかと」
ディートリッヒは慣れた手つきでモンスターを解体しながら、そう呟く。
「まあそれは分かるけど。前々から目星はつけてたし。でも、ああいうの潰すの、難易度高いんだよね。」
「仲良くなって籠絡しようだなんて考えないでくださいね」
ディートリッヒはモンスターに解体用のナイフを深く刺した。
ちょうど、太い血管があったところに刺さったらしい、くすんだ色の血がどっと溢れ出した。
「ふふ、冗談言わないでよディーくん。ディーくんが嫌がることはできないもの」
カヨの髪が、風で微かになびく。微笑みが差しこむ光で艶めいたように見えた。
「それならいいのです。まあ、いずれ対策は――」
突如、カヨのところへ手紙が飛んできて、ディートリッヒは口を閉じた。飛んでくる手紙など、アヤネかスキュブからの手紙しかない。
カヨもすぐさま手紙を開き、中身を見る。真剣な目付きで文字を追い、手で口を覆った。
「何が書いてあったんですか?」
ディートリッヒが急かすように聞くと、カヨは短い手紙をディートリッヒに見せた。
「……スーちゃんが、笑ったって……」
「お兄様が?」
ディートリッヒも手紙を取って読み始める。
「……カヨ」
「同感」
ディートリッヒは手紙をアイテムポーチしまい、カヨはテレポートの準備を始めた。
依頼の報告はメイドに任せるとしよう。ちょうど、アヤネの家にメイドがいるはずだ。
・ ・ ・
アヤネの家にテレポートしてからの二人は素早かった。外で待機していたメイドに指示をするや否や、ノックもせずに玄関のドアを開ける。
アヤネの家でなかったらカチコミか借金の催促かと思われるような入り方だったが、慣れているしアヤネはそれどころではなかったので、特に問題はなかった。
早足でリビングに向かうと、ぼろぼろと涙を流すアヤネと心配そうにアヤネを撫でるスキュブの姿があった。
いつもなら見ただけで状況を把握できるのだが、今回のはちょっと分からない。
「何があったのこれ!?」
「何があったんですかこれ!?」
二人が同時に聞くと、髪型をポニーテールに変えたスキュブが二人に視線を移した。
「えーと……結論から言うと、嬉し泣きなんだけど……」
スキュブが滑らかな声色で言ったので、二人は目を丸め、スキュブとアヤネを取り囲んだ。
「ちょっとまって!?スーちゃんまじでどうしたの!?」
「お兄様、元気になったんですね!?そうですよね!?」
スキュブはぽかんとしてカヨとディートリッヒを交互に見た。
「あのね……まず、わたしは元気になったよ。そして、何かいろいろ気にならなくなったというか、もういいなって思ったの」
「ど、どういうこと!?何があったの!?あとあーちゃん嬉し泣きってどうしたの!?」
「スキューがぁ……わらったぁ……」
アヤネは相変わらず泣き続けている。これは何を聞いても同じ回答しか返ってこないだろう。
「だめだあーちゃんがスーちゃんが笑ったbotになってる!」
「お兄様、説明をお願いできますか……?」
「分かった。それじゃあ最初から話すね」
スキュブはアヤネを撫でながら、事の詳細を話し始めた。
・ ・ ・
それは夢で起きたことだった。
眠りに落ち、夢へ降りたとき、突如として始まった悪夢に、スキュブははっと身を起こした。
地下室のカビ臭いにおいと、じめじめとした暗さで、誰が出てくるかもう分かる。
身体は凍えたように冷たく、動きは鈍い。恐怖が迫る気配がして、息をするのも辛かった。
気管に布でも被せられたような息苦しさに、悪寒が走る。だが、今回はそれが嫌で、はねのけたくて、力を振り絞って腕を動かした。
腿に刺さった杭に手をかけ、おもいきり力を入れて引き抜いた。
すると、どんなに力を入れても抜けなかった杭があっさりと抜け、スキュブは腿と杭を交互に見る。
身体が現実と同じように動いた。その上、痛みもなく、血も出ない。
やはり、自分は母と出会ったあの頃とは違うのだ。アヤネと共に強くなって、アヤネにたくさん愛されて、変わったのだ。
もう、母親に捨てられたこどもである、「e6849b」ではない。自分はアヤネと家族になって今を生きる「スキュブ」なのだ。
スキュブは大きく息を吸い込むと、次々と杭を抜き始めた。
酷いことばと共に打ち付けられた、母親の杭を勢いのまま抜き、床へ投げ捨てる。
抜くたびに、母親の言葉が走った。
痛みに指がひきつりそうだったが、こちらにはアヤネの言葉があった。抱きしめてくれたぬくもりがあった。やさしい眼差しがあった。
負けたくない。こんなやつに、負けたくない。
アヤネが愛してくれた自分に、こんなことをして平気なやつに、負けたくない。
杭を抜ききると、身体は脱皮したように大きくなった。こどものときのままだった身体は幻のように消え、スキュブはそのまま立ち上がる。
息は上がっていた。それでも前を見据えて、恐怖がやってくるドアに向かい合う。
ドアが開き、影が現れた。子どもを連れた影は冷たく、無意識に足が竦む。
次に言う言葉が分かる。心臓の音がすぐ側で聞こえてきて、息を吸えば吸うほど溺れそうだ。
だけど、だけど、怖いけれど、嫌だ。息を長く吐いて――吐いた数を数えて、少し吸う。目を少し閉じたら、それを繰り返して息を整える。大丈夫。こうすればこわくないって教わったから。心臓の音は、こうすれば落ち着いていくから。
まだ微かに震える息を吐き、目を開いた。
血の気のない、冬のコンクリートのような色をした母親の姿が見えた。唇は死体のように乾いている。粘土で作られたようなそれは、暴言を吐くために動いた。
――まだいたのかい、出てけって言っただろう――
声が頭のなかに響く。スキュブは歯を食いしばって耐えた。
――もう新しい子どもができたんだ。お前なんていらない――
息が苦しい。心拍数が上がり、肩で息をする。
――聞こえてないのかい、やっぱりこうしないとわからないようだね――
母親は杭を持った手を振り上げた。隣にいた子どもの影は怯えるように逃げていく。
足音が近づいてくる。
声が出ない。叫びたいのに、声がでない。
掠れて声が出ない。身体が動かなくて、指一本も動かせない。
でも、それでも、声を出し続ける。叫びで、怒りで、掠れた声に火をつける。
そうだ。怒りだ。
今まで抱かなかったもの、忘れていたもの。
そうだ。怒っていいんだ。母親がしたことに、怒ったっていいんだ。
捨てられた自分に、たくさんの日光とたっぷりの水を注ぐように愛してくれたアヤネが気づかせてくれた。本当は愛されて良いんだと。愛されるべきだったんだと。
ああ、わたしをずっと苦しめてきた母よ、お前に言いたいことがある。
飽きただの、つまらないだのと言ってくれたが、生み出したからには一人前になるまで育てる義務があるのではないか。
愛しぬく覚悟をもつべきではないか。
勘当されるようなことをした覚えはない。だって、わたしは子どもとして、幼子として、日常を過ごしただけだ。
くそ。くそ。ふざけるな。
なんで、なんで、こんなことでずっと傷つかなくちゃいけないんだ。
たった一言に、こんな何秒とも言えぬ短い言葉に、どうして何年も苦しまなくちゃいけないんだ。
怒りの炎が胸の奥から渦を巻き、喉まで迫り上がってきた。
冷たい空気を一気に吸えば、からからになった枯れ葉や木の枝を放りこまれたように炎が勢い良く燃えあがり、血を巡らす。
杭と槌を持って近づいてくる母親をキッと睨みつけ、スキュブは遂に叫び声を上げた。
「ふっっざけんなぁあああああああああああ!!!」
怒りのまま、スキュブは母親に襲いかかり、喉に勢いよく噛みついた。
深く牙が刺さり、無意識に毒を流し込む。いつの間にか蜘蛛の牙が――鋏角が出ていた。
血の味はしなかったが、気にせず母親を床に叩きつけ、馬乗りになって拳を振り上げる。
「ふざけんなふざけんなふざけんな!!お前のせいで!何年苦しんできたと思ってるんだ!
愛されないって苦しんできた!不安で不安で辛かった!
クソ!クソ!クソ!何年も何年もわたしの影についてきやがって!!ずっとわたしを過去に縛りつけやがって!ふざけんな!
もういらない!おかあさんなんていらない!お前からの愛なんているもんか!お前から愛されたかったけどもういらない!わたしにはもう、愛してくれる家族がいるんだ!!」
顔面めがけて拳を振りおろしたが、伝わってきたのは床の感触だった。
そこまで言い切った後には何も残っておらず、灰すら残っていない。
慌てて周囲を見渡したが、言葉の暴力しか取り柄のないあの女が素早く逃げられるはずもない。あるのはほんの少しのカビ臭さと、地下に差しこむ光だけだった。
スキュブは立ち上がって、光の元へと歩く。
身体はすっかり現実と同じ大きさになっていた。伸ばしっぱなしだった髪の毛も、一つにまとまってすっきりしている。
ふと手首を見た。そこには母親がはじめてくれた腕輪があり、それには「e6849b」という文字が掘ってあった。
スキュブは腕輪を掴み、力をこめて割った。脆いクズとなったそれは床に転がって、影に溶けていく。
スキュブは軽やかになった足取りで光の中へ向かい、階段を駆け上った。
夢からさめたら、まずはアヤネにおはようを言わなくちゃ。そしてありがとうと伝えて抱きしめなくちゃ。
そう思うと、かたかった口角が自然と柔らかくなって、美しい弧を描いた。




