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穏やかな昼の時間が流れていく。
鳥も虫も声を上げるこの時間帯は嫌いではない。木々も青々として、眩しい太陽に透かされた葉の色が、活き活きと美しいから。
夏は暑さが鬱陶しいが、それ以外はみんな綺麗だ。青い空も元気な草花も、せっせと動く虫たちも、全て。
だからひとりぼっちになると死にたくなる。
寂しくなると、孤独になると、美しいものたちのなかから一人だけ仲間外れになったみたいで、酷く胸が締め付けられる。
自分のグロテスクな中身や暗澹とした色に気づいてしまうからだろうか。それが真実なら、アヤネはいつもそれを忘れさせてくれているのだろうか。
それともアヤネが言うように、本当は中身も何もかも綺麗なのが真実なのだろうか。
自分の目で見えることだけが真実ではない。だからこそ自分の正体がなんなのか、はっきりと分からない。
アヤネが愛してくれている自分自身が、醜いわけがない。
醜くても、アヤネ何も気にせず、そのままの形を愛してくれる。
理解はできているのに、何を真実とするかは決められない。
スキュブはアヤネの肩にもたれ掛かりながら目を細めた。
「……何か嫌なこと思い出しちゃった?」
アヤネがスキュブの頭を撫でた。
一緒に読んでいる本から指が離れて、ページはらりと身をもたげる。
「うーん……思い出した、わけじゃないけれど……」
「じゃあ……何か思うこと、かな?」
ページはちょうど、おもちゃのダイヤモンドと少女の話だった。
すっかり大きくなってしまった少女が、自分の手にはもう小さくなってしまったおもちゃのダイヤモンドと共に不思議な世界を旅をする話だ。
「……それだと思う。だけど、言葉にするのが……むずかしい」
「そっか。そういうこともあるよね」
アヤネの声はあたたかい。目を閉じれば、そのまま穏やかな夢へ歩んで行けそうだ。
「このお話、素敵だよね」
アヤネは指先で、ページの行をさらりとなぞった。
「このダイヤモンドは偽物だけど、それでもこの女の子は、それを綺麗だって思う気持ちをわすれられなかった」
スキュブはダイヤモンドと少女が出会うシーンを思い浮かべた。
ほこりをかぶったおもちゃ箱の中から、少女がダイヤモンドを手にとり、手のひらに乗せたシーンだ。
ダイヤモンドは長い眠りから覚め、こう訴える。
私は偽物なのだ。幼い貴方に夢を見せ、楽しい時間を過ごした。もう自分の役目は終わり、貴方は本物に憧れ歩き出すべきなのだ、と。
しかし少女はこう返した。
あなたの言う通り、自分もあなたのことを忘れて歩いていこうと思ったが、あなたの輝きを忘れられなかった。その身体は偽物かもしれないが、あの頃からあなたの輝きは自分にとって本物だった、と。
子どもから大人になっていくと、成長の過程で古い皮を脱ぎ捨てるように、何かを失ってしまう。
その一つに、あのダイヤモンドも含まれる。
成長というのはそういうことだ。忘れていって、あの日の自分とは違う自分になっていく。
しかし、輝きというものは永遠なのだ。忘れて、脱ぎ捨てて、それでも手の中に残った一粒は、澄んだ夜空に浮かぶ星と同じだ。
その身体がプラスチックでできていたとしても、輝きますようにと祈られたものの輝きは美しい。
「偽物のからだだとしても、輝きは本物だから。
だからダイヤモンドも、そんな自分だけど、そんな自分が素敵なんだよねって女の子と旅をしているんだよね」
「……偽物だけど、それでいいの?」
スキュブが上目遣いにそう聞いた。
「偽物でも、本物でも、それぞれ違う美しさがあるからね。
その人それぞれでいいんじゃないかなって思うよ。その人が自分のことを偽物だとか、安物だとか思っても……価値がないと思っていても。
形はどうあれ、その人の輝きは……美しいものだから。まあ、形が完璧な人なんていないんだけどね」
アヤネは優しく微笑みかけた。
スキュブはまぶたを震わせて、ゆっくりとまばたきをした。
「……たとえ、誰かにいらないって、価値がないって言われても?」
「うん。わたしは綺麗だって、愛おしいって思う。」
「きらきらしてる?」
「もちろん。」
「……そっか」
スキュブは深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
澄んだ空気が肺の中を満たし、胸の重い霧が晴れていく気がした。
今ならば、自分が何であるか決められる気がする。
「……わたし、もう…………おかあさん、いらない」
スキュブは顔を上げた。瞳には一等星のような強い光が浮かんでいた。
「わたしは、わたしだけど。まだ、あのときのことは怖いけれど……少し、見えた気がする」
アヤネは頷いた。熱い目頭をごまかすようにまばたきをして本を閉じる。
「……良かった」
窓の近くにあった木から鳥が力強く飛び去った。青い空を高く、高く、飛んでいく。
しがらみを振り切って、誰の手も届かない空を行くその様は、太陽の光を照り返して輝いていた。




