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嫁が着物を新調し、七夕デートすることとなったため、嫁と竜宮城で結婚式を挙げねばならなくなり、更新が遅れました。
うみさっちーはいいやつでした。
何の変哲もない海に着いた。
いくつかの流木と、歩幅の揃った足跡が浜に広がる海は、変に静かで不気味だった。
生暖かい風が頬に当たり、髪をゆっくりと攫うように揺らす。
ベールをめくるようなその風に、アヤネは顔をしかめた。
海辺近くの乱れた足跡に目をやり、そのまま海を見る。
荒れているわけではないが、足をつけたら引き込まれそうな雰囲気だった。夜に来るような場所ではないだろう。
「それでは、作戦通りに。」
「そうだね、キッチリ終わらせたいからね……!」
ルイスは大弓を手にし、へカテリーナは杖を構える。
「指示の変更はいつでも受け付ける。緊急時は遠慮なく指示をくれると嬉しい」
ロッパーのアームパーツは剣のものに変わっており、日の光を鋭く閃かせていた。
アヤネはスキュブの方を見る。
雷属性の武器が良いため、攻撃時に電撃が発生するハンマーを持ってきている。
打撃武器はあまり装備させたくないのだが、電撃で相手の肉が焼けるので、それほど問題はないだろう。
スキュブはハンマーだろうと、何だろうと、悠々と扱っている。
その歩みに揺らぎはなく、表情はいつもと同じで涼しい。
常に敵をアヤネに近づけないように戦ってくれる、鋭さと冷静を芯に宿すかんばせだ。
アヤネの肩に頭を預け、すやすやと寝ている年相応の姿を思わせないそれに、今は一抹の不安を感じる。
敵に情けはかけない。それは分かるし、それに不安は感じない。
だけども、最近は日常にそれが現れなくなってきた。
年相応のやわらかな少年の姿を隠さなくなってきたのだ。以前は目の前の全てに警戒し、怯えていたのに。
それはいいことだ。本当は、そんなことをしなくてもいい、自分が自分らしく生きていられればいい。
しかし、まだなのだ。スキュブは自分のこころを守れない。刃を受け止め、撃ち返すには、罅が大きすぎる。
自分のこころを守るのはいつも自分だ。
癒やすことや、多少の撃ち返しはアヤネにもできるが、刃は常に前から飛んでくるとは限らない。
自分の内側から心臓を刺してくる刃、それに対応できるのは自分だけだから。
アヤネは一つ息を吐いてから、全員に目配せをし、杖を構える。
唱えるのは一番弱い威力の風魔法だ。人魚をおびき寄せるために海辺を風で揺らす、それが今回の作戦における狼煙である。
「ストーム・イー」
威力は他の魔法使いのものより強いが、位置を調整し、風で水面を撫でるようにする。
少し荒いが、何人かの子どもがはしゃいでいるくらいの音は出た。
水をかけあっていればこれくらいの音は出るだろう。
暫くそれを皆が真剣な面持ちで見ていた。
海辺の音とは打って変わって、浜は静まり返っている。
髪を攫う風はいつの間にか止み、揺れる草木も息を止めているようだった。
やがて、影が現れた。
仄暗い海をぬらりと、蛇のように泳ぎ、こちらへ近づいてくる。
影の色が段々と明らかになっていき、白く長い髪が薄っすらと海の色に濡れたころ、人魚は浅瀬でゆっくりと顔をもたげようとした。
アヤネとへカテリーナが杖を突き出し、呪文を唱える。
放つ魔法は、最大威力の雷魔法だ。
「「スパーク・ウー!」」
目を焼くような光と、耳をつんざくような音で目をつむりそうになる。
二つの雷が海に落ち、地が揺れた。
食らったらひとたまりもないが、雷が落ちる直前、海から大きな水の玉がいくつか飛び出た。
目を疑うだろうが、これが人魚だ。素早く水に変化し、攻撃を躱すのは人魚の常套手段である。
今回の人魚はやはり高レベルな個体なのか、特殊個体なのか、変化の速さが異常だ。普通の個体であれば、既に勝負は決まっている。
それに、変化した後の移動速度も速い。目で捉えるのがやっと、と言っても過言ではない速度だ。
しかし、スキュブはそれを見逃さない。
スキュブは大きく踏み出し、水の玉が集約する方向へ駆け出す。
砂が舞い上がり、白い閃光が走ったように見えた。
魔法が外れたことにアヤネが舌打ちをしたときにはもう既に、水の玉はスキュブの射程範囲内だった。
目にも止まらぬ速さのフルスイングが水の玉にぶち当たる。
雷光が閃き、水の玉が形を崩して元の人魚の姿へと戻った。
痙攣した身体が砂浜に打ち付けられ、白く長い髪が乱れ、広がる。
膨らんだ下腹部を腕で守るようにして抱きしめていたが、体つきは男性の人魚だ。
男性の身体で子どもを授かることはできない。予想通り、異常個体か病気でそうなっているかなのだろう。
人魚には水への変化能力があるが、その水に強烈なダメージがあれば変化が解除される。
それが普通はできないから討伐が大変なのだが、スキュブには可能だ。
これを繰り返せばどんなに頑丈な個体でも仕留めることができる。
スキュブが間を開けず、ハンマーを振り上げる。
しかし人魚はハンマーを睨みつけ、水へと変化した。
鋭い水の流れは宙を飛び、スキュブの背面へ回り込む。
スキュブはそれを目で追い、振り上げた姿勢のまま踏み込んで、後ろへ振り向いた。
水流はスキュブの腕目掛けて飛んでいこうとしたが、そこを勢い良くルイスの矢が撃ち抜く。
矢は水流を通り抜けて遠くへと飛び去ったが、動きを鈍らせるには十分だった。
直後、スキュブのハンマーが水流に叩きつけられる。
変化が解け、人魚の姿が宙に現れた。
スキュブはそのままの勢いでハンマーを振り下ろし、人魚を砂浜へ打ち付ける。
砂が舞い上がり、焦げた匂いが漂う。
当たったのは肩だった。腕はだらりとしており、皮膚は削げておびただしい量の血が流れている。
それでも片腕は下腹部を抱いていた。
身体をぐらりと持ち上げた人魚の髪の間から、暗く光る目が覗く。
歯を食いしばり、噛んだ唇から血が出ているのが、見えなくとも分かる光だった。
刹那、人魚の腹がぐっと膨らむ。風船が急に膨らんだようなその挙動は、歌が始まる前兆だった。
だが、ロッパーがそれを感知していた。
音響ユニットを即座に展開し、人魚の歌声を掻き消す程の大きな音を出した。
皆の動きが鈍り、近くにいたへカテリーナは飛び上がって耳を塞いでいたが、音は人魚の歌声に合わせて変わりゆき、やがて歌声を打ち消す物へと変化する。
ロッパーは音を波形として感じることも可能だ。
ロッパー曰く、対象の波形に、その逆の波形を当てると音を打ち消せるらしい。
ノイズキャンセルと仕組みは同じなのだろうが、ロッパーだからこそできる芸当だ。
それをすんなり受け入れて音響ユニットを作るへカテリーナもなかなかである。
人魚は歌を止め、下腹部を抱えながら後ずさる。
足が水に適した魚のような形なので、うまく距離を取れていないのだが、困惑に歪んだ美しい眉と恐怖に見開かれた目、それを必死に堪えるために食いしばった歯は、我が子を抱える母の形相そのものであった。
命にかえても、という言葉はこのためにあるのだろう。
向けた武器を鈍らせるような様である。
しかし、スキュブは母を知らない。
表面上は、母が身命を賭して子どもを守るということはお伽噺のなかだけ、という認識だ。
スキュブは人魚の頭めがけてハンマーを振り上げる。
その表情はさらりと平坦なもので、冷静で、人を見るそれではない。
アヤネに害を及ぼす可能性のあるものなら、疾く消え失せれば良い――
「待って!」
人魚の口から、絶叫とも言える声が発せられる。
スキュブの表情は揺らがない。
「……お腹の、子どもだけは……」
片腕で下腹部をぐっと抱き、渡さんと言わんばかりに後ずさる。
「お前の種族で子どもを産めるのは雌だけだ。
変異種であってもそれはない。わたしの記憶では、お前のそれはあり得ない」
スキュブはハンマーを振り上げたまま距離を詰める。
歩みに迷いはなく、腕は今にもハンマーを振り下ろそうとしている。
「……嘘じゃ、ない……」
人魚が下腹部の中心に触れると、割れ目のようなものが露わになった。人魚はそこを僅かに開け、肉の内側の色を見せる。
途端、スキュブの動きがぴたりと止まる。
「ここに、子どもが――」
「お前、それをどこで」
スキュブが人魚の言葉を遮った。
その声は震えていた。手も力んでいるのか、狙いがどこか定まらない。
「……それ、とは」
「その切れ目だ、人魚にあるはずがない、どこかで、つけなければ」
スキュブは捲し立てるように言う。
寒気の内側から焦燥がせり上がってきているような声色だった。
「これは……産まれたときからついていて……」
「海で産まれたのか?海で……普通の人魚の……」
スキュブの言葉が要領を得なくなっていく。
呼吸が荒くなっていくのがアヤネにも分かった。
アヤネはスキュブの名前を呼び、すぐに駆け寄る。
しかし、人魚の言葉の方が先だった。
「海じゃ、ない。わたしは……暗い家で産まれて……捨てられた。
海は、流れ着いた場所」
悲鳴のような、息をのむ音が聞こえる。
スキュブの手からハンマーが滑り落ちた。
しっかりと地を踏みしめていた足がふらついて、二、三歩下がる。
アヤネが駆けつけ、スキュブの身体を支えたときには既に遅く、見開かれた目はどこか遠い所を見ているようで、焦点が合っていなかった。
スキュブはアヤネを見つめ、こう言った。
「……おかあ、さん……」
虚ろな言葉に、アヤネはぞっと背筋が寒くなった。
こころの内側から身を刺す物。
こころの過去軸に染み付く白い氷の記憶。
トラウマの発露だ。




