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人の賑やかさが遠く聞こえる。
ちょうどこのテーブルの周りが大きな膜で覆われているような錯覚に陥りそうだ。
輝くような笑顔と美貌の少女。
目を合わせたときに一瞬目眩がしたが、アヤネと目を合わせたときと同じで、すぐに視界ははっきりとした。
アヤネの親戚だと言っていたので、そういう血筋なのかもしれないが、カヨはアヤネとは随分と違う印象をうける。
アヤネは確かに美人だが、よく見ているとどこか心配になってくるというか、美しさとベールで隠れているだけで、割と窶れたような顔をしているときがあるのだ。
稀に、スキュブと少し離れている時間があるのだが、そういうときに驚くほど影のある表情をしている。
すべての感情が抜け落ちたような、何かを失った者がふらりと座り込んでいるようなその様は、どこか昔の自分を想起させる。
彼女は何を失ってしまったのか。
その答えは、この前の依頼で明らかになった。
それに比べると、カヨは何かを隠しているような感じがした。
まばゆく明るいその表情が、何かを霞ませて見えなくしている。
彼女がこの前街に来たときに、鎧を纏っていたのを思い出して、違和感を覚えた。
彼女は暗殺や諜報活動のほうが向いている、と勘が告げている。
だからこそ鈍器や重い鎧を纏って、タンクであることを装えるのかもしれないが。
「ふふ、夏も盛りって感じで今日も暑いですね。冷たい飲み物がたくさん売ってて助かる〜♪」
いつの間にか追加された飲み物を飲みながら、カヨは楽しげに足をぱたぱたとさせる。
それを見ているスキュブの表情は微かに曇っていた。いつもはすぐに飲んでしまう飲み物も、まるで食欲がないみたいに少しずつしか飲んでいない。
「こう暑いと、あーちゃんすっごくわたわたするんですよ〜。スーちゃんにも喉かわいてない?って面倒見が良くて。
笑うのが苦手だから、無表情であることが多いんですけど、本当にやさしい子なんです。そちらのギルドでもそうでしょう?」
「……そうですね。新人の魔法使いの子はよく、アヤネに面倒を見てもらっていて……」
「やっぱり!あーちゃん、困ってる人のこと無視できないからなぁ」
「今まではすべての魔法を扱えるのが一人しかいなくて、新人教育が間に合わなかったこともあったのですが、アヤネが来てからはだいぶ楽になったようです」
「あーちゃん魔法得意だからね〜。すごいでしょう?火力が普通の魔法使いより強いんですよ!」
「はい。来たばかりのころは、すごい魔法使いが来たと皆が騒いでいた程です」
「ふふ、やっぱり。そうなると色んなひとに絡まれたりしそうだけど……そこはスーちゃんが何とかしてくれてるもんね!」
笑顔で会話を振られ、スキュブは少しだけぴくりとしたが、こくりと頷いた。
「……うん。変なのとか、男は特に」
「ね〜。あーちゃん美人さんだからモテちゃうもんね。あーちゃんは男の人苦手だから、げんなりしちゃうだろうけど――」
すると、カヨは指先を顎にあて、考える素振りをした。
「それでも……ルイスさんの話は聞きますね。あーちゃん男の人苦手なのに。
実は機械生命体、とか……はないか。こんなに感情豊かなのはまずいないし」
ルイスの脳裏にロッパーの姿が浮かんだ。
カヨの言う通り、感情豊かな機械生命体は珍しい。もしいたとしても、処理を司る……人間で言えば頭脳にあたるところが焼ききれてしまって、早期に故障してしまうことがほとんどだ。
彼の場合はへカテリーナの影響が大きいだろう。
彼女の面倒見の良さと技術がロッパーを支えていて、ロッパーの存在が彼女の虚ろを埋めている。
二人はぴったりとはまったピースのようだ。互いの溝に互いの存在を重ねて、寄り添い合って生きている。
「……どうしてでしょうね」
ルイスは困ったように首を傾げた。
自分にも思い当たる節がない。
若く見られることは多いが、アヤネにとっては少し年上くらいには見えるはずだ。
「普通、あーちゃんから避けるはずなのに。もしかして、あんまりジロジロ見てない?」
「……食事を抜くことがある、と言っていましたので、ちょくちょくは見ていますね」
「あーちゃん隙あらばご飯食べないからなぁ……うーん」
カヨはコップを煽り、残り少なくなった飲み物を飲み干した。
「……そういえば、ルイスさんって不沈艦……艦を漢って書いて不沈漢って呼ばれてるんでしたっけ?あーちゃんからチラッと聞いたことがある気がするんです」
カヨがコップをテーブルに置き、指先で縁をなぞった。
「ああ……何故かそのように呼ばれています。
もう歳なのに、声をかけられることが多くて。」
ルイスは苦笑いを浮かべた。
「あーちゃんと一時期噂になったこともありましたよね。
思わなかったんですか?このまま距離を縮めて落としちゃおうって」
カヨの上目遣いの目がぎらりと光った。
唇は蠱惑的に微笑みを模っているが、凶器が闇夜に閃くような殺気を隠すには僅かに足りない。
鈍感な者なら騙せただろうが、そうでないなら誰でも背筋がぞくりとしただろう。
カヨにしては珍しく、演技で殺意を隠しきれていなかった。
「能力は大変優秀ですが、一応後輩にあたる方に手を出すなど。
……年齢の差もありますし。それと……直感ですが、アヤネはそのような関係を持つことを望んでいないように見えたので」
ルイスはカヨから向けられた殺気を丁寧に受け、流すようなしっかりと重い口調でそういった。
表情は柔らかく見えるが、眉間に微かなしわが寄っている。
「……直感っていうのは、侮れない。感覚っていうのは頭で考えるよりも先に、何かを掴むものだから」
カヨはひとりごとのように呟いてから、ニコリと笑って続けた。
「まぁ、間違ってないし……真面目そうな人で良かった〜。そうじゃなかったら今頃スーちゃんがプンプンだろうけどね」
そう言うとカヨは立ち上がり、サングラスをかける。
「それじゃあ、そろそろあーちゃんたちと合流する時間ですので、失礼しますね」
時間など決めていないはずなのだが、カヨはルイスに小さな礼をして、帽子を被った。
「お話できて嬉しかったです!また会ったときは……もっとお話しましょうね!」
カヨは笑顔でそう言って、スキュブに手を差し伸べた。
スキュブは少しも飲んでいなかった飲み物をぐっと飲み干し、カヨの手をとる。
ふたりはそのまま手を繋いで、人の波へと消えていく。
小さな妹が兄を連れて祭りの中を駆けていくように見えるその影は、カヨと話した後のルイスには逆に見えた。
手を引かれ、白い髪を揺らすスキュブを呆然と目で追っていると、スキュブがちらりとこちらへ振り向いた。
複雑な目の色が日の光をきらりと照り返したが、すぐに俯き、遠く、遠く、遠ざかっていく。
白くまぶしいその姿が雑踏の中に消えたとき、ルイスはようやく我に返った。
カヨとの会話であったことよりも、スキュブがどこか落ち着かない様子だったことを思い出し、眉間に手をやる。
夏の暑さにやられたのだろうか。ふらりとする頭に目を細め、ルイスは暫く俯いていた。
ぬるい風が吹いている。翳ったテーブルの間を通り抜けていく風が、肌をそっと撫でていった。




