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「……あの時はごめんなさい、なんて言葉じゃ片付けられないわよね、あなたのは」
ユウが鈍く艶がかった声でそう言った。
女性として出てきてくれたのは、ユウなりの気遣いだろう。
「……大丈夫。気にしないよ。あなたが悪いわけじゃなくて、原因はわたしの中にあるから」
アヤネは穏やかながらもほろ苦い笑みを浮かべた。
ユウは目を細める。
「……昔、あなたと同じような子を見たわ。私と似た境遇でね……
もう、どこへ行ったのか分からないけれど……」
「……どこにでもそういう子がいるだなんて、嫌な話だね。
わたしたちの身体は……玩具なんかじゃ、ないはずなのにね」
「ええ。本当は……そうなはずなのに。ずっと意識は残るものよ」
二人の間に、静けさが下りる。
底にある深い悲しみに互いに気づいているような、暗い色を湛え、見つめ合っていた。
「……隣のあなたにも、悪いことをしたわね。
聞いたわ。身内なのでしょう?」
ふっとユウの視線がスキュブへ向いた。
スキュブは少しの間口をつぐんでいたが、俯いた眼差しを上げ、ゆっくりと口を開いた。
「……身内。ふたりでひとつの、わたしの片割れ。
大切な人……わたしの、命。」
「……愛しているのね。自分の身を裂いてもいいくらいに。
あなたは私の頬を張りたいくらいでしょう」
「……確かに、そうだけど。アヤネを傷つけたのは、許せないけど」
スキュブは自分の手を見つめた。
ユウの言葉通りにすれば、多少の気持ちの靄は晴れるのかもしれないが、そんなことをしたらユウの首が吹き飛んでしまう。
ダリアが大切に想っている者をそのようにするのは嫌だし、ユウの話を聞いた今は、何故かは分からないが、殺したくはないという気持ちが細い根のように張っている。
アヤネを害する者は皆、殺してしまいたいはずなのに。
アヤネを傷つける者は排除してしまっていいはずなのに。
なぜだろう?言葉にすれば分かるのだろうか。
「……分からないけど、そうしたくない。
お前の話をダリアから聞いたら、殺したくはないなって」
「……やさしいのはいいけれど、損をするわよ。
あなたたち二人とも、似てるのね。もっと怒ったっていいのよ」
ユウの目に悲しげな色が浮かぶ。
「分からない。どうしてこんなこころなのか、わたしにも分からないの」
スキュブは首を傾げた。
それを見ていたアヤネはつっと目を細める。
「……もっと、自分の仄暗いところを見つめて生きていかなきゃだめだね。
わたしも、スキューも」
アヤネはそっとスキュブの頭を撫でた。
互いに、向き合いきれていないこころの暗がりがある。
そこはトラウマに等しいところだが、いずれ目の前にやってくる日が来るのだから、ゆっくりと向き合うしかない。
それに、この子に自然に笑える日がくるのは、それを乗り越えてからだろう。
長い旅路だが、やり遂げなければならない。
「それは、私もね。そう生きるには、落ち着ける場所が必要だったから」
ユウがダリアに目をやった。
ダリアはユウの視線に気づき、見つめ返して頷く。
二人の間に、確かな愛の手触りを感じた。
長年、互いのことを想い続けていたのだろう。
「……ねえ、ユウ」
アヤネが明るめな声色でユウに尋ねた。
「すれ違ったときは、隠れたりしないでよ?」
ユウは面食らったような顔をしたが、すぐに困ったように笑った。
「気にしてないからって、もう。少しは避けたっていいのに」
「避ける理由なんてないでしょ。
……なんだか、気が合うような気がするし」
アヤネも微笑み返す。
「まだ申し訳ない気持ちはあるけれど……そう言われると奇遇ねって言いたくなるわ」
「そういう予感は信じたほうがいいものさ」
「それはそうね。予感ってのは案外当たるものだから」
日が沈みゆき、部屋にも段々と影が満ちてきた。
それでも、互いの表情がどこか晴れたものだと感じ取れる。
不思議なことだ。
水と油のように分かりあえず、すれ違い続けてもおかしくなかった。
しかし、生まれや育ちは違えど、歩んだ苦しみは違えど、深い底を歩いた者同士だ。
何か分かりあえることがあるかもしれない。
苦しみは個人個人のものであり、孤独なものだが、きっとそこで手放さずにいた言葉やこころは、誰かの手をとれるかもしれないし、温めあえるかもしれない。
きっと、ユウも苦しみの中を歩いても、他者もそれを味わうべきだと悪意の牙を向かなかった者なのだろう。
「それじゃあ……長居してごめんね。
また会ったら仕事の調子でも聞かせてちょうだいね」
アヤネは軽く手を振りながらそう言って、踵を返した。
「……ええ。また会ったら、必ず。」
穏やかなその声を背中で聞きながら、アヤネはスキュブと共にダリアの家を出た。
空を見上げると、薄っすらとした月が優しく浮かんでいるのが目に入る。
夜になれば、柔らかな光を注いでくれるだろう。
今夜は月でも見ながら何かをつまもう。カヨからもらったクッキーを並べて、スキュブとたわいのない話をするにはもってこいの風情だ。




