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多少の性的な描写があります。

 夜の町、虫の鳴き声の中を歩いていく。

 人の足音は無い。街灯に群れる虫の羽音でさえ、聞くことができそうなくらいだった。

 

 皆家の中に籠もっているのか、それとも地に伏しているのか。

 嫌に静かだ。こういう夜は、脅威が手ぐすねを引いて待っている。

 

 ミドリがダリアの隣に駆け寄って、耳元で囁いた。

 

「ダリアさん、レーナさん達から聞きましたわ。

 今回の依頼、事情がおありだとか」

 

「……ああ、まあ。そう、だな」

 

 ダリアは俯きげに、歯切れ悪く言った。

 

「詳しいことは聞きません。ですが、わたくししっかりサポートいたしますわ。

 アヤネさんの代わりにはなれませんが、不測の事態にも対応いたしますので、ご安心くださいませ」

 

「……ありがとな」

 

 ミドリは気品のある微笑みを浮かべて、元の位置に戻った。

 

 ミドリは最近ギルドに加入した魔法使いだ。

 だが、その強さは玄人たちも舌を巻く程で、へカテリーナも太鼓判を押しており、即戦力として様々な活躍を見せている。

 

 しかし、裕福な家庭のお嬢様らしく、あまり世間に慣れていないところもあるようで、偶に周囲を驚かせることがある。

 そこに関しては、同期でチームメイトのマシロとベニという少女たちが支えてくれているので、困ったことがあっても安心、と本人も語っている。

 

 彼女は良い仲間に恵まれたようだ。

 この町に向かう前にも、マシロとベニはギルドに訪れ、彼女に魅了耐性があるとは知りつつも、魅了に対抗できる効果のある装備や、何かのお守りのようなものを渡しにきてくれていた。

 その上、ダリアとルイスへの挨拶も欠かさず、ミドリは強さは勿論、気づかい上手なところもあるから、安心して背中を預けてほしいと、ミドリの紹介も行って去っていった。

 彼女たちは微笑ましい友情で繋がっているらしい。

 

「……あの印、資料にあった印で間違いありませんわよね?」

 

 ミドリが路地裏に繋がる通路の壁を指さした。

 ルイスもそこに目を凝らし、頷く。

 

「間違いないですね。

 行きましょう、ミドリはいつでも魔法を唱えられるように」

 

「ええ。わたくし、既に準備はできていますわ。

 サポートも攻撃も、任せてくださいませ」

 

 ミドリは杖を握り直した。

 

 ただでさえ暗い道が、街灯の光も受け付けず、しっとりと夜に濡れている。

 ふと後ろから何かがやってきそうな、不安を煽る闇が、足に絡みついてくるようだった。

 

 だが、退けない理由がある。

 ダリアは速い鼓動を落ち着けるように、長く息を吐いた。

 

 説得できるだろうか。

 いや、何が何でも、あの人を連れて帰らねばならない。

 子どもの頃にした、夢のような、大人になるにつれて色が抜け、輪郭もなくなってしまう約束だったとしても、あの人の存在は、ダリアにとっての星であった。

 

 その星が、今も約束の証を持っている。

 名前を覚えている。

 あの日のことを、忘れずにいてくれる。

 

 もう一度、抱きしめ合いたかった。

 何があったか、話し合いたかった。

 

 望みは、まだ潰えていない。

 

 静かだった道に、物音が混じる。

 耳を澄ますと、地面と何かが擦れているような音と、小さな呻きが聞こえてきた。

 

 音は近い。

 全員、武器を構えて、辺りを警戒する。

 

 ユウ本人の音か、その身を買った者の音か。

 どちらであっても手がかりであることは間違いない。

 

 次第に、影から手が現れた。

 ダリアは即座にその色に目を凝らし、ふっと息を吐いた。

 褐色の肌ではない。駆け出しそうになっていた足で地面を踏み直す。

 

「……あの方、精力を吸われきってますわね。

 ヒールでは治しようがありませんわ」

 

 ミドリが唇を噛む。

 ヒールは傷の治癒ができる魔法だ。

 体力等は治療できない。

 

 影から出てきた手は、何か呟きながら、這い出て、その全貌をあらわにしていく。

 警戒しながらも近づいていくと、それが男のものであることが分かった。

 全身、服どころか下着も身に着けておらず、身体の輪郭がはっきりとしていた。

 

 ルイスが男の傍に寄り、しゃがんだ。

 

「……聞こえていますか」

 

 ルイスがはっきりとした声でそういったが、男はどこか視点が合っていない。

 

「……あ…………ど…………」

 

「意識はあるようですね。後で医者の所まで運びますから――」

 

 ルイスが袋から何か取り出そうとしたときだった。

 男がルイスの腕を掴み、ぐっと引き寄せるようにする。


「おまえ…………か……」

 

 男のぎらついた目と視線が合った。

 ルイスはその目を睨み返す。

 

「……誰と、見間違えているのですか。

 絶対に医者の所には運びますから、安静にしていてください」 

 

 それでも男は退かない。むしろ体重をかけ、押し倒そうとしているようだった。

 だが、力の抜けたその身体で、ルイスを倒すことはできず、覆いかぶさろうとしているような、暴力的にもたれかかろうとしているような様になっていた。

 

「もう……いっかい……もう、いっかい……やらせて、くれ……」

 

 懇願の声には、主語が抜けていた。

 何を、とは言わない。察せる言葉もない。

 しかし、状況から、もしやと勘づくことのできることが、一つある。

 

 ルイスは眉をひそめた。

 

「人違いですよ。安静になさい」

 

 ルイスが鋭く言い切ったとき、闇の中から、窶れた足音が近づいてくるのが聞こえてきた。

 

 はっと顔を上げると、乱れた髪の、よれたドレスが、ふらつくような足取りでこちらに向かってきているのが見える。

 

 ダリアが息を飲むのと、その闇の色が抜けない顔が見えたのが同時だった。

 

 冷たい影から這い出てきたような佇まいだ。

 手を伸ばせば、闇の中へするりと落ちて、消えてしまうのではないか。

 脆い輪郭は、身体と闇との境界を示す役割を半ば放棄している。

 

 ユウは暗い瞳で、ルイスを見下ろす。

 

「……その子、もう空っぽになっちゃうっていうのに、何度もお金突っ込んでくるのよ。

 どう?その子の代わりに、私を買わない?」

 

 艶のある笑みは、どこかしおれた花を彷彿させる。

 

「人を買う趣味はありませんね」

 

「本当に、あなたこういうことに興味ないのね。」

 

「……言ったでしょう、人の身体を自由にさせるために、金銭を支払うことはないと」

 

「……どうかしら」 

 

 ユウが歩み寄ると、ルイスに被さろうとしていた男がふと動きを止めた。

 虚ろな顔がユウの方へ振り向き、這っていこうとする。

 

 ルイスは眉をひそめ、素早く男の腕を掴んだ。

 

「ミドリ!この方を眠らせて!」

 

 もがく男を羽交い締めにして留め、鋭い声で放たれたルイスの言葉に、ミドリは動じることなく杖を構えた。

 すぐさま眠らせる魔法が唱えられ、男は脱力し、寝息を立ててルイスにもたれかかる。

 ミドリの魔法の強さからみて、明日の昼頃までは、余程のことがない限り、男は目を覚まさないだろう。

 

「……そちらの赤いドレスの方」

 

 ミドリは杖をユウに向ける。

 

「人間の住む町に暮らすなら、そのように着衣が乱れた状態で人前に出るべきではなくってよ」

 

 ユウは鼻で笑った。

 

「ふぅん。やけに身奇麗な君には分からないよ。

 それとも、君も僕に抱かれてみるかい?」

 

 素足が、艶めくヒールのような、誘う音を鳴らして、ミドリの方へ向かう。

 

「……?婚前の女性は、殿方とみだりに接触してはいけませんのよ」


 ミドリはあっけらかんとした顔で、首を傾げた。

 

「それじゃあ、女の方で相手してあげるわよ」

 

「それでも、ボディタッチはお友達になってからですわ。」

 

「……調子が狂うな、君は」

 

 ユウは一歩退くように身じろぎする。

 

「それで……こんなお嬢様まで連れて、僕を排除する気?それとも、どっかの変態共の所へ売るつもり?」

 

 どこを見つめているか分からない紫色の目は、何かを嘲笑しているようで、暗い目つきだった。

 

「売ったりなんかしねぇよ」

 

 ダリアが早足でルイスの前に出た。

 声が少しだけ震えている。

 

「この依頼を出したのは、お前を雇いたいって奴だ。

 不思議と見る目がある奴だ。噂を聞いてここまで来て、お前にピンときたらしい」

 

 ユウは黙ってそれを聞いていた。

 表情が見えない。ダリアを見ているようで、暗い淵を眺めているような、眉も動かさぬ、静かな表情だ。

 

「……どうして?」


 暫しの静寂の後、掠れた声が聞こえた。

 男のような地にしっかりと立つ声でもなく、女のような滑らかな声でもない。

 風に揺れる一本の蜘蛛の糸のような、今にも見えなくなってしまいそうな声だった。

 

「知らねぇ。直感ってやつなんだろうな。

 実際、あいつが雇ったやつは、歌もうまけりゃ踊りもうまい。

 どこを見てそれが分かるのかは知らねぇがな」

 

「……そういう意味じゃない」

 

 ユウの目が俯く。まつ毛で影が落ちて、夜の色が広がる。

 

「どうしてまた会いに来たの。今の僕がどういうやつだか、分かったでしょう」

 

 ユウが丈の短いドレスの裾をたくしあげる。

 太ももの内側に、白色の液体が付着しているのが見えた。

 

「さっきまで、そこの眠ってる男の相手。それより前は二人同時だったかな。女もいた……いや、それは最初のほうだっけ。忘れちゃった」

 

 ユウは胸元に手を入れ、しわになった紙幣の束を出した。

 ざっと見ても、一般の者が出すには躊躇する金額だった。

 

「これ、その男がくれたの。今月の給料、全部だってさ。

 この前ちょっと試しにやってあげたら、我慢できなくなっちゃったらしいよ」

 

 ユウの力ない手から、紙幣がぱらぱら落ちる。

 紙切れのように、軽い音が地面を撫でた。

 

「ねえ、ダリア。もう一回聞くよ。

 どうしてまた会いに来たの。

 もう僕は、君の愛したユウじゃない。あの頃とは、僕たち、すっかり変わってしまった。もう、君が花冠を作って被せてくれた、君が名前をくれた頃の僕は、とっくの昔に死んだのさ。

 それなのに、どうして。どうしてそんなに真っ直ぐに、僕を見るんだい。

 それとも……君も、僕の身体が目当て?唯一金になるこの身体が、君の目当てなの?」

 

 さっとユウの顔が上がって、ようやくダリアとしっかり目が合った。

 

 悲しみの湖面の目に、ダリアは目を細めそうになるのをぐっと堪える。

 胸の中にあるのは、煮えたぎるような気持ちと、夜の海へ歩き沈むような気持ちと、半分半分だった。

 

「……ふざけんな。あたしの気持ちも知らないで」

 

 ダリアは奥歯をきつく噛んだ。

 

「確かにお前もあたしも変わった。

 あの頃のお前が死んだなら、あたしも同じだよ。でも、そんなの当たり前じゃねぇか。ここまで生きるのに、変わらねぇ奴の方が珍しい。

 それでも、お前との約束は、お前の存在は、ずっとあたしを支えてきたんだよ。」

 

 ダリアの手からメイスが滑り落ちる。

 だが、足音は力強く、言葉に翳りはない。

 

「あたしも殺されるかもしれないって、眠れない夜が続いたときも、強くなれなくて、雑巾みたいにボロボロになってたときも、お前といつか会えるかもしれないって思ってたから、ここまで来られた。

 もしかしたら、変態共の玩具になって、もう死んじまったかもしれない……そう思ったこともあった。」

 

 ダリアが歩み寄っていく。

 

「だから、お前が生きてるって分かった夜は、本当に、本当に……奇跡だと思ったよ。

 お互いに、生きて会えたんだ。あの頃の約束を忘れないまま、また会えた。

 それなのに、お前ときたら何かと理由をつけて逃げやがって……その上、身体が目当てだとかほざきやがって……!」

 

 ユウは怯えるように後ずさりした。

 

 ダリアの瞳の奥が燃えている。

 打たれる鉄のように、真っ赤に光るその色は、夜の落ちるユウの目にはあまりに眩しかった。

 

「ふざけんのも大概にしろよ……!あたしがどれだけ、お前のことを想ってきたか知りもしないでああだこうだ言いやがって!

 こっちは夢魔の混血のやつがいるって話が入る度に探し回ってたのに、やっと見つけたら、なんで会いにきたとか、お前じゃなかったら顔面凹ませてたからな……!」

 

 ダリアの目つきは鋭く、足音も怒気を孕んでいる。

 だが、毛を立てた獣とは違った。その言葉、目にある熱は、それが全てではない。

 

 その秘められた熱が、ユウを後ずさりさせていく。

 

「確かに、僕も会えたのは奇跡だと思ってる……でも、分からないよ、どうして今の僕を見て、そんな風に言えるのか、そんな目で見られるのか――」

 

「うるせぇな、ここまで言われて分かんねぇのかよ!」

 

「分からないよ……!ずっと、君以外の女にも男にも、股を開いて生きてきて、今日だって何人も抱いてきた。

 そんな汚くって、身体にしか価値のない、僕のことをどうしてここまで求められるのさ、身体が目当てとしか考えられないじゃないか!」

 

「夢魔の混血のやつらがそうするしかないってことくらい、あたしは分かって言ってんだよこのバカ!」

 

「馬鹿なのは君のほうだろう!僕みたいな窶れた身売りよりも、もっと相応しい人がいるのに!」

 

「あたしの隣はお前しかいねぇって言ってるだろうが!」

 

 両者、視線を合わせたまま立ち止まる。

 弱い息切れの音が二人の間に流れ、それは、今まで本気になって言い合っていたことを物語っていた。

 

 近づけば、逃げられてしまいそう。

 逃げれば、追いつかれてしまいそう。

 

 分かり合っているのに、すれ違っている。

 

 緊張の糸を手繰り寄せて、もう一度手を取り合いたいダリアと、手繰り寄せられるままになりたいけれど、自分にはそんな資格はないと、糸を切ってしまおうとするユウ。

 

 ――言葉を重ねても、二人が夢見た場所へは、もう、たどり着くことができないのだろうか?

 

「……ダリア。やっぱりだめだよ。僕と一緒になんて、なったらいけない……」

 

「何でだよ。それこそ何でか分かんねぇよ」

 

「もう忘れるべきなんだよ。互いに……君は幸せになるべきなんだから……」

 

「お前が不幸を運んでくるってのかよ。いつから悪魔にでもなったつもりだ?」

 

「……今までずっと身体を売ってきて……これからも、そうすることでしか生きていけない僕と、君が一緒に生きるなんて……できないじゃないか。

 君は苦しいだけだよ……」

 

 ユウはそう言って顔を背け、もつれるような足で逃げ出した。

 ダリアのいる方とは反対の方へ、光の届かない闇の方へと姿をくらませていく。

 

 ダリアは舌打ちをして駆け出した。

 次こそは逃さない、力強い足音が闇の中を追いかけていく。

 

 二つの影が、夜に溶けていった。

 流れて消える星の光を追いかけ、自らも消えていく星のように姿を消し、そこには夜風が吹いているだけだった。

 

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