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 全身に冷たさがひっつくここちで、アヤネは目を覚ました。

 

 カーペットよりもかたく、土のようにじゃりじゃりしていない、例えるなら、タイルのようなひんやりとした感触が肌を通して伝わる。

 裸足で歩けば、ぺたぺた、ひたひたと、夏の暑さに晒された足は、ここちよい涼しさを味わえるだろう。

 

 見渡すと、部屋は隅から隅まで、人工的な明かりで照らされていた。

 蝋燭などの明かりではない。火のあたたかい色にしては、熱のない色合いだ。

 

 ――見覚えのある風景だった。

 

 多種の素材が収納されている棚、この世界の時代とはそぐわぬ、未来的なデザインの装置たち。

 

 ここは自宅の地下で間違いないだろう。

 こんな部屋、カヨと自分の所以外にあったら大騒ぎだ。

 絶対に人を家に上げない質の人間で、盗人に侵入されないセキュリティがなければ、そのうち噂が広まって、そこは蟻にたかられた砂糖のようになっている。

 

 アヤネは身を起こし、自分の身体を確認する。

 

 何もつけていない。

 衣類も、装備も、何もない。

 アヤネは全裸の状態でそこにいた。

 

「……おはよ、あーちゃん」

 

 すぐ側で声がした。

 アヤネが振り仰ぐと、服やアイテムポーチを持ったカヨが立っていた。

 彼女はしゃがんで、床に服を置く。

 

「あーちゃんも素っ裸リスポーンなんだね。

 ほんと、このシステムどうにかならないかな。やられたところにアイテムポーチも含めて全部落としてきちゃうとか、ヤバくない?」

 

 カヨは下着をアヤネに渡しながら、ため息まじりに言った。

 

「……それより、本当にリスポーンできるんだね。

 ここに来てから死んだことなかったから、お前の話聞いたときは実感なかったけど」

 

「わたしもビックリだったよ。リスポーンってマジでするんだ〜って。」

 

「その確証がないのに、お前さぁ……」

 

 「Travelers from the moon」には、リスポーンというシステムがある。

 某ドラゴンなRPGでもおなじみの、セーブした所から再スタート、というものではなく、何が何でも、やっと辿りついた場所で、そこにもう一度行くには、かなり骨を折るのだとしても、自宅の指定位置から復活するのだ。

 

 しかも、全裸で。

 

 その時持っていたアイテム、装備諸々は、自分が死んだ場所に落としてしまう。なかなかの鬼畜仕様である。

 そのため、攻略掲示板においては、自宅のクローゼットには予備の装備を置くことを推奨している。

 これを読まずにリスポーンし、泣いた初心者はかなり多い。

 

「まあ、ディーくんと一緒になれたんだから、最初にやっておくこととしたら、丸呑みだよねって思ってさ。

 それに、顔にヴェールもつけないで街に出ちゃったし。

 ディーくん丸呑みルート一直線だったって感じ?」

 

「それで死んじゃったらどうしたのさ」

 

「ディーくんと共に……ディーくんの血と肉になって生きる所存でござったよ」

 

「自分の命をぽいぽい差し出さないでよ」

 

「ブーメランだよ?あーちゃん特大ブーメランだからね、それ」

 

 アヤネはばつの悪そうな顔で、下着をつけ始める。

 

「ほんと、あーちゃん痩せてるなぁ……一緒に住んでた時と変わらないんじゃない?」

 

「食べられる量も少ないっていうか、あんまり食べてなかったし」

 

「ここに来てからはちゃんと食べてるってスーちゃん言ってたけど」

 

「うるさく言うやつがいてね。それにスキューが影響されちゃったみたい」

 

 アヤネは涼しげなワンピースに袖を通しながら、口元を微かに緩めた。

 

「……だぁれ?そいつ」

 

 カヨが目を細め、頬杖をつく。

 

「……どうせ知ってるでしょ。目星はついてるくせに」

 

 アヤネは着替えを終えて、立ち上がった。

 手を握ったり開いたりしてみたが、特に何ともないし、立ちくらみ等がするわけでもない。

 

「カヨ、ちょっといい?」

 

「いいよ」

 

 カヨは立ち上がって、どうぞ、と言うように両手を軽く広げる。

 

「アタック・ウー」

 

 物理的な攻撃力を上げる魔法でも、最高位の魔法をカヨにかける。

 

 カヨは自分の手のひらを見つめ、頷く。

 

「力がみなぎってきた感じかな?」

 

「ちゃんと確認して」

 

 カヨは指を鳴らし、メイドを呼んだ。

 メイドはサンドバッグを持って現れ、カヨにそれを渡すとすぐに消える。

 

「ほんとにちゃんとやっていい?」

 

 カヨはいたずらな笑顔を浮かべた。

 

「いいよ。掃除はわたしがやっとくから」

 

「そこはうちのメイドに任せてくれない?」

 

 サンドバッグが宙に投げられ、カヨの足が素早くそれをとらえる。

 サンドバッグは振り上げられた足に勢いよく振り抜かれ、凄まじい音をたてて破れた。

 砂があたりに散り、床がざらざらとした色に変わる。

 

「……うーん、いい感じ」

 

「お前いっつも破るから比較にならないんだけど」

 

「いつもよりパワーが溢れてます!当社比!」

 

「……お前がそう言うならそうなんだろうけど」

 

 アヤネは口元を緩めながらため息をついた。

 

「じゃあ、次は……バリア・ウー」

 

 物理的な防御力を上げる魔法でも、最高位のものをかけた。

 

 アヤネはカヨへ手を差し出す。

 

「わたしでも使えそうな武器、ある?」

 

「勿論」

 

 カヨはアイテムポーチから、メイス型のモーニングスターを取り出した。

 アヤネは思わず差し出した手をひっこめる。

 

「ちょっと。耐久テストでも身内をそれで殴るのは嫌なんだけど……」

 

「魔法使いの物理武器といえば、これじゃない?」

 

 カヨは軽く、モーニングスターをバトンのように回しながら言った。

 

「だからって。ほら、物干し竿とかない?」

 

「スーちゃんじゃないんだから……」

 

 唇を尖らせながらアイテムポーチの中を探るカヨが次に出した物は、赤い糸で『中』と刺繍された、四角いクッションだった。

 

「それ、武器なの……?」

 

「武器だよ。中に重り入ってるから鈍器!」

 

 受け取ったクッションの重さは、確かに少しだけずしりとしているように感じた。

 しかし、触り心地は相変わらずもふもふとしており、これで相手を殴っても、もふん、として、ダメージを与えられるかは疑わしかった。

 それでも、カヨがこれを使って戦闘をしているのは見たことがあるので、まあ武器としては成立しているのだろう。……多分。

 

「他に、白と發があるけど、どれがいい?」

 

「なんで三元牌クッションシリーズなの?」

 

「ダメージがでかいかなぁって」

 

「もしかして、各種三つずつ揃ってる?」

 

「勿論!ね、デカいでしょ?」

 

「そりゃそうだけど……」

 

 アヤネはクッションをつつきながら、カヨとプレイした、麻雀のゲームのことを思い出した。

 大体アヤネが勝つのだが、カヨはツキに乗ると止めるのが大変だったりする。

 点数が増える、ドラというものに該当する牌を、なぜか大量に持っている状態で和了ったりしてくるのだ。

 

 カヨは特別、三元牌と呼ばれるものに固執しているわけではないのだが、白の牌が豆腐やチーズケーキに見えたり、中の牌が串カツに見えたりするので、お気に入りだそうだ。

 因みに發は青とも呼んだりするので、青のり枠らしい。

 ……若干無理やり感がある。

 

「それじゃあ、構えて」

 

 アヤネがそう言うと、カヨはミット打ちの構えをとる。

 何故ボクサーのようなスタイルなのか、と心の中でツッコみながら、アヤネは容赦なくクッションをカヨに叩きつけた。

 カヨは眉ひとつ動かさずそれを受け、手のひらをぼーっと眺める。

 

「すっごい何ともない。普段より何ともない」

 

「それならいいよ。わたし、とりあえず正常に動けてるみたいだし」

 

「攻撃魔法はいいの?」

 

 カヨはからかうように笑った。

 

「こんなところで使わないし、身内を焼く趣味はないから」


 アヤネは笑い返した。

 不器用で、よく見ないと、とてもじゃないが笑っているようには見えないものだが、表情の柔らかさが心情を物語っている。

 

「いつもありがと、カヨ。」

 

「ふふ、当然のことでしょ?」

 

 ウインクをして、カヨはアヤネの腰にアイテムポーチを取り付けた。

 内容物の多さの割には軽すぎる重さだが、その微かな重みがあると、いつもの感覚が戻ってきた感じがする。

 ローブも杖も持っていないが、この足で遠くまで行けそうな気がするような、そんな気分だ。

 

「……スキュー、落ち込んでる?」

 

 アヤネは俯きぎみに言った。

 

「落ち込んでる。ディーくんが傍にいるから、暴走するほどじゃないけど」

 

「……ディートにも、いつも助けられてるね」

 

「あとで撫でておいでよ。それで伝わるからさ」

 

 カヨはアヤネの肩に軽く触れ、微笑みかける。

 

 アヤネは静かに頷いて、顔を上げた。

 

「色々確かめられたことだし、行かないとね」

 

「テストはオッケーだもんね。スーちゃんにも、もうちょいであーちゃんが帰ってくるからって言っちゃったし」

 

 アヤネはテレポートを唱え、森の奥、カヨの屋敷を思い浮かべる。

 

「ところでさ」

 

 一旦集中を解き、アヤネはカヨの方へ目をやった。

 

「うちに、どうやって入ったの?全部鍵かけてるんだけど」

 

 カヨはニヤリ、と企みがうまくいった、敵が罠にかかった、というような笑みを浮かべた。

 

「合鍵、持ってるんだけど?」

 

 カヨの指で、ちゃり、とリングに繋げられた鍵が揺れる。

 

 合鍵を渡したことはない。

 彼女がここに来るときは、いつも鍵をあけておくから。

 

 しかし、驚くようなことではない。

 アヤネが一人暮らしになったときにも、同じことはあった。

 

 カヨとは長い付き合いだ。

 こんなことで驚いていては、彼女と同居などできない。

 

 アヤネは返事をする代わりにため息をついて、テレポートを唱えた。

 

 

 

  ・ ・ ・

 

 

 

 屋敷につくと、すぐにスキュブのいるところまで通された。

 早足で向かうと、部屋にはソファでうずくまっているスキュブと、隣で背中をさすっているディートリッヒがおり、ドアの開く音でディートリッヒは顔をあげた。

 

「お兄様、お姉様が来ましたよ」

 

「……こないもん。あんなに守るって誓ったのに、傷つけないって言ったのに、わたしが一番……傷つけたから、アヤネ、こない」

 

「そういう推測は、顔を上げてから言ってください。

 それに、お姉様はお兄様のこと、嫌ってないですよ。

 お姉様の愛が冷めるなんてこと、ありえません」

 

 アヤネは早足の勢いそのまま、スキュブの元へと向かった。

 そのとき、弟の説得でようやく少し顔を上げたスキュブと目が合う。

 

 赤くなった目が見開かれるのが分かった。

 息を飲んで、ゆっくりと顔を上げるその表情は、呼吸の仕方を忘れてしまったみたいだ。

 葬儀を終え、疲労と薄闇に浸る部屋で座り込んだ者が、蘇ってきた故人と対面したような、驚愕の色。

 

 二度と帰ってこないなら、死んだも同然。

 棺に入ったようなものだと思おうとした愛する人が、今目の前にいる――

 

「スキュー」

 

 声をかけると、スキュブの目尻にしわがより、涙が盛り上がった。


「……ごめん、なさい」

 

 ぽたぽた、ぽたぽた、スキュブの頬に涙が伝う。

 何度目の涙なのだろう。

 涙痕の上を流れていく涙は枯れることなく、アヤネのことを想う限り止まらない。

 

「いいよ、わたしが食べてっていったじゃない」

 

「……でも、わたし、アヤネのこと……守るって、傷つけないって……アヤネに傷つかないでって言ったのに……」

 

「大丈夫。ほら、おいで、スキュー」

 

 アヤネは両腕を広げ、優しく微笑みかける。

 

 スキュブは俯いて、嗚咽で肩を震わせていた。

 自罰の涙が、ぽろぽろ落ちる。

 太ももには、染みがいくつもできていて、夜雨に打たれたアスファルトみたいになっていた。

 

「……お兄様」

 

 ディートリッヒが囁くように語りかける。

 

「お兄様の気持ち、分かります。誓いも、約束も破った自分が、再びお姉様の腕に抱かれることなど、許されない……そう思っているのでしょう?」

 

 スキュブはぴくりと震えた。

 

「でも、このままでいいんですか?

 お兄様は、お姉様と離ればなれになったままでいいんですか?」

 

「……ちが、う」

 

 スキュブは絞った喉から、声を押し出すように言った。

 

「ええ。なら、するべきことは一つです。

 罰をうけるのも、償いも、それからだっていいでしょう?

 ……まあ、お姉様は全然気にしていないから、罰も何もないと思いますが」

 

 ディートリッヒはアヤネの方へ目をやった。

 スキュブを励ましているものの、その目には痛みが漂っていた。

 

 痛みは伝染するものである。

 ディートリッヒには、後でゆっくりできる時間をとり、お礼の言葉と共に、抱擁を贈らねばならないな、と思いながら、アヤネは微笑んで頷いた。

 

 ディートリッヒの目元に、少しだけ穏やかさが戻る。

 ディートリッヒはスキュブに向き直った。

 

「ほら、お姉様がお待ちですよ。

 お兄様に会いたくて、リスポーンしてすぐ、駆けつけてくれたんですから」

 

 スキュブの嗚咽が、だんだんとおさまってきた。

 スキュブは腕で涙をごしごしと拭い、ゆっくりと立ち上がる。

 申し訳なさそうな目でアヤネを見つめ、ちらりと俯いた。

 

「……アヤネ、ごめんなさい

 痛いことして、傷つけて、ごめんなさい……」

 

「大丈夫。痛くないし、傷ついてもないよ、本当に。

 ……この大丈夫は、本当だからね?」

 

 アヤネは優しくスキュブを抱きしめた。

 本当は頭を撫でてやりたかったが、身長差があるせいで、手が届くのは背中までだった。

 だから、せめて呼吸が楽になるように、胸に溜まった重たい気持ちが言葉と一緒になって、空へのぼっていくように、背中をゆっくりと撫でる。

 

「……わたし、アヤネのことは一番、傷つけたくなかった。

 なのに、いつも、こんなことばかり……

 すごくお腹が空いても、寒くても、食べないようにって、誓っていたのに……」

 

 スキュブの口から、なみだ色の言葉がぽろぽろと出てくる。

 

「……寂しかった、よね」

 

 アヤネはスキュブの胸に頬をつけ、そっと囁いた。

 

「餓えのように苦しくて、凍えるように寒いのは、寂しいって感情なんだよ。

 わたしのことが心配だったって気持ちもあったし、一人ぼっちだったし。

 だから、熱が欲しかった。ずっと隣にいてくれる、熱が欲しかった。そうでしょう?」


 スキュブは息をのんだ。

 そして、ゆっくりとアヤネの背に腕を回す。

 蜘蛛のときとは違う、壊れものを扱うような抱擁だった。

 

「そうさせちゃったのは、わたしが原因なんだけどさ……

 ごめんね、スキュー。ひとりにさせて、ごめんね」

 

 スキュブの目から、温い涙が溢れた。

 胸の内が溶け、春に溶かされた雪のような涙が、ひとすじ、ひとすじ、頬を伝っていく。

 

「……さみしい。わたし、さみしかった。……さみしかったんだ。

 アヤネのためだからって頑張ったけど、やっぱり……アヤネがいないの、さみしいんだね。

 どうしてだろう、アヤネのためなのに、どうしてさみしくなっちゃうのかな……どうして、できないんだろう。

 傷つけたくないのに傷つけて、アヤネを休ませたいのに、さみしくて。」

 

「……難しいね。愛してるって、難しい。

 だから、これからも一緒にいてくれるかな。二人で、考えて、話し合って、失敗してもいいから……

 これがわたしたちの正解だねって言えるまで、時間をかけて……」


 スキュブは頷き、静かに涙を流した。

 痛みの嗚咽はもうそこにはない。

 あとは雪が川へ流れ、萌える緑が風に揺れるのを待つだけだ。

 

 窓の向こうで木々が揺れた。

 暮れの残滓が葉に踊って、青い闇を呼んでいる。

 星々の時間まで、あともう少しだろう。

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