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 ディートリッヒはギルドの入口近くの壁に寄りかかり、腕を組んでじっとしていた。

 すぐ隣には目を瞑って直立し、微動だにしないメイドの姿がある。

 

 暮れ時、依頼の達成をギルドに報告する者も多く出入りする中、何処ぞの御曹司の息子とそのメイド、という風に見える二人は明らかに目立っており、視線を向けられることも多かったが、ディートリッヒは全く気にする素振りを見せなかった。

 

 だが、親しい人が見れば、ディートリッヒが不機嫌である、というのは表情を見てわかっただろう。

 指で机を叩くのを我慢している、まさにそんな顔だった。

 

 ジロジロと見られるのは多少不快ではあったが、自分の足元にも及ばぬ虫けらのすることに、いちいち目くじらを立てるほど器が小さいわけではない。

 

 気になっているのは、このギルドの中にいる人物のことだ。

 乗り込んでやろうか、このまま待とうか。

 隣にいるメイドに相談しようにも、彼女たちはディートリッヒとカヨの意に反さないように調教してあるため、あまり頼りにならない。

 

 しかし、隣にいるのがカヨであっても同じだろう。

 彼女にどっちが良いか聞いたら、即行で乗り込もうと言うに違いない。

 兄のギルドでの立場などになるべく干渉せず、そのままにしておきたい気持ちがあるディートリッヒとは違い、カヨはそういうことはお構いなしだ。

 それでギルドに居づらくなったということがあっても、うちに来たらいいという考えなのだから。

 ……むしろそれが狙いでやる可能性もある。

 

 スキュブの容態はメイドたちから聞いている。

 すぐさま対処が必要というわけではないが、ここに何かしらのダメージを受けると、一気に悪化する可能性もある。

 強硬手段に出るならもう少し時間を見てから……と答えは出ているものの、どうしようもなく気が急く。

 

 ギルドから身長の高い人間が出てくると、舌打ちをしたくなるほど苛立った。

 見れば一瞬で分かるのに、勝手にそちらをはっと見てしまう自分の目も呪いたかった。

 

「……あれ?スキュブさんの弟さん、ですか?」

 

 声をかけられて、振り向きたくはなかったが、無視したくもなかったので、仕方なく振り向く。

 

 強いくせっ毛の少年だ。

 技でも仕込んだら、すぐにお手くらいはできそうだ。

 

「……はい。お兄様の弟ですが」

 

「ああ、やっぱり!この前来ましたよね、えーっと……アヤネさんとすっごく仲がいい、鎧の方と一緒に!」

 

「それは私の妻ですね」

 

「わお!奥さんも強い方なんですね!」

 

 人懐っこい笑顔の少年は、相手が仏頂面だというのに明るく喋りつづける。

 

「そういえばスキュブさん、今日は顔色があんまり良くなかったですけど……もしかして、おむかえですか?

 アヤネさんもいなくて、いつもお昼ごはん食べに来るときに一緒になるのに、見かけなくて……」

 

 少年は顔を曇らせた。

 

「その通り、ですね。

 まったく、どこかの誰かさんに似て、平気で食事を抜くから……」

 

 ディートリッヒが眉間をぴくりとさせると、ちょうどそのとき、ギルドから背の高い影が出てくるのが、目の端で見えた。

 はっと振り向くと、見紛うことのない兄の姿がそこにあった。

 アヤネがいつも編んでいる髪は真っ直ぐにおろされていて、髪の隙間から見えた目はどこか虚ろだ。

 

「お兄様!」

 

 ディートリッヒが声を掛けると、スキュブはゆっくりと振り向いた。

 正気のないかんばせは、酷く無表情で、ディートリッヒは胸を針で刺されたような痛みを感じた。

 

「心配したんですよ、何度そちらに乗り込もうと思ったことか。

 帰りましょう、テレポートは私が使います。何か預けたいものがあれば、うちのメイドに」

 

 ディートリッヒはスキュブに駆け寄りながら、まくし立てるように言った。

 

 スキュブは、こて、と首を傾げる。

 

「ディート、どうしてここに?」

 

「心配だったのでメイドに見張らせておいたんです。

 そしたらお兄様の体調が優れないと報告を受けまして。

 詳しい話は家です。さあ、行きましょう」

 

「わたし……大丈夫。まだ動ける」

 

「まだ動けるうちに帰るんですよ。本当に動けなくなったらどうするつもりですか」

 

「……大丈夫、アヤネのためなら、動ける」

 

「何言ってるんですか。そうやって倒れて、顔を真っ青にするのが誰か分かってるんですか」

 

「大丈夫、ちゃんとやれる……大丈夫だから……」

 

 何度も同じことを繰り返して言うスキュブに、ディートリッヒは眉を吊り上げた。

 

「どうしてお姉様と同じことを言うんですか!

 鎮静剤を何本打ったかお忘れですか?!いつもは剣を使うのに今日は鈍器ばかり使って!ぬくもりが欲しくて仕方なかったのでしょう?そんな状態で大丈夫だなんて、私の前でよく言えますね!」

 

 スキュブはようやく、物思いから覚めたように目を見張った。

 やがて俯き、唇を震わせる。

 

「……ごめん。なんだか、さむくて、きもちが、ずっと暗くて……へんな、こと、言っちゃった……」

 

 顔を両手で覆うスキュブに、ディートリッヒは微かに眉間にしわを寄せ、そっぽを向いた。

 

「……知ってます。お兄様がそういう状態だって、報告を受けてましたし。

 ほら、帰りますよ。お姉様がお待ちです」

 

 スキュブは、はっと顔を上げた。

 目に、僅かだが正気が戻る。

 

「アヤ……ネ……?」

 

「ええ。お姉様への説得はカヨがしましたから、後は二人でしっかり休んでください。」

 

 ディートリッヒはスキュブの手をとった。

 

「あ、あの!」

 

 くせっ毛の少年――アンヘルが二人に声を掛けた。

 ディートリッヒは一瞬眉をひそめたが、何ともないような顔で振り向く。

 

「……何でしょう」

 

「その……アヤネさんとスキュブさん、やっぱり、体調が良くないんですか?」

 

 ディートリッヒは微かに目を伏せ、暫く黙っていた。

 

「……すぐに、良くなります。心配せずとも、よいかと」

 

 メイドがテレポートの効果範囲に入ってきた。

 ディートリッヒはアンヘルの表情を横目で見ながら、テレポートを唱える。

 

 三人の姿は影もなく消え、アンヘルが言葉を繋ごうと口を開いたときには、既に遅かった。

 形にならなかった言葉は、空気に漂う熱に溶けて消え、アンヘルは行き交う人の外れで一人取り残される。

 

 アンヘルは、ぽつんと俯いた。

 今日、スキュブとすれ違ったときを思い出す。

 

 思わずむせ返りそうなほどに濃い、血の匂いだった。

 普段のスキュブから全く血の匂いがしないわけではないのだが、今日はとりわけ目立っていた。

 

 いつもはアヤネと似た匂いがするのに、それが掻き消されてしまうくらいの返り血を浴びたのだろう。

 一人で依頼をこなしたからかもしれないが、先程の話からすると、それだけではないようだ。

 

 返り血まみれの顔と、くすんで死んだ目が、スキュブとすれ違ったときのアンヘルの言葉を奪っていったのを覚えている。

 

「アンヘルさん?アンヘルさーん?」

 

 後ろから名前を呼ばれていたのに気づいて、アンヘルは驚いたように振り返った。

 

「おっと失礼……驚かせちゃいました?」

 

 大きなとんがり帽子が似合っている魔法使いの女の子である、ミドリが少し申し訳なさそうに首を傾げる。

 

「あ……大丈夫ですよ!ちょっと、しょんぼりしたことがあっただけで……」

 

「しょんぼり……?!わたくしでよければ、お力になりますが……!」

 

 ミドリはぐいぐいと距離を詰めてきた。

 

「い、いえ!今はどうしようもないですし……

 それに、ミドリさんはアヤネさんの代役で来たんですよね?これからお仕事なんですから、僕よりもそっちの方が大切でしょ?」

 

「……まあ、お仕事"も"大切ですし、これからお仕事、というのも事実ですけど……」

 

 ミドリは一歩引き下がり、軽く咳払いをする。

 

「またお会いした時、まだお悩みが大きいようでしたら、わたくし、喜んでお力になりますわ!

 その際は遠慮なく、ですよ?」

 

 ミドリはウインクをしてギルドへ入っていった。

 アンヘルはそれに頷いて、手を振りながらミドリの背中を見送った。

 

「……ミドリさん、今日も元気だなぁ……」

 

 呟きは、また熱に溶け、風に流されていった。

お盆休みなんかねえよ

うるせえよ 黙れよ

仕事に行くよ

道路すいてるんよ

静かだよ 人いない

俺も休みたい

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