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多少の性的な描写があります。
また、性的暴行を思わせる表現があります。
夕方、集まった四人は作戦の確認などを行い、レーナから回復薬等の支給品を受け取って、目的地へと向かった。
近くの町は、アヤネたちがいる町と大差ない、賑やかに人の行き交う町だったが、日が暮れると一気に人気がなくなった。
最近の行方不明事件が影響しているのだろう。
偶に人とすれ違うことはあっても、大抵の者は足早であった。
中には周囲に見つからんとしながら、目をぎらぎらと光らせ、金が入っていそうな膨らみをした袋を持っている者もいた。
動けば少し汗ばむような夏の夜、四人は目を凝らしながら、標的が現れる場所が示されている印を探す。
時間がかかると思われたが、目が利くスキュブがすぐに見つけてくれた。
壁にチョークのようなもので書かれた矢印は、人気のない細い道へと誘っているようだ。
道は人が横に並んで三人は入りそうな広さがあり、家や木々が並び、虫の声があちらこちらから聞こえる。
進む途中、小さな影が通り、ちらりとこちらを見た。
ぎらりと光る二つの点と目が合う。
しかし光はすぐに興味をなくしたのか、近くの茂みへと入っていった。
鳴き声もなく、微かなざわめきだけのそれは、境界線をささやかに知らせる警告のようだった。
言うなれば、幽霊のでる廃墟に入ったときの不気味な物音のようなそれは、ふっと空気に緊張を混じらせ、自然と背筋をぴんとさせる。
アヤネの隣をずっと歩いていたスキュブも何か感じ取ったようだ。
足を止め、武器に手をかけている。
闇を睨む目は鋭く、殺気に満ちていた。
「……いる」
スキュブが低い声でそう言った。
何が、とは誰も聞かない。
全員動きを止め、スキュブが睨む先に目を凝らした。
闇の中に、赤い影がゆらりと揺れる。
それは次第に形を成していき、影は闇を脱いで、褐色の肌と、後ろで一つに結われた長い黒髪をあらわにした。
バラのように誘う色の、赤いドレスが目をひいた。
ホルターネックの胸元に膨らみはないが、膝に届かないほど短い丈のスカート部分には切れ目があり、そこからしっかりとした肉つきの太ももが露出していた。
菖蒲の花弁のような色の瞳が、ぬらりと光る。
その瞳は、あたかも夜中の猫のようだ。
狭い懐に、するりと入ってきそうなしなやかな線の身体と、蠱惑的な弧を描く口元がそう感じさせるのかもしれない。
「こんばんは。そちらの四人、お仲間かしら」
夜を股にかける女のような声だった。
だが、底に響く低さがある。
「おう。そんなところだよ。
お前はどうなんだ?最近噂の行方不明者製造機さんよ」
ダリアがメイスを肩に担ぎながら、挑発するように言った。
「一人。だから皆まとめてだとかなりの乱交になるのかしら。
それとも――」
赤い影の目つきが、挑戦的な物に変わり――
「僕と二人っきりがいいかい?
気持ちがとろけて膝が折れるまで、ちゃんとほぐしてあげようか」
唇からちろりとのぞく、舌のぬるりとした反射。
人差し指と中指を手前に引くようにしてゆるゆると動かしたその動作は、誰が見ても卑猥な動きだった。
アヤネが身じろぎする。
持っていた杖をぎゅっと握ったせいか、地面と杖が擦れる音がした。
それに気づいた赤い影はアヤネに視線を移す。
「おや、そこの女の子は顔を隠しているけど……
大丈夫だよ、君も他の子と同じようになる。
我慢できずに僕に抱かれて乱れた顔になるか、返りうちにあって痛みに歪むか、どっちかだ。
僕はどちらだって構わないよ?君は、どっちを選ぶ?」
舌なめずりする獣の視線に、アヤネは声を詰まらせた。
いつもなら罵倒の一つや二つは出るのだが、何故かどうにもならなかった。
先程から、何だかおかしい。
胸の中で心臓がもぞもぞと蠢いているような心地と、気管に覆いでもされたような息苦しさが、アヤネを困惑に陥れていた。
あの視線を、どこかで見たことがある気がする。
あの視線を向けられたことが、きっとあったはずだ。
――アヤネの深い過去の記憶から、黒い一滴が漏れ出し、映像と声が蘇ってきた。
幼かったころの記憶だ。
お父さんが死んで、新しい父ができて、それからの記憶。
そう、あのときは――
馬乗りになった父が――
手を、そうにし て
████な目で、みた。
わたしは、嫌だと、叫んだけれど
指が████ ████
痛みが――そこに、
痛くて、泣いて……
それから……
それ、から ……?
記憶が、思い出すたびに白く塗りつぶされていく。
声が、意味は何となくわかるのに無くなっていく。
何年経っても絶対に忘れられないのに、ふとした拍子に思い出したそれは、白く、薄く、無音に加工されたような記憶で、まるで脳が思い出すのを拒んでいるようだった。
でも、何があったか、何を言われたかは分かる。
忘れられない……足元にのびる影のようにずっと、ずっと、そこにある記憶は、こうやって不意にこちらを刺しにくる。
「アヤネ……?アヤネ、どうしたの、アヤネ!」
スキュブがアヤネの異変に気づいた。
アヤネの息は荒く、陸で溺れているように見えるほど、苦しそうだった。
「す、すきゅ、わたし……」
アヤネが膝から崩れ落ちた。
首の後ろにある意識の糸を静かに引き抜かれていくようなめまいと、心臓がのたうつような動悸が身体操作の自由を奪い、血の粒が身体中を這いずり回る不快感が、更なるパニックの呼び水となる。
どんなに息を吸っても苦しい。
言葉を発するための息すらままならない。
「アヤネ!わたし、わたしがいるから、そばにいるから……」
スキュブはすぐさましゃがみ、アヤネの手を握って背中を優しくさする。
だが、スキュブの手も震えていた。
「おねがい……そっちにいかないで……
苦しまないで……わたしがそばにいるから……かさぶたになるから……」
スキュブの声は細く、かすれていた。
今にも泣きそうな顔で、ぎゅっとアヤネの手を握りなおす。
そんな二人の様子を見ていた赤い影は、戸惑ったような、決まりが悪そうな顔をしていた。
その口からは滑らかな誘い文句すら出ていない。
一方、ダリアとルイスは驚いた表情で二人を見ていた。
常にスキュブを支え、どんな困難な依頼にも、どんな巨大な相手にも、眉一つ動かさず淡々と対処するアヤネが、ここまで危険な状態になるとは思っていなかったのだ。
ベールの下にある表情は、あまり変化がない。
スキュブといるときは少し口元が綻んでいるが、彼女の表情の変化は、よく見なければ分からない。
そこはスキュブと大変似ていた。
この二人は、どのギルドからも右に出るものがいないと言えるほど強い。
しかし、内面は傷を抱えて生きる、脆く柔らかな皮膚をもった人間だった。
「ダリア!ここは私たちだけで対処しましょう!
スキュブはアヤネの傍から離れないで!今の彼女にはあなたが一番必要です!」
ルイスがこの場の動揺を割るように、声を出した。
ダリアに目をやって、すぐさまアヤネとスキュブの前に出る。
スキュブがはっと顔を上げたとき、ルイスと目があった。
ルイスはアヤネのことを託すように小さく頷いて、赤い影へ向き直る。
「おう!うちの大事なエースを沈めてくれたお礼も兼ねて潰してやるぜ!」
ダリアがメイスを構え、赤い影に肉薄する。
その動きは素早く、赤い影がダリアに視線を移したときには、既にメイスの間合いの中だった。
ダリアは勢いのままメイスを振り上げ、赤い影に向けて振り下ろす。
赤い影はすんでのところで躱したが、続けざまに振るわれたメイスの横薙ぎは完全に躱しきれなかった。
赤いドレスの腹のあたりに、メイスの尖端がかすって切れ目ができる。
そこから覗いた褐色の肌に、うっすらとした赤い線が滲んだ。
「……乱暴な女の子だなぁ、名前のわりにはかわいげがないんじゃない?」
赤い影はバックステップで距離をとり、構え直す。
「かわいげなんてガキの頃に捨てちまったよ、なんの足しにもならねぇからな!」
ダリアは姿勢を低くして駆け出した。
赤い影もそれを見て踏み出そうとしたが、ダリアの背後から何かを引き絞る音が聞こえて、咄嗟に軌道を変える。
直後、闇の中でぬらりと光る矢じりが赤い影目がけて飛んできて、肩を掠めていった。
化け物じみた命中精度だ。
こちらの動きを読んでいたのだろうか。
しかし、赤い影に呆然としている余裕はない。
矢は次々と飛んでくるし、その隙をメイスが突いてくる。
赤い影は内心で舌打ちした。
この町のギルド勤めの人間はここまでではなかった。
大半が、フェロモンを嗅げばこの身体の魅力に侵されたし、そうでないものでも隙だらけだった。
だが、この二人はそうではない。
メイスという鈍器の隙を繕うように精度の高い矢が飛んでくる。
ここに、戦闘不能になった二人が加わったら、と思うとぞっとした。
魔法使いは攻撃魔法は勿論、味方に対する身体強化、敵に対する弱体も可能な上に、回復も行える。
後回しにすると倒れたはずの者が次々と起き上がってくる、なんてこともある。
それに、その隣にいた少年も相手にしたくなかった。
あの少年が手にしていた武器は、少し見ただけだったが、武器と呼べない見た目だった。
この場に碌な武器を持ってこないなど、舐めているにも程があるが、そういう輩は大抵『ヤバい』と言われる者だ。
以前、全身鎧で両手に白いクッションを持った人間が、襲ってきた盗賊たちを打ちのめし、捕獲していたのを見たことがある。
頭のネジが外れているのだろう。
そんなのと対峙するのは御免だ。
「こっの、すばしっこい奴だな!いちいち避けるんじゃねえよ!」
ダリアがメイスを振り上げたときだった。
メイスの尖端が赤い影の胸部を掠め、服をざっくりと切り裂いた。
血はさほど出ていなかったが、赤い影は息を飲んでよろめく。
チャンスだ。
ダリアはメイスを叩きつけようと踏み込もうとした。
――だが、違和感が頭を掠めた。
普段ならこの機会を逃すことはありえないのだが、直感が何かを告げている。
何なのだろう。ダリアは赤い影の視線にふと目がいった。
ダリアは目を見開いた。
赤い影は、こちらを見ていない。
胸元に隠していたのであろう、首飾りの、細く小さな銀色の鎖の先に、優しくきらめく何かを見ていた。
優しい虹色を宿したオパールの指輪だ。
長い時を共にしたのだろう、ところどころ小さな傷もあったが、細やかな装飾はそれほど消えていない。
ダリアはそれに見覚えがあった。
思わず振り落とそうとした手を止め、狼狽えた声を出した。
「おい、お前……それをどこで手に入れた……?!」
赤い影は二三歩後ずさって、はっと顔をあげた。
その目には明らかな動揺の色がある。
「どこって……これは、幼いころにもらったもの、だけど……」
声が震えていた。
ダリアの後ろに、矢を番える手を止めたルイスがいることを忘れたように、立ち尽くしている。
「誰にもらった?ちょうど、お前と同じくらいの肌のやつじゃなかっただろうな?」
ダリアはそう捲し立てた。
「違う!あの子は、君くらいの綺麗な髪で、君のような、赤い瞳の……」
赤い影の目が揺れた。
「そんな、まさか。ダリア、本当に、君なのか?同じ名前の別人だと思ってたけど、本当に……?」
赤い影は指輪を優しい手付きで握りしめた。
「待て、指輪に名前が彫ってあるはずだ。読んでみろ、あたしの母親の名前のはずだ!」
赤い影は手の中の指輪を見ることなく、前につんのめるようにして叫んだ。
「マリア!マリア・エスターライヒ!
これは、君の母の形見だ!親戚の家に君が泊まりに行ったときに、家族が夜盗に襲われて……その中で、唯一残っていた、君の大切なもの。そうだろう!?」
ダリアはメイスを落とした。
鈍い音の後、ダリアが呟くようにして言った言葉は、あまりに無防備な少女の声だった。
「……ユウ?」
ユウと呼ばれた赤い影は、びくりと身を震わせた。
「そう……僕の名前。君からもらった、僕の名前……
ダリア、それなら君は……あのとき渡したペンダントを……?」
ダリアは震えた手で、首にかかっていた小さな銀色の鎖を引いて、胸元からロケットペンダントを出した。
「これだろう?中にあのときの……儀式の証が入ってる。
互いが互いの身に宿って、忘れないようにって、血を交わした……」
「いつもの花がいっぱい咲いてる草原で、指の切り傷を合わせた、あの儀式だろう?
一緒にナイフで指を切ったよね、ちょっとの切り傷だったけど、僕は手が震えちゃって……君は平気だったのに……」
ユウは手を引かれたように、前に数歩歩き、寄ってきたが、その表情には複雑な色があった。
ユウはぎこちなく、首を傾げる。
「……でも、どうして君が、ここに?
僕を始末するように君たちを手配したのは、ギルドの連中だろう?
だいたい、こんな夜中を女の子が、危ないじゃないか。
君はこんな僕にも優しくて、可憐な人だ。長くて、風になびく髪も……短く切ったんだね。
……何が、あったの?」
ダリアは奥歯を噛むように、表情を曇らせた。
「……弱いままじゃ、いずれ殺される。そう思ったからこうなったんだ。
引き取ってくれた親戚は、安全を約束してくれたが、あたしはずっと眠れなかった。
ドアに閂をして、椅子やら何やら積んで、震えながら夜を越える毎日だった……だけど、気づいたんだ。どんな相手でもぶちのめせるくらいになれば、こんな思いはしなくて済むって」
ダリアの拳に力がこもる。
「髪も戦うのに邪魔だから切った。
女は男より弱いからって都合よく弄ぶクソ野郎がいるからこうなった。
力がなきゃ、自分の身すら守れない。……大切な、身内も。
――でも!」
ダリアは一歩踏み出した。
「後悔なんてない!それに、こうしてあっちこっち行くような仕事でもしてりゃ、いつか……いつか、お前に会えるかもしれないって思ってた!
生きて会えたら、約束を果たしたかったし、会えなくたって、夢をみれた……きっと、どこかで生きてるだろうって……いつか会えるだろうって……」
その言葉を聞いて、ユウが息を飲んで、よろよろと後ずさった。
「……そんな。君は、ずっと僕のことを……」
ユウは震えた手で顔を覆う。
「僕は……毎夜毎夜、男女構わず、抱いていたというのに……」
ユウが、ぐっと奥歯を噛む。
「碌な仕事にもつけず、男に跨って、女の肌を指でなぞって……」
「違う!あたしが聞きたいのは、そういうことじゃない!
それに、もうお前が身体を売ることだって……!」
ダリアはユウの声を遮ってそう言ったが、ユウの元へは届いていなかった。
ダリアが次の言葉を言うときには、ユウはどこに隠していたのか、煙玉か何かを地面に投げつけ、煙幕を張ってしまった。
足音はみるみるうちに遠くなっていき、ダリアはユウの名前を叫びながら、煙の中を突っ切っていったが、そこにあるのは虚ろな夜の闇だけだった。
やがて、煙がはれていき、静寂が戻ってくる。
ルイスが見つけた少女の背中は、どこか孤独で、親を亡くした子どものようだった。
書いててつらい
つらい記憶はどうしてずっと、わたしたちの隣人として、後ろをついてまわるのでしょう
ときに後ろから刺しにくる、クソ野郎です
なぜ、自分が悪いわけでもないのに傷つきつづけなくてはいけないんでしょうか
クソッタレです
いつかそのクソッタレをぶちのめせるくらいになるまで生きて、めったうちにしてやりたいものですね




