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fg0のエロss書いて、インドクリスマス走りまくってアルジュナ爆死したので遅くなりました。ガチャは悪い文明だと思います。でも神のアルジュナは宝具2なので更新がんばります。

 花贈りの日当日。

 街はあたたかい空気で満ちていた。

 地面には色とりどりの花弁が散らばっており、多くの人が花を贈り、贈られたことを物語っている。

 

 笑顔の人々、感涙を流す者、やぶれた恋に、相手の手へ渡らなかった花束を抱きしめ、俯く者。

 空を飛び交う鳥たちは、祝福するような歌も、慰めのための囁きも歌う。

 芽吹いた命がめいっぱいに開くこのころ、始まる物語もあれば、終わり、再び回りだす物語もある。または、これまでと変わらない物語を紡ぎ続ける者もいる。

 

 花贈りの日はそういう日だった。

 春と夏の間に変わることもあれば、変わらぬ幸せを思い出すこともある。

 

 アヤネたちは変わらぬ幸せを思い出す方であった。

 

 花を買えなかったスキュブは皆で集まった後、ディートリッヒと花を選んだそうだ。

 どんな花を贈られるのだろう。いつもとは違う花ということは分かっていたので、とても楽しみだった。

 

 ちなみに、その最中アヤネはカヨにあちこちの店へと連れ回されていた。

 花とは関係のない店にも連れて行かれ、遂には服を選びはじめ、ついでにこちらの服まで選ぼうとしてきたので本当に逃げたかった。

 

 彼女の服選びに付き合うと一、ニ時間はかかる。

 こちらの服もと、あれが似合うこれが似合うとやり始めるので、そこでまたニ、三時間追加でかかる。

 服など機能性が十分であればなんでもいいというのに、カヨはいちいち凝ったデザインのものを選ぶ。

 今回なんて、夏に向けて涼し気なワンピースを買おうと言い出し、同じようなデザインのものを何着も持ってきた挙げ句試着室にぶち込まれ、今度はそれだと靴が合わないからと両手にいっぱいの靴やらサンダルを持ってきた。

 

 わたしはファッション雑誌のモデルじゃないんだぞ。

 そう文句を言ってもカヨは聞いたためしがない。

 それどころか素材はいいんだからと帽子やらアクセサリーも追加で持ってくる。

 カヨが自分の服を選ぶときは、着てみて気に入ったとなれば買うので、ここまで時間はかからないというのに、なぜこちらの服となるとこんなに時間をかけるのだろうか。理解に苦しむ。

 

 結局、白いワンピースと爪先の見えるミュールサンダルに、青いリボンがついた白の麦わら帽子とスキュブの瞳を思わせる色のブレスレットを追加した、カヨの満足あーちゃんコーデが部屋のクローゼットに追加された。

 肩出しな上に足も見えるこんな服、着る機会などない。

 夏に一回着ればいいような服である。普段はギルドの仕事でローブ等を着ていることが多いし、普段は通気性や保温性を重視した服を着ている。

 通気性という面ではいいかもしれないが、ひらひらとしたワンピースはあまり好みではないのだ。

 だいたい、自分が可愛らしい格好をするということがあまり考えられない。

 そんなことを言うとカヨから叱られるので口に出しはしないが。

 

 閑話休題。

 さて、最初に述べた通り、今日は花贈りの日だ。

 今日は起きたときからワクワクだった。

 どのくらいワクワクしていたかというと、目が冴えていつもよりもニ時間程はやく起きてしまったくらいだ。

 こんなこといつぶりだろう。お父さんが生きていたころの誕生日以来かもしれない。

 

 朝ごはんにも結構気合いを入れてしまった。

 いつもは目玉焼きをのせたトーストとサラダにヨーグルトなのだが、今日は目玉焼きとベーコン、キャベツのサンドイッチにサラダ(大盛り)とプリンだ。

 量が多いのでは?と思うかもしれないが、スキュブは育ち盛りなので結構な量を食べる。

 目玉焼きトーストもいつもニ、三枚は食べるので、そちらに関しては問題ない。

 そもそも、空腹時は人間一人くらいはゴクゴクと飲めてしまうのだ。スキュブは細そうな見た目に反して割と大食らいである。

 ――因みに、アヤネはその半分も食べられないので、四分の一くらいの量を自分の皿に用意している。

 

 そういうわけで、テーブルにはいつもより豪華な料理が並び、今日が何かのお祝いであることが一目で分かる鮮やさであった。

 そして椅子には小ぶりのひまわりがたくさんの花束がある。

 スキュブが起きてきたら渡す予定のそれは、薄い黄色の包装紙に包まれて、オレンジ色のリボンで結ばれている。

 この前ギルドの依頼で手伝った花屋の夫婦にスキュブのイメージ等を色々と話したらこの色合いで作ってくれたのだ。

 ひだまりのような彼にぴったりだ。

 身内以外はスキュブのことをそのようには感じないらしいが、彼のことをよく見てみれば分かる。

 

 あたたかな日射しの子。

 春の花園の子。

 かじかむような雪でさえ雪解けへ移ろうようなぬくもりの子。

 それがスキュブという子の本質である。

 

 そんなかわいい子が自分のために特別に用意してくれた花は何だろうか。

 どんなものでも笑顔になってしまいそうで、受け取る前から口元が緩んでいるのが自分でも分かる。

 例え雑草でも――ディートリッヒが一緒に選んだのでそれはないと思うが――喜んでしまうと思う。

 それはそれで彼なりの理由があるのだから、それだって嬉しいのだ。

 

 アヤネがにまにましながらテーブルの周囲をぐるぐると歩いていると、スキュブが背中に何か隠しながらやってきた。

 花を持っているのだろう。アヤネはにまにましている表情を隠すのも忘れて朝のあいさつをした。

 

「おはよう、スキュー」

 

「おはよう、アヤネ」

 

 スキュブは少しだけ頬を染めてもじもじしながらそう言った。

 緊張しているのだろう。いつもは眠い目をこすりながら起きてくるのに、今日は目がぱっちりだ。

 寝ぼけてたまに出している鋏角もしっかりしまわれている。

 

 これはこちらから声をかけた方が良いだろう。

 アヤネは椅子に置いて隠していた花束を手にとった。

 

「はい、これわたしからの。ひまわりなのは変わらないけど、今年は花束にしてもらったの」

 

 スキュブは花束を見るなり目を輝かせた。そして、自分もと意を決したように隠していた花を差し出した。

 

 それは、白い蝶々のような花がいくつか咲いているプランターだった。

 プランターには白い薄布でラッピングされており、薄紅色のリボンが結ばれている。

 

「これ、アヤネに。サギソウっていう花」

 

「へえ、サギソウっていうんだ。どこかで聞いたような……」

 

 うまい具合に互いの花を交換しあいながら、アヤネはその名前をどこで聞いたのか記憶を辿っていた。

 

 小説だっただろうか。ゲームだっただろうか。

 それともカヨと一緒に見た映画だっただろうか。

 花言葉が印象的だったのを覚えている。

 

「素敵な花をありがとう、スキュー。

 確か……花言葉がいいやつだよね、これ。ディートと一緒に決めたの?」

 

「花言葉は……夢でもあなたを想う。これは、違う人から教えてもらって、ディートと話して決めた」

 

「ああ、そうだった。それだったね。

 花言葉に詳しい人なんて周りにいたっけ」

 

 夢でもあなたを想う。なんて素敵な言葉だろう。

 スキュブの真っ直ぐな気持ちがくすぐったくて、頬が少し熱くなるのを感じた。

 でも、誰に教えてもらったのだろう?ディートリッヒなら分かるが、他に思い当たる人物がいない。

 

「……ルイス」

 

 スキュブが俯き気味にそう言った。

 

「ルイス?へえ、あの人そういうの詳しいんだ。

 それにしても、わたしが知らない間に教えてもらってたなんて、スキューもあんまり人見知りしなくなったね」

 

 数年前だったら、スキュブが他人と話すことなど考えられなかった。

 誰かに話しかけられれば、不安げなような警戒しているような様子でアヤネの背中に隠れていたから。

 その時から比べれば、これは大きな成長である。

 何だか嬉しい気持ちで、胸のあたりがあたたかさで満ちていくようだった。

 

「……あの日、教えてもらった。ルイスも同じ花を持ってたから。

 教えてもらったけど……逃げてしまった。」

 

「そっか、あの日か……」

 

 あの日、と言われてスキュブが泣きながらこちらへ駆けてきたときの記憶が蘇る。

 スキュブの目には、白く長い睫毛で微かな影が差していた。

 

「今度、会ったら……ごめんなさいしなきゃ」

 

 スキュブはぼそりと呟いた。


「そうだね。言い出すまでが大変だけど、お前ならできるよ。」

 

「……うん」

 

 ひまわりの花束を抱きしめて、彼はこくりと頷く。

 

 スキュブのことはずっと隣で見ているのに、何だかいつの間にか少しずつ成長しているように感じる。

 ずっと少女だと思っていた子が、ある日突然振り向いたとき、目を奪うくらいに大人びた表情をしていたのと似た、目を見開かずにはいられない、こころを掴まれる感情が胸に浮かんできている。

 ――このまま行けば、彼の年齢に対する認識も実年齢に近づいていったりしないだろうか。

 いや、それは遠い。こちらが成長を感じても、彼がそれを認知しなければ、彼の年齢に対する認識はなおらない。

 

 いつか、年相応に笑って、拗ねて、わがままを言えるような日が来るだろうか。

 アヤネは僅かに目を伏せて、すぐに笑顔になった。

 

「よし、まずは朝ごはん食べなきゃね。今日はテンション上がってたから豪華にしちゃった」

 

 アヤネはプランターを窓際に置いて、スキュブの方へ振り返る。

 

「ひまわり、後で花瓶か何かに生けようか。カヨのうちに良いのがあるはずだから、頼んでおくよ」

 

 しかしスキュブは首を横にふった。

 

「それはディートに良いアイディアをもらってるから大丈夫」

 

「そっか。なら安心だ。ディートのアイディアなら、素敵にやってくれるからね」

 

「うん。ディートはカヨを喜ばせるためにいっぱい頑張ってるから、いっぱい綺麗なのを知ってる」

 

「カヨはかわいいのとか好きだからなぁ。一部変なのあったりするけど」

 

 カヨは基本的にザ・女の子!というようなかわいいものを好む傾向にある。服も小物もそうだ。

 しかし、たまに変なのがあったりもする。

 例えば、ソファのクッション。

 何故か白くて四角いクッションが三つと、發と書かれた四角いクッションが三つ、中と書かれた四角いクッション三つが置かれている。

 本人曰く、これに「やくまーん!」と言いながら飛び込むのが最高に楽しいらしい。

 まあ確かに最高だろうが、何故それにしたのかはさっぱり分からない。

 

 スキュブは持っていたアイテムポーチに花束をしまって、椅子にちょこんと座っていた。

 こちらが座るのを待ってくれているのだ。アヤネは早足で椅子へ向かった。

 

「それじゃあ、いただきます」

 

「いただきます」

 

 椅子に座って手を合わせると、スキュブもそれに続く。

 そして、彼は大きく口を開けてサンドイッチにかぶりつく。

 頬をいっぱいにして咀嚼する姿はハムスターみたいだった。

 その上段々と目が輝いていくのだからかわいくってしょうがない。まるで好物を前にした子どものようである。

 アヤネはサンドイッチ――スキュブのものを四分の一未満の大きさにしたものだ――をかじるのも忘れてスキュブの様子を眺めていた。

 どこかで子どもが美味しそうに食事をしているのを見ていると、ついつい見てしまうほどかわいいと聞いたことがあるが、自分の子どもがこんな風に食事をしていたらと想像すると、その気持ちが分かる。

 

「アヤネ、おいひい」

 

「ありがとう。嬉しいけど、ちゃんと飲み込んで」

 

 頬張ったまま言うものだから、おかしくてつい笑ってしまった。

 

「うむ。……おいしい」

 

「うんうん、ありがとう」

 

 今度は飲み込んでから言った。再度言わなくても伝わっているが、大切なことは二回、とも言うし、かわいいのでよしである。

 

 それにしても食べるのがはやい。頬張ったと思ったら飲み込んで、ちゃんと咀嚼していると見えるがすぐに頬張っている。

 そんなに急がなくたって朝食は逃げないのに、ぱくぱくもぐもぐとすぐに平らげてしまいそうな勢いだ。

 

「……アヤネ、食欲ないのか?」

 

 スキュブが心配そうな顔をして首を傾げた。

 アヤネはそれでようやくハッとする。自分がスキュブばかり眺めて朝食に手をつけていなかったことに。

 

「大丈夫、あるよ。むしろいつもよりあるくらい」

 

「それじゃあ、何故食べない?口のなかを怪我している……?」

 

「違う違う。お前がおいしそうに食べてるのがさ、その……かわいくって。食べるのも忘れて見てたの」

 

 照れくささで頬をかくと、スキュブは頬を赤くした。

 

「……だめだ、アヤネ。今日はとても嬉しいのに、そう言われたらお前を食べてしまう……」

 

 サンドイッチを一旦皿に置いて、もじもじとしているスキュブの背中をちらりと見てみると、微かに膨らんでいるのが分かった。

 このまま褒め続けると服を貫通して蜘蛛の脚が出てくるだろう。

 

「ふふふ、そんなぁ、スキュブからの花はいつもと違ったけど、わたしからのはいつものやつを増やしたくらいでしょ?それでもそんなに嬉しい?」

 

「……この前ディートから聞いた。ひまわりの花言葉。」

 

「……え?」

 

 スキュブの呟きに思わず聞き返す。

 そんな、それはあまり知られたくないというか、長年ふせてきたものなのだ。

 つまりバレたら結構恥ずかしいやつである。

 わざわざ小ぶりのひまわりを選んでいる理由もそこから分かってしまうし、これは赤面確定だ。

 

「ひまわりの花言葉。あなただけを見つめてる……憧れ。小ぶりのひまわりは、愛慕。

 ひまわりは、おひさまののぼる方を向いて咲くとも言っていた。朝焼けを見つめているって。

 アヤネはよく、わたしのことを太陽だって言う。わたしの光が顔をだすのをずっと見ているって意味もあるんじゃないかと、ディートが言っていた。」

 

 教えてないのにどこで察しているのだ、我がかわいい弟さんは。

 

 言った通り、スキュブはアヤネにとっての太陽である。

 ひまわりはその太陽がのぼってくる方を向いて咲くのだという。

 そう、彼が夜を越えて光の筋を咲かせる瞬間を見ることができる花がひまわりなのだ。つまり、これは「お前の夜明けがくるその時を、ずっと待っている」と、とらえることもできる。

 そこまで重い気持ちをこめているわけではないのだが、そのうちそうも思ってしまうようになったのは否定できない。

 あなただけを見つめてる、というのはそれに則した花言葉であるし、そのような想いを抱いているのは事実である。

 

「ま、まあ、言ってることは間違ってないよ。というか、正解。

 ……ああ、うん。そのとおりだよ、そんなに重い気持ちをこめる予定じゃなかったんだけど、お前のことを想ったらそうなっちゃったんだよ」

 

 途中から誤魔化すのを諦めた。最後のほうは照れくささを放り投げて言っていたと思う。

 頬が少し熱いがどうしようもない。スキュブに対する好意を誤魔化すのが、何だか年々難しくなっているのだ。

 

「そう……なのか。ぜんぶ、ぜんぶ、本当のきもち?」

 

 スキュブがまだ編んでいない髪の先をいじいじとしている。

 

「本当だよ。だって、お前はそのくらいわたしにとって大切な存在なんだから……」

 

 こちらも視線を反らし、髪の先を弄びながら、照れを紛らわせた。

 

 その時だった。

 スキュブの方から布が裂ける音がする。

 

 しまった。これはスキュブの背中から蜘蛛の脚が出た音だ。

 しかし仕方ないだろう。隠してきた想いはディートリッヒが伝えてしまったのだし、それを誤魔化すこともならない。

 

 ……スキュブの呼吸が荒い。はやく落ち着かせてあげねばならないだろう。

 

「ア、アヤネ、わたし、たべたくて、がまんできない、

 わたしをあいしてるアヤネ、うれしくて、すごくたべたい……!」

 

 瞳をとろんと潤ませ、頬を紅潮させるスキュブ。その顔は恍惚としている、と言って相違ない。

 このままだと脚にガッツリ押さえられて食べられてしまう。

 その前に落ち着かせなければならない。

 

「待って、スキュー。お前食べたら落ち込んじゃうでしょ。ほら、深呼吸して……」

 

「だめ、もうだめ、たべたくて、だいすきで、だめ」

 

 脚が伸び、こめかみあたりにある赤い蜘蛛の眼が開く。

 散大した瞳孔は確実にアヤネをとらえており、アヤネが自分の脚が届く範囲にいることを察知していた。

 鋏角はまだ出ていないが、スキュブがアヤネに飛びかかってくるのは時間の問題だろう。

 

「ああもう、ちょっとだけだよ?血を吸うくらいだからね?」

 

 袖を肩のあたりまで勢いよく捲りながら椅子を降り、スキュブの隣で腕を差し出した。

 相当痛いが、もし食べられても腕一本くらいならヒールでどうにかなる。

 暫くアヤネを摂取していないし、たまにはいいだろう。どうしようもなくなったら鎮静剤を使えばいい。

 

「……アヤネ、ああ、もう……そんなことをいわれたら、食べてしまう……!」

 

 スキュブは口を大きく開き、アヤネの腕に噛み付いた。

 二の腕に痛みが走り、ぐっと唇を噛んだ口からは微かな呻きが漏れる。

 しかし、麻痺していく感覚はなかった。スキュブが食いちぎる様子もない。

 

 ――もしかして、頑張って堪えているのだろうか。以前の彼であればこの時点でもう一口と食らいついてきたはずだ。

 スキュブをよく観察してみると、血を吸いながらもゆっくりとした呼吸をしている。

 それは僅かに震えてはいるが、先程以上に蜘蛛に変わっていないことから、高揚が抑えられていることが分かる。

 

 呼吸に集中し、閉じられていたまぶたがゆっくりと開いた。

 瞳孔の散大と潤みはまだそのままだが、これ以上噛み付いてくる素振りはない。

 やがて、スキュブの顎の力は緩まり、アヤネの腕から牙が抜かれる。

 肌に残った赤い痕とそこから伝う血に彼は喉を鳴らしたが、すぐに首を左右に振り、頬をつねって目をぎゅっと瞑った。

 

「……ごめん、なさい」

 

 消え入りそうな声だった。今にも泣きそうである。

 

「大丈夫、大丈夫。このくらいヒールであっという間だし」

 

 アヤネは回復魔法の中でも一番治癒効果の低い、『ヒール・イー』を唱えた。

 すぐに傷は塞がる。腕に残ったものといえば伝った血の跡くらいだ。

 

「ほらね。痛くないよ」

 

 微笑みかけながら頭を撫でると、ぴくりと震えて頬をつねっていた手をはなした。

 

「……でも、噛まれたら痛いでしょ」

 

「まあ、それはそうだけど……ちゃんと治るし、まったく気にしないよ。

 それよりさ、今日は噛みちぎらなかったよね。すごいじゃん、ちゃんと我慢できてたんだよ、スキュー」

 

 スキュブはハッとして自分の手を見た。

 二、三回ぱちぱちとまばたきをして、次に自分の服に視線を移し、口のまわりを手で擦って血がついていないことに目を見開く。

 

 そう、いつもなら手は血みどろ、服は血で真っ赤に染まり、口のまわりは血と脂でどろどろなはずだった。

 それがどうだろう。今回はどこも綺麗なままだ。

 そもそも食いちぎっていないのだ。口の中にはアヤネの甘い血の香りが残っているのに、ふわりととろける肉の温もりはない。

 

「……ほんとうだ。わたし……はじめて我慢できた……?」

 

「そうだよ。お前、わたしに噛みついて、食いちぎるのを我慢できたんだよ。

 すごいことじゃないか。成長したね。えらいよ、すっごくえらい!」

 

 アヤネはスキュブをぎゅっと抱きしめて、頭をわしゃわしゃと撫でた。

 彼が椅子に座ったままだったせいか、彼の耳はアヤネの胸にぴたりと当たる。

 

 とくとく。とくとく。

 嬉しそうなはやい鼓動がスキュブの耳をくすぐった。

 アヤネの顔を見なくても、笑っているのが分かる。声があんなに弾んでいるのだ。きっと満面の笑みに違いない。

 すると不思議なもので、スキュブの胸にも弾むような喜びが舞い込んできた。

 自然と、無意識に口角が上がっていく感じ。

 喉がころころと音を立てたがっている感じ。

 いつもなら怖くて抑え込んでしまう感触だが、今ならそうしなくても大丈夫な気がした。

 

 ちょっとだけなら。

 少しだけなら――

 

 顔の筋肉の緊張を解いて、自分の感情のまま、笑ってみた。

 

「ふふ……ふふふ……」

 

 喉が微かな笑い声を立てる。

 勿論それに気づかないアヤネではない。

 彼女はすぐに気づいてスキュブの顔を見た。

 

「スキュー、いま……笑った?」

 

「うん、わらった」

 

「本当?!ねえ、もう一回笑って!」

 

「ふふ、そんなにいっぱい見ないで」

 

「笑った!そんな、見ないなんてできないよ!本当にかわいい顔だもん!

 もう、お前はぐんぐん成長するんだから、もう!」

 

 アヤネは泣きながら、頭に頬を擦り寄せる。

 嬉し涙というものだろう。ぬくもりを帯びたその涙に悲しみは見えない。

 自分の頬にもあたたかい涙が伝うのを感じながら、スキュブは穏やかな微笑みを浮かべていた。

 

 笑おうとすると、いつもは頭に痛みが走るのも忘れて。ただ、穏やかな時間をそうやって過ごした。

 

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