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家族のかたち  作者: メデュ氷(こんにゃく味)
第一章 始まり
2/74

 「Travelers from the moon」のマイホームには地下が存在し、そこにはアイテムなどを生成することができる工房がある。

 素材があれば回復アイテムからドーピングアイテム、更には装備などもここで作ることが可能だ。

 そのため、アヤネは最初こそ人間がいる街でアイテムや装備を揃えていたが、最終的にはここで全て済ませるようになってしまった。そうした方が高品質な物を作ることができるからだ。

 街へ行くとすれば、素材にするにはそぐわない低レアの装備等を売りに行くくらいだ。

 街といったら換金。アヤネの認識はそんなものである。

 

 工房には科学実験で使いそうなフラスコ等の用具や、ぱっと見では何に使うか分からないような装置が所狭しと置いてある。

 その全てが機能美に徹底したデザインになっているため、ここだけが違う世界にあるような、近未来的なような、異様な雰囲気を醸していた。

 加えて壁も床も石材のようなものでできているので空気はどこかひんやりとしており、明かりがなければ、どこか不安を覚えるような不気味ささえ感じる。

 ここに何も知らずに迷いこんできた者がいたら、おそらく何処を調べることもなく、何も盗ることなく去ってしまうだろう。

 魔女の工房というには近未来的すぎるし、宇宙人のアジトというには現実味を帯びている。

 見た覚えがあるようなものなのに、使い方も使い道も検討がつかないような装置が暗い部屋に沢山置かれているという、何とも言えぬ不気味さがあるのだ、ここは。

 例えるならそう、どこかの組織が秘密にしていた場所を暴いてしまったときのような。

 立ち入り禁止と書かれたテープの先へ行ったら、言葉を失うようなものを見てしまったときのような。

 アヤネが工房に入れば明かりは勝手につくのだが、それでももう少しユーザーが食いつくようなデザインにして欲しかった。ここまでやるならもう少しメカメカした見た目でも良かっただろう。

 まあ、工房のデザインなどほとんど眼中にはなく、ここで一番重要なアイテム生成ができれば他はどうでもよいのだが。

 

 そんなことを思いながらアヤネは、工房の壁に備え付けてある素材保管棚に近づいた。

 壁一面にあるそれらは一つ一つが透明で、中身がはっきりと見えるようになっていた。開閉式の蓋を開けて中身を取れるものもあれば、蛇口のようなものを捻ると中身が出てくるものもあり、アヤネはふと、何度か行ったことのある、量り売りを採用しているお店の風景を思い出した。

 同僚たちが行こうとうるさいので仕方なく行って、欲しくもないお菓子を買い、自宅で大きなため息を吐いていた。そんな碌でもない思い出のカスが頭のなかでふっと浮かんで、すぐに消える。

 さて、ここへ来たからにはアイテム生成を試してみなければならないだろう。そもそも、ゲームと同じようにアイテムを生成できるかどうか確かめなければ、これからの生活に支障がでる。

 なんせ、大抵の物なら作れてしまう便利さを覚えてしまったのだから、そこから元に戻るというのは正直に言ってキツい。レベル上げ周回をするなら尚更だ。自宅とダンジョンを行ったり来たりするだけで済むのに、ここに街へ寄るという行程をわざわざ挟むのは時間の無駄だろう。

 それに、装備は工房で作ったものでなければお話にならない。愛するパートナー、スキュブの装備は街で買えるようなものであってはならないのだ。

 それこそ、高難易度ダンジョンの最深部でとれるような物から生成されたものでなくてはならない。

 元々スキュブのステータスはかなり高いものであるので、ぶっちゃけ言えば裸装備でも余裕で戦うことができるのだが、愛するパートナーがそれではいけない。自分の装備よりも良いものをつけてもらうようでなくてはならないのだ。

 

 ――閑話休題。

 と、言うわけで、アヤネは棚から鎮静剤に必要な素材を取り出していた。

 因みに、高いところにある物は脚立を使ってとらねばならない。

 そこは便利にしなかったのか。

 アイテムポーチは某猫型ロボットのポケットの如き使い心地であったというのに、そこは自動でとってくれるとかそういう便利さはなかったのか。

 月の民の高度な技術とやらもそこはまだまだらしい。

 それとも自分が持ってきた技術がそこまでではなかったのだろうか。

 どちらにせよ、脚立を使ってちまちまと素材をとるしかない。この思いは軽い一人言程度にしておいて、ふっと一息で吹き飛ばしてしまうほうが良いだろう。

 アヤネは鎮静剤の生成に必要な草をとってため息を吐いた。

 

 必要素材を箱の中に入れて機械の前に立ったアヤネは、迷うことなく電源のスイッチを押した。スイッチ、といっても押し込むタイプではない。タッチパネル式で、触れて音が出なければ、そこが電源スイッチだということが分からないデザインのものだ。

 電源を表すしるしもなく、そこに円が描かれているわけでもなく、押せるかもしれないと思わせる工夫は全くなかった。これをはじめて見る者は機械表面をぺたぺた触るしかないだろう。不親切な設計である。

 それなのに迷わずそこを押せたのは何度もアイテム生成を行ってきたからか、いや、現実の自分はそんなことをした経験はないのだが、ゲームでの自分は何度もそこを押したのだろう。身体が覚えているというのはこういうことなのかもしれない。

 素材を入れる場所も、鎮静剤のケースである自動注射器をいれる場所も、自然と分かった。パネルを押す順番も、素材を入れるタイミングも間違わなかった。

 何の疑問も浮かぶことなく、どうしたらよいか分からないこともなく、スムーズにすすんだ作業によって生成された数十本の鎮静剤を素材を入れていた箱の中にいれ、工房の入り口で待機していたスキュブの元へ運ぶ。


「ほい、鎮静剤できたよ。これで当分の間はもつかな?」


 アヤネはスキュブのアイテムポーチに鎮静剤をぽいぽい入れる。

 

「ああ。これで当分はもつだろう。ありがとう、アヤネ」


 スキュブは目を細めて口角を上げた。何度みても素敵な笑顔である。


「これくらい朝飯前ってねー。他にもなんかあったら言うんだぞ~」


 アヤネは自分のアイテムポーチの在庫も確認しながらそう言った。

 スキュブが優秀すぎるせいか、体力を回復するポーション等は基本的に使わずに済むので、体力を全回復するポーションが消費されずに沢山残っている。

 使うとしたら魔力回復ポーションだが、自分の身体が魔力を自動生成する特性があるので、遊びで隕石を何回も落としたりしなければ使う必要がない。

 ドーピングアイテムも昔は使っていたが、今では周回プレイが面倒になってきたときや、スキュブの最強っぷりを楽しむときにしか使わない。

 使うことがあるものといえば、興奮が高まりすぎたせいで、クモモードになるべきではないときに変身してしまったスキュブに打つ鎮静剤くらいだ。それも十分な在庫がある。

 そもそも、スキュブは正気であれば自分の判断で鎮静剤を使う。たまに使うタイミングを逃したときにこちらでそうするというだけなので、使う機会はやはりそこまでではない。

 

 さて、アイテムの補給が済んだので、次は探索である。

 外の世界が本当にゲーム通りなのか確かめたいし、自分がしっかりと戦闘できるのかも知りたい。

 そうとなればいつもはテレポートで行っている場所だが、徒歩で行きたい場所があった。

 そう、お馴染みの高難易度ダンジョンだ。

 このダンジョンは本来であれば人間側のラスボス格または魔物側のラスボス格を倒したあとにやるような、所謂やりこみ要素のダンジョンだ。出現する敵も高レベルで、量も多い。故に、生半可なレベルや装備で行くと袋叩きにされる。

 そんな高難易度ダンジョンであるが、別に何かをしなければ解放されないというわけではない。実は最初から行けるので、知らずに探索をした初心者プレイヤーはもれなく即死する。

 アヤネもその一人であった。

 なんだここ?と興味本位で入ったら、まだレベルの低かったスキュブがあっという間に戦闘不能になり、接近されてボコられたら終わりである自分はしっかりと挽き肉にされた。

 リスポーンした自宅でスキュブに大変なところに連れていってしまって申し訳ないと何度も謝りながら、後で絶対に潰すと誓ったのはいい思い出である。

 今となっては、装備強化のためにマラソンする程度のダンジョンだし、敵はスキュブの一振りで吹き飛んでいくのだが。

 

「よっし。それじゃあ補給も済んだし、今日は徒歩でいつものダンジョンにいくよ。」


「分かった。いつも通り敵を殲滅する。」


「頼んだよ~、わたしの頼れるスキュー。目標もいつも通りでいいかな。一番深いとこまで行って、ボスの素材剥いでって感じで」


「任せろ。わたしが軽く片付けてみせよう」


 すっと手を胸に当て、微笑むスキュブにアヤネはウィンクしてから工房を後にした。

 こういうところが彼のかっこいいところなのだ。一つ一つの仕草や言動が良すぎる。

 よく、笑顔の比喩に花のようなとか、太陽のようなとか、そういった言葉を使うことに対して大袈裟だと感じていたときがあったが、彼の場合はそうではないと思えた。

 春の日だまりみたいな笑顔である。見るだけで胸の中心がぽかぽかしてくるような、なんとも美しいような、可愛いような、愛おしい笑顔。

 君は太陽だ、と言った人の気持ちが今なら分かる気がする。彼はぬくもりそのものだ。冷えて固まりそうなこころがやわらかくなっていく心地がするのだ。

 部屋へ向かうための階段を上っているときも、玄関のドアを開けるときも、何度も振り向いてその顔を見てしまいたかった。

 きっと彼は首を傾げるだけだろう。それだけだって可愛かった。

 今までは画面越しでしかない感情であったそれは、アヤネの中でゆっくりと形を帯びていったのだった。



 ・ ・ ・

 

 

 アヤネのマイホームはダンジョン近くの森にある。

 少しだけ整えられた道を抜ければ、見晴らしの良い草原があり、街と街を繋ぐ道は多くの人や荷車などが通った影響で、土が見えている。

 そこを通る人間には大抵、護衛がついていることが多いせいか、モンスターは滅多に近づいてこない。だが、たまに盗賊がやってくる場合もある。

 簡単に言ってしまえば、この草原はRPGによくある弱めのモンスターが出てくる系の草原だ。

 穏やかな風に揺れる草の中にはアイテム生成に必要な素材もあり、草系の素材採集にはもってこいの場所でもある。

 そんな場所に高難易度ダンジョンがあるのだ。

 開発者は何を考えてここにダンジョンを設置したのだろうか。わざとであったら顔面をへこませてやりたい。わざとでなく、バグでそうなってしまったのだとしても、中指を立てるくらいはしたい。

 何人の初心者がここで犠牲になっただろう。攻略掲示板には犠牲者専用スレッドが立てられ、ダンジョンに対する罵詈雑言、開発者に対する怒りの声が書かれていたくらいだ。

 そのため、プレイヤーたちはダンジョンに知らずに入って即死することを「通過儀礼」と呼んでおり、怒りや嘆きを沢山抱えて専用スレッドにやってくる初心者に、「通過儀礼お疲れさま!」「Travelers from the moonにようこそ!」などと生暖かい声をかけてあげるのが恒例となっていた。

 アヤネもかつてはここにダンジョンに対する罵詈雑言を書き込むプレイヤーの一人だった。

 今では生暖かい声と共に小さなアドバイスを送る側である。

 

 因みに、アヤネが今歩いているところは土が見える場所ではない。そのため、雑魚モンスターがちらほらこちらへ向かってくるのだが、隣を歩くスキュブが一睨みすれば逃げてくれるので、戦闘をせずに済んでいる。

 パートナーは警備も完璧なようだ。やはりうちの子は天才だと賞賛したかったが、これも親バカみたいでちょっと恥ずかしいので胸の奥にそっとしまっておく。

 それにしても、モンスターがこなければではあるが、草原をこうして二人きりで歩いているとデートをしてるみたいだ。

 たまにはここを散歩するのも悪くないかもしれない。これまで、スキュブのレベル上げ、装備強化、そのついでで自分の強化をするだけだったので、ゆったりとした時間を過ごすのも良いだろう。雑魚モンスターが来たら燃やせばいいし、盗賊だって凍らせて持ち物を拝借すればいい。どうにでもなる。

 

 そんな風に考え事をしながら歩いていると、目的地の高難易度ダンジョンに着いた。

 そこは地下へ続いている洞窟のような場所で、入り口には侵入者を阻むものは何もない。あるものといえばちらほら生えている苔くらいだった。

 中は勿論真っ暗で見通すことができないが、松明などの明かりがあれば進むことができそうだ。

 このような、一見普通の洞窟のように見えるこの見た目が犠牲者を増やす原因の一つであった。

 入ったら鉱石でも採れるのだろうかと思って入ったら最後、無限湧きしてくるモンスターにボコボコにされて泣かされる。

 入ってから暫くは何も出てこないし、予想通り鉱石系の素材や、地位類の素材が採れるものだから、油断して奥へ奥へと進んでしまう作りになっているのも憎たらしい。

 今のアヤネはそれらを全て知っているので、暗視ポーションをスキュブにも与えた上に、魔力を集中させながら進んでいるが、初心者だったころの自分はカモであることを主張するような松明を持ってテコテコ進んでいったものだ。

 ここを抜け、広く開けた場所に踏み込んだときが戦闘開始のベストタイミングである。

 これを逃すと敵を多く殺し損ねてしまい、効率が悪くなるのだ。

 アヤネは集中させていた魔力を解放し、敵の群れの中心に杖を突きつける。


「フレイム・ウー!」


 最高レベルの炎の魔法が放たれ、敵の群れが炎の渦に巻かれた。

 天も地も灰塵に帰さんとばかりに、黒々とした肉塊の敵を飲み込むそれは、あっという間に群れの隅から隅まで届いて、暗かったダンジョン内部を真っ赤に照らした。

 炎とこちらの距離はだいぶ離れているはずなのに、熱風がアヤネの頬を掠めていったのが、この炎の強さを物語っている。

 魔法も問題なく放てるようだ、と思いつつも、自分がやったことの大きさに若干引いたが、高火力というのはやはり気分が良い。次は凍らせてみようと思う気持ちの方が大きいのが事実であった。

 しかし、こんな炎のなかでも生き残るやつがいる。身体を炎に舐められながらもこちら目掛けて突進し、煙を振り撒きながら、爛れた腕のようなものを振り上げてくるやつが1、2匹はいるのだ。

 だが、問題はない。

 それを予期していたスキュブが身の丈以上はある大剣を薙ぐと、敵は悲鳴を上げる間もなく真っ二つになる。

 綺麗な断面から血を噴出させる肉塊は、暫くどろどろの身体をぴくぴくさせていたが、力尽きたのだろう、そのうちぴくりとも動かなくなった。

 ふとスキュブの方を見ると、頬に返り血がついているのに気づいた。

 指でそれを拭うと、スキュブが視線をこちらへ向ける。


「よっし、これで綺麗になった」

 

「……このくらい、大したことじゃない」

 

「いいのいいの。わたしがやりたかっただけなんだし。」

 

「そう、か。……ありがとう」


「どういたしまして」


 アヤネは鼻歌まじりに歩きだした。

 魔法も思い通りに放てる、パートナーはこんなにも頼りになってかわいい。

 機嫌が良くならないほうがおかしい。

 その足取りはスキップに似ていた。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 攻略は順調であった。

 先頭で大剣を振るうスキュブの一撃一撃は敵を切り、吹き飛ばし、叩き潰して、敵は彼に指一本触れることも叶わず死んでいく。

 そのため、その後ろで好き勝手に魔法を放つアヤネのところへたどり着くことができる敵は一匹もおらず、ただでさえ強いスキュブへの強化魔法は止まらない、群れをまるごと消しかねない高火力の魔法は止まないという状態が続いていた。

 敵にとっては地獄のようなものなのだろうが、これが一番はやくて安心なのだから仕方ない。

 そもそもこのダンジョンはスキュブ一人でも攻略可能である。

 大剣だろうが片手剣の如く素早く扱うことのできる彼の筋力は素晴らしい値に育っており、中ボスくらいのステータスを持つ敵であっても即死させることが可能だ。

 そのため、どんなに多く湧いてきても彼にとっては他愛のないことなのだ。刈るべき雑草が一本増えたな、というくらいの認識である。


「スキュー!鎮静剤大丈夫?」

 

「そろそろ、打つ頃合いだ。自分で打つ」

 

「OK!足りなくなったら言うんだぞ!」


 スキュブは最後の敵を踏み潰すと、熱を帯びた息をゆっくりとはいてアイテムポーチへ手を伸ばした。

 鎮静剤を取り出し、腕にそれを突き立てて深呼吸する。ここまでくることができれば彼の精神は安定するだろう。頬の赤みもおさまってきたし、表情の強ばりもやわらいできた。

 こんな風に言うと、彼がまるで戦闘を楽しむ戦闘狂のように聞こえるが、実際はそうではない。

 戦闘は嫌いでもなければ好きでもない。ただ、後ろにいるアヤネを守るためにやるだけだ。

 その身体に傷一つつけず、全ての害を殲滅し、アヤネの元へ戻る。そして言葉をかけてもらい、時にその腕前を褒めてもらう。それが喜びであり、それが戦闘をする理由である。

 要するに、スキュブにとっての戦闘とは、アヤネに褒めてもらうための「作業」ということになる。

 命の奪い合いをそのように思う彼のこころは一般的に言えば正常ではない。だが、世界が「アヤネ」と「自分」と「それ以外の何か」で構成されている彼には、自分のこころをかえりみる視点は存在しないのだ。

 となると、何故彼は戦闘をすると興奮するのか?という疑問が残る。

 理由は戦闘に対する姿勢にはない。戦闘したことによって起こることにある。

 前述したが、彼には返り血や砕け散った肉片を浴びると興奮するという特性がある。

 そういうシステムだから、とも言えるだろうが、彼には違った理由もあった。

 返り血や肉片に残った温度に、ぬくもりを見出だしてしまうのだ。

 散ったばかりのいのちの残余が皮膚に付着すると、そのぬくもりが触れてもらったときの記憶と繋がって、そのときに感じた安心感や心地よさ、自分は確かに愛されているのだという高揚がよみがえってきてしまう。

 その上、彼にとっては人間もモンスターも食べ物と一緒である。その血のにおいは人間でいうところの、目覚めたときに微かに香る朝ごはんの匂いや、薄暗い帰路に香る晩ごはんの匂いと一緒だ。食欲が掻き立てられないわけがない。気分が高揚しないわけがない。

 あたたかくて、どうしてそう感じるかは自覚がないが、何だか気分が良くて、お腹が空くにおいがする。

 それはどんどん高まって、もっと形ある快感に手を伸ばしたくなり、お腹を満たしたい気持ちでいっぱいになる。

 それなら、目の前の肉にがっぷりと噛みつき、消化液を流し込んでどろどろにしたものを啜れば解決するだろう。

 クモに変身すればそれが可能だ。

 

 ――しかし、この行動は彼を真に満たすことはない。

 お腹は満たされるが、こころは虚しい影を掴もうと空を切っているだけなのだから。

 しかも、彼はこのことに気づいていない。


「そうだ、スキュー、次はでかいのが出てくるから念のため補助魔法かけとくよ」


「ありがとう。手早く斬ってみせよう」


「ふふ、期待してるぞ~」


 アヤネは早足で進みながら、次々とスキュブへ補助魔法をかけていく。

 攻撃力を上げる、アタック。

 素早さを上げる、クイック。

 防御力は上げる必要はないだろう。両者最大レベルのものをかけて、次の戦いへ備える。

 でかいの、というのは所謂中ボスのようなものだ。大きな図体で体力が無駄に多く、全体的なステータスが雑魚よりやや高めのめんどくさいやつである。

 そのため、さっさと周回を終わらせたいときには少々苛立ちを覚える相手だった。

 どうせ肉片になるのだから手間をかけさせないでほしい。こっちはスキュブとのふれあいタイムを楽しみたい気持ちでいっぱいなのだから。

 今となっては自由にふれあえるし、実際にはスキュブの攻撃であっという間に沈むので問題はないのだが、ヤツに抱く感情は、指で口の端をいーっとするときの気持ちと一緒だ。

 故に瞬殺する。

 慈悲はない。

 お前のいのちはタイムより軽いのだ。

 アヤネは中ボスが視界の端に入るや否やその足に向けて魔法を放った。


「フリーズ・イー!」


 氷の魔法の中でも最小レベルのものであるが、アヤネの魔力であれば中ボスの足を一時的に止めることも可能だ。

 そんな軽い足止めが何になるのかと思うかもしれないが、そのちょっとした行動不能時間が生死をわけることもあるのだ。

 そのくらいの時間があれば勝負をつけることなど容易いと言えるほど強力なパートナーがいるのだから。

 

 スキュブは魔法が放たれたときにはもう既に走り出していた。距離はあっという間に縮まり、中ボスが凍った足に目をやった頃には大剣が閃いて、首と胴体は分かたれる。

 あまりに速い太刀筋だった。意識はまだ足のほうにあって、自分がもう死んでいるということにすら気づいていないだろう。

 やがて、ただの肉塊と化したそれは糸が切れた人形のようにゆっくりと地面に倒れた。

 断面からはどろりとした血が噴き出し、死骸の辺りには血だまりができていく。


「アヤネ、斬れた」


 血だまりの上を平然と歩き、アヤネに微笑みかけるスキュブ。

 血の赤と肉片の黒のなかで、彼の白肌と絹糸のように艶めく髪が鈍い眩しさを帯びているように見えた。

 なんとも目を奪われるその光景は、日の光を浴びた黒い絵の具に似ている。

 ぬらぬらとして、深い底にいるような色なのに、光をこんなにも美しく反射する。

 アヤネはそういうものが好きだった。


「アヤネ?」

 

「……あ、ごめんごめん。ちょっと見とれてた。

 よしよし、スキューよくやったぞ~お前がいれば、わたしが大好きな爆発物さえいらないとも~!」

 

 アヤネが背伸びをしてスキュブの頭をわしゃわしゃと撫でると、彼は安心と満足を一緒にしたような穏やかな表情になった。

 彼が戦果を告げてこちらにやってくるときは、このように褒めてほしいときである。

 幼い子供のように、もっと大きく主張してもらったほうが分かりやすいのだが、そうするのは照れくさい上に、素直に褒めてと言うと拒否されたときのダメージが大きい――拒否したことはないが――ため、このような主張になるのだ。

 だが、こちらがそれに気づかないと、そわそわしだしたり、表情に陰りが出てきたりしてしまうので、彼が明るい表情で戦果を報告してきたときはしっかりと反応しなければならない。

 最初の頃はそれに気づかず、なかなか治らない彼の精神不調に悩んだものだ。

 原因がわかったとき、今まで気づかなくてごめんと泣きながら謝った記憶がある。

 そのとき、彼は困ったような顔で涙を受け止めつつも、どこか安心したような顔をしていたのが印象的だった。


 そんなこんなで、思い出にふけりながら頭なでなでを楽しんでいると、視界の端で何かが動いたのが見えた。

 スキュブもそれに気づいたようだ。表情が途端に不機嫌なものに変わって、小さな舌打ちまでする。

 アヤネがその正体を確かめるために目をやると、少し離れたところの岩陰からひょっこり顔だけ出した薄いブラウンの癖毛が揺れ、優しい緑の目がこちらを見つめた。

 かわいい顔をした人間の少年だ。

 一瞬、敵かと思ったが、ここに出てくる敵は大抵黒い肉の塊に目玉やら口やらがめちゃめちゃにくっついた化け物である。

 こんな人間らしい姿をしたものは、ここには湧いてこない。

 となれば、恐らくそれは「通過儀礼」を受けにきてしまった哀れな人間であろう。

 アヤネは近づいて声をかけようと思った――が、それよりも前にやることがある。

 目の前にいたスキュブがいつの間にか大剣を構えながら走りだし、通過儀礼中の人間に襲いかかろうとしている。そっちを先に止めねばならない。


「スキューストップ!」


 なるべく早口でそう言うと、スキュブはピタリと動きを止めた。そして唇を少し尖らせて大剣をおろす。

 

 ――もう少し言うのが遅れたら、人間は死んでいた。

 首の頸動脈があるあたりには細く赤い線ができ、少量の血が静かに伝っている。

 大剣の刃が触れていたのだ。

 スキュブの太刀筋は恐ろしいほどはやい。それは得物が大剣であろうと、片手剣であろうと、短剣であろうと、何であっても変わらない。

 そのため、人間にそれを躱すことはおろか、防ぐことすら難しい。

 はやい上に重い一撃は、盾であっても叩き斬られてしまうおそれがある。

 通過儀礼中の人間には申し訳ないが、今回は幸運だった。

 致命傷になる前に、アヤネがスキュブを止めることができたのだから。


「おーい、そこの君、人間かい?大丈夫?」

 

 アヤネが駆け寄りながらそう声をかけると、少年は茫然としていた状態からなおり、身をぶるりと震わせた。


「うぇえ?!はい!人間です!怪しいものじゃありません!!!」


 少年は顔の近くで両手をブンブンとふりながらそう答えた。

 ――なんだか小動物が助けを求めてキャンキャンと吠えているのに似ている。

 まだ顔つきに子どもっぽさがあるせいだろうか。


「……本当か?人間に化けている可能性がある。アヤネ、近づくな」

 

 スキュブは冷たい声でそう言い、大剣の切っ先を少年へ向けた。


「嘘じゃありません!………多分……

 じゃなくて!いや僕は確かに人間ですよ!ちょっと耳とか鼻が他の人よりいいだけで……

 モンスターの血でも入ってるんじゃないかとか言われたこともありますけど、これはきっと神様がくれた贈り物です!だからちゃんと人間だと思います!」


 途中までは視線を泳がせながらであったが、最後には自信たっぷりと言わんばかりの表情で反論する。

 先ほどまで死ぬかもしれなかった者とは思えないほどの勢いだ。

 怖じけづきにくい性格なのかもしれない。

 スキュブもそれに対して何か思ったことがあったのだろうか。

 目蓋が微かにぴくりとし、少々であるが殺気が和らいだ。


「……そういうことを聞いているんじゃない。お前の種族が何であろうと、わたしには関係ないことだ。

 それより化けているなら解除しろ。しないと刺す」


「だから化けてもいないですって!僕そういうのは苦手なんです!相手を騙すより正面突破じゃないですか!」


「潰れかけのネズミみたいに鳴くな。耳障りだから刺す」


「それってもう僕が化けてるとか関係なくないですか?」


「うん、関係ない。刺す。」


「えぇえ!?本当に関係ないんですか?!」


 最初こそ感情を表に出さず、抑揚のない声で話していたスキュブの声に、ほんの少しずつ苛立ちが見え始め、何の表情もなかった顔は眉を微かにひそめ出していた。

 

 ……少年の言っていることは正解かもしれない。

 前述したとおり、そもそもこのダンジョンには人間に化ける敵など湧いてこない。

 それに、本当に少年が化けているのなら、既にスキュブに襲いかかって、正体を明かしているはずだ。

 狙う隙は十分にあったのだから、それを逃してこんな風に無駄話をしているはずがない。

 そして以上のことをスキュブが知らないわけがないし、気づいていないわけがない。

 このダンジョンには数えきれないほど来ているのだし、倒した敵の種類もかなり多い。

 目の前にいる少年が敵ではないことなど、とっくに分かっていて然るべきだ。

 つまり、この会話は八つ当たりに近いものである。

 最初こそ苛立ちのまま潰してくれようと、少年に肉薄していった彼であったが、アヤネに止められたのと、先ほどの会話で何か感じるものがあったからか、少しばかりチクチク言ってやろうという態度である。

 なでなでタイムを邪魔されたのが相当気に入らなかったのだろう。

 でなければアヤネ以外とは会話をしたがらない彼がここまで話す理由もない。

 こんなに高身長で大人びた雰囲気をまとっているくせに、こどもみたいな拗ね方をするのだ、彼は。

 アヤネは小さくため息をついた。

 そろそろ間に入ってやらねばなるまい。

 槍を取り出して、石突で少年の頬や額をつつきだすころだろう。


「はいはいスキュー、ストーップ。今夜は2倍やるからそこまでにしてあげて~」


「本当か?」

 

 スキュブは今までの苛立ちが嘘だったかのように目を輝かせる。

 今夜のなでなでタイムが2倍というだけでこれである。

 おやつにつられる子供のようにチョロい。


「本当本当。今夜は楽しみにしてろよ~。

 てなわけで、そこの少年、ちょいと失礼。」


 アヤネはスキュブと少年の間に入り込み、少年の怪我の様子を見た。

 ここまで来たにしては大した怪我は負っていないようだ。切られた跡や血の跡はあるが、その外傷はポーションで回復したのだろう。

 しかし、見えないところに傷があるか分からないので、とりあえずヒールをかけたほうが良いかもしれない。


「とりあえず……ヒール・サン」


 軽く魔力を集中させ、中レベル程度のヒールをかけると、少年の傷がみるみるうちに塞がっていく。

 先ほど首にできた傷も跡形もなく消えた。

 こうしてみると、ヒールというのは本当に便利である。

 治るのに何日とかかるような傷だってこのとおり、一瞬で治ってしまうのだから。


「わぁ……もう痛くもなんともない!ありがとうございます!」


 少年はぴんと背筋を伸ばして、勢い良くも綺麗なお辞儀をした。

 元気が有り余っているようなその動きは若々しい。

 やはり少年は見た目どおり、結構若いようだ。

 

「あー、別に気にしなくていいよ。通過儀礼を見かけたら優しさをって昔から言うからね。」


「つーか、ぎれい?とは何ですか?」


「あー……こっちの話さ、気にしないで。」


「分かりました!気にしません!」


 目を細めたくなるような眩しい笑顔でハキハキと喋る少年だ。

 飼い主が帰ってきたときの犬の反応を思い出す。

 こんな風に明るい、というか元気いっぱいの人間を見たのはいつぶりだっただろうか。勤め先の新人でさえこうも明るくはなかったはず。

 ……いや、よく思い返せばいたかもしれないが、アヤネが全く他人の人間性に目を向けようとしていなかったせいかもしれない、記憶はうっすらとしていて真相はよく分からなかった。

 まあ、どうでもいいだろう。

 もうそこへ帰る必要はないのだから。


「ところで君、どこ住み?ここから脱出するの大変そうだから送っていくよ。」


「いえいえ!そこまでしてもらうわけには……!」


「そういう気持ちはまあまあ大切だけどさ、ここから出られるわけ?君。

 ここに潜ってここまで来て、傷がその程度ってことは回復アイテム使いきってるんでしょ?」


「あ……うぅう……はい……」


「それなら助けたついでに送っていくよ。場所によってはテレポートできるかも、だし」


「うぅう……申し訳ないです……よろしくお願いします……」


 少年は本当に申し訳なさそうに、縮こまったお辞儀をした。

 先ほどまでの明るさはどこへいったのか。もしも頭に耳が生えていたら、それはぺたんと後ろに倒れているだろう。

 笑ったり泣いたりがコロコロと変わるその様は、端から見れば忙しそうなものである。


「よっし、承り~。スキュー、予定変更だ。今日は潜らないでこの子んとこの街にいくよ。敵の殲滅よろしくね~」


「分かった。」


 大剣を構えなおしたスキュブの動作はこころなしか快活だ。

 おそらく今夜のなでなでタイムが2倍になったのが嬉しいのだろう。

 他人の目があるのでそれを表情には出さないが、ちょっとしたところにそういった感情が出る彼のことを、ちょっぴりかわいいと思うアヤネだった。

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