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息抜き回

fg0のエロss書いてたら遅くなりました

「まったく……危うく夫婦二人でジェノサイドパーティーするところだったじゃん……」

 

 そう言ったのは居間でハンマーを肩に担いでため息をつくカヨだった。

 しかも全身を重い鎧でかためている状態で。

 ヘルムは脱いでいるので顔を見ればカヨだと分かるが、肩幅がしっかりとしたその姿を他者が見れば、中身が男性だと勘違いしても仕方ないほどゴツい見た目をしている。

 

 こんな見た目でジェノサイドパーティーなどと言われたら、それが冗談だと思えないのでやめてほしい。

 カヨならやりかねないので本当にやめてほしい。

 カヨは大切な人のためなら躊躇なく力を行使することができる人間だ。

 

 そもそも、なぜこのような事態になったのか。

 それは数分前に遡る。

 

 花屋であったことが原因で泣いているスキュブを慰めていたところにカヨはやってきた。

 ディートリッヒも連れて、約束はしていなかったけど、これから花を買いに行く予定だから一緒に行かないかと誘いに来たのだ。

 

 しかしスキュブの状態はそれどころではない。

 それをカヨに説明したら、先程までの笑顔はどこへいったのか、急に無表情になり、無言でハンマーを取り出したのだ。

 ディートリッヒも同じ様子で槍を取り出したので、止めるのが大変だった。

 

 スキュブは酷いことをされたから泣いたのではない。こころがいたむようなことを思ったから泣いてしまったのだ。

 相手に悪意があったわけではない。

 たまたま触れたところが脆く、優しくしたつもりがひびをいれてしまったようなものだ。

 

「お前がそう言うと、ディートも今晩の食卓には人肉が並びますねとか言うから止めてよ……」

 

「あら、さすがお姉様ですね。私が今言おうとしたことを当てるなんて」

 

「もう分かるよ……弟の考えてることなんて……」

 

 アヤネがため息をつくと、ディートリッヒはクスクス笑った。

 その声は楽しげだ。ディートリッヒはいつの間にやら隣にきて、肩と肩が微かに触れ合うくらいに近づいた。

 

「何でもお見通しなんですね、お姉様。私の胸のうち、しっかり見てくれていますものね?」

 

 視線が絡みつくようだ。縦に長い瞳孔がこころなしかいつもより大きく見える。

 

「そりゃあ弟だし……」

 

 そう言ったときだった。寝室から出てきたのだろう、枕を抱きかかえたスキュブが裸足でぺたぺたとこちらへ歩いて来ていた。

 目が充血している。まだしゃくり上げるように息を吸う音も聞こえた。

 

「スキュー、もう大丈夫なの?」

 

 アヤネが速足で駆け寄ると、こくりと頷く。

 

「うん。もう、大丈夫。大丈夫だけど……」

 

 スキュブはアヤネの腕を抱きしめる。

 腕を絡ませた、と言ってもよいくらいだったが、彼の俯く瞳を見ると、前者の方が適切だろうと感じる。

 

「……今日は、一緒にいたい」

 

 腕を抱きしめる力が強くなる。枕とスキュブの腕で挟まれたアヤネの腕に、枕のぺちゃんこな感触が伝わってきた。

 因みに、スキュブの枕は低反発なので、こんな綿の潰れた残念な感触ではない。

 しかし特に気にすることではないので、目をやることも言及することもしなかった。

 枕をだっこしていると少しは落ち着くのだろう。それならそのままでいい。

 

「泣き止んだあとは誰かと一緒にいたいもんね。

 そしたら今日は一家団欒ってことであーちゃんちでお泊り会にする?」

 

 カヨがひだまりのような穏やかな笑顔を向けた。

 

 確かに身内が近くにいるのは心強い。それに、答えの見えないような悩みを打ち明けるなら、信頼できる人間であったほうがいい。

 そういう点ではカヨとディートリッヒは適任である。

 

 だが、断りにくいような笑顔で言うのはどうなのだろう、というかスキュブの気持ちを一番に考えてほしいところではある。

 カヨの言うことは分かるし、彼女もスキュブのことが心配なのだということも分かる。

 分かるが、スキュブが首を横に振れるような聞き方にしてほしい。

 

「わたしの家狭いでしょ。それと、せっかく来てもらったアレだけど、決めるのはスキューだからね」

 

「じゃあわたしの屋敷にしよっか、最近加工し終わったお肉とかもあるし、今晩は豪華な晩ごはんにして――」

 

「お前わたしの話聞いてる〜?お前の親切は分かるけど聞いてるー?」

 

 アヤネはカヨの頬を引っ張った。

 相変わらずよく伸びる頬である。

 

「だって心配なんだもん!ディーくんも心配だって思ってるし、つーかかわいい身内が泣かされたんだぞ!心配じゃん!お菓子とか美味しいごはんとか用意してめっちゃ甘やかしたいじゃん!あーちゃんはそう思わないの?!」

 

 両手をぱたぱたと振って訴えるカヨ。

 その行動はなんの抵抗にもなっていないが、言っていることは理解できるので、頬を引っ張る力が少し緩まってしまった。

 

「思うけどさ、お前断れないような顔で言うなよ、わたしが何度それで揺らいだことか……」

 

「あ、バレてた?」

 

「バレてるし。何年お前といると思ってんの?」

 

 ウインクしてみせるカヨの額を軽くデコピンした。

 カヨは大げさに「いったーーーい!」と言うが気にしない。

 

 

「……わたしは、いいが」

 

 目の前で起きているいつもの言い合いに終止符を打つようにスキュブが呟いた。

 耳を澄ましていなければはっきり聞こえないほどの小声であったが、それを聞き逃さないのがカヨである。

 カヨは目を輝かせて隣にいるディートリッヒの方を向いた。

 

「やった!ディーくん聞いた?今晩はお気に入りの家畜出しちゃおうよ!」

 

「あ、終わったんですね。家畜に関しては計画通り、そのようにしますよ」

 

 ディートリッヒの口元が三日月のような弧を描く。

 まるで獲物が狙い通りにやってきた、と言わんばかりの顔だ。

 

「……ねえ二人とも」

 

 それじゃあ屋敷までテレポートだとカヨが皆を集めているところにアヤネは話しかけた。

 カヨは訝しげなアヤネの表情に気づいているが、いつものような笑顔で首を傾げる。

 

「……最初から全部知っててこうしてるんじゃないよね?」

 

 カヨは眉をひょいと上げ、ディートリッヒはカヨをちらりと見てからうっすらとした笑みを浮かべた。

 

「まだそういうことはしてないよ。今回のは完全に勘、というか何かあーちゃんのとこに行きたいなって思っただけ。

 でも、これからは――」

 

 カヨはディートリッヒそっくりの笑みで、目をぬらりと光らせる。

 

「そういうことも、あるかもね」

 

 そう言うなり、カヨはアヤネの手首を掴んで、テレポートの魔法が効く範囲内に連れ込んだ。

 それは決して強い力ではなく、まるで意中の相手をダンスに誘うような手付きだった。

 だが、アヤネは何も言い返すこともできずに前へつんのめって、二三歩踏み出す。

 

 ふと、前からそうだったな、と思い返す。

 自分の部屋に引きこもっていたときも、通学路へ一歩踏み出すときもこの手付きだった。

 あの男が家へ連れ返しに来たときに、部屋へ匿ってくれたときはもっと乱暴だったけれど、錆びてしまったように動かなかった足を動かしてくれたのは間違いなくカヨの手である。

 

 この手に引かれると、足が自然とそちらへ行ってしまうようだった。

 花にひかれる虫たちは、このような感覚なのだろうか。

 そんなことを思いながら、アヤネはカヨの屋敷へ転送されていくのを感じていた。

 

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 

 カヨの屋敷は大きい。

 見れば分かるが、入ったら尚更分かる。

 使用人の案内無しにこの屋敷を歩き回るのは自殺行為に等しい。

 どこも似たような景色が続くため、迷ったら現在地がどこなのか分からなくなるのだ。

 手当たりしだいに部屋の扉を開けて、見覚えのある部屋を探せば少しは現在地が分かるかもしれないが、それもやらないことを推奨する。

 拘束道具が一式揃った部屋があったり、身内の写真のアルバムが端から端まで詰まっている本棚が大量にある部屋があったりするからだ。

 稀に、いつもは地下で管理されているであろう家畜――家畜とは呼ばれているが、これらは皆屋敷へ迷い込んできた人間である――が失神して床に転がっている、なんて光景が広がっている部屋もある。

 ディートリッヒの気まぐれで玩具にされたのか、新しい家畜の調教途中なのかは定かではないが、これを目にしたときのドアをそっと閉じたい感は尋常ではない。

 

 因みに、アヤネやスキュブの場合は屋敷で迷ってもディートリッヒが探しにくるので心配はない。

 彼がどうやってこの屋敷の迷子を探すのかは不明だが、使用人たちからの情報や勘で分かるらしい。

 

 この夫婦は、身内のことに関しては舌を巻くほど勘がいい。

 カヨに関しては先程あった出来事の通りである。

 昔からアヤネが窮地に陥ると駆けつけてくれる。アヤネが定職につき、別居状態になってもそれが続いたことには驚いたが、本人曰くそれも勘らしい。

 何も食べられないような状態を離れたところからでも察することができるのは、もはやテレパシーのようなものなのではないか。

 そう言ったこともあったが、彼女はスプーンは曲げられないし……と自分でも疑問に思っているようだった。

 

 そんな勘の良い夫婦の屋敷に入るというのは、蜘蛛の巣に引っかかってしまったような、蛇の口の中へ入ってしまったような感覚がする。

 

 どこまでが勘なのか、どこまでが計算なのか。

 この夫婦は地図をテーブルに広げてなくても、アイコンタクトや短い言葉を交わすだけで戦略を練ることができる。

 

 今回のも本当のところはどうなのかは分からない。

 使用人をこちらへ派遣している可能性も無いとは言えないのだ。

 使用人が周囲にいれば、どんなに隠れていようがスキュブは気づくのだが、彼は弟が差し向けたものだろうと思って気にしない。

 

 だが、アヤネもそれを知っていても突き放すことはしなかった。

 カヨの愛し方というのは既に熟知している。今更知らぬ間に彼女たちの愛がこの身体に絡みついていようが、アヤネはため息をつくくらいだった。

 

 

 

「そうそう、あーちゃん!見て!お部屋の掃除してたら見つけたの!」

 

 四人で小さなテーブルをソファで囲んだ部屋で、カヨはA4サイズほどの用紙を取り出した。

 そこに描いてある絵には見覚えがある。夏空に浮かぶ入道雲のように真っ白な髪の毛と、透き通る銀色の瞳。

 つやつやとした石壁のように冷たくも、小動物に触れたときのような微かなぬくもりのあるかんばせは、懐かしのキャラクターだ。

 

「懐かしいね。愛に狂っちゃった神さまだ」

 

「そうそう、あーちゃんがめっちゃ気に入って読んでた本に出てくる子で、あーちゃんの初恋相手みたいな人〜!」

 

 スキュブが初恋、というワードにピクリと反応した。

 アヤネの腕を抱きしめる力が強くなる。

 

「はつこい……?」

 

「そうだよスーちゃん、初恋だよ……!

 あーちゃんの白髪性癖は絶ッッッ対ここからきてる!異論は認めない!」

 

 カヨが絵を強く指さしながら鼻息を荒くする。

 

「わたしの性癖について勝手に語るなよ……」

 

「えーでもあーちゃんの性癖はここからじゃん?あーちゃんの好みに狙いを決めてじゃん?」

 

「それ風邪薬のCMでしょ……

 そんな熱を上げてたわけじゃないじゃん、恋なんてしたことないよ」

 

「神さまのセリフ暗記しちゃうくらい読んでたのに?」

 

「そりゃあ……そうだけど……」

 

 アヤネはその小説を読んでいた時期を思い出そうと顎に指を添えると、肩と首の間に痛みがはしった。

 それが何かはおおよそ予想がついたが、横に目をやって痛みの原因を確認する。

 

 ……スキュブの真っ白な頭が目の前いっぱいに広がる。

 何をしているのかはっきりと見えはしないが、前述した通り何をしているかは何となく分かるものだ。

 

 手足が痺れてこないあたりからして、おそらく手加減はしてくれているのだろう。

 アヤネはスキュブの頭を優しく撫でた。

 

「スキュー、噛まないの」

 

 そんなことは言いながらもアヤネの表情は穏やかである。

 

「おや、お姉様。それは無理な話ですよ」

 

 ディートリッヒがカヨの腕に自分の腕を絡ませながらあやしげな笑みを浮かべた。

 

「愛する人の初恋の話など聞くに堪えないものです。

 初恋が自分であれば話は別ですが、お姉様もカヨも違うというのですもの、それは噛みたくもなってしまうでしょう。」

 

 ディートリッヒが「ね、お兄様」と小さく付け加える。

 スキュブはアヤネに噛みつきながら首を縦に振った。

 

 そうやって噛み付いたまま首を振られるとちょっと痛い。

 しかしかわいいスキュブのやることである。

 アヤネはこの程度なんともないと顔色一つ変えず、彼を眺めていた。

 

「もう、だから初恋じゃないって。身内以外の人間に夢見たことなんてないし。」

 

 そこまで言って、ようやくスキュブは噛むのを止めて顔をあげる。

 見えるようになった表情を確認すると、目が少し潤んでいるようで、唇を少し尖らせていた。

 

「……本当?」

 

「本当さ。なぁに、わたしにお前より好きな相手がいたんじゃないかって不安になったの?」


 両手で頬を包んでふにふにとすると、スキュブの目が揺れる。

 そして視線を少し右へ左へとさ迷わせ、下へ落ちた。

 

「……うん」

 

「ふふ、そんなわけないでしょ」

 

 そう微笑みかけると、俯いた視線のまま口角を僅かに上げて、目を細める。

 

「……もしも、はつこいが目の前に現れたら、わたしをおいていっちゃうかも、とも思った」

 

「……それこそ、そんなわけないでしょ」

 

 おいていっちゃう、という言葉にアヤネは血の気が引いた。

 頬をふにふにしていた手が思わず凍ってしまったように硬直する。

 

 置いていかれる、捨てられるという苦しみは身をもって知っている。

 スキュブには、そんな思いを絶対にさせたくないどころか、そんな思いがよぎることすら耐え難い。

 

「そうそう、あーちゃんはスーちゃんがいないと干からびて死んじゃうからね。置いてくわけないよ」

 

 カヨがニコっと笑ってスキュブの額をつついた。

 

「干からびちゃうの?」

 

「そうだよ?夏場のミミズみたいに干からびて死んじゃうの」

 

 スキュブが首を傾げると、カヨは指をミミズのようにくねくねさせていたずらっぽく笑う。

 

「そうですね。ミミズは皮膚呼吸ですから、夏場は水を吸った地面の中で息苦しくなってしまって、地上に出てきてしまうそうです」

 

 ディートリッヒがカヨの言葉に乗っかった。

 

「お兄様がいないとお姉様は息ができなくなってしまうんですよ。

 お兄様にお姉様が必要なように、逆もまた然りというわけです。そうですよね、お姉様?」

 

 クスリと笑いながらのその言葉にアヤネは目をそらしながらも頷いた。

 図星なことをこうも言われ続けると少しくすぐったいのだ。

 

「……当たり前でしょ。スキューがいたから今があるんだし。

 ……ところでさっきからわたしのことミミズ扱いするのはどうなの?」

 

 カヨとディートリッヒへムスッとした顔を向けると、二人は顔を見合わせ、カヨは首を傾げる。

 

「……ミミズかわいいじゃん。あーちゃんもかわいいし、別によくない?」

 

「……あなたうねうねしているものなら何でも好きとか言いませんよね?

 言っていることは理解できますが、一番は何と言うべきか分かってますよね?」

 

 ディートリッヒがジトッとした目でカヨに言い寄った。カヨは焦ったように手をぱたぱたとさせる。

 

「ちょっと、何でそういう話になるの?てか一番はディーくんに決まってるじゃん、蛇はもーっとかわいいし?」

 

「ふぅん。それじゃあ庭にいた芋虫をつまみ上げて、かわいいとか言ってたのも撤回してくれるんですね?」

 

「何で知ってるの?!」

 

「いつでも見てます。夫として当然でしょう?」

 

 胸を張るディートリッヒをスキュブがきらきらとした目で見る。小さな拍手でもしていそうな視線だ。

 

「さすが……ディート」

 

「ふふ、妻の体温から行動パターンまで全て把握済みですから。」

 

 兄に褒められて嬉しいのか、ディートリッヒは得意げな顔をした。

 

「わたしは味や匂いとか、髪の滑らかさ、肌や目のみずみずしさくらいだ……」

 

 スキュブがアヤネの腕をぎゅっとして俯く。

 

 いや、それで十分なのではないか。

 何を落ち込んでいるのだ。

 似たような後ろ姿の者を見ても迷わないレベルである。全然問題ない。

 

「スーちゃん目が良いから分かるんだもんね〜。うちのディーくんは熱感知できるもんね~」

 

 カヨが自分の鼻の近くをつつく。

 ピット器官のことだろう。蛇はそれがあるため、暗いなかでも獲物を捕らえることができる。

 

「蛇の血が入っていますから。蛇になればどんなに暗かろうが分かります」

 

 ディートリッヒがカヨの頬に触れる。

 

「いいなーわたしもこの体温はディーくんだ!ってやってみたーい!」

 

 カヨが駄々をこねるように足をばたつかせると、ディートリッヒはクスクスと笑った。

 

「カヨには無理ですよ。でも、違う方法であれば可能です」

 

 ディートリッヒはカヨをそっと抱きしめた。

 

「こうして覚えれば良いでしょう。私も日向ぼっこをしているようで心地よいですし」

 

 囁かれたその声に、カヨは顔を赤くした。

 頬はよく熟れたりんごのようだ。

 

「もぅ〜〜……ディーくんマジですき……百万回惚れる……」

 

「何度でも惚れなおさせますが」

 

「そういうとこだぞ……」

 

 そう言うとカヨもディートリッヒの背に手を回した。

 

 それを見ていたスキュブは何か思いついたようにピクリとした。

 目には決意のようなものが宿っている。

 

「アヤネ、わたしも覚える」

 

 もう腕を抱きしめているし、覚えるくらいには何回も抱きしめているとは思うが、これはそういう話ではない。

 アヤネは少し困ったような笑顔で腕を広げた。

 

「いいよ、ほらおいで」

 

 言うや否や、スキュブはアヤネの胸に飛び込んできた。

 穏やかなその表情の目は笑っているように細められていて、白いまつげがきらきら瞬いているみたいだった。

 

 抱きついてくるスキュブはいつも耳をアヤネの左胸にピタリとつけている。

 匂いをか嗅いでいるのに落ち着いているのはそれが影響しているからだ、というのは前にも述べたことがあるだろう。

 

 本当に穏やかな顔をしている。安心しきった子どものような、母親の腕で眠る赤子のような表情をしている。

 そんな表情を見ていると、自然と胸の奥底からふわりとしたあたたかさが湧き出てくる。

 思わず口元がほころんでしまう、頭を撫でてしまいたくなる、そんな気持ちだ。

 

 しかし、そんなときでさえ笑うことのできないスキュブのことを見ていると、たまにどうしようもなく苦しくなる。

 ふとしたときにちくりと針が刺さるように、それは突然やってくるものだ。

 頭を撫でていた手がピクリと一瞬止まる。

 

「アヤネはあったかい、おひさまの光みたい」

 

「……お前こそ。お前はわたしの太陽みたいなものだよ。」

 

 そう言うと、スキュブがきょとんとしたような顔をした。

 

「干からびないの?わたしが太陽だと、アヤネは地面に出てきて乾いちゃうんじゃないの?」

 

 夏場のような強い日差しを放つ太陽ならごもっともだろう。

 だが彼は違う。

 

「夏の太陽じゃないよ。お前は春の太陽だもん、わたしは土のなかでのびのびできるのさ」

 

 微笑みかけると、スキュブは暫くその言葉を咀嚼するように目をぱちぱちとさせて、照れくさそうに目を細めた。

 

「……そっか、そうか……よかった」

 

 スキュブはアヤネの胸に頬ずりした。

 

 実に年相応の表情だった。本来のスキュブらしい、子どもらしい顔でアヤネに身を委ねている。

 アヤネは止めていた手を動かして、再びスキュブの頭を撫でる。

 少しでもこころの傷がなおっていくように、寒いのがなおっていくように、祈りをこめながら。

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