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「……戦力過多だなぁ」

 

 依頼の目的地である森の入り口で、アヤネはため息をついた。

 今回の依頼は大量発生してしまった巨大クモモンスターの退治だ。

 面倒ではないのだが、ちょっと面倒なことになったのだ。ため息くらい許してほしい。

 

 巨大クモモンスターは人間も食べる。

 森で大量発生してしまった巨大クモのなかには、他の個体にエサをとられたせいでお腹をすかせ、人間が生活する領域にまでやってきてしまうことがある。

 生きるために仕方なくそうしているのだろうが、それは巨大クモの話であって、食べられる側の人間にとってはとんでもない話だ。

 こっちも死にたくはないのだ。それがどうしたやめてくれ、というのが食べられる側の主張として認められるものだろう。

 

 この森の近くにある村で何人かが食べられた、と依頼文書に書いてあったのを思い出した。

 しかも徘徊性――クモの巣を作らないで獲物を捕らえる種類のクモのことである――のクモなので、あそこにクモの巣があるから気を付けよう、と対策をすることもできないらしく、モンスターの侵入を防ぐための柵も跳びこえてきてきてしまうため、本当にどうしようもないらしい。

 

 というわけでサクっと片付けようと思ったのだが、前述した通り、戦力過多になってしまった。

 つまり、今回はスキュブとアヤネの他にメンバーがいるのだ。

 しかも二人も。

 どう見ても戦力過多だ。

 スキュブがバッタバッタと倒すのを適当に補助するだけで済むのに、追加で二人もいらない。

 

 しかし、その人物には何かと世話になっているし、現在頭を悩ませ、カヨとディートリッヒには軽く睨みをきかされた問題の中心人物たちでもある。

 少し断りにくい。

 そして断れずにずるずると連れてきてしまった。

 サポートに徹してくれるとはいってくれたが、それだっていらないのに。

 ついてくるなら何もしなくていい。そこらへんでティータイムしてくれていたって問題ないくらいだ。

 

「……本当に何もしなくていいからね。このくらい、スキュブにとっては赤子の手を捻るようなものだし。わたしも適当に魔法唱えるくらいだし」

 

 アヤネは苦い顔をして、後ろにいるヘカテリーナとロッパーに再度念を押した。

 ロッパーはしっかりと頷いてくれているが、ヘカテリーナはニコニコしながら頷いている。

 何かしそうで怖い。世話焼きなのもあって何をするか分からないので怖い。

 

「ふふふ~これでようやくアヤネの魔法を近くで見られるんだもんねぇ~、何もしないで見ているとも~」

 

「そんなに楽しいものじゃないよ、わたしの魔法」

 

「楽しいさぁ、だって若い世代に良い魔法使いがいたら安心できるだろう?」

 

「普通は妬くものじゃない?」

 

「妬くなんてとんでもない!これから後継者を育てなくちゃって年代なんだぞわたし!

 すごいやつがいたらホッとするって方が正しいと思うんだけどなぁ」


 ヘカテリーナが胸を撫で下ろす仕草をする。

 眉尻はさがっていて、疲れたような、困ったような表情だ。

 どうやら言っていることは本当らしい。

 実際、魔法使いを育成するために教室を開いていることもあるのだから、本当に後継者を育てることに尽力しているのだろう。


「わたしみたいな、いつガタがきてもおかしくないようなのがずーっとすごいやつの座にいたらさ、ガタがきたとき大変でしょ?

 それで頑張ってるんだけどさ……なかなか全部使えるって子はいなくてさ……いや、いるのはいるんだけど、一部の魔法がちょーっとなぁって感じだったりで……」

 

 ヘカテリーナは指を顎に当てて、眉をぎゅっとひそめる。

 シワになるぞ、とか言ってはいけない。

 

「ヘカテリーナ、精神疲労か?」

 

 ロッパーが心配そうにヘカテリーナの顔を覗き込む。

 

「まあそんな感じ……でも!」

 

 顎に当てていた人差し指を顔の横でぴん、と立てる。

 

「どうやらウワサによれば、アヤネは全部の魔法が使えるみたいだし、スキュブは全部の武器が使えるみたいだし……

 若い世代ですごいやつがいれば、そこから技術が広がったり観察しあったり。それで皆が強くなれれば、いきなり強敵が現れても被害を抑えられるでしょ?

 ロッパーもスキュブの接近戦観察で学習だもんね。彼の太刀筋は風より速いって話だから、しっかり見ているんだよ?」

 

 ヘカテリーナがロッパーに微笑みかける。

 ロッパーのモノアイが少しの間、チカチカとした。

 

「分かった。しっかり学習する」

 

 どうやら観察対象はアヤネだけではないようだ。

 スキュブは誰かが見ているからといって緊張はしないタイプだが、戦闘を観察されるというのには慣れていない。

 

 アヤネはスキュブの様子を伺った。

 特段注意すべき異常はないが、何というのだろう、子どもに絡まれたときの表情に似た表情をしている。

 あまり好きではないが、拒む理由はないのでやらねばやらない、というときの少し強ばった顔だ。

 

「スキュー、緊張とかしてる?」

 

「……してない」

 

「見られるの、平気?」

 

「……苦手」

 

「今回のは気が立っちゃう依頼だしねぇ」

 

「……うん。でも……」

 

 スキュブの指が三つ編みの毛先をもじもじと弄ぶ。

 

「アヤネがいるから、大丈夫」

 

 スキュブは目を閉じて、ゆっくりと息を吐く。

 どうしようもなく気が立ってしまうのを鎮めようとしているのだろう。

 今回の敵は巨大クモモンスターだ。半分その血があるスキュブにとっては少々複雑というか、多少イライラする相手であるらしい。

 まあ、それはそれで仕方ない。威嚇等をしあうことはあるだろうし、蜘蛛は共食いOKの種族である。

 メスなんかは交接――一般的な言葉で言うなら、交尾と言うべきものである――にやってきたオスを食べてしまうこともあるくらいだ。本能的に気が立ってしまうのはどうしようもないだろう。

 

 しかし、スキュブはどちらかというと、自分が食べ物として認識されることより、アヤネが食べ物として認識されることの方がイライラするようだ。

 理由は、アヤネがどこの誰かも知らないやつの一部になるのが嫌だから、とのことだ。

 それなら他の人食いモンスターも気に入らないのでは、と思うのだが、クモは特に嫌なのだという。

 何か嫌、とにかく嫌、というくらい嫌らしく、過去にアヤネがドジをして噛まれたときは、怒り狂ってクモに変身し、吸い付くした挙げ句残りカスを脚で粉々になるまで踏み荒らしたこともあった。

 

 どんだけ嫌なんだ。

 思い返してみれば、その後変身が解除されてからも頬を膨らませていた。

 あんなやつらがアヤネを食べようとするなんて、と暫くぷりぷり怒っていたのを覚えている。

 やはりクモに敵対意識があるのだろう。

 どのみちアヤネを自分以外の者が食べたら激怒するが、クモの場合は更に、といったところだ。


 因みに、身内であるディートリッヒとカヨに関しては一口くらいなら許せるらしい。

 アヤネがおいしいのは分かるけれど、やっぱり自分以外の者に食べられたくないようだ。

 

「ま、わたしも適当に凍らせたりするから。

 今日もよろしくね、スキュー」

 

 そう言って頭をぽんぽんすると、スキュブは穏やかな笑みを浮かべた。

 

「わかった。手早く殲滅する」

 

 調子がだいぶ整ったようだ。多少気が立っているが、アヤネが噛まれるようなことがない限りは大丈夫だろう。

 スキュブの頼りある言葉も聞けたので、アヤネは皆に合図して森へと入っていった。

 

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 

 この森は人の出入りが結構あるのだろう。人が通る道ができている。

 恐らく調合等に使える植物を採取するのに使われているのだろう。使えそうなものが先程からちらほら見えている。

 

 道のすぐ側には、使えそうな植物の他にも様々なものが生い茂り、木々は青々としていた。

 長く、強くなった日の光をいっぱいに浴びてすくすく伸びた草木の匂いが空気に満ちている。森全体が夏が近いのを感じているみたいだった。

 

 春に目覚めた命のつぼみたちが、燃えるように花開く様子を見ていたら、昔、ちょうどこの季節の変わり目あたりに、スキュブが考えこみながらアヤネに質問してきたのを思い出した。

 

 ――草木たちが夏を呼ぶから夏がくるのか?

 ――それとも、風が夏を運んでくるから草木たちが元気になるのか?

 

 純粋な声で差し出された質問だった。その声色を今でも思い出せる。

 幼い子供のようで、それをまだ手のなかに大切に隠し持っているような少年のような声。

 

 それになんて答えただろう。

 夏めいてきたから草木がすくすくと育つのが正解なのだが、スキュブが感じたことは否定せず、大切に持っていてほしい。

 その気付きは、そのこころは、誰もが持っているのに誰もが落としていってしまうものだ。

 まるで、いつの間にか穴があいていったポケットから、音もたてずにぽろぽろと落ちていくように。

 落ちてしまったら、かたちも思い出せなくなって、あったことさえ忘れられてしまう。

 だから、真実は真実として、感じたことは感じたことで、大切に持っていてほしいと答えたような気がする。

 大切に持っていることが何より大変なものだが、スキュブがスキュブらしくあるために、矯正されるべきでないところまで矯正してしまわないように、その手のなかにしっかり握り守っておいてほしかった。

 他人と触れあうたびにそうすることは辛くなるだろうけれど、それでも捨てないでほしい。

 自分を見捨ててしまうことは悲しいことだから。

 

 

 さて、何事もなく進んできたわけだが、もう少しでクモモンスターの大量発生が確認された地点だ。

 そろそろ警戒しないと死角からガブッとされてしまう。

 スキュブがいる限りは大丈夫だろうが、今回は後ろの二人を守りながらなので警戒するに越したことはない。

 耳をすませて、脅威が近づいてきていないか注意しつつ、一番頼りになるスキュブに声をかけた。

 

「スキュー、何か気配とか感じる?」

 

「……近い」

 

 先程から少しだけ歩くのがはやいと思ったが、そのせいだったようだ。

 顔を見てみると、目付きが非常に険しく、呼吸もいつもよりはやい。

 

「どのくらいで来そう?もう攻撃できるならやっても大丈夫だよ、わたしも準備できてるから」

 

「分かった。……もう少しで射程に入る。もう少しで……」

 

 そう言い終わったあたりだった。

 スキュブがぴくりと反応し、背負っていた投擲用の槍を掴んで投げた。

 槍は木々の中に入っていき、草や枝を弾く音を立てて、森の闇へ溶けていく。

 

 やがてそれらのざわめきが止まったとき、スキュブは大剣を抜いて臨戦態勢に入った。

 白い髪の毛の隙間から、赤い複眼がちらりと見える。

 

「アヤネ、当たった。当たったから、くる」

 

 一度は静寂を取り戻したように見えた木々だったが、その言葉のすぐ、何か大きなものがこちらへ向かっているような音が聞こえはじめた。

 

 しかもこれは一体二体の音ではない。

 恐らく大量だ。アヤネは杖を構え直し、スキュブが向いている方向に注意を向ける。

 

「アヤネ、おさえられなかったら、ごめん」

 

 ざわめきが近づいてきたとき、スキュブはそう言った。

 言葉を出しづらそうだ。意識は野生に近く、理性がほとんど効かなくなっているのだろう。

 

 しかし、そんなことは何度もあった。のぞむところである。

 

「いいよ。やっちゃって」

 

 ざわめきが目の前までやってきて、クモの脚が見えた。

 その上あたりからもクモの跳躍の軌道が見え、黒い複眼と目があった。

 

 戦いの時が来た。

 スキュブが跳躍したクモの方へ向かい、アヤネは下のクモへ杖を振る。

 

「フリーズ・リャン」

 

 小~中程度の威力の氷魔法だ。

 冷気が地を走り、宙を伝って、周囲の草木の表面を霜が覆いはじめる。

 ここに人がいたのなら、急な寒さで身体が硬直してしまうだろう。

 

 脚を出した方のクモも、自分が異常な場所へ脚を踏み入れてしまったのだと、野生の勘で分かっていた。

 が、止まることはなかった。

 今まではそんなことがあっても蹴散らせる程度の氷が地面から生えてきた程度だったからだ。

 

 しかし、アヤネの魔法は普通の魔法使いのものとは異なる。

 ステータスを魔法関係に振り切った彼女の魔法は、常人とは比べ物にならないほど強く、すばやい。

 アヤネが唱えた先程の魔法も、普通の魔法使いが唱えたものであれば、クモの予想通り蹴散らせる程度のものだ。

 足止めになるかどうかも分からない。それよりも強いものを唱えても同じ結果を生むだろう。

 せめて中~強程度、または最大火力のものでなければダメージを与えることはかなわない。 

 

 だが、前述した通り、アヤネは違う。

 

 クモの脚が凍った葉に触れ、それが音もなく割れて散ったころだった。

 突如、クモの腹の下あたりにある地面から、氷の刃が勢い良く突き出てきた。

 その切っ先は鋭く、厚さは人一人を中にいれてもまだ余裕があるほどで、大剣をそのまま大きくしたものといっても過言ではない。

 

 クモもさすがに命の危険を感じたのか、咄嗟に跳躍しようとしたが、もう遅い。

 脚を動かそうとしたときには既に氷の刃がクモの身体を貫き、刃は腹から頭にかけてを裂いていた。

 

 事切れて垂れる、大きな脚。

 今日まで多くの物を蹴散らし、破壊してきたその脚は、氷の刃の崩壊と共にあっけなく砕け散った。

 

 一方、スキュブの方。

 こちらもあっという間に方がついていた。

 

 スキュブが地面を蹴り、放たれた矢のようにクモへ肉薄する。

 

 空中で大きく軌道を変えることはできない。

 このままでは追突されそうだったが、急に接近してきたスキュブをかわすこともできなかったため、クモはせめても、と毒をもった鋏角を広げた。

 

 その刹那、鈍い音が響いた。

 高所から重いものが落ちたときのような音だ。

 それと共に、クモの体液が飛び散り、周囲の地面にぼたぼたと染みを作る。

 

 スキュブが大剣をクモに叩きつけ、潰してしまったのだ。

 いつもであれば切り裂いて終わるものを、今回は怒りや興奮のままに大剣を振るったのでこうなってしまった。

 

 その形相は鬼のようである。

 目付きは鋭く殺気に満ち、歯はむき出しになって、今にも鋏角が出てきそうな勢いだ。

 こんな表情で目があったら、相手は腰を抜かしてしまうだろう。そうでなくても背が粟立つに違いない。

 

「アヤネ!!!」

 

 咆哮のような声で名前を呼ばれた。

 言葉の続きはスキュブの口からでてこない。

 だが、その目線、今の状況からアヤネは全てを察して背後を振り返り、杖で宙を突いた。

 

「フリーズ・リャン!」

 

 氷の刃が地面から突き出てくると同時に、木々の中からクモが複数飛び出してきた。

 氷の刃は前にいたクモを貫いて、後ろにいたクモの動きを鈍らせる。

 

 それは本当に僅かな間の隙であった。

 そこを突いて畳み掛けられるかどうか怪しい。

 

 それでも、スキュブは止まらない。

 獲物を狙う獣のように駆け、一気に距離を詰めると、思い切り大剣を薙ぎ、複数いたクモをその一振で全て真っ二つにしてしまった。

 

 それからも休みなくクモが押し寄せてきたが、結果は知っての通りだ。

 ようやく落ち着いたころには、そこらじゅうにクモだった何かが積み重なっていたり、木や草に引っ掛かったりしていたりして、これを知らない誰かが見たらギョッとしてしまうような有り様になっていた。

 スキュブは足元に落ちていたクモの脚を蹴飛ばして、アヤネのもとへ帰ってくる。

 

「おそらくもう近くにはいない。いたとしても、遠くへ逃げただろう」

 

 涼しい顔に見えるが、まだ興奮が残っている。

 この程度で息が上がるスキュブではないのに、呼吸が少しはやめに思えた。

 複眼はもう見えないが、クモの体液がついた頬はまだ熱を失っていない。

 声をかけて落ち着かせるべきだろう。

 

「それじゃあ大丈夫だね。

 今回もお疲れさま。なかなか豪快な戦い方だったね」

 

 頬についたクモの体液を指で拭ってやりながらそう言うと、スキュブは嬉しそうに目を細めた。

 

「アヤネに、触れさせたくなかったからな。それに、一番はわたし」

 

 言葉が足りないので補足する。

 要するに、あのクモの大群のなかで一番良いのは自分であると主張しているのだ。

 スキュブが一番強いのは当たり前のことだが、スキュブはアヤネがクモという生き物をそれなりに好んでいることを知っている。

 だから、そのなかでも一番は自分だろう?と言いたいのだ。

 

 かわいいやつである。それと同時に微笑ましいことだ。

 同族のこととなると、敵対意識があるおかげで自分を過小評価することがない。

 素直に、自分が一番だと言ってくれ、と言うことができる――

 

「そうそう。スキューが一番だよ。強さもかわいさも、かっこよさも、全部ね」

 

 綺麗な方の手で頭を撫でると、スキュブは誇らしげに胸を張った。

 

「そう。あんな群小なやつらに、お前を味わう資格はない。お前の視界に入ることだって、許しがたい」

 

 スキュブの瞳孔がクッと開く。

 ディートリッヒやカヨのようなことを言うスキュブの目が一瞬、アヤネの首を食い入るように見ていた。

 が、すぐに何かに気づいたようで、先程までの勇ましい姿はどこへ行ったのか、急にもじもじとしはじめた。

 

「……アヤネ、聞きたいことがあるんだが」

 

「なに?」

 

「さっき……かわいさも、かっこよさも一番って言った?」

 

「うん。もう一回言おうか?」

 

 スキュブがびくっ、と顔を上げて……と思ったらまた俯いて、頬をおさえた。

 その頬は真っ赤だ。りんごみたいでかわいい。

 

「いや……じゃなくて、嫌じゃないんだ、でも、顔がとってもあつくなってしまうから……

 いや、いや……それでももう一回……でも……」

 

 「いや」と「でも」を繰り返している。

 かわいいな。

 

「一番かわいいよお前……」

 

「本当に?」

 

「あったりまえでしょ……」

 

 親指を立てて肯定の意を表すと、閉じかけていたスキュブの複眼が開きはじめた。

 ちょっとヤバいかもしれない。

 別にひとかじりくらい何ともないが、人前でカニバリズムはパニックを生む。

 

「待って……嬉しくて、はじけそうだから……おちつくから……」

 

 スキュブは目をぎゅっと瞑って、自分の頬をぺちぺちとした。

 

 いや本当にかわいい。

 さっきからかわいいしか言ってないが、これはとりあえず言っとこう的な「かわいい~(適当)」とは違う。

 これは「かわいい(真顔)」とか、そういう類いのものである。

 かわいすぎて謎にキレてしまいそうな程のかわいさである。

 力いっぱいに抱き締めて、これでもかというくらいに頭を撫でてやりたい衝動に駆られるが、それをするとモグモグルート一直線なので我慢しなければならない。

 ニコニコしながら見守るのが一番だ。

 

 

 そしてその様子を眺めているヘカテリーナとロッパーは、というと。 

 本当に何もしなくて済んだということに驚きつつ、二人の微笑ましい様子にほっこりしていた。

 

「……やっぱ恋人っていうよりお姉ちゃんと弟っていう方が近いよねぇ……」

 

 ヘカテリーナはうんうんと頷きながらそう言った。

 

「身内、とはそういうことなのか?」

 

 ロッパーが首を傾げる。

 

「うーん。でも姉弟だったら姉弟って言うよね。身内だって言うんだからそうじゃないのかも。

 それじゃあお母さんと息子なのか?って言うとちょっと違うし……

 ……でも、間違いなく家族だよね。 」

 

 ヘカテリーナが目を細めた。

 

「見てるとさ、息がぴったりなんだよね。互いのことを知り尽くしてる……以心伝心って言ったらいいのかな。

 双子の子を見てるとき、こんな感じだよね。絶対に切れない、見えない糸で繋がってるみたいで――」

 

 ふわりと風が吹いた。

 夏の手を引いて走り、うっすら汗ばんだ肌を涼しげに撫でる風が、ヘカテリーナの髪を揺らす。

 垂れたもみあげがさらさら流れて、細められた目が隠れる。

 その揺れた瞳が何を見つめているのか、ロッパーには分からない。

 

「……いいなぁ、ああいうの。あったかいよね……」

 

 いつもなら、こちらに視線を向けるはずのヘカテリーナの目が、家族の絆で結ばれた二人に釘付けになっていた。

 

 何を考えているのだろう?

 どうしてそんな目で見ているのだろう?

 レモン色の透き通った目に、暗い色が差しているのは認識のエラーだろうか?

 森にいるせいなのだろうか?太陽が雲に隠れてしまったからなのだろうか?

 

 ロッパーの中にたくさんの疑問が溢れて、どれも納得いく答えにたどり着けなくて、思考の速度がどんどん落ちていく。

 処理が重たい。いつものように順調に答えを導きだせない。

 

「……ロッパー?どうしたの?」

 

 ハッとして思考を一時停止させると、心配そうにこちらを見ているヘカテリーナが確認できた。

 これはいつものヘカテリーナだ。先程までの瞳の影はもうない。

 

「動作が停止しそうになっていた。

 処理を放棄したほうがいいかもしれない……」

 

 ロッパーはモノアイの光を弱めて、少し項垂れた。

 

「おやおや。もしかしてスキュブの動きがはやすぎてどうなってるんだ状態だったりする?

 あれは分からなくても仕方ないって。……わたしも分からなかったし」

 

 困ったように笑ったヘカテリーナは頬を掻いた。

 

「ただ、アヤネの魔法に関してはすっごくよかったなぁ~!あれなら無事隠居できるわ~……」

 

 こくこく頷くその様は満足げだ。どうやら納得のいくものだったらしい。

 

 

 その後、倒した証拠になるもの等をとって、一同は森をあとにした。

 皆、それぞれすっきりとした表情で街へと向かっていたが、ロッパーは途中、ふと森の方へ振り返る。

 

 あそこで何か重要なことに気づけないまま、ここまで来てしまったような気がして。

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