16
外が暗くなりはじめた頃、ギルドの食堂にて、ヘカテリーナは口に運ぼうとしていたトマトを、それを刺していたフォークごと落とした。
幸いサラダの皿の上に落ちたから良かったが、フォークと皿がぶつかった音は眉をひそめずにはいられない。
――今は、眉をひそめる余裕すらないのだが。
「……えーと。それは本当かな、ロッパー」
「真実だ。」
「ほえー……そっかぁ……」
とりあえず笑顔を浮かべてみようと思ったがうまくいかない。
取り繕った笑顔である。これではロッパーに心配されてしまう。事を整理して気持ちを落ちつかせなければならない。
新人としてギルドに加入してきたときから面倒をみているかわいい後輩、ロッパーは、最初の頃から人の感情を学習することが他の機体よりも得意な子だった。
人に共感することもでき、声の抑揚はみるみるうちに人間に近づいていった。
他の機体よりも人間に興味があったのかもしれない。自然と周囲の人間の動作を真似て、それを自分のものにしていった。
素晴らしい力だ。先代の機体から受けつがれたものなのだろうか。そうであっても、そうでなくても、素晴らしい才能であることには違いない。
だが、そもそも感情の起伏が激しくない機会生命体が、人間のような感情を手にしていったらどうなってしまうのか、不安でもあった。
彼がこれから歩む道は、ほとんどの者が歩いたことのない道だ。どんなことがあるか分からない。
そう思っていた矢先がこれである。
機会生命体が恋をしたなんて聞いたことがない。
信頼しあうとか、そういうのはよく聞くが、恋というのは初耳であった。
人間でさえ、もて余す感情だ。彼にどのような影響があるか分からない。
「ところでどんな子?あ、名前とか言いづらかったら、特徴とかでもいいよ。」
ダメ女にひっかかっていたら悲惨だ。特徴を聞き出しておおよその予想をつけたほうがいいだろう。
「……面倒見が良い女性だ。」
「へぇ~~お姉さんみたいな感じ?なんだかんだで面倒みてくれる人ってありがたいよね」
「そうだな。いつも気にかけてくれている。」
ロッパーが穏やかにこくこくと頷いている。
光るモノアイは三日月のような形になっており、にこにこ笑っているように見えた。
幸せそうだ。かわいい後輩が幸せそうなのは良いが、その先に何があるかは不透明だ。深い霧のなかを進んでいくようなものである。
「ロッパーいい子だもんねぇ。気にかけちゃう人いっぱいいるんじゃないかなぁ」
「優良の評価、感謝する。
気にかけてくれている人は多くいる。しかし、その人は特にだ。感謝してもしきれない」
「そっか~」
誰だそれは。
特に面倒見の良い女性とは一体誰なのだ。
面倒見の良い女性はこのギルドにたくさんいる。
このギルドの新人が特に生活に困ることなく成長していけるのは、男女問わず面倒見の良い人が多くいるからだ。
一人では難しい依頼なども率先して手伝ってくれる人は勿論、武器の使い方や魔法の使い方なども教えてくれる人も多く、人材育成に関しては文句のつけどころのない場所だ。
そんな良い場所だからこそ「面倒見のよい女性」だけでは絞りきれない。
強いていうなら、ダリアあたりだろうか。
彼女は口調こそ男のようで、その上乱暴ではあるが、なんだかんだで面倒見がよく、優しい。
厳しいこともよく言うが、それも優しさのひとつだ。
彼女の言葉には理不尽に屈することがないように、という思いがつまっている。
おそらく彼女自身もそれを大切にして生きている。
力が強いのも、言葉が強いのもそのせいだ。
「ま、まあうまくいけばいいけどね、結構恋愛とかって大変だから……
今のところどうなのさ、悩みとかあったらじゃんじゃん言うんだよ?」
「うまくいっている、と言って良いかは分からない……」
ロッパーのモノアイが考え込むように、横線を描いたような形になる。
もう少し近くにいけば、うぃーーーー……という、頑張って処理を行っている音が聞こえてくるだろう。
「学習した情報によれば、私は相手に対し、「アタック」をしなければいけないらしいのだが、それもできずにいる。
「アタック」の仕方は同一ではないと聞く。相手によって効果が違い、好むものも異なるようだ」
「つまり、振り向かせるにはどうしたらいいかってことかな?」
「そうだ」
ロッパーは力強く頷いているが、こちらとしては頭を抱えて深く考え込まねばならない事柄である。
後輩の女性の恋愛相談はいくつも受けてきた。
だが、それらは大抵相談を受ける前に、噂や普段の態度から、恋愛対象が推測できているものがほとんどだ。
彼はどうだろうか。
彼の恋愛に関する噂話など聞いたことがない。
普段からよく見てはいるが、彼の態度は皆に対して友好的だ。
特に仲の良い友人の肩を持つ――その友人に少々悪いところがあったとしても――ことはあるが、その様子を恋をしているとは言えない。
だいたい、恋などどこで学習してきたのだろう。
彼は学習のために本を読んだりしているが、そこだろうか。
確かに本の中には愛だとか恋だとか、そういったものが書いてあることもある。
自分が勧めたものにはあまりそういうものはなかったが、彼のことだ、友人から勧めてもらったものも読んでいるに違いない。
しかし、彼の特に仲の良い友人となると、アンヘルあたりが該当するのだが……
あの子は、本を読む趣味があっただろうか?
本を読むより、外で遊んでいる印象が強い。実際に街の子どもたちと追いかけっこをして遊んでいる――遊んであげている、の方が正しいが、一緒になって全力で楽しんでいるので、そのような印象になる――のを見かけたことがある。
謎は深まるばかりだ。
原因も対象も分からない。
ヘカテリーナは細かい字を長時間眺めたわけでもないのに、眉間のあたりを押さえた。
「どうした?ヘカテリーナ。眼精疲労か?」
ロッパーが首を傾げて見つめてくる。
「はっはは~……いやぁ、歳をとると困るねぇ~。もうおばさんだからな、わたし……」
「おばさん、ではなくお姉さん、が適正かと思うが」
「マジで?嬉しいわ……」
ロッパーのモノアイがキラリと光る。
キリッ!と言いたいのだろうか。
いや、誤魔化すための言葉に真面目に答えてもらうと何だか申し訳ないので、そんなにキリッとしなくてもよいのだが。
「まあ、あれだね。まずは……相手がロッパーのことをちゃんと知ることができるように、そしてロッパーも相手のことをちゃんと知ることができるようにってことで、まずは色々お話ししたりするのがいいんじゃないかな。
ほら、ぐいぐいされるのが好きな人もいるし、そうじゃない人もいるし、そういうことを知るためにもさ」
「……ルイスにも類似した意見をもらった。
やはり会話が必須なのだな……」
ロッパーは深く頷いて、しみじみと理解した様子を見せた。
ルイスにも相談していたのか。
相談相手を間違っているような気がするし、間違っていないような気もする。
彼はどんな女性にも振り向くことはない。
どんなに美しいと言われる者にも、こころを奪われることがないのだ。
まるでそれより美しいものを見たことがあるような素振りを微かに見せたこともある。
かといって、恋愛対象が同性というわけではないようだし、生物以外の物に恋心を抱いているわけでもない。
それなのに、顔立ちが良く、面倒見もよいせいもあって、異性にはよく好かれる。
彼自身にとっては困った現象だろうが、それをロッパーが観察すれば、モテる秘訣のようなものを学習する機会にはなるかもしれない。
「そうそう、相互理解ってやつだね。
依頼でモンスターを倒すときだってそうだろう?まずは対象の情報をしっかり掴んで対策、情報がなければちょいちょいっとボコってみてどうだか判断。それと一緒さ」
ロッパーがモノアイをきらきらさせながら頷いている。
その様子は新人が仕事を覚えようと必死にメモをとっているそれに似ていた。
何事にも一生懸命なのは彼の良いところだ。真面目で素直なので周囲のアドバイスは柔軟に取り入れて、しっかりと自分のものにしている。
だからこそ、間違ったアドバイスをしてはいけないと、ヘカテリーナは深く考え込んでしまっているわけだが。
「ところでヘカテリーナ、参考に聞きたいことがある」
「ん?なになに?」
「ヘカテリーナはどのような異性が好ましいと感じる?」
「……ああ、わたしのタイプを参考に聞きたいってことかい?
えっとねぇ……」
にこにこしながらそういったヘカテリーナの目蓋がぴくり、と震えた。
それは、めざとい人間であれば気づくだろうが、そうでない多数の人間は気づくことのできないようなものであった。
しかし、機会生命体であり、ヘカテリーナに焦がれるロッパーは気づく。
笑っているのにどこか違和感のある表情に、頭脳は疑問を呈した。
普段の笑顔とは少し差異がある。
彼女の笑顔には様々な種類があり、「蠱惑的」という様に該当するものから、「天使のような」という表現に該当するものまで、幅広い種類のものがある。
どれも綺麗で美しいものだが、先程の物は何かが違った。
何が違うのかははっきりしない。
だが、いつもの美しさを感じとることができなかった、それだけは確実に言えることだ。
「ヘカテリーナ、やはり眼精疲労か?」
ロッパーが首を傾げると、ヘカテリーナはきょとんとした顔をする。
「え?何で?」
「目蓋が微かに痙攣していた。疲れている可能性がある。」
「あぁ……そう、だね。」
ヘカテリーナは一瞬真顔になったが、すぐにいつもの笑顔を浮かべた。
眉尻を下げて、困ったように笑う、かわいらしい笑みだ。
これを見ると、ロッパーは自分の処理能力が少しだけ良くなるような感じがする。
実際に数値等を比較したわけではないので、それが正しいのかは分からないが、彼女の笑みに力があるのは真実だ。それがはっきりしているならそれで良い。
「ははは~実は最近ダリアにレース編みを教えてもらっててね。これがはまると結構時間忘れちゃうんだ~、もしかしたらそれが原因かも」
「あの細やかで美しい模様を編むのか。大変興味深い。可能であれば見てみたい」
「いいよいいよ~。今度のメンテナンスのときに見せてあげる」
そう言うと、ヘカテリーナは皿に残ったサラダを口に運んだ。
ヘカテリーナの食事の動作は淑やかだ。
レタスやトマトをフォークで綺麗に刺して口へ運ぶ。
その動作はなめらかで、洗練されている。人はこれを絵になる、と表現するのだろう。
特別、どこの誰よりも美しく見えた。
動作だけではない。見た目もそうだ。
薄桃色の髪の毛は、優しい彼女の性格をそのまま表したように柔らかく見えるし、レモン色の目はキリッとしているが穏やかさを湛えている。
いつも気に掛けてくれる面倒見の良さも、機会生命体だからと差別することなく、まるで人間を相手にするように接してくれるところも、美しかった。
それなのに、彼女には伴侶がいない。
ロッパーはいつもそれを疑問に思っていた。
どうして彼女のとなりはいつも空っぽなのだろう。
何もはめられていない、さらりとしたその指を、ロッパーはぼんやりと眺めていた。
・ ・ ・
満月が真っ暗な空に浮かぶ時間帯であった。
夜風を部屋に招くために開けていた窓を閉じたヘカテリーナは、側に置いていたランタンに目を向けた。
ランタンの置かれた机には編み終わったレースある。レースはランタンのあたたかな灯りに濡れて、オレンジ色を吸ったようだった。
白い糸を使ったので、本来は違う色をしているのだが、白というのは周囲の色の影響を受けて表情を変える色である。
家の白い壁が夕日で鮮やかに染まるように、冬の朝日を吸った雪の影がどこか青ざめているように、季節や時間に合わせて、白は表情を変える。
自我の無い色と見るのか、何にでもなれる可能性の色と見るのか、清らかなものと捉えるのか、これから穢れていくものと捉えるのかは人次第だ。
ある意味、見る者の鏡となる色なのかもしれない。
ヘカテリーナが白を選んだ理由は、そういったものではなく、何となく選んだという軽い理由ではあるが。
因みに、白が好きというわけでもない。
白いものは汚れが目立つし、洗っても微かな汚れが残っているのが気になる。
白い服の襟元なんて強敵だった。
いくら洗ってもとれない黄ばみ。
黄ばみがモンスターであるなら、ブラシは剣のようなものだ。
しかしそのモンスターはかなりの強度で、いくら斬りつけても傷ひとつつけることも叶わず、しまいには手が疲れてくる。
それを着ていた人は綺麗になってる~!等と言ってニコニコしながら着てくれたが、そこまでニコニコしてくれるならもっと綺麗にしたかった、というのがヘカテリーナの胸のうちである。
その人はもういないが。
ヘカテリーナはふと眉をひそめた。嫌なことを思い出した。もう過ぎ去ったことだというのに、思い出はいつまでも後ろ髪を掴んで離さない。
恋の話なんて聞いたからだろうか。いや、これまで何度も聞いたことはあるのだからそれが原因ではない。
夏めいてきた暑さのせいだろうか。いや、これも違う。あれから夏など何度も越えてきた。その度に思い出したわけではないのだからそうではないのだろう。
ヘカテリーナは編み上がったレースに触れてみた。
そこまで細やかな模様ではないが、美しいそれを指でなぞる。
ぼこぼこ、ざらざら……この上に紙を敷いて鉛筆を走らせたら、千鳥足になって線はあちこち迷ってしまうだろう。
グラスのコースターに、と作ったので丸い形をしているが、始めたてのせいか少しいびつだ。
これを教えてくれたダリアはもっと細やかで綺麗な模様を編める。
彼女はああ見えて手先がとても器用なのだ。立体的な花の形に編んだものを髪飾りにしてプレゼントしてくれたこともあったくらいに。
そのときはそんなことばかりしていると女の子に惚れられちゃうよ?とからかったが、その日のうちに髪につけて鏡を見てしまったくらいに嬉しかった。
彼女は適当に作ってみただけだ、なんて言っていたが、年齢的にも違和感のないような落ち着いたデザインにしてくれたあたりから、それが本当なのかそうでないのかが何となく分かる。
きちんと見れば分かるが、優しい女の子なのだ、彼女は。
口は悪いし、周囲の人からはおとこおんななんて呼ばれることもあるが、話を聞いてみると、確かに口は悪いのだが、優しいお姉さん――アネゴ、アネキ、のほうが適切かもしれない――という言葉がよく似合う女性ということがよく分かる。
アンヘルからなつかれているのもそれが原因だろう。
よく面倒をみてくれて、ちゃんと叱ってくれる人なので、年下のアンヘルにとってはかっこいいお姉さんのように思える存在なのだろう。
何かと甘やかしてしまいがちな自分とは違って、しっかりとした女性だ。
親になるなら彼女のような人のほうが良い。
だから、自分には親になるための機能が備わっていなかったのだ――
ヘカテリーナは眉間のあたりをぎゅっと押さえた。
だめだ、夜に物思いにふけるのはやはりよくない。
長年、何度も何度も思ったことなのにどうして今でも繰り返してしまうのだろう。
机の隅に目を向けないようにしてランタンを持った。
急いた手つきで持ち上げられたランタンの炎がぐらりと揺れたが、ヘカテリーナは気にすることなく早足でベッドに向かう。
ベッドの側に備え付けられた棚にランタンを置いて、ごろりとベッドに横たわった。
ランタンの火は消さずに、冴えた目で暗闇のなかを見つめ続ける。
寝てしまいたいが、胸のなかに残り続ける重たい何かが、ヘカテリーナの精神が夢へ滑りこむの許さない。
何が見えるわけではない。
灯りがあってもなくても、そこに誰かがいるわけではない。
闇に誰かを見いだすわけでもない。
ただ、かわいた目で虚無を見つめ続ける。
あたたかな灯りを、手の届く場所に置いて。
アヤネとスキュブがでてこないと文字数が減りますね。
あの二人はわたしの性癖ぶちこんでるから、文字数を増やすのかもしれない。
二人は性癖マックスハート




