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家族のかたち  作者: メデュ氷(こんにゃく味)
第一章 始まり
10/74

10

 鬱蒼とした森の奥、人が通ったような跡もない道を進んだところにカヨの家はある。

 今はテレポートで行けるから良いが、最初、テレポートで行ける場所に登録するために徒歩で行ったときは何度も迷いそうになった。

 マップとにらめっこしながら、ときに現れるモンスターと戦闘し、そのせいでまた道が分からなくなり、その度に頭をかかえたのを覚えている。

 幸いスキュブの目がよかったおかげで、その道はさっき通っただとか、人が草をかき分けた跡があるだとか、カヨの家までのヒントを得られたが、それがなければ森をちょっと燃やしていたかもしれない。

 

 カヨの家は人を招くという考えが皆無の場所に建っている。社交的で人と遊ぶ機会も多かった彼女が何故そんなところに家を建てたのか、アヤネも最初は疑問に思っていた。

 アヤネの場合はスキュブのために――いつ、スキュブが蜘蛛に変身してもいいように森に家を建てた。彼女も同じような理由で建てたのだろうかと考えたのだが、実際の理由は思わずぽかーんと口を開けてしまうようなものであった。

 そう、彼女がこんな僻地に家を建てたのは「趣味で」という理由なのだ。

 まさかの趣味である。

 いや、勿論アヤネと同じような理由もあった。ディートリッヒも蛇に変身することがあるからだ。

 しかし、それ以上に趣味という理由が濃いのである。

 彼女曰く、


「森の中で迷いこんだ人間が大きな屋敷を見つけ、泊めてもらおうと入るとそこは蛇に変身できちゃうスーパーイケメンが居たのであった!そしてその人間はなすすべなくそのイケメンに食べられてしまう!これって超イケてるシチュエーションじゃない?!」


 とのこと。

 

 そんな、どこぞの料理店ではないのだから、と思ったが、彼女はそういうのが好きらしい。

 人間だと思ってた者が実は人外であった、その上それは人間を食べてしまうような者であった、というのが彼女の嗜好である。

 そのなかでも、巨大な人外が人間を丸呑みにするのが大好きで、そのようなジャンルを補給するためにネットの海をさ迷っているらしく、アヤネもよくオススメの作品はないかと聞かれた。こちらにはそういう趣味はないのであまり情報を提供することはできなかったが。

 因みに、好きな動画は蛇の補食動画だという。

 ネズミがゆっくり丸呑みにされていくのが最高に萌えるようだ。 

 ディートリッヒはその嗜好、理想を完璧に体現したものだ。

 蛇に変身できる、人間を丸呑みするという嗜好を完璧に押さえた上に、ぐいぐいきてリードしてくれる系、絶対に裏切らない、時にいじわるだが大切な人に対してはどこか臆病であるというかわいさを持つ。

 ……絶対に裏切らないという点に関しては、もはや「こちらが裏切ったら殺しにくる」レベルではあるが。

 実際には監禁されて一歩も外に出してもらえない、というくらいだろうが、それはそれで良いのだろうか。これが彼がヤンデレたる主な原因なのだが。

 カヨにはヤンデレが好きという嗜好はなかったはずだ。彼女は専ら人外丸呑み好きであった。ブックマークの上から下まで丸呑み作品ばかりだったのを見たことがある。

 しかし、カヨはディートリッヒのことを理想通りだと評価している。

 もしかしたら、ディートリッヒと出会って新たに獲得した嗜好なのかもしれない。

 好きという感情は時に嗜好さえも変える。そう考えてみればアヤネにも思い当たる節があった。

 スキュブと出会った頃はとにかく何かにすがろうと必死で、好きも嫌いも曖昧だったような気がする。白い髪の毛と赤みがかった虹彩、中性的な見た目という好みは、こころに余裕があったときのものであった。

 それ以外にこれといった嗜好はなかったし、とにかく何か夢中になれるような、話相手になってくれるような人が欲しかっただけだったのだから。

 しかし、彼と話すうちに彼の性格を好きになったし、彼の全てが愛おしいと思うようになった。

 最初は謳い文句通りのゲームじゃなかったら即アンインストール、と考えていたが、とんでもない。

 彼はかけがえのないものになった。アヤネのこころを支える、生きる力を与える存在になったのだ。


 さて、ここらへんで話の筋を戻そう。

 アヤネは今、カヨの家の前に立っていた。

 相変わらず、家というよりも屋敷といったほうが正しい程大きな建物だ。お嬢様が住んでいそう、という印象を与えるには十分な大きさである。

 つくりは西洋の屋敷、といったら分かりやすいだろうか。

 幼い女の子がここにいたらおおはしゃぎしそうである。噴水に庭園まであったら完璧だ。

 しかし、そこまで明るい色はしていない。ダークウッドのような焦げ茶色の壁は所々蔦で覆われており、屋根は曇天の色をそのまま塗ったように暗い。

 確かに豪華な装いといえばそうなのだが、どちらかといえばホラーに出てきそうな屋敷だった。森の中にあるというのもその印象に輪をかけている。

 扉を開ければ、中から人食いが出てきそう、というイメージがぴったりだ。カヨもそれを狙ってこのようなデザインにしたのだろう。


「……にしても、いつ見てもデカいな……」

 

 こんな屋敷に二人と十数人の使用人では広すぎるのではないか。方向音痴がここに入れば出てこられないのでは。


「でかい。だが、狭い家もいいぞ、アヤネ」


 スキュブが何故かフォローをいれてくれた。

 自分の家の狭さを嘆いたわけではないのだが。

 しかし、このようにたまに謎の発言をしてくれるところが彼のかわいいところである。

 アヤネは気にしていないと言う代わりにスキュブの頭をナデナデした。

 急に頭を撫でられたスキュブはきょとんとして首を傾げたが、頭を撫でられるのが気持ちいいようだ。すぐに穏やかな表情になった。

 

 スキュブとのかわいいやり取りを終えた後、アヤネは屋敷の扉をノックした。

 重苦しい扉は使用人によって開かれ、ようこそいらっしゃいました、という歓迎の言葉が聞こえてくる。

 仄かに暗い廊下には数人の使用人がお辞儀をして立っており、皆目蓋を閉じていた。

 無表情な彼、彼女たちはまるで人形のようだった。声の調子も、動きも皆同じで、多少の違いはあれど、それは大量生産品の玩具を思い起こさせる。

 もしかしたら、サイボーグに改造されていたりしないだろうか。

 この屋敷の主たちにはそんな技術はないだろうが。


「アヤネ様、お荷物をお預かりしましょうか」


 使用人の一人がアヤネに近寄ってそう聞いてきた。その声にはほとんど抑揚がない。


「荷物は大丈夫だけど、こっちは受け取って。カヨが好きだろうから」


 アヤネはお土産の箱を手渡した。使用人はかしこまりました、と言うとそれを丁寧に受け取って一歩下がる。


「それではご案内いたします。」


 他の使用人が出てきて、一礼する。円滑な一連の動作を見ていると、流れ作業のベルトコンベアーに乗せられているみたいだ。そこまで丁寧に扱ってもらわなくてもいいのだが。

 まるでお嬢様のようではないか。自分の産まれも格も、そこまで上等なものではない。実家ではいないものみたいなものだったし、新しい父にとっては玩具みたいなものだった。

 実際に、若い女であることが取り柄なのだから、はやくこういうことができるようにならないと、という理由で新しい父に卑猥な雑誌を見せられたことがある。

 新しい父にとっては娘の身もこころもどうだってよかったのだろう。

 それで娘が泣いても嫌がっても、その繰り返しで吐くようになっても気にしていなかった。

 母も、そうだった。

 新しい父がそうしていることを知っていたのに、何もしなかった。

 所詮自分の価値などその程度のものだったのだ。だから、こういう丁寧な扱いには慣れていない。

 重いため息をつくと、スキュブがそっと手を繋いでくれた。

 そういえば、手を繋いでくれると約束していたっけ。


「大丈夫、わたしがいるからこわくないぞ」


 スキュブが口角を微かに上げた。

 アヤネがため息をついたのは、使用人たちや屋敷が怖いからではない。慣れない扱いをされて変に疲れてしまうからだ。

 だが、彼の優しさは結果としてアヤネのこころを穏やかにさせた。

 アヤネを助けたい、辛い思いを除いてあげたい、という想いがその手を通して伝わったのだ。

 アヤネは胸のつっかえがほぐれてあたたかくなるのを感じ、自然と笑顔になった。


「ありがとう。お前のおかげで平気になったよ」


「……よかった」


 手を繋いだ二人は使用人のあとをついていった。

 笑顔が下手なのはお互い様らしい。他者が一見すると、二人はほぼ無表情に見える。

 ただし、交わされる言葉とその後ろ姿を見聞きした者は、どこか愛を感じるだろう。

 表情はお世辞にもキラキラとしたものではない。それでも、人によっては穏やかに笑いあう幻覚がちらりと見える。

 これが二人の関係を表すにふさわしい言葉であった。


 


 ・ ・ ・ 

 

 

 

 使用人に案内された部屋はいくつかある客間のうちの一部屋だった。

 部屋は月の民の技術によって作り出された照明のおかげで仄かに明るい。

 家具は掃除が行き届いており、ニスの剥がれたところがない、つやつやとした椅子やテーブルはどれも触り心地が良さそうだ。

 そのぼんやりとした明るさのなかに、一人の少年が立っている。

 窓辺にたたずむ少年の白い髪の毛が、射し込む木漏れ日できらきら光って見えた。星のかけらをふわりと散りばめたようなそれはスキュブの髪の毛と似ている。

 しかし、肌は強い日差しが映える褐色で、虹彩は向日葵を思わせる黄色だ。瞳孔は蛇の血が混ざっている影響か、縦に細長い。

 柔らかな光を纏った少年はこちらへ振り向くと、艶のある笑みを浮かべた。

 この笑顔で誘われた人間は多いのだろう。そして胃の中に導かれたのだろう。彼はそういう男であった。


「お待ちしておりました、お兄様、お姉様」

 

 目を細めると白い睫毛が綺麗に見える少年、ディートリッヒはこちらへ歩み寄ってきた。

 その動きには品があるが、獲物の背後へ忍び寄る蛇のようでもある。


「……会えて嬉しい、ディート」


 スキュブもディートリッヒへ歩み寄り、優しく抱き締める。


「ふふ、私もです。」


 ディートリッヒはスキュブの背中に腕をまわした。


「お兄様の腕の中はあたたかいですね。目を閉じたら眠ってしまいそう」


「ぽかぽかしているのか?……うん、ぽかぽかすると眠くなる。それなら頭も撫でてやろう。とてもいい、ぽかぽかしながらの撫では、とてもいいから」


 スキュブの手がディートリッヒの頭を撫でる。その手つきは記憶の中を探りながらでぎこちないが、とても優しいものだった。


「ふふふ、くすぐったいです。まるで壊れ物に触れるよう。私、そこまで脆いわけではありませんが、お兄様のおこころ、この胸にあたたかく伝わっています」


 ディートリッヒはスキュブの胸に少しだけ頬擦りした。


「わたしも、くすぐったい。くすぐったくて、はじけるみたい。アヤネがいつも飲んでるぱちぱちの水みたいだな。」


「それは少々激しいのでは?お姉様がお飲みになってるものは、かなり強めとカヨが言っていましたが。」


「む、そうか……じゃあ、その半分か……?うーん、何と言ったらよいだろう」


「ふふ、かわいいお兄様。大丈夫ですよ。それ以上の言葉はいりません。何が言いたいか、どのように感じているかはもう分かっておりますから。

 ――私たち、兄弟ですもの、ね?」


 ディートリッヒの細められた目が鈍く光った。唇の間から先が二股にわかれた舌がちろりと見える。


「うん。兄弟だ。かけがえのない、たった一人の。

 ……むむ。わたしのほうが兄なのに、いつもディートのほうが言葉がうまい。誇りに思うが、わたしももっと、うまく喋りたい。」


 スキュブは向けられた眼差しに物怖じしない。微笑みで受け止め、少し唇を尖らせて返した。


「あら、お兄様はそのままで良いのですよ。大切なのは自分のこころを取り繕って伝える術を学ぶことではありません。

 お兄様のそのままを表す言葉、私は大好きですよ。お姉様もそうであるはず。ね、お姉様?」


 ディートリッヒの視線がアヤネに向けられる。


「え、わたし?……ああ、うん。いや、大好きに決まってるだろ、めっちゃ癒されるし。

 別に口がうまくなくたってスキューは十分かわいいからね。」


 突然の質問に言葉を紡ぎなおす。スキュブの口調がかわいいのは当然のことだし、彼と会話すると癒されるのは言うまでもない。

 改めて聞かれることでもないと思っていたものだから、思わず最初は雑な返事をしてしまったが、こういった好意に対する質問にはきちんと答えておかないと誤解をうんでしまう。明確な答えを言葉に出すべきだ。


「そう、か……大好き、か……」


 スキュブは頬を赤くして俯くと、暫く目を泳がせて、ディートリッヒの頭に顔を埋めた。


「あら、お兄様どうされました?」


「……かお、変だから……」


「照れた顔に変も何もありますか?どんな顔でもお姉様はかわいいとおっしゃるでしょうよ」


「……かわいい、いうな……あたまがふわふわする……」


「もう、お兄様は照れ屋さんですねぇ」


 ディートリッヒはスキュブの背中を撫でた。これでは兄と弟が逆転しているみたいだが、それが良い。それがかわいいのだ。

 この兄弟のやりとりは基本的に尊い。アヤネはこれを見るたびにこころのなかでガッツポーズをキメている。

 本当はコロンビアのポーズみたいに両手を天へ掲げたいのだが、毎回それをやるのは変人なのではと思われそうなので我慢している。


「ところで、そこでニヤニヤするのを我慢しているお姉様、お兄様からのプレゼントはお持ちで?」


 ばれていたか。顔に出ていただろうか。

 スキュブに抱き締められているというのにどうやって見ているのだろう。


「そうだそうだ。目的のブツがあったわ。」


 アヤネはここに来た目的を思い出し、アイテムポーチに手を突っ込んだ。

 かたく冷たい感触を探りあて、それを引っ張ると、三匹のモンスターが入ったケージが出てくる。

 アイテムポーチの口が破れないのか心配だったが、大剣などを取り出すときも大丈夫だったので、今回も何ともなかった。

 ……どのような仕組みなのだろう。月の民の技術は何かと都合が良い。


「まあ、かわいらしい。

 ……ほら、お兄様、顔を上げて下さい。これではせっかくのプレゼントをちゃんと見れません」 


 ディートリッヒがスキュブの背中をとんとん、と軽く叩くと、スキュブは渋々顔を上げてディートリッヒをはなした。

 スキュブの頬はまだ赤い。


「あらあら……三匹も。これは遊びがいのある玩具ですねぇ……本格的に調教するかは生意気さによって、ですけど……」


 ディートリッヒが唇から舌をちろりと出すと、三匹は身を寄せあって震え上がった。


「こわいッキュー!」


「ボクは食べても美味しくないッキュー!」


「このおにいさんベロが裂けてるッキュー!ケガしてるのに平気そうでこわいッキュー!」


「怪我じゃありません。私はそもそもこういう舌ですよ」


 ディートリッヒは舌をぺろりと出す。

 それは他者のものより少し長めだ。先は勿論二股にわかれている。

 三匹はその舌を見て更に怯えた。


「ぎゃーー!切れてるッキュー!」


「これがウワサのすぷりっとたんってヤツだッキュー!」


「痛そうだッキュー……ペロペロが不便そうだッキュー……」


「……こう怯えられては洗の……失礼。教育のしがいがありませんねぇ。じっくり時間をかけるとしましょう。」


 先程洗脳と言いかけたように聞こえたが、聞き間違いだろうか。

 しかし、この三匹がどんなことをされようと、結果的に誰かの物を盗まないようになればよい。

 その過程でこの三匹がどんな仕打ちをうけようが知ったことではない。なまあたたかい笑顔で送ってあげるとしよう。


「アインス!ツヴァイ!おいでなさい!」


 ディートリッヒが手を叩くと、ケージの両わきに二人の使用人がテレポートしてきた。

 それぞれ執事のような服装とメイドのような服装ではあるが、やはり両者とも目蓋を閉じている。


「そのケージを地下へ。盗みのスキルを持っているのでスキル封印のアイテム、魔法を使うように。

 それと、それはお兄様からのプレゼントですので、丁重に扱ってくださいね」


「「かしこまりました、旦那様」」


 使用人は一礼してケージを持つと、すぐにテレポートを使って去っていった。

 言葉を発するタイミングまで一緒だと本当にロボットみたいだ。どう調教したらああなるのだろうか。想像したくない。


「さて。あの三匹の玩具は後でたっぷりかわいがってあげましょう。ああいうのはカヨが構いたがるのですが……」


 ディートリッヒが足音をたてずにアヤネの目の前まで寄ってくる。

 スキュブには抱き締めてもらったから、次はアヤネの番なのだろう。ディートリッヒの目は光っているようで、言わずとも分かるでしょう、と物語っている。


「カヨに見とれられては、あの三匹はお腹におさめるしかないですし、カヨが夢中になってしまったら私、お姉様に泣きついてしまうかもしれません」


 眉尻を少し下げて、目を細めてみせる。

 もう抱き締めてやるしかないだろう。カヨの話をしているようでそれが本筋ではない。

 カヨがああいうかわいいのが好きなのは分かりきったことであるし、あの三匹がカヨに魅了されたら彼は丸呑みにしてしまうのも分かりきったことである。

 泣きついてしまうかも、というところでようやく匂わせてくるのだ。普通に聞いていたら分からないのだが。

 スキュブのほうがまだ分かりやすい。もじもじしたり、甘えるような目で見つめてきたりするのですぐに分かる。

 それに比べるとディートリッヒは見つめてきたり、忍び寄ってきたり、遠回しな言葉を選んで気づかせようとするので少し分かりにくい。

 最初のころは苦労したものだ。何だかじろじろ見てくるなぁ、何だか何を言いたいのかはっきりしないなぁと思っていたらそのうち拗ねてしまうし、そうなってしまうとスキュブにべったりとくっついて話を聞いてくれなくなる。

 それを何回か繰り返して、スキュブから「あれは抱き締めてほしい、ということだと思う……」と教えてもらえたから気づけたものの、察し難易度はなかなかに高い。

 カヨがあの態度で隠されている欲求に全て気づけているとしたら、素直に尊敬する。彼女は「妻だから当然★」とか言いそうだが。


「……あー、ほーらよしよし。おいで、ディート」


 アヤネが両手を広げると、ディートリッヒはにこりと笑って抱きついてくる。

 ディートリッヒとアヤネの身長は同じくらいなので、抱きしめたついでに頭を撫でやすい。

 白くて少しかための髪が頬をくすぐった。スキュブと似た髪だが、髪質までぴったり同じというわけではない。スキュブの髪はもう少し柔らかかった。


「あら、お姉様。もしもの話ですよ、もしもの話。今のうちから慰めてくれるなんて、心配性なんですから」


 ディートリッヒがわざとらしく言う。その声にはどこか弾みがあった。


「……はぁ。こうして欲しけりゃ素直に言えばいいだろう。まあ、そうはいかないのがお前たちなんだろうけど……それはそれでかわいいけど……」


「まあまあ。私のこともかわいいとおっしゃってくれるのですね。なんて優しいお姉様。大好きです」


 ディートリッヒは唇をそっとアヤネの首筋に寄せた。

 そのあたりで話されると耳がぞわぞわするので止めてほしいのだが、彼の場合、それを狙ってやっているのではないので、アヤネは咎めることはしなかった。

 本来の目的は別にある。

 二股にわかれた舌がちろりと肌を掠めるのが合図だ。

 人間にしては鋭い牙が浅く刺さり、裁縫針で指を刺してしまったときのような痛みがはしる。

 彼は会うたびに、首筋あたりに噛み跡をのこすのだ。少し血は出るが、放っておけばすぐに止まる。

 これは別に吸血しようとか、スキュブのようにちょっとかじろうとか、そういう目的でされるものではない。

 彼は好いている人には自分のしるしをつけておきたいというタイプだ。勿論、カヨの首筋にはたくさんの噛み跡がある。

 この人には首筋に唇を寄せているような関係の相手がいますよ、という牽制であり、ひっそりとした威嚇だ。

 因みにスキュブには噛み跡がない。すぐに傷が治ってしまうのでやめたらしい。


「イテテ……カヨには毎晩やってんの?」


「勿論。私の妻ですから。」


「……そういえば、その愛しの妻ちゃんはまだこないの?」


 ディートリッヒは腕をほどき、アヤネの目の前で頬をふくらました。


「もう。カヨが来たら、暫くお姉様から離れないでしょう。だからこうして今のうちに甘えているのに」


「カヨとの話が落ち着いたらお前のところに行くよ」


「……カヨの話、何時間かかると思っているんですか?」


「あ~……適当なとこで切り上げるから……それか、お前がさらってくれるなら、楽かな」


「分かりました。お兄様との儀式が済み次第、そちらに参りますね」


 カヨの話は長い。彼女は記憶の幅が広いのか、ああ見えて頭の働きが良いのか、一つの事から三つくらいの話を思い出すらしく、次々と話題を変えていくので、話が長くなるのだ。

 昨日食べたお菓子がおいしかったという話をしているかと思えば、おいしかったといえば自分で作った卵焼きが案外おいしかったという話に変わり、昔作った卵焼きが炭になって笑った話になり、炭といえば今朝トースターの設定をミスして食パンが真っ黒になった話をして、食パンといえばジャムは何が好きかという質問をしてくる。

 何もつけないで食べると答えれば、シンプルイズベストってやつだねと返し、シンプルといえばアヤネの服がシンプルな話に変わり、そういったデザインの服が余ってるからあげるという話になる。

 お菓子がおいしかった話がいつの間にか服の話になっているのが分かっただろうか。

 だから彼女と言い合いになると論点がずれていき、そういえば元は何の話をしていたんだっけと思い返すはめになるのだ。

 しかし、彼女は誰に対してもそのような話の回しかたをするのではない。

 むしろ、聞き手に回ることが多い。彼女には友人が多く、数人の友人からかわるがわるに話しかけられてはそれに返していたので、自分の話をすることは少ないように思えた。

 そのため、彼女のことを友達だという者は多いが、彼女の嗜好や苦手なもの、地雷となる話題についてはほとんどの者が知らない。

 アヤネは彼女の隠された嗜好や地雷を知る、数少ない聞き手だった。

 アヤネがあまり喋らないからかもしれないが、よく思い返してみれば、彼女が自ら話しかけにいくのはアヤネくらいであった。

 社交的で明るく、いつも多くの友達に囲まれている女性だが、その言葉には驚くほど「自分の情報」が少ない。

 いつも聞き手に回って相手の話に共感の言葉を返し、そこから得た相手の情報から質問を投げかけては会話を広げる。

 だから、彼女が友達に囲まれているときの会話には、彼女以外の情報だけがあふれかえっているのだ。

 

 彼女は笑顔がうまかった。

 だが、その目には見覚えのある虚ろな仄暗さが薄い膜をはっている。


 アヤネがカヨのことを思い出していると、部屋のドアが勢いよく開いた。

 アヤネがはっとしてそちらを見ると、そこには見慣れた女性が息を切らして立っている。

 肩だしの赤いワンピースは彼女のお気に入りだった。

 少しくせのあるふわりとした薄桃色の髪はツインテールに結われており、見開かれた目の虹彩は翡翠を思わせる優しい緑色だ。

 相変わらず、目が大きくて睫毛も長い、メイクなんていらないほど整った顔だ。


「……あーちゃん」


 カヨの聞き慣れた声だ。

 いつの間にかつけられていた、よく分からないあだ名。


「あーちゃ~~~~ん!!!」


 カヨがアヤネめがけて一直線に駆けてくる。

 一瞬、避けてやろうかとも思ったが、それは少しいじわるがすぎるかなと思って止めた。

 カヨは勢いそのままアヤネの胸へ飛び込む。

 彼女の背は低いので、アヤネに抱きつくと、顔が胸のあたりにくる。

 逆だったら窒息ものだが、アヤネの胸はフラットだ。彼女が窒息することはない。


「うう……この虚乳、あーちゃんだ……!」


「……うるせーチビ」


「うわあああああーちゃんだああああ」


「うるさいって言ってるの聞こえてる?」


「聞こえてるけど叫んじゃーう!」


「鼻に指突っ込むよ?」


「え、やめて?指で鼻フックとか芸人じゃん?」


「芸人枠でしょ」


「違うー!せめてアイドル枠でしょ~?!」


「ごめん何て言ってるか分かんないわ、寝言は寝て言って?」


「何言ってるかは分かってんじゃん?!」


 いつもこの調子だ。

 言葉の応酬、くだらない言い合いが彼女との会話の九割をしめる。

 別につまらないわけではないので、無駄な会話ではないのだが、いつもたわいもない話をするのが恒例だ。


「待って。本当にあーちゃん?本人確認するわ。わたしの好みのタイプ言ってみ?」


「白い髪、褐色、黄色い目、丸呑み、ヤンデレ、人外、ぐいぐい攻めてくる系

 好きな動画は蛇が生きたラットを補食するやつ」


「あ、あーちゃんだ……」


「一番称賛してたネット小説は、ヤンデレ大蛇と嫁にきた女の子のやつ、好きなシーンは女の子が大蛇に丸呑みされるとこ」


「あーちゃんしかない……」


「お気に入りのアクセサリーは蛇の指輪、ストーンは黄色」


「あーちゃん確定」


「それじゃあそろそろ離れて?あとデカチチ当てんのやめて?」


「当ててんのよ……♪」


「よぉし、お前が言ってたディートに対する変態発言を一つずつ暴露するぞ~」

 

「うああああごめんあーちゃん、許してぇええ!」


 カヨは即座に離れ、顔の前で両手をパン!と合わせてぴょんぴょんと跳ねる。

 ……動きがうるさい。

 

「おや、どんな発言をしていたのか気になりますねぇ。我が最愛の妻は私にどんなことをお望みで?」


 ディートリッヒは意地悪な笑みを浮かべた。


「お前のぬけ殻を――」


「ああああああ言わないであーちゃん!!!言ったらアレだからね?!あーちゃんのスーちゃんにアレしたいコレしたい言うからね?!」


「いいけど?」


「え……いいの?お風呂いれて髪の毛洗ってあげたいとか、あーんしたいとか……」


「いいよ?ディートのぬけ殻味噌汁に入れて食いたい、よりはマシだから」


「言ったなお前ぇえええええ!!!!!」


 カヨがアヤネの両頬をつねって少し伸ばした。

 一方、スキュブとディートリッヒはひそひそと話し合っている。


「……ぬけ殻って美味しいんですかね、お兄様」


「むー……分からないな。血液のほうがいいぞ。ちゅーちゅー吸える」


「まあ、私のことを食べたいと思っていることは大変嬉しいことです。今度、こっそり食事に混ぜてあげましょう」


「ばれないのか?」


「カヨはお兄様ほどセンサーが良くないですから、少量なら大丈夫かと」


「ん……そうか。そういえば、そうか。アヤネも、カヨも人間を食べない。少しなら……わたしたちが混ざっていても、分からないかもしれない。

 ……試して、みるかな」


「そうですね。私もそうしようかと。定期的に報告しあいましょうね 、お兄様」

 

「うん」


 兄弟の会話は、アヤネの耳には途切れ途切れにしか聞こえなかったが、何となくマズそうな話をしているのは分かった。

 何か企んでいるのだろう。立案及び実行、報告は大得意の兄弟だ。暫くは注意して見ていなければなるまい。


「ねぇちょっとあーちゃん聞いてる?!わたしの話聞いてる~?!?!」


「あーはいはい。ワロスワロス。キョウノフクカワイイネー」


「え、かわいい?嬉しい♡……じゃなくて!!絶対に聞いてないでしょ!ケータイばっかり見て話聞かない彼氏みたいに!!」


「つきあってすらないでしょ」


「つきあってすらない?!……ひどい!あんなことまでしておいてっ……!」


「一緒に温泉はいったとかそれくらいじゃん、お前の乳袋さわったりはしてねーよ」


「ぱふぱふする?あーちゃんには特別だぞ♡」


「ディートにやりな。おーいディート~カヨがお前を胸で窒息させたいって」


 ディートリッヒに目をやると、彼はニヤリと笑う。カヨをいじるのに参加するらしい、どういじわるしてやろうか、という顔だ。


「あらあら、息がつまるほど私を抱き締めたいと。それなら私も息ができなくなるくらい抱き締めてあげないと、ですねぇ。ねえ、カヨ?」


「ちょ、ちょっと待ってディーくん。確かにそれくらいぎゅっとしたいのはウソじゃないけど、ディーくんの言ってるハグは蛇になっての、じゃない?」


「そうですよ?本気でやるならそうでしょう。気分がのれば丸呑みにしてしまうかもしれませんね。」


「あれ全身の骨折れるんだよねぇ……ねぇあーちゃん、あーちゃんちはこういうときどうしてる?」


「回復魔法あるから余裕だし、うちのスキューはがんばって我慢するから折れないよ」


「あーそっか……そーだよね~……

 そんじゃあ受け止めるしかねぇ……!ディーくんの愛をっ……!」


「受け止めてこいよ、お前の旦那だろ」


「そうだよ♡わたしの自慢のダーリンだよ♡ね♡ディーくん♡」


「それは嬉しい。最愛の妻にそう言ってもらえるなんて……昂ってしまいます」


 ディートリッヒの皮膚の一部が鱗で覆われはじめた。本当に興奮しているようだ。

 ディートリッヒの興奮状態はスキュブほど分かりやすくない。

 スキュブは息が上がったり頬が赤くなったり、明らかに様子がおかしくなるのだが、ディートリッヒはそういった感情を顔に出そうとしない。

 そのため、気づいたら変身する一歩手前、ということがある。

 スキュブは兄弟だからか、ディートリッヒの変化が分かるらしい。目がいいのもあるだろうし、性格も似た部分があるからだろう。


「ディート、おちついて、おちついて。食べないとおちつかなくなるぞ、よしよし」


 スキュブがディートリッヒの頭を撫でる。


「まあ、それは確かに。しかしお兄様、最愛の妻にあのように言われては、昂ってしまうでしょう。

 お兄様も考えてみてください、お姉様に自慢のパートナーだと、自慢の家族だと言われたらどう思います?」


「……うん、うん……それは、うれしくて……どきどきする……」


 ディートリッヒの頭を撫でていた手は、気を紛らわすように髪の毛を弄び始めた。

 ディートリッヒの髪がスキュブの指にくるり、と軽く巻かれてはほどかれる。


「そうでしょう。愛する者に褒めてもらえるのは嬉しいことです。それは紛れもない好意ですから。

 さて、それじゃあお兄様はお姉様の方へ、私はカヨの方へ行きましょうか?骨が折れてもお姉様がどうにかしてくれるでしょうし」


「……むむ、むむむ……アヤネが痛いのは、我慢する……」


「糸で巻いて持ち歩けるようにしたら良いでしょう」


「わたしは雌ではないから、卵のようにできるかは分からないが……それなら、いいかも……!」


 スキュブの瞳孔が開いて、呼吸がはやくなる。髪に隠れて見えにくいが、虹彩と同じ色をした複眼が開かれているのも確認できた。

 このままだとカヨは丸呑み確定、アヤネは暫くぐるぐる巻きにされた後、どろどろにとかされて吸われるのが確定する。

 知っている者も多いと思うが、蜘蛛は体外消化だ。獲物に消化液を流し込んで、液状にしたものを吸う。

 スキュブの吸う力が強いのも、蜘蛛の血が混じっているがゆえであえる。そのため、アヤネへの口づけは唇が触れるだけの優しいものだ。万が一加減を間違うとアヤネが怪我をする可能性がある。

 まあ、そこらへんはヒールでなんとかなるのだが。


「ねえあーちゃん、わたしたちヤバくない?これ食べられるよね?別にいいけど食べられるよね?」


「大事なことなので二回言ったの?」


「うん!アレだね、某動画サイトのコメントでも大文字且つ赤色でってくらい大事!」


「鎮静剤あるけど」


「わたしにもちょうだい?」


「常に持っておけよ……」


 アヤネはアイテムポーチから鎮静剤を二本取り出し、一本をカヨに渡した。

 カヨはそれを受けとると、「ディーくーん♪それ以上蛇るとお注射しちゃうぞ~♡」と言いながらディートリッヒに歩み寄っていく。

 ナース気取りだろうか。彼女はそういった職にはついていなかったし、そういう格好をする機会もなかったはずだ。

 おそらく何となくのノリだろう。彼女がハイスピードのレスバトルが可能なのはそのノリがあってこそだ。

 アヤネはスキュブに目をやった。彼は三つ編みにした髪の先をいじりながらもじもじしている。

 こちらも落ち着かせねばなるまい。なるべく鎮静剤を使わないようになだめてあげるとしよう。

 アヤネもスキュブのもとへと歩いていった。

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