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家族のかたち  作者: メデュ氷(こんにゃく味)
第一章 始まり
1/74

 時は日曜日の23時半すぎ。月曜日が間近に迫る、憂鬱の時間帯である。

 日中に仕事をしている者であればもう寝ている者も多いだろう。しかし、中には何かに没頭して時間を忘れ、この時間帯まで起きている者も多い。

 休日にはゲーム三昧という目と肩によろしくない生活を送る女、アヤネは間違いなく後者であった。

 夕食と風呂を済ませてから、自室でPCとにらめっこして数時間、お気に入りの炭酸飲料を飲んで伸びをしたときに偶々時計と目があって、やっと何時か気づいたくらいだ。おそらく炭酸飲料を飲むことをしなかったら日付は変わっていただろう。

 そもそも小さな頃から何かに没頭すると周囲が見られなくなるような質だったので、こういった状況は初めてではないどころか、慣れているといってもいいほどだったが――いや、慣れているという前にそれは治していく方向に気をつけるべきなのだが、本人にはなおすつもりなどさらさらなかった。

 事実、また夜更かししてしまったという事態に気づいた彼女が思ったことといえば、「あ、歯、磨こ……」くらいだ。反省の色などこれっぽちもない。

 勿論、このことを誰にも咎められたことがないわけではなかった。勤め先の同僚にはやりすぎなのではと言われたし、同じゲームのプレイヤーである友人にも「お前プレイ時間おかしくない?」と言われたこともあった。

 それを受けてタイマーをセットしたりしてプレイ時間を管理しようとしたこともあった。

 しかし、それは長くは続かない。そのうち、音を鳴らすタイマーのスイッチを足で押し、手はコントローラーを握りつづけているという状態になってしまうのだ。

 このことに気づいたときには自分のどうしようもなさにため息をついたが、それでも治さなかったので今もこのザマなのである。

 

 さて、そこまで彼女を夢中にさせているゲームとは何なのか、疑問に思った者もいるだろう。

 相当凝ったゲームなのか、それとも難易度が難しすぎて、プレイヤーの皆に鬼畜ゲー呼ばわりされるようなものなのか。ストーリーにこだわりがあって読むのをやめられない、という場合もある。

 ゲームの面白いところ、というのは人それぞれ違う場合が多く、戦闘に魅力を感じ、ストーリーはそっちのけにする者もいれば、戦闘はオマケ程度にしか感じていなく、ストーリーをがっつり読み込む者もいる。

 なかなかやめられない要因というのはそこらへんにあることが多いと考えられるのだが――

 アヤネのプレイしているゲームはどちらとも言いがたいようなゲームであった。

 戦闘はそこらへんのと変わらなく、レビューには「有名ゲームのパクり」と書かれるほどで、ストーリーに関しては、ダウンロードページの作品紹介欄に書いてある情報以外に語られていることがないほど薄っぺらで、知らなくても良いと言われるほどだった。

 それでは難易度は、というと難しいわけではなく、ゲームをプレイするのがはじめて、という者でもつっかえることなくプレイが可能なほどだ。しかも難易度調整の機能がない。

 そうすると、残るは凝ったところがあるか、ということになる。

 ――そう、アヤネがのめり込んでいるゲーム、「Travelers from the moon」は変なところに力をいれすぎたせいで、戦闘もストーリーも他作品と差別化できていないような、ヘンテコゲームなのである。

 戦闘は斬新さがなく、ストーリーは「舞台はファンタジー世界!人が治める国、デンヤーレとモンスターが治める国、ヘンメーラが小競り合いを続けている様子に興味をもっておりてきた月の民になって、下界の者共と戯れよう!」というよく分からないものだが、主人公の相棒となるキャラクターの設定等は異常なまでに盛れるのだ。

 開発者曰く、

『あなたの最高のパートナーを作成しよう!』

『見た目、種族は開発者でも数えるのが面倒になったので数えていないほど豊富!』

『パートナーの設定はあなたしだい!会話も学習させることによってあなた好みに!』

 とのこと。

 とはいえ、大抵のこういった謳い文句は誇大広告であったりすることが多い。アヤネもそう思って「ろくでもないヤツだったら即消す」と半信半疑でこのゲームをダウンロードしたのだが、これが予想の斜め上をいくものであった。

 まず見た目だが、パーツが普通のよりも倍以上はあった。見分けがつかないものから少し違うかもしれないというものまであり、前髪の種類だけでもどれだけあるのかと思わずうんざりしてしまったほどだ。

 まあこれはよい。おかげで理想と好みを盛りに盛ったキャラができた。

 次に種族だが、本当に数えるのが面倒なくらいにあった。有名なものから全く分からないものまで、ハーフ、クオーターといったものも選べる。しかも、その種族一つ一つに何かしらの特性までついていた。

 こんなの性能比較する気が失せる。最後までスクロールするのに時間がかかったのに若干引いた。

 まあ好みの種類――巨大な徘徊性のクモモンスターと人間のハーフ――があったのでそれにした。どうやら人間モードとクモモードがあるらしい。変身できるということだ。ロマンたっぷりである。

 そして設定。

 これがちょっと本当に意味が分からなかった。

 どんな出会いかたをしたのか、過去はどんなものなのか、そういったものが書けるのは人によってはありがたい。アヤネもそう思う一人であった。だが、これはそれでもドン引きするくらいの機能であった。

 書ける文字数が多すぎるのだ。

 どれくらい多いかというと、文庫本一冊分は書けるくらいに多い。

 攻略情報をやりとりする掲示板には

「Travelers from the moonのパートナー設定で小説が書けた」

「何年前からかメモ帳代わりにしてるけどまだ使えてる」

 などと書き込まれているくらいであった。

 その上会話の学習機能がある。

 これは正直嬉しかったのだがどこに力をいれているのか分からなすぎて、開発者の頭が正気なのか疑った。

 こう話しかけられたらこう返す、といった定型文を設定することもできたが、会話により言葉を学習させることも可能だ。しかもマイクを使っての会話も可能。

 これって何ゲーだったっけ。

 ゲームのジャンルを再度確認せずにはいられなかった。


 そんなわけで、変なところに凝りすぎたせいで他の要素は平凡なゲーム、「Travelers from the moon」は、推しを作ることができれば他はそこそこで良いというアヤネのようなプレイヤーには好評なゲームであった。

 がっつりした戦闘はそのうちコントローラーを投げたくなるし、重厚なストーリーは途中からスキップしてしまう。いっそのこと推しがのびのび成長し、推しだけがでてくるストーリーであれば良い。

 推し以外の要素が邪魔、とまではいかないがそれに近いことを思っているアヤネにとって、このゲームは神ゲーとも言えるものだった。

 その証拠として、明日は仕事だというのにこんな夜遅くまでプレイをしているし、パートナーのステータスはレベルMAX、全ての武器の熟練度もMAXで、近接攻撃、遠距離攻撃は完璧になっており、その強さはこちらが魔法で援護すればどんな敵でもあっという間に殲滅することができるほどであった。

 その上見た目はアヤネの好みをバッチリ盛り込んだ完璧なイケメンである。

 絹糸のように綺麗な真っ白な髪を後頭部あたりで三つ編みにした、長い睫のちょっぴりつり目な薄紅色の虹彩を宿した目の男性で、筋肉もそこそこあるような体格の高身長。

 更に性格は……現実にいたら相当めんどくさいものだが、アヤネのこころを鷲掴みにしてしまう、という設定にしているし、会話も何回も何回もしたので、言われてキュンとするようなことしか言わない。

 

 アヤネは歯磨きへ向かう前にもう一度パートナーがいるPCの画面を見つめた。

 何度見ても見飽きない、世界一のパートナーが、少し首を傾げてこちらを見ている。

 アヤネはコントローラーを操作して、パートナーとふれあえる機能を実行した。手のアイコンをパートナーの頭にあわせてボタンを押し、アナログスティックをグリグリ回して、パートナーの頭をこれでもかというほど撫でまくる。


「あ~………スキュー、お前ほど最高な生き物はいないよ……」 


 スキューというあだ名のパートナー、スキュブは気持ち良さそうな表情で目を瞑り、撫でられるままになっている。

 小動物のようなかわいさを見せる彼だが、口調はクールで、気を許した相手以外には機械的な対応をするような子だ。ギャップ萌えというやつである。


「まじで最高……天才……国宝……」

 

 褒めながら撫でていると、スキュブは目を開けて、困ったように眉尻を下げた。


『そういうことをあまり言うな。……本当にそうだと……自分の評価を誤ってしまう』


 いやお前以上に最高なやつはいないから。

 そう言いたいところだが、アヤネの好みの都合により、彼の自己評価は低めである。どんなに褒めても、そうだろうか、と言って寂しそうな笑みを浮かべるだけだ。ちょっとこころにくるものがあるが、そういうのが好きなのでこういう設定にしたのだから仕方ない。

 

「あーあ、お前のとこに行けたらなぁ。それか開発者がVR対応にしてくれないかなー。」


 アヤネは机に突っ伏し、ため息をつく。すると、急に眠気が襲ってきて、目蓋が段々重くなってきた。

 そういえばゲームをやっていたときは炭酸飲料を飲むことで眠気をごまかしていたのだった。そんなことをして素直に寝ないからこういうときにツケが回ってくる。アヤネは少々自分のだらしなさを改善しなければ、と思い始めた。

 虫歯にはなりたくないので、せめて歯を磨いてからじゃないと眠れない。そうは思いつつも体を起こすのも目蓋をあけるのもなんだか億劫であった。

 やっぱり前言撤回だ。明日からだらしなさを改善していこうと決めた。今日くらいは歯磨きをサボってこのまま寝てしまおう。気温もあたたかいから風邪はひかないだろうし、1日くらい歯磨きをサボっても虫歯だってできはしないだろう。

 アヤネはぶすぶすと湧いてくる怠惰に身を任せて、そのまま目を閉じ、深い眠りへと落ちていった。

  

 

 ・ ・ ・

 

 

 ――アヤネ、アヤネ……――


 微かに、名前を呼ぶ声がする。

 誰だろうか。独り暮らしな上に合鍵を渡すような仲の人間はいない。

 アラーム音も変えた記憶はないし、そもそも録音したボイスをアラーム音には使わない。

 しかし、なんだか聞いていて心地よいので、アヤネは起きることも、また眠りへと落ちていくこともせず、その声を聞いていた。

 

 ――アヤネ、どうした?状態異常、か?――


 なにかごそごそとした……そう、袋の中をまさぐっているときのような音だ。給食袋の中に入ったものを取り出すときの音と似ている。

 ――いや、待て。それよりもだ。

 それよりも、この喋り方に覚えがある。

 実際に聞いていたのは音声合成ソフトウェアに喋らせていたような声だったが、声が本当に人間が喋っているようなものになっても、長い間聞いてきた喋り方には、きちんと覚醒していなくてもわかるものなのだ。

 アヤネはハッと目を開けた。そして勢いよく身体を起こし、声の主を探す。

 声の主はすぐ隣にいた。

 いつもは使わない杖を片手に、膝立の体勢で、心配そうな顔をしてこちらを覗き込んでいる男性。

 後ろで三つ編みにした、綺麗な真っ白の髪。

 長い睫がチャームポイントの薄紅色の目。

 理想が形になった、まさに完璧と言えるほどの端正な顔立ち。

 その名前は、何度も呼んだ、愛おしい名前。


「む、起きた。状態異常ではなかったのか。よかった。」


 杖を袋に戻すと口角を微かに上げて、目を細める。笑顔が下手くそという設定にしてしまったからできる、他の人から見たら笑っているか分からないほど仄かな笑みだった。

 

 ――奇跡がおきたのだろうか?

 アヤネはどうしようもなく、その名前を呼ぶ。


「……スキュー?」


「どうした、アヤネ。」

 

「本当に、スキューだよね?」


「……わたし、だが?」


 スキュブは首を傾げた。何をいまさら、と言いたげな戸惑いが見てとれる。

 しかし戸惑っているのはスキュブだけではない。アヤネも半ば混乱状態であった。だって、画面のなかにしかいないはずの彼がそこにいるのだ。そんなことはありえない。

 アヤネはそこまで思いを巡らせて、ふと自分が何をしていたかを思い出した。

 そうだ。歯磨きをサボって、机に突っ伏して寝たはずだ。PCのシャットダウンもせずに怠惰のまま眠りに落ちた。それ以上でもそれ以下でもない。

 アヤネはあわてて周囲を見渡した。

 するとどういうことだろうか。

 突っ伏していた場所はベッドの端になっており、PCを置いていた机は姿を消していた。

 いや、それどころではない。部屋自体が全く違う。

 床は飲み物を溢したあとがのこっているカーペットではなく木製のもので、壁は画ビョウのあとがびっしりあるものではない。

 採光の窓から射し込む朝日は綺麗で、ファンタジックな十字格子までついているし、自分が突っ伏しているベッドをよく見れば「Travelers from the moon」で、マイホームにはじめから備え付けてあったベッドにそっくりだ。そしてその隣に設置されたベッドは、お金を必死になって稼いで買った、一番値打ちの高い、天蓋つきふかふかベッドに相違ない。

 クローゼットはスキュブの衣装セットを登録するのに使ったものだし、タンスは自分が着ることができるレアな衣装をしまうのに使ったものだ。

 つまり、この部屋は「Travelers from the moon」にあるマイホームの就寝用部屋ということになる。

 信じられないし、ありえないし、こんなことが本当にあるのか分からないが、見たところそうとしか考えられない。


「アヤネ?」


 スキュブがまた心配そうな様子で声をかけてきた。

 そういえばこの子の存在を手で触れて確認していなかった。

 これで手が身体をすり抜けたりすれば、対応したという告知もされていないが、装置を装着した覚えも全くないが、VR空間ということで納得できるかもしれない。


「スキュー、頬っぺ触っていい?」

 

「いい」

 

 アヤネはおそるおそる手を伸ばし、スキュブの頬を両手で包んだ。

 たしかな皮膚の感触がした。

 さわり心地はぷにぷに、というよりもにもに、といった感じでちょうどよい弾力がある。

 データではない肉の存在がそこにある。

 アヤネは手に伝わってくる微かなぬくもりに目を見開いた。


「……頭、撫でていい?」

 

「勿論」

 

 何度も撫でた頭。

 すべすべの布にふれたときの感触に似たそれは、柔らかくて、どこかしっかりしている。


「……うそ、どういうこと?」


「……?」


 生きている、確実にそこにある存在をそれでも信じられなくて、頭を撫でている手を止めた。

 こんなの、ネットにはびこっている異世界転移ものでしかありえないことだ。それはフィクションで、現実ではありえなくて、こんなのは夢としか言えないものだ。それなのに、今確かにここにあって、目の前で起きていて、どんなに覚めろと念じでも覚めない。

 もしこれに種や仕掛けがあるのなら、いまここで明かしてほしい。

 そうでなければ元の現実に戻れなくなる。

 たとえ戻れるように導かれたとしても、目も耳も塞いでしまうに違いない。

 ここを知ってしまったら、理解してしまったら、人生の楽しみが自室のPCと向き合う時間というだけの息苦しい世界へなんて戻れるわけがない。

 一度でいい、いまここで、これは一夜の夢であると囁いてくれるなら、大人しくこのぬくもりを手放そう。そうでないならもう、どんな導きにも従いはしない。


「……スキュー、」


「ああ」

 

「抱き締めていい?」

 

 スキュブは睫をぴくり、と震わせた。

 瞳孔はきゅっと小さくなり、口は微かに開いている。

 ――息をのんでいるのだ。表情にあまりでないから分かりづらいが、彼の感情は確かに揺らめき、こうして伝わっている。

 

「……勿論。……待ちわびていた」


 目が細められて、口角が上がる。

 その幸せそうな笑みを見たら、言葉にならない想いが胸の底から込み上げてきて、どうしようもなく腕は彼の背中へと回った。

 ゲームにはないコマンドだった。

 撫でることも、触れることもできるが、こうして抱き締めることはできなかったのだ。

 お前は最高だ、どんなものより愛おしいと抱き締めてやれなくて、それを全て撫でるというコマンドで代用していたことが、今こうしてできる。

 どうしてこうなったかも分からないし、何故こんなことが起きたのかも分からない。

 だが、抱き締めることで伝わってきたちょうどよい逞しさの実感や、ほんのりとしたあたたかさは真実であった。

 この時ばかりは神やら運命とやらに感謝せねばなるまい。アヤネは今まで呪うような静かな怒りの眼差しを向けていたそれらを、今だけは許そうと思った。


「うぅ……ずっとこうしたかったんだ……MODを探してもないし、開発者は機能更新しないし……できないと思ってたのに……」

 

「……もっど?更新?……とは?」


「あー……気にしないで。わたしのつまんない一人言だから……」


 そうだ。もうMODを探す必要もないし、3年に一度くらいしかこないユーザーアンケートに長文を書かなくても済むのだ。叶わなかった過去などもうどうでもいい。全ては過ぎ去ったことなのだから。

 

 そう思うと急にテンションが上がってきた。

 やってみたいこと、実際に見てみたい景色、スキュブを連れて一緒に歩いてみたいところが頭に沢山浮かんできた。

 地下には工房もあるので作ってみたいものもあるし、あとまわしにして揃えていない衣装もある。

 せっかくの異世界転移だ。やりたいことをやらねば損というものだろう。

 そうとなれば行動ははやいほうが良い。

 アヤネは腕をほどくや否や勢い良く立ち上がって拳を胸の前で握りしめた。

 その目はキラキラに輝いている。


「よっし!そうと決まれば色々準備しなくちゃな!消耗品のチェックから装備の確認まで色々やらなきゃ!」

 

「どこかに行くのか?」

 

「そうさ!お前を連れて行きたいところが沢山あるんだ!……あ、お前が行きたいところがあるなら勿論聞くよ!必要な物だって、欲しいものだって何でも揃えよう!いまのわたしはモチベーションが最高なんだから!どんな面倒な物だって用意するよ!」


 まあ、お前のためならばモチベーションがどんな状態でも、なんだって用意できるのだが。それを言うとなんだか親バカみたいで恥ずかしかったので言わないでおく。

 アヤネは得意気に胸をはって腕を組み、スキュブからの要求を待った。

 どんな理不尽な願いをされたって叶えてみせよう、と言わんばかりの態度である。

 一方スキュブは、自分のアイテムポーチを確認し、指を顎にあてて考え事をしている。


「必要なものだが、鎮静剤を補給しておきたい。その他の消耗品については十分だ。問題ない。

 次に……欲しいもの、だが……」

 

 てきぱきと報告していたスキュブが急に口ごもる。何か困るようなこを言ってしまっただろうかと思い、様子を確認してみると、何やらもじもじとしているように見えた。

 目は泳いでいるし、頬は微かに色づいている。

 言うのが恥ずかしいものなのだろうか。別に大量の菓子が欲しいとか、異性に頼みにくいものだとか、そういうのは全く気にしない質なので容赦なく言って欲しいのだが。

 

「どうしたんだよスキュー、わたしは大抵のことは気にしない女だぜ?

 さあ、どーんと言ってごらんよ!どーんと!」


「そうか……?それなら……」


 スキュブは決意を宿した目でアヤネを見つめる。


「お前の……肉と、体液が……欲しい……」


 

 

「…………え?」


 耳を疑った。

 彼、今なんと言った?

 

「ごめんちょっと聞き取れなかった。もう一回言ってもらってもいい?」


「お前の肉と体液が欲しい」

 

 わぁお。

 何ということだろう。最愛のパートナーは肉と血をご所望だ。そうか、スキュブはクモのモンスターと人間のハーフだから、人間――人間ではなくアヤネは月の民という種族だが――でも美味しくいただけるということか。

 いやそうではない。問題はそこではない。

 今、自分は食われそうになっているということではないだろうか。

 転移早々肉体の危機である。

 

「……やはり、だめか?」

 

「いや!ちょっと待って!考えさせて!!」


「……分かった。」

 

 スキュブは微かに目を伏せて、ベッドに腰かけた。

 とりあえず危機は一旦ではあるが回避できたようだ。

 

 アヤネは思考を巡らせた。

 どうしてそんなことになるんだっけ?と。彼の性格、嗜好は自分が設定したのだから、自分にしか原因がないのだ。過去の自分は一体どんな設定を書き込んで、自分が食われるようにしてしまったのだろう。

 設定をできる限り思い出していく。最愛のパートナーのことを思い出すのにそんなに時間が必要なのかと笑う者もいるかもしれないが、十年は育ててきたのだ、書き足したものもあるし、ど忘れしてしまったものだってある。だいたい一昨日の晩飯すら何を食ったか曖昧なのだ、十年も前に書いたことを思い出せというのは少々難しい要求ではないのか。

 設定の文字数に若干引いていた自分であるが、割りと長めの設定を書き込んでいたのを今更後悔した。だってこんなことになるとは思わないではないか!

 まさか面と向かって食いたいと言われる日がくるなんて誰も思わないだろう!

 

 ――そんな風にあーだこーだと考えていたら思い出した。

 スキュブには好きな相手を食べたいという嗜好と、興奮するとそれを抑えることができなくなる、という設定をした覚えがある。

 これが原因なのは間違いない。だが、「興奮すると」ということはいつもは抑えることができているということだ。

 となると、彼は今興奮状態にあるということになる。

 

 ……あれ、興奮させるようなことしたっけ。

 

 したわ。

 

 そういえば彼には、「敵の返り血や肉片を浴びると興奮ゲージがたまるよ!興奮ゲージがMAXなるとモンスターに変身できちゃう!」というゲームシステムに沿った特性と、「好きな相手の匂いを直に嗅ぎすぎたり、抱き締められたりすると興奮状態になる」という設定があったのを思い出した。

 前者は関係ない。戦闘はしていないし、アヤネが腹切りをしたわけでもないのだから。

 問題は後者である。さっきした。おもいっきりした。感動のあまり勢いよく抱き締めてしまったし、直に嗅がせてしまった。

 いやでも「好きな相手の」だろう?お前がそれとは限らないじゃん?と言いたい人もいるだろう。

 勿論、スキュブに関してはアヤネが一方的な好意を寄せているだけなので、スキュブがアヤネのことをどう思っているかというのは分からない。

 だが。このゲームには好感度というシステムがある。

 プレイヤーとパートナーとの会話や、一緒に過ごす時間の長さなどで上がっていくもので、一定以上のレベルになるとステータスが上昇したりするものだ。

 ちなみにスキュブとの好感度レベルはMAXである。

 何年か前に追加された好感度レベルの限度を引き上げるアイテムも使ってのMAXだ。

 

 終わった。

 これは完璧に食われる。

 

 いや、「お前がそういう設定にしたんだから責任とって食われろよw蘇生アイテムとかあるんだろw」とか言われる状況なのは分かる。

 実際に蘇生アイテムはあるし、アヤネは魔法関係のステータスにしかポイントをふっていないような魔法使いなので、蘇生も回復もどうということはない。

 実は、彼の要求にこたえてしまってもいいのだ。骨まで食われようと、その身体を成す物体がほんの少しでも残っていれば、時間経過で再生してしまうという特性を持っているのが、人の形を模した化け物、月の民なのだから。

 それなら何故躊躇っているのか。食わせてしまえば要求も叶って平和的に解決するではないか、と思うだろう。

 しかしそうしてはならない。

 なぜなら、そうすると彼が暫くの間、極度の精神不安定状態に陥るからだ。

 

 説明しよう。

 彼は、好きな相手の肉や体液を摂取したいという嗜好を持っているが、一口肉を食むと歯止めがきかなくなり、最終的には食らいつくしてしまうという性質を持っている。

 そのため、最初こそ好きな相手が軽傷で済むように、と一口だけで我慢しようと思っているのだが、気づいたときには、相手を抵抗することも叫ぶことも出来ないような骨と肉塊にしており、結果、やりすぎてしまったと後悔してしまうのだ。

 本人はそうなることを自覚しているので、普段はそれを抑えることができているのだが、興奮状態にあるとどうしても一口、と欲望が溢れでてくるのを止められないようだ。

 彼にとって好きな相手の肉や体液というのは、子どもにとっての甘くてたまらないお菓子のようなものであり、中毒者にとっての酒のようなものであり、ジャンキーにとっての舐めると空まで飛んで行く切符のようなものである。

 一欠片でも口に入れば天にも昇るような気持ちになってしまうのだから、香りを嗅げば舌舐めずりせずにはいられないだろう。

 そうであるなら、好きな相手を食べても何とも思わないほど感情が希薄なものであれば楽なのだが、人間の血を半分宿しているせいか、無感情ではいられないようだ。

 やはり正気に戻ったときに酷いショックを受けてしまうらしい。一週間は元の精神状態に戻らないほどに。

 

 というわけで、以上のこと踏まえつつ、要求を通そうと思うと……

 血は駄目だ。おそらく、傷口から摂取させているうちにガップリ噛まれた挙げ句食われる。

 涙はどうだ。いや、そのうち目玉を食われそうな予感がするし、目玉をペロペロされそうだ。

 鼻水……ない。個人的にそれはどうかと思う。

 なるべく損傷なく、体液を摂取させるには……


「そうだ!唾液!!これなら損傷もないし、梅干しとか想像すれば結構量はでるし!スキュー!肉はお前の精神に良くないからアレだけど、唾液ならいけ――」


 アヤネは閃きのまま口走ったが、ほとんどのことを言ったあたりで気づいた。

 唾液を摂取させる方法を考えていなかった。それに、唾液も汚いのではないか。

 これは取り下げねばなるまい。今更だが、彼が暴走する前に鎮静剤を打てばよいのでは、ということに気がついた。

 しかし一度言ったことというのは取り消すのが難しいものである。彼の行動速度が並ではないことも災いした。

 アヤネが言い直そうと思ったときにはもう遅く、スキュブの口はアヤネの口をしっかりと捉えており、アヤネはその勢いで後ろへ倒れるしかなかった。

 因みに、これがアヤネにとって人生初めてのキスである。

 ファーストキスとはロマンチックの”ロ”の字もないらしい。


「ん゛ーー!!んんん゛ー!」

 

 がんばって声を上げてみたが効果はないようだ。相変わらずスキュブはアヤネの頭部を腕でがっちりと捉え、唾液を吸っている。吸血鬼もこんな風に獲物の血を吸うのだろうか。もしそうだとしたら、あっという間に真っ青になってしまうだろう。いや、そうではなくて彼の吸う力が強いだけなのかもしれないが。

 とにかく、このまま放っておいたら舌を引っこ抜かれそうだった。口のなかの水分はほとんど持っていかれたような状態だ。もう梅干しを想像したところで何の意味もないだろう。やったとしても焼け石に水なのは目に見えている。

 アヤネはアイテムポーチに手を突っ込んだ。使い方はよく分からないが、こういう時は勘だ、お目当ての物よ来いと強く念じながら、探りあてた硬い感触のものを引き抜く。

 手に握られていたのは、油性マーカーのような形をした、光沢のある銀色の物。これが鎮静剤である。

 月の民の高度な技術を活かして作られた自動注射器だ。先端を対象の皮膚等に当てると自動で薬液が投与されるようになっている。

 ゲームではこれを打てば興奮ゲージが治まり、モンスターに変身していた場合でも瞬時にそれを解除することが可能なすぐれものである。

 改めて聞くとヤバい薬なのではと思うが、薬自体も月の民の技術で作られているのでおそらく大丈夫なのだろう。多分。

 アヤネは鎮静剤の先端を丁度手が届く場所――肩甲骨があるあたりだった――に当てる。すると、薬液が投与されたのだろう、スキュブは吸うのをピタリと止めてゆっくりと起き上がった。

 表情を見たところ、少ししょんぼりとはしているが、ショック状態というわけではなさそうだ。

 アヤネは安堵してため息をつく。舌は引っこ抜かれずに済んだし、スキュブの精神状態も悪くない。過程に少々改善しなければならない点はあるものの、結果は目指していたところに落ち着いたようだ。

 

「む……すまない、アヤネ。我を忘れていたようだ……」


「あはは……だいじょぶ……だいじょぶ……無傷だし……」


 アヤネは床に倒れたまま、親指を立てた拳を掲げた。

 とはいえ本格的な行動を始めるのはもうちょっと待って欲しかった。何せ、碌に運動もせずにゲームばかりやってきた身体であるし、このゲームでの自分も、魔法関係のステータスにしかポイントを振っていないようなモノだ。息を整えることに常人よりも時間がかかるのは仕方ないことだろう。

 

 因みに、スキュブはアヤネの息が整うまで待ってくれていた。

 すぐ傍で体育座りをしてアヤネの顔をじーっと見つめながら時間を潰してくれていたのである。

 それの何が楽しいのかはよく分からないが、その表情は見たことのない生き物を観察しているこどものようであり、どこか目が輝いていたように見えたので退屈はしていなかったのだろう。

 アヤネとしてもそんなスキュブがかわいかったので、問題ないといえば問題なかった。

 

 異世界転移初日の朝は、騒がしかったが、腑に落ちないことはない朝になったのであった。

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