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哀愁のチーズフォンデュ

「お、まともなパンが入ってる」


 マナトは、運び込まれたまま放置されている食料箱を覗きこんで、弾んだ声を上げたがすぐにそれは失望に変わった。


「石か、これ」


 はぁ、と溜息をついて、何日も売れ残った末路だろうパンをコンコンと叩いた。

 水分を失いきったパンは、軽くて高いイイ音を立てた。


「……こないだのカビた毛玉よりはいいか」


 ちなみにカビた毛玉の正体もパンで、あちらはびっしりとついたカビの胞子でふわふわのカラフルな毛玉状になっており、どうにもならずに入っていた箱ごと庭で焼却後に埋めた。

 それに比べたらカチカチのパンなんて、つつく気になるだけマシだ。


「今回はまぁ……ワインもチーズも残ってるだけ良心的だな」


 到底城に運び込まれるには足らない安いワインに、干からびたチーズが入った箱は、どれだけの人数がどれほどの物資をくすねたのか、入っている内容物に対して大きすぎる。

 もっとも週に一度の搬入でこの城を賄うのだから、本来ならばこの箱にみっちりと詰まっていても一箱ということもないはずなのだけれど。

おそらく箱ごとくすねた大胆な輩がいるか、搬入の段階から誤魔化されている。


「ひえっ、しわっしわ。これ、芋かぁ」


 申し訳程度に箱の底に転がっている芋は萎びて皺だらけだ。

 芽や根が出ているだけなら、種芋として雑草はびこる庭に埋めてもよかったが、どうも生命力の感じられない芋だ。

 めぼしい芋も、ここに運び込まれるまでに誰かしらが持って行ったのだろう。

 手ごろな芋はくすねたとしても良心の呵責に薄いのか、横領など考えそうにもない善良そうな掃除婦や下働きでも持っていく。


「ま、食えるだろ」


 しわしわの芋を丁寧に洗って芽と根をえぐり、一口大に切ってから茹で始めて、余り物のない厨房をぐるりと見渡した。


「……あー、確かまだニンニクが残ってたよなぁ」


 ぶつぶつと呟きながら手早く目当ての小鍋を取り出すと、一粒剥いたニンニクをなべ底に擦りつけてから鍋に放り込む。

 ニンニク入りの鍋でワインを沸かして、細かく砕いたチーズに小麦粉をまぶしつけたのを煮溶かす間に、カチコチのパンも一口大に切る。


 厨房で立ったまま食事をとるのは誰かが見れば眉を顰めるかもしれないが、幸いなことに仕事熱心(・・・・)なこの城の使用人は、めったに顔を見ない。


「あふぃ……はふっ……うーん、さすがにこのパンは堅くなりすぎだな。口ン中がいてえや」


 トロリとしたチーズをまぶしつけても、硬いパンはあまりにも凶器だ。

 チーズを煮溶かした残りのワインを含み、口の中でふやかしながらどうにか飲み込んで、硬いパンをそのまま食べるのは諦めた。


「お、芋は美味いぞ。この芋甘いな?」


 茹で上がった芋は、なんだかしっとりしていて甘みが強いように感じられる。

 そこに塩気の効いたチーズが絡まるとなかなか美味かった。

 長いフォークで突き刺した芋でぐりぐりと底から掻き混ぜて、焦げ付くのを避けつつ、ワインを流し込む。


「美味い美味い。しかし、勇者になったってのに結局食ってんのは芋か」


 ワインでも飲み込み切れない溜息をひとつ。


 マナトはかつて勇者と呼ばれていた。

 いや、一応今も呼ばれている。


 百年ほど前に魔王が生まれ、人類の生存圏を脅かしていたのが数年前までのこと。

 神託により勇者へと選ばれたマナトは、王命を受けて神官や聖女、魔法使いに騎士といった仲間を率いて、見事魔王を打ち倒したのだ。


 凱旋したマナトには、爵位と美しい王女が与えられた。


 もっとも妻となった王女は華々しい結婚式の直後、思いを通わせていたらしい騎士と共に行方をくらませてしまったのだけど。

 それなりに緊張した初夜、床に持ち込まれたのは『やはり真実の愛に嘘はつけません』という王女の書置きだけだった。

 嘘も何も、ついさっき神に愛を誓ったばかりだったのに。


「……せめて結婚式の前に相談の一つもしてくれればな」


 蝶よ花よと育てられた王女が市井でやっていけるはずもなく、貴族社会しか知らない近衛騎士だって似たようなものだろう。

 別にマナトの方も王女に恋焦がれて求婚したわけでなし、突然逐電するよりも、何かもっといい方法があったのではないかと思ってしまう。


 もっとも世間では、魔王を打ち倒す勇者の物語から、許されない恋に身を任せた気の毒な恋人たちの物語へと流行が移り変わったそうだから、本当に王女の行方を知らずにいるのはマナトばかりなのかもしれないが。


 王女に逃げられたマナトはその責を負わされ「妻も躾けられぬ元平民に民を統治するのは荷が重いでしょうから」と、与えられたばかりの所領のほとんどを取り上げられ、残ったわずかばかりの所領にもご親切に代官を派遣されたのだから、どこからどこまでがグルなのかさっぱりわからない。

 それでも当初は一応働いてみようとしたこともあったのだが、勇者様がお心を煩わせるようなことではございませんから、と押し切られて、政務の一切は取り上げられている。


 本当に恐ろしいのは人間だ、というよく聞く文言を骨の髄まで思い知らされた。


 これなら魔物の蔓延る地で野宿を強いられていた討伐の旅の方が、よほど心安らかでいられた。


 王宮から派遣されてきた使用人たちも、平民上がりの勇者を軽んじていて碌に働かない。

 そのくせ、魔王を倒した剣が今度は王侯貴族に向くのではないかと恐れているのか、この城には魔力を封じる仕掛けや、この城の主を城に閉じ込める仕掛けがあちこちに張り巡らせてある。

 まったく大した贈り物だった。


 とはいえ、誰にも歯が立たなかった魔王を倒したほどの勇者に、随行することも出来なかった魔法使いたちが敵うはずもないので、贈り物に仕掛けられた罠はいささか不愉快になる程度の効果しかなかった。

 しかし、マナトは悪意を向けられることにすっかり疲れてしまったし、隠遁生活をするのなら、城だろうが森の中だろうが同じことだ。


 それで恩知らずの王や民衆が安心するのなら、この城で過ごしてやったってかまわない。


 働かない使用人たちも、こんな閑職に回されて気の毒なことだし、何か良からぬことを働くくらいなら好きなだけ怠けていてほしい。


「あっつ……いやぁ、しかし芋は美味いよな。安いからってバカにしたもんじゃない」


 熱々のチーズにまみれた芋を口の中で転がしつつ、マナトは遠い目をする。

 しょっぱく熱くなった口を冷やす安いワインは、酸っぱいが優しい。

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