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RIVER

作者: 雷電鉄

 良矢の死の知らせを受けたのは、八月前半の暑い盛りだった。

 彼とは大人になってからは数えるほどしか会っていなかったが、ようやく八月の終わりに短い休みを取れたので、彼に別れを言うべく私は二十年ぶりに故郷の町へと向かった。


 電車が町の中心部に差しかかると、私は思わず目を疑った。

 かつて三階建ての小さな建物だった市役所は、誰が喜ぶのか馬鹿でかい塔のような奇抜な建物に変わっていた。

 いや、それだけではない。電車の窓から見える光景は、私のいた頃からはすっかり変わり果てていたのだ。


 真新しいコンクリート製の駅舎を出ると、夏の空気がまとわりついてきた。

 セミの声。

 と言っても、昔と違ってミンミンゼミもツクツクボウシの声も聞こえてこない。

 ただ、アブラゼミの焼けつくような声だけが響き渡ってくる。


 良矢の家に行く道すがら、私はこの中学卒業まで過ごした町を見て歩いた。

 故郷というやつは大人になるにつれて小さく見えていくと言うが、どうやらこの町はそんな感傷さえも与えてはくれないらしい。

 町は、それほどまでに様変わりしていた。

 学校帰りによく立ち寄っていた駄菓子屋はコンビニに変わり、友と虫を追いかけていた野原は駐車場に変わり、そして・・・あの生涯忘れないであろう体験をした川も、川原からしてコンクリートの護岸で固められて、魚の姿らしき物も消え失せていた。


 彼の家に着くと、年老いた母親に出迎えられた。最後に会った時の記憶を頼りに仏壇にビールを供えると、私は記憶より少し老けている写真の中の彼に向かって語りかけた。

 だが、あまりに突然の別れは逆に言葉を失わせるものだ。

 私は言葉少なに彼に別れを告げた。


 私は家の窓から外を眺めた。

 彼の家は私の記憶通り町を見渡せる小高い丘の上に立っていたが、そこから見える光景は目を覆いたくなるほどに様変わりしていた。

 田園地帯を走る道沿いにはチェーン店がケバケバしく立ち並び、地方都市の景観に不釣り合いな高層マンションが、まるでマウントを取り合うように点在している。

 そして、町の中央にはこの変わり果てた町の象徴のように、あの市役所の醜悪な建物がそびえ立っていた。

 良矢は、いったいどんな思いでこの町を眺めていたのだろう。

 子供の頃、私たちは未来の希望に胸を膨らませていた。だが、その未来がこんな風になっているとは彼もきっと思っていなかっただろう。

 それを確かめる術は、もう無いのだけれど。


 私は彼の母親に挨拶を済ませると、高台を下って町へと向かった。

 普通なら、ここで良矢との想い出を探しに町を見て回る・・・と言うところだろうが、この町では余計彼のいない寂しさがつのるだけだろう。


 中学を卒業すると同時にこの町を去った。

 もはや他の友達もここにはおらず、良矢もいなくなった今、私とこの町を繋ぎ止めるものも無くなった。きっと、もうここに来ることもないだろう。

 思わず煙草に火を点けそうになって慌てて手を戻しながら(何しろ、今や煙草を吸える場所さえごく限られているのだ。この町に限った話ではないが)、そんな事を考えながら歩いていたが、足は自然とあの川に向かっていた。


 生命の気配のない、空虚で無機質な空間。

 それでも、この川にはあの頃の私と良矢の全てがあった。

 コンクリートに縁取られた遺影のような川を見ながら、胸の奥に封じ込めた想いを絞り出すように私は「あの頃に戻りたいな、良矢・・・」と呟いていた。


 そう、あの頃は全てが楽しかった・・・



 子供の頃の夏、煩わしい仕事もなく、おーちゃんこと私と、良矢・・・りょーやん、亀っち、しー坊の四人はいつもこの川で遊んでいた。

 川原で適当な石を見つけて水切りをしたり、段ボールを持ってきて川岸を滑ったり。


 それだけでは飽きたらず、私たちは網を持って川の中に入った。その頃の私たちにとっては、釣竿などよりそっちの方がよほど手っ取り早く、スリリングに遊べる道具だった。

 網で川岸近くの淀みを掬うと、魚はもちろんヤゴやザリガニなどが沢山捕れた。大きな魚や珍しい魚を捕まえた者はヒーローだった。

 特に良矢は魚捕り名人で、しばしば大きな魚を捕まえては自慢していた。

 珍しい魚を捕まえた時は、クラスの中でもやんちゃで威張っている連中が見にきたりして、仲間の我々まで何となく誇らしい気分になったものだ。

 川には、親しくはない子供たちまで繋げてしまうような魅力があった。



 その川で奇妙な出来事を経験したのは小四の頃だった。


 ある日、良矢が川を上流まで遡って探検しようと言い出したのだ。


「何か、川の中からしか見えない街があるんだってさ。六年の高橋も昔見たらしいぜ」

「でも、はっきりそれを聞いたわけじゃないんだろ?父ちゃんは上流には林とセメント工場しかないって言ってたぞ?」


 仲間の中で、一番大人びていた私は反論した。


「はっきり見た奴がいないから見に行くんだろ。セメント工場って、それは上の道から見た話じゃないか。あの()()()()歩いて行って何があるかは、俺たちの誰も見てないんだよ」

「俺も見てみたい」

「俺も・・・」


 良矢の話を聞いて、亀っちとしー坊も次々に言い出した。


「しょうがねえなあ・・・」


 結局、私も折れた。良矢は、こうやって皆を乗せるのが上手かった。

 いや、実のところ私自身も、いつも遠くに見ているだけだったあの川面の奥に何があるのか確かめたかったのだ。


 夏の終わりのひどく蒸し暑い日。親には友達と自由研究をすると嘘をついて、私たちは上流まで歩いていくという計画を実行に移した。


 地元の老人に、上流にはマムシが出ると脅されていたので、私たちは慎重に川の中を歩いていった。

 歩いていくうちに、川岸には木が増えていき、脛の近くまであった水は足首の下あたりになり、上流に近づいていることが分かった。


 やがて、陽も傾いていき、疲れも出てきた。きっと、子供には過酷な距離を、それも川の中から歩いていたのだろう。このままでは親と約束していた時間に間に合わなくなる可能性もあった。


「なあ、もう帰ろうぜ。やっぱり、街なんてなかったんだよ・・・」


 私はヘトヘトになって、同じくヘトヘトになっているであろう良矢に声を掛けたが、彼は微動だにせず顔を上に向けていた。

 私は、彼の見つめていた方に視線を向けた。


「マジかよ・・・」


 良矢の言ったとおり、そこには見たこともない街が広がっていた。

 セメント工場などではない、見上げても見上げきれないほど大きな建物が立ち並び、きらびやかな看板が並んでいて、遠くに塔のような威容の建物がそびえ立つ、夢のような街。


 私たちは、当然疲れも忘れて川を出て街に入ろうとした。だが、なだらかだったはずの川岸はいつの間にか高く、かつ急になっていて、子供に登り切るのは非常に困難だった。

 木登り名人だった亀っちが何度挑戦しても出来ないのを見て、いつしか私たちの中に諦めの感情が芽生えていった。


 やがて、私たちは今度こそ本当に疲れ果てて引き返していった。

 足を進めるごとに、急峻だった川岸は元のなだらかな草原へと戻っていった。

 不思議なことに、少し歩いて振り返るともう街の姿は見えなくなっていた。


 結局、私たちは二度と川の中を歩いて上流まで行くことはなかった。夏が終わればまた別の遊びに夢中になっていったし、次の年になると、私たちはもう川の中を歩いた時にだけ見える街などは子供じみた夢物語だという事を理解し始めていた。


 いや、もしかしたら、あの経験そのものも私の夢だったのかもしれない。

 後に親と一緒に車で上流に向けて走ったが、やはり林とセメント工場しか見えなかった。



 いや。

「もしかして・・・」私ははっと気付いた。あの大きな建物たちは高層マンション。きらびやかな看板はチェーン店の看板。急峻だった川岸はコンクリートの護岸。そして、あの塔のようだった建物は市役所の建物。今ではくだらなく見える光景も、子供の頃の私たちにはきらびやかな光景に映っていたとしたら。


 間違いない。子供の頃のあの川は、未来のこの町に繋がっていたのだ。

 それは、冷静に考えたらとても信じられないような話ではあるけれど―――あるいは、子供の頃のあの体験があったからか―――私は、直感的にそうに違いないと信じた。

 ならば、あの頃のようにこの川を遡っていけば、きっと子供の頃のこの町に戻れるのではないか。

 毎日が楽しく、そして良矢のいたあの町に。


 私は脇目もふらず護岸を伝って川に飛び込むと、そのまま川の中を走っていった。

 流石に、大人の足だけあってあの頃よりはるかに早く進める。


 走って行くうちに、少しずつ水かさが減ってきているのが分かった。景色も変わって来ている気がする。

 上流に向かって行って街から離れたからか?

 いや違う。

 子供の頃のあの町に近づいているのだ。私はそう確信していた。


 そして、私はついにたどり着いた。


 夏の風の匂い。

 周りを見渡しても、コンクリートで固められた護岸など無い。

 私は、あの想い出深い町に帰ってきたんだ…


 私は周りを見渡し、きっとそこにいるであろう仲間たちを探した。

 草の陰、淀みの近く・・・彼らのいそうな所は手にとるように分かる。かつての私たち自身なのだから。


 そして、いた。幼い頃の私こそいなかったが、亀っちも、しー坊も、そして・・・良矢も夏草の陰から姿を現してきた。その姿は、子供の頃一緒に遊んでいたそのままだった。


 私は、何かに突き動かされるように彼らに歩み寄っていった。

 ここに居れば、もう仕事もくだらない開発もない、毎日が楽しかったあの町に戻れるんだ・・・

 私が「おーちゃん」であることに気付いたのか気付いてないのか、良矢はじっと私の方を見つめて動かないでいた。


()()()()()・・・。俺もそっちに行かせてくれないか・・・?」

「何で?」


 良矢は、こちらを見て答えた。


「何でって、お前たちにはまだ分からないかも知れないけど、大人の世界ってのはな・・・」


 そこまで言いかけて私は、良矢の眼を見て言葉を飲み込んだ。

 言えない。

 ()()()()()()()()()未来に夢を膨らませているであろう眼をした良矢に向かって、大人の・・・未来の世界はこんなに下らなくなってしまったとは言えなかった。

 ここは私の踏み込んではならない世界だ。

 そう思った。


 私は、改めて良矢の眼を強く見て言った。


「お前たちのおかげで、ガキの頃は未来がもっとキラキラして見えてたのを思い出したよ。・・・俺は、もうお前たちのいた頃には戻れない」

「もうこっちに来なくていいの?」

「ああ。ちょっとでも、お前たちに恥ずかしくないような未来にするためにな」

「ふうん・・・何か、すごい大人って感じだね」

「・・・だろ?」


 私は振り返った。


「じゃあ、体に気を付けてな」

「・・・?」


 そう手を振って私が振り向くと、良矢たちや川辺の風景は少しづつ消えていった。



 目が覚めると、私は元の川辺にいた。どうやら、私はあの場で倒れていたらしかった。


 さっきの出来事は夢だったのか?と言うことは、やはり小四の頃のあの経験も夢だったのだろうか・・・だとすれば、なぜあの時の私は、あの頃は知り得ないはずの今のこの町の風景を知っていたのだろう。すべては謎のままだ。

 だが、大人になった今は、この世には得てして謎のままにしておいた方がいい事もあると言うことも私は知っている。


 俺たちだけの秘密だぞ、りょーやん。



 私は、川を渡る風を受けながら立ち上がった。心なしか、風が心地よく感じられるようになった気がする。

 私は思う。あの出来事が夢にしろ現実にしろ、あの川がこの町と良矢の事を忘れるなと言ってくれたんじゃないかと。

 きっと、皆何をバカな事をと笑うだろうし、私自身も笑い飛ばすべきだと思っている。

 だが、何もかも変わってしまった町の中で、この夏の終わりの風だけはあの時のままなのだ。

 まるで、今でも良矢がそこにいるかのように。

(おわり)






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