第4話 持つべきは友人
昼上がりに大闘技場の地下に通る廊下に六人の男が歩いていた。
窓一つがないこの地下牢は四六時中トーチにつけられた火の明かりで照らされているが、その数は少ない。
雑に作られた廊下だけあって、デコボコの床とたまに道のど真ん中に設置されている木製パイル、壁の表面もお世辞でも滑らかなと言えない。
少人数で動く分には問題ないが3人以上となると、進行速度が飛躍的に落ちる。
先頭を歩いている昨日魔族の少年を牢屋に持ち込んだ兵士風の服を着た二人は一本ずつ手にトーチを握ぎって、道を照らしながら案内役を務めているらしい。
そのすぐ後ろ、身なりのいい男性が隣に歩いている騎士服を着ている男性に気にかけている。
年齢は二人とも二十代前半ぐらい。
最後に歩いているのは兵士二人。
その服装は先頭を歩いている二人より明らかに上質なもので、少し豪華に飾られている。
デザインはどこか集団の中央にいる騎士に似てるように作られている。
「しかし、近衛騎士団の方が直々にこの謙虚な場所を訪れるとは光栄ですな、バリスト卿」
見慣れの良い男は近衛騎士、レナール・バリストにどこか馴れ馴れしい口調で語りかけた。
「いえ、陛下直々のご命令に従い参上したまで。そういう貴殿こそ、陛下の謁見に向かわれた父に代わり経営する必要の闘技場があるのにここで私ごときに時間を使わせて、恐縮です、レベノ殿」
騎士は微笑を浮かべて鷹揚に応じる。
「ま~、そろそろ父から当主の座を受け継ぐ準備をしないと。その一環として経営しているこの大闘技場全体に馴染む必要があるので、問題ありません」
レベノ準男爵家の長男が目を貪欲で燃やしながら穂からかに笑って見せた。
優越感に満ちた彼を見てバリスト伯爵家の三男が
「そういえば、レベノ準男爵とは偶然にも今日、陛下の執務室で会えました。お元気そうで何よりです」
とレベノ準男爵の健全な姿を強調しながら答えた。
それを聞いたジョルジュ・レベノが笑顔をより温かくして親しみを込めてこう応じた。
「父の健康を心配するとは、やはり持つべきは良き友ですね。何と言っても学園時代からのお付き合いですから。あ、学園と言えばバリスト卿が現在お守りになっているのは今夜会に参加する為に帰国した第三王子殿下アレクシス様ですよね。学園都市でお勤めするのはさぞ懐かしいでしょう。まるで卒業から何にも変わらなかったのように...出発はいつ頃に?」
その間、前と後ろを歩く二人組は全く違う内奥の会話を聞いていた。
案内役の二人は古い友人が再会している現場を、王城から派遣された兵士達は因縁の修羅場をそれぞれ目撃していた。
「夜会参加者へあたえられた休暇期間は一週間なので、あと数日で出発します。でもアレクシス様が言うには卒業後、国王陛下から北方の対蛮族防衛軍の指揮を任されることになります。その際、自分も同行しますので、そこで武功を上げる機会は山ほどあるらしい。後、レナールとお呼び下さい、学院時代の同期ではありませんか」
愛想の良い笑みを貼り付けて提案するレナール。
「・・・恐縮です、では、私も是非ジョルジュとお呼び下さい。でも、わざわざ来てくださったのに無駄足にならなければ良いのですが。何しろ、昨日のパレードで忙しくて、まだアレの生存を確認できていませんし、治癒使いが回復可能領域を超えている怪我と仰ったそうだ。一応魔法以外の手当を施したが、生存の確率が限りなく低いとのことでして...」
ジョルジュが粛々と語って、ため息をつきながら頭を左右に動かした。
実際にそうだと助かるのはジョルジュのほうだ。
グロット公爵派に所属するレベノ準男爵家の一員としてこのまま国王がその奴隷を強引に購入した事実はそれでもみ消されて一件落着。
しかし、ジョルジュがそう思えるのは父のレベノ準男爵がこの取引で一命を取り留めた事を知らないからだ。
いくらこれまでにない披露を見せるようにグロット公爵に言われたから、貴重なレギオスをほぼ絶望的な生存確率の戦闘に送り込んだのは間違いだった。
だが、この展開だと、二人ではなく一人を購入された。
それも、グロット公爵がレギオスには飽きたからだ。
その証拠に二人ともあんな無茶な戦いに放り投げた。
生き残った方を売り飛ばした。
と説明がつくので実質的にレベノ準男爵の間違いがグロット公爵の顔を立たせた。
それがなければ、国王が二人の貴重なレギオスを強引に購入した事になるところだった。
「ふむ、ま〜、陛下もそれをご存知ですからね。仮にもレギオスだ、具体的な能力は分からないが、古代文章に記された通りだと凄まじいタフさだそうだ 」
レナールはそう言って、あからさまに嘲笑を覗かせた。
「左様ですか、わかりました。・・・おい!後どれぐらいで着くのか?」
ジョルジュは恭しく頷くと、先頭を歩いている二人に声をかけた。
「はっ、はい!こちらです」
先頭を歩いていた二人のうち壮年の男が慇懃な所作で牢屋の扉の一つを示した。
一行は扉の前で集まり、壮年の男は焦って鍵を見つけて鍵穴に刺した。
カチャリ
と音を立てて、部屋のロックが解放される。
そして、ギィ〜と扉が開く。
「つっ!!!」
その場にいた面々がピタリと硬直して、一瞬に体を小刻みに震わせた。
先ほどまでの余裕のある空気が完全に消え、背筋に冷や汗を流しながら数秒言葉がでなかった。
二人の兵士が扉を開けた時、中を全員に見えるように両脇に立っていたから、トーチの明かりが扉の向かい壁を照らさなかった。
だから、はっきりと見えた。
闇から一行を真っ直ぐ見据える、輝くような赤い瞳。
その瞳には感情がこもっていない。
だが、なぜだか底冷えするように冷たい。
闇の中に何かがその冷めた眼差しで静かに扉の前に立ち尽くしていた六人を油断なく観察している。
「あぁ、くヒェム...どうやら生きていたようだね」
最初に我に返ったレナールが小さく咳払いをして、少し硬い声で余裕を装った。
「あ、ああ、そうだね」
ジョルジュが同じくやや硬い声色で応じた。
瞬間が去って、案内役の二人以外全員が冷静さを取り繕った。
「じゃあ、二人とも、トーチをレナール卿の部下に預けて、運んであげて」
闘技場の衛兵二人に指示を出す。
二人はピクリと体を震わせ、すかさず命令を果たすよう行動に移る。
宮廷の兵士一人と一緒に入室して、やや慎重な足取りでトーチの明かりで照らされた赤い瞳の主、銀色の髪をした八歳の少年に近づいた。
「おっ、おおう。生きていたね、レギオス」
壮年の男が少年に語りかけた。
個人名がない。
あってもそれを知る者はこの世にいない。
この闘技場でいつも一族名で呼ばれていた。
廊下に声を聞いた時は警備深く状況を分析し始めた。
それゆえ、扉が開けた時、集中した姿で一行を怖がらせた。
しかし、殺すつもりで来たなら、ここで始末したはず。
それをしないで、『運んで』と指示を出したなら、何か別の狙いがある。
だから...
「...はい」
静か、だがよく通る声で、落ち着いた様子で頷くシン。
「じゃ、運ぶぞ」
「おっ、おう」
壮年の男が語りかけて、若い方の男が答える。
二人でシンの体を持ち上げて、部屋の外へと運びだす。
レナールはじーっと彼の顔を見つめて廊下を歩き始めた。
の獲物を見る捕食者のような目。
その第一印象が頭から離れられなかった。
帰り道には会話がなかった。
それどころか、地下通路を抜けるまで一行全員の間に電撃が走るような緊張感があった。
この狭くて薄暗い空間に昨日観戦した戦いで生き抜いた化け物とすぐそばに歩いていたから仕方がない。
来た道も長かったが、帰り道の方がずっと長く感じていたのはきっと人を運びながら歩いている。
そう自身に言い聞かせた六人の大人。
だが、長くても、ずっと終わらないわけではないから、廊下の先に闘技場の営業エリアに繋がる階段が見えた。
ここでは闘技場の至る所へつずく通路と扉があり、荷物や魔物輸送用檻、奴隷、職員等々が常に通る為、広くて天井が高いホールの形で構築された。
そして重要なエリアゆえに厳重な警備が配置されているのが分かる。
あっちこっちに見える案内役の二人と似たような格好をした闘技場の衛兵が一行が地下につずく階段から現れる瞬間を見逃さず、数秒様子を見て巡回をつずける。
地下牢と違って明るくされたこの広いスペースと複数の友好兵の存在によってようやくジョルジュ達の緊張感が治まった。
「では、レナール殿。私はここで職務に戻らなければなりませんが、誠に残念ですがこれでまたお別れせねばなりません。この二人はガキを馬車まで運びますのでご安心を」
ジョルジュは残念で仕方がない表情を貼り付けて早速別れの挨拶をする。
「古き友人に会えて嬉しかったよ、ジョルジュ殿。ご案内、ありがとうございます、またいつかお会いしましょう」
同じような顔を取り繕ったレナールも挨拶して、二人は軽く頷き別々の方向に歩み始めた。
王城兵二人はトーチを階段の傍に設置されたトーチ台に置いてレナールの後を追う。
シンを運ぶ二人も指示に従って馬車まで王城の一行についていく。
近くに通る従業員も衛兵もシンを運ぶ集団を気付くと興味深そうにその姿を目で追う。
勿論奴隷を運ぶ姿は珍しくはないから、最初のきっかけは城下町意外に滅多に見ない近衛騎士の姿だ。
そして、後ろを歩く者を目で通しながらようやく運ばれた「物」の正体を知ると自然に視線を逸らせなくなる。
そうやって注目を浴びせながら輸送エーリアに待機していた兵士二人、馬車と乗馬までたどり着く。
罪人を輸送する馬車には窓がない。
言うならばただの車輪と扉が着いた木製箱だ。
それを見て物心が着いた頃から闘技場の中で閉じ込められた事しかこの世界の記憶がなかったゆえに『馬車』という言葉を聞いてちょっとは外を見られると期待したシンは思わず溜息をついた。
彼にとってただの期待外れの溜息だったその音は周囲の人々に思わぬ効果をもたらした。
静かで低い、感情がないように聞こえる空気を吐き出す声。
殺戮器械の調製音のように周りにいる全員の背筋に寒気を発した。
その瞬間落ち着いたはずの5人はピタリと動きを止め、瞬時に乾いた喉を治すため、固唾を飲んで彼に視線を集中させた。
レナールと二人の部下は本能的に利き手を腰に付けられた剣へ近ずけて警戒態勢に切り替えた。
運ぶ二人は一ミリでも動くことを恐れてただ小刻みに震えながらその場に立っていた。
シンの首に付けられている首輪がある限り彼が逆らう事も逃げる事も出来ない。
その上昨日の戦いで負った怪我は回復を始めたが動ける状態まではまだ遠い。
そのことを頭で理解しながら、本能的に危険を感じる体は反応している。
だが、不思議な表情を浮かびながら彼らを見ている小さい子供を見て、自分が滑稽に見えてきた。
「さ、馬車へ乗せて」
と、一足先に冷静さを取り戻したレナールが指示を出す。
「はい!」
一秒でも早く彼を引き渡して離れたいとでも思っているかのように運ぶ衛兵は素早く彼を馬車へ積んで扉を閉めた。
「では、俺らこれで...」
二人とも馬車から距離を取って、深く頭を下げながら後退して告げた。
「出発するぞ!門をあけろ!」
彼らを一瞥もせずに乗馬に乗ったレナールが指示を大きく良く通る声で告げた。
馬車の運転手と周りに乗馬した兵士4人が大闘技場の裏門を目指してゆっくり進行を開始した。
同時に待機していた門番達が門をあけはじめる。
眩しい太陽の光が室内に侵入して馬車を照らし始めた...