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9 モラトリアム

 土曜日の朝。私とけいちゃんは、ゆかちゃんの家に来ていた。そう、今日は前から約束していた、ゆかちゃんのお母さんが料理を教えてくれる日なのだ。


「お邪魔します。」


「あら、いらっしゃい!今日は楽しんでいってくれると嬉しいわ!」


 このハイテンションな感じの女の人がゆかちゃんのお母さんだ。現役のキャリアウーマンらしく、ちょっと憧れてしまう。私とは何もかもが対極の、すごく格好いい女性だ。


 ゆかちゃんの家のキッチンは、私の家のそれよりも遥かに広くて綺麗だった。けいちゃんちのも広いと思ったけれど、このキッチンの方が使いやすそうだ。こういうのを確かアイランドキッチンっていうんだっけ。


「じゃあ、時間もいい感じだし、そろそろ作り始めようかしら。今日のお昼はカルボナーラを作ろうと思ってるわ。」


 私は、貸してもらったエプロンを身にまとうと、ゆかちゃんのお母さんの横に立つ。きちんと手を洗うのも忘れない。意外に食中毒というのは起きやすいのだ。これに関して、気を付けすぎるということはない。


「本来なら最初にほうれん草を下茹でするんだけど、実は先にやってあるのを置いてあるのよね。だから、まずは他の野菜を切っていきます。」


 そういうと、ゆかちゃんのお母さんは冷蔵庫から玉ねぎを取り出す。


「知ってるかもしれないけれど、こうしておくと切るときに目が染みないの。玉ねぎは櫛切りにしてね。」


 私は、言われた通り玉ねぎを切り始める。玉ねぎを切るときのトントントンという音。私はこの音が結構好きだ。


「あら、手慣れてるわね。悠華レベルも覚悟していたのだけれど……。汐ちゃんは普段から料理とかするのかしら?」


「はい。でも、そんなに上手でもないので恥ずかしいです……。」


「うちの悠華も少しは見習ってほしいわね……。」


 そういっているうちに、玉ねぎを切り終えた。それと同時に、私は自分の目が全く痛くなっていないことに気がつく。冷蔵庫で冷やしておくと目が痛くならないなんて知らなかった。


 私とゆかちゃんのお母さんは、雑談をしつつ食材を切っていく。ベーコン、人参、しめじ、えのき、それにほうれん草。思ったより具沢山な感じ。それから、一番重要なソースは案外簡単にできた。卵白2つ分と卵黄4つ分、それに生クリーム大さじ8とパルメザンチーズ大さじ8、塩、胡椒をそれぞれひとつまみ。これをよく混ぜるだけなのだ。


 私がそういうことをやっていた間に、ゆかちゃんのお母さんはスパゲッティを茹で始めていた。やっぱり私とは年季が違うからなのだろうか、さすがに手際がいい。私はフライパンにオリーブオイルを熱して、ベーコン、玉ねぎ、人参を炒める。玉ねぎに火が通ってきたら、残りの具材も加えてさらに炒める。人参がしんなりとしてきたところで火を止めて、茹で上がっていたスパゲッティを入れた。この時、ゆで汁をちょっといれるのがポイントらしい。最後に、ソースを絡めて余熱で火を通したら完成だ。


「けいちゃん、悠華も!お昼できたわよ!」


 ゆかちゃんのお母さんがそう呼び掛けると、テレビを見ていた2人はダイニングにやってきて席についた。配膳を終えた私とゆかちゃんのお母さんも続けて席につく。


「じゃあ、食べましょうか。」


「いただきます!」


 ゆかちゃんのお母さんに合わせて食事前の挨拶。なんかこういうのっていいなって思う。お母さんが死んでから、家で父と面と向かって食事なんて全くしたことがない。こういう日常がちょっと羨ましかった。


 気を取り直して、私も食べ始める。綺麗にフォークでスパゲッティを食べるのって意外と難しい。でも、ゆかちゃんのお母さんが食べる様は絵になっていた。私も、フォークでスパゲッティを巻いて頬張る。濃厚な卵と生クリームのソースがスパゲッティに絡んでいて、すごく美味しい。意外に簡単に作れたし、今度から休みの日のお昼の定番料理になるかも。


「ねぇ、汐ちゃん。また家で一緒にお料理しましょうよ!なんだか娘ができたみたいで楽しかったわ!」


「お母さん!娘はここにいるよ!」


「悠華はお料理しないじゃないの。それに、あなたをキッチンにいれると何するかわからなくて怖いわ。」


「悠華は料理苦手なのか?」


「そうねぇ……。この子に料理させたら最悪死人がでるわね。」


「ちょっとお母さん!」


「まぁ、それは置いておくとしましょう。汐ちゃん、さっきの話どうかしら?」


「いいんですか?」


「もちろん!今日は私も楽しかったわ!」


 そのあと、色々相談して毎週土曜日にお昼ご飯を一緒に作ることになった。誰かと料理をしたことなんてこれまでなかったから、すごく新鮮で楽しかった。思えば、何かを楽しみだとか思ったのも久しぶりだ。今のこの時間はある種のモラトリアム(執行猶予)なのかも知れないし、いずれ失うものなのかもしれない。だけど、私はこの居心地のよいぬるま湯のような日常を手放したくない、失いたくないと思ってしまっていたのだった。

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