8 平穏というもの
翌日、私はけいちゃんと一緒に家を出た。なんか、こういうのちょっと新鮮。ゆかちゃんを迎えに道を渡って斜め向かいの家に行くのも初めてだし。何より、隣にけいちゃんがいるという事実がちょっと嬉しい。
ゆかちゃんの家のインターホンを鳴らしてちょっと待つと、玄関の扉が勢いよく開く。そして赤みがかった髪をした、私よりちょっと背が高い女の子飛び出してきた。そう、彼女こそ私たちの幼馴染、ゆかちゃんこと篠宮悠華だ。ゆかちゃんは私がいることに少し驚いたようだったが、すぐに満面の笑みを浮かべて私に抱きついてきた。
「ゆうちゃん!おはよ!」
ゆかちゃんは私のことを「ゆうちゃん」って呼ぶのは別にたいした理由がある訳じゃない。昔、「汐」という字をゆかちゃんは間違えて「夕」だと思っていたんだそうで。それで、今でもゆうちゃんって呼ばれている。
「ゆかちゃん、おはよう!」
「うへへ……。やっぱりゆうちゃんは抱き心地がいいねぇ……。」
「おい、悠華。おまえ女子高生がしちゃマズい顔になってるぞ。」
「ちぇっ。けいちゃんこそゆうちゃんを見る目が嫌らしいんじゃないの?」
「そそそ、そんなことねーし!」
ゆかちゃんはそういうけど、けいちゃんに限ってそんなことはない、と思う。でも、けいちゃんが否定したことをちょっと残念に思っている自分がいて。困らせるように、少し落ち込んだ声で尋ねる。
「ねぇ、けいちゃん。私ってそんなに魅力ないのかな……。」
自分でもちょっと意地悪だったかもって思ったけれど、やっぱりけいちゃんが必死に否定しようとしてくれるのを嬉しく感じてしまう。なんだか、ちょっぴり幸せだった。
そのあとは、いつも通り学校に行って、いつも通りの教室に入った。残念なことに、けいちゃんは特進クラスなのでクラスが違う。けれど、ゆかちゃんとは同じクラスだ。私はあまり人付き合いがうまくないので、少しありがたかった。
「ゆうちゃん、なにかいいことあった?」
「え、なんで?」
「気のせいかもだけど……。今日のゆうちゃん、ちゃんと笑ってるから。なんて言ったらいいのかな、いつものゆうちゃんってもっと笑顔が堅かったと思う。」
「ううん。別に何もなかったよ。」
その言葉に少しどきりとする。でも、正直に話すわけにはいかない。私は、努めて平然と否定することにした。
「ふうん。そっか。じゃあ私の気のせいだ!よし、それなら今日は何か1ついいことを見つけようじゃない!」
ゆかちゃんと話していると、あっという間に時間は過ぎ、1時間目の始まりを知らせるチャイムが鳴った。
4時間目の授業が終わって、そして昼休み。私たち3人は屋上のテラスにいた。実は、いつも私たちはここでお弁当を食べているのだ。
「けいちゃんとゆうちゃんの今日のお弁当、中身似てるね。」
「あぁ、当然だろ!なんていったって今日は汐の手作りだからな。」
「え、なにそれずるい!私もゆうちゃんの手作りがいい!」
実は、けいちゃんの今日のお弁当は私が作ったのだ。いつも家で料理するのは私だったし、しかも私のバイトのお給料で食べていくには自炊が必須だった。なので、私はそこそこ料理ができる。何もせずに居候するのはちょっと心苦しかったので、家事を少しだけおばさんの代わりにやることにしたのだ。
「私、別にそこまで料理できるわけじゃないよ?ゆかちゃんのお母さん、料理上手だから私が作るより美味しいと思うけど……。」
「えー。分かってないなぁ、ゆうちゃんが作ったってことに価値があるのに。」
「そこまで言うなら、おかず交換する?」
「いいの!?じゃあ、この唐揚げとハンバーグ交換して!」
そういって、ゆかちゃんは唐揚げを差し出した。私は、短く「いいよ」とだけいって唐揚げを受けとると、ゆかちゃんは私の弁当箱からハンバーグを取った。ゆかちゃんのお母さんの唐揚げは一味違う。冷めてもさっくりとした食感だし、しょうが醤油の味がしっかりと肉に染み込んでいる。どうやって作っているのか教えて欲しいくらい美味しいのだ。
「やっぱりゆかちゃんのお母さん、料理上手だよね……。料理を教えてほしいくらいだよ。」
「ゆうちゃんも料理上手だと思うけど……。私は料理できないしね~。教えてほしいって言ったらお母さん喜ぶと思うよ?」
「でも、ゆかちゃんのお母さん忙しいでしょ?迷惑じゃない?」
「どうだろ、大丈夫だと思うけど。ゆうちゃんがもっと料理を得意になるのは歓迎だし、ちょっと頼んでみるね。」
そういうと、ゆかちゃんはスマホを取り出していじり始める。しばらくして、チャットアプリの画面を私に見せた。
「お母さんは良いって。次の土曜日空いてる?」
「うん、空いてるけど……。そんな急にいいの?」
「大丈夫だと思うよ。お母さん、なんか喜んでるみたいだし。あ、けいちゃんも来る?」
「おう。俺は食べるしかできないけど、汐の料理は旨いしな。楽しみにしとく。」
「ふーん。じゃあやっぱり来なくていいや。そしたら私がゆうちゃんの手料理一人占めできるし。」
けいちゃんが私の料理を美味しいと言ってくれた。その事実だけで私の心はどこまでも舞い上がってしまう。緩みそうになる顔を必死に引き締めながら、私は昼休みの残りの時間を過ごすことになってしまったのだった。