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7 雪融け

 何度も折れそうになる心をどうにか奮い立たせて家に向かう。玄関の前に立つと、昨日のことなのにもう何年も昔のことのように感じられた。意を決して鍵をあけ、扉を開く。……三和土(たたき)をみて、一気に気が抜けた。父は家にいないみたいだ。


 部屋に入って着替えと制服などの必要なものを手早く纏めるや否や、私は家を飛び出して玄関に鍵をかける。ほっとしつつけいちゃんの家に戻ろうと玄関に背を向けると、家の前の道にけいちゃんが立っているのに気付いた。


「なんで……。」


「ごめん、迷惑だったか……?でも、どうしても汐が心配でさ。」


「ううん。ありがと。」


 私がそういうと、けいちゃんは歩き始める。私も小走りでけいちゃんの隣まで行って、一緒に歩き始めた。


 けいちゃんの家に帰り着くと、私は脱衣場まで行って、制服に着替える。それ以外の荷物は居間の端に纏めて置かせてもらうことにした。私が着替え終えて居間に戻ったとき、けいちゃんの両親はすでに帰ってきていた。おばさんは私の姿をみとめると、私の方へ駆け寄ってきて抱き締める。


「がんばったわね。汐ちゃんはがんばった。もう、安心していいのよ。泣きたければ泣いたっていいわ。」


 私を肯定してくれるその言葉に、もう枯れたと思っていた涙が溢れ出す。お母さんが死んでから、もう二度と感じることはないとどこかで諦めていた温もり。それが私を包み込んで放さない。こんなの知らない。知ってしまえば私は駄目になってしまう。……もう、あの家には帰れなくなってしまう。これは私にはいらない。持ってはいけない。


「やめてください……。」


「いいえ、好きなだけ甘えていいのよ。あなたは一人じゃない。」


「嫌だ、嫌なの!私は一人でいい、こんなの知らない!知りたくない……!やめて!やめてよ……!」


 子供のように泣きじゃくりながら必死に叫ぶ。怖い。この訳のわからないぬくもりがどうしようもなく怖い。まるで私をじんわりと溶かしていこうとするような、私が消えてしまいそうになるような、気を抜けば甘えてしまいそうになるこの暖かさが怖い。


「大丈夫、大丈夫よ。あなたはまだ子供なんだから。大人に甘えてもいいの。怖がらなくてもいい。私たちはあなたを傷付けないわ、絶対に。」


「だめ……。だめなの……。こんなの知ったらもどれないの!帰れなくなるの……!私から帰る場所を奪わないで!もういいでしょ……。ほっといてよ……。なんで私に優しくするの……。」


「じゃあ、高校を卒業するまで。とりあえず汐ちゃんが高校を卒業まで、私たちが汐ちゃんの帰る場所になってあげる。だからもう、無理をしなくていいの。我慢しようとしなくていいのよ。」


 その言葉を受け入れてしまえば、私はたぶんもう一人ではいられない。この、私を溶かそうとする暖かさを心地よく感じてはいけない。そう思っていたけれど、私は気づけば首を縦に振っていた。


「ごめん、なさい」


「汐ちゃん。ごめんなさいなんていらないわ。こういう時はね、ありがとうって言うのよ。」


 おばさんが、私の頭を撫でながら優しくそう語りかける。私はもう、受け入れてしまっていた。知ってしまえばもう拒絶なんてできない。たとえ対価に何を払うことになろうとも、私にはこの手を払いのけることはできなかった。


 ぱん、とおじさんが手を叩く。私がおじさんの方を向くと、おじさんはにっこりと笑っていった。


「汐ちゃんが嫌じゃなければ、僕たちを本当の親だと思って接してくれていいよ。あ、そうだ!それなら、これまでみたいにおじさんおばさんじゃなくて、お父さんお母さんって呼んでよ!」


「あなた、調子に乗らないの。まぁ、でもそれは本当。本物にはなれないけれど、私たちはあなたを娘のように思ってる。だから、あなたも私たちに甘えていいのよ?」


 今はただ、このどこまでも堕とされていく感覚が心地よい。……もう、私はあそこでは生きていけなくなってしまったのだろう。昨日まではなんとも思っていなかったはずなのに、今ではあの父との暮らしに戻ると思うと、それだけで心がすくんでしまう。私は弱くなってしまったのだろうか?


 私たちは、結局その日学校を休むことにした。そんな気分にはなれなかったし、なにより今は少しゆっくりしたかったのだ。おじさんやおばさんも今日くらいなら、と許してくれた。そうして、私とけいちゃんの家族は、今日をまるで本物の家族のように過ごした。久しくその感触を忘れていた平穏が、今、ここにある。

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