13. 砕け散って
書く時間が……。ない……。
父が死んで、慎ましやかな葬式もやって。でも、私の心が晴れることはなかった。胸のうちを占めていた父に見つかるかもしれない恐怖と不安は、父の死という形で解決したはずだった。それなのに、何か大切なものを喪ってしまったかのように思うのはなんでなのだろう。どうしてこんなに寂しく思っているのか、自分でもよく分からない。
ふと思い返してみても、父との思い出はそう楽しいものではなかった。殴られたり蹴られたり、酷い時にはナイフを突き付けられたり首を絞められたり。そんな思い出ばかりなのだ。優しかったころのお父さんのことはもうほとんど覚えていなかった。ある意味でお父さんは父に殺されたのだ。そんな父のことを憎んでいたはずなのに、恨んでいたはずなのに。
なのに、どうして。
どうして、こんなにも胸が痛いんだろう。頭でどれだけ論理武装を重ねても、心が父とお父さんは同一人物なんだ、大切な親だったんだって叫ぶ。お父さんを悼む自分を押し潰して父を否定するたびに、私はどんどん必要なものを失っていく。
ぐちゃぐちゃで醜い自分をゆかちゃんやけいちゃんに見せたくなくて、わたしを助けてくれたけいちゃんの両親の本心を知るのが怖くて。そうやって、私は自分で自分のなかに敵を作っていく。
一度自分のなかにできた猜疑心は、みるみるうちに大きくなって。みんなが私を悪く思ってるんじゃないか、恨んでいるんじゃないかって思うようになるまで、そう時間はかからなかった。
笑い声は私を笑っているように聞こえるし、話し声は私の悪い噂を流しているように聞こえる。みんなの敵になった私は、窓のカーテンを締め切って、部屋の扉に鍵をかけて、完全に自分を世界から隔離した。私には逃げるしかなかったのだ。
部屋の鍵を開けるのは真夜中に飲み物とご飯を取りに行くときだけになり、部屋に掛けてあった制服も、タンスの奥の方に仕舞い込んだ。けいちゃんにすすめられて始めたSNSのアカウントも消したし、スマホはマナーモードにして、メールや電話が来ても徹底的に無視する。こうやって、私は外界との接触を完全に絶ち去ってしまった。
最初の方はそれでもよかった。でも、しばらく経つと怖くなった。私がこのままいなくなっても、きっと誰の記憶にも残らないんじゃないか。私がいた跡なんて、全くどこにも残らないんじゃないか。外との交流を絶ったのは自分なのに、いつしかそんな思いを抱くようになっていた。
そんな恐怖に耐えられなくなった私は、日記をつけるようになった。
7月15日 天気: 知らない
今日は1日中ぼんやりと過ごした。部屋にある本は読み尽くしてしまったし、やることがもう何もない。
……
7月26日 天気: 天気アプリによると雨
最近、瞑想に凝っている。目を閉じて椅子に座っていると、感覚が研ぎ澄まされるような気がして、なんだか心地がいい。
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8月9日 天気: よくわからない
最近、瞑想しかしていない気がする。日記に書く内容にもうちょっとバリエーションが欲しい。絵でも描いてみようか。
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8月24日 天気:
いろんなサイトを見ながら描いていると、それだけで充実した気分になる。最近は瞑想なんてすることもなくなった。ちょっとずつうまくなっている自分の絵を見ると、こんな自分にもできることがあるんだって思える。
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9月8日 天気:
絵は楽しい。全てを忘れて没頭できるから。1日中描き続けても飽きないし、何より自分の描いた絵だけは私を認めてくれる。
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9月26日 天気: 天気アプリによると晴れ
自分の絵を誰かに見てもらいたくなった。自分から拒絶しておきながら誰かに見つけてほしいなんて、自分でも矛盾していると思う。でも、近ごろは私の描いた絵が他の人にも見て欲しいって言うのだ。これまではお礼を言うくらいだったのに。
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10月6日 天気: 雨の音がする
私が描いた何枚かの絵と相談して、前に消したSNSのアカウントをもう一度作りなおすことにした。早速絵を上げたけれど、反応はなかった。当然といえば当然かもだけど。
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10月9日 天気: わからない
今日上げた絵に、いいね!がついた。アカウントを作ってから初めてだ。絵の皆も喜んでくれた。私の絵よりうまい絵はたくさんあるのに、その中で私の絵を見つけてくれたのだ。こんなにも嬉しいのは初めてかもしれない。
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10月15日 天気: 天気アプリによるとくもり
アカウントに初めてのフォロワーがついた。嬉しくて、スクリーンショットまで取ってしまった。そのあと、すぐにフォローバックした。
その人は、スマホのゲームにはまっているらしい。スクリーンショットをいくつか上げていたのだが、キャラクターが可愛かった。
10月16日 天気: 天気アプリによると快晴
早速そのゲームを入れて遊んでみたんだけれど、やっぱりキャラクターが可愛い。クエストを進めるとストーリーが読めるようになるらしいから、少し続けてみようと思う。
早速ヒロインの絵を描いて呟いたら、一気にいいね!がついた。このゲーム、人気なんだろうか。
日記をつけていると、自分の存在が無意味じゃないって気がしてくる。そうして、ノートをまるまる1冊使いきる頃には、もう年が暮れようとしていた。