12. それでも、私は
「ねぇねぇ、最近ゆうちゃんとけいちゃん、喧嘩した?」
朝。学校へと向かう道すがら、ゆかちゃんは出し抜けに私にそう尋ねた。……喧嘩はしていない、と思う。でも、あれからなんだか顔を合わせづらくて、朝起きてから家を出るまでも最低限しか話さないし、家を出るタイミングもずらしてしまっている。この1週間、これまでみたいに3人で登校することもめっきり無くなってしまっていた。
「ううん。でも、なんだか顔を合わせづらくて……。」
「何かあったの?」
そう聞かれた私は、無言で首を横に振った。
「わかった。でも、困ったことがあったらいつでも相談してよね!」
「うん……。」
どうしよう。ゆかちゃんに正直に言うべきなんだろうけれど、なんて言われるか考えるとちょっと怖い。でも、言わないとなにも始まらない。
「あの、さ。ゆかちゃん。ちょっと聞いてくれるかな……。」
「うん、いいよ」
「実は……」
私は正直に全部話すことにした。あの日、父らしき人の後ろ姿を帰り道に見たこと。恐怖で半ばパニックになりながら学校に戻ったこと。教室で話しているゆかちゃんとけいちゃんをみて、思わず逃げ出してしまったこと。心配したけいちゃんが逃げた先の公園まで迎えに来てくれたこと。公園からの帰りに、つまずいてけいちゃんに支えてもらったこと。……あの時の感覚はちょっと気恥ずかしくて、ゆかちゃんに申し訳なく思ったけれど、結局言わなかった。
「そっか。でも、ゆうちゃんが無事で良かった。最近は何かと物騒だしね。」
「私なんかに何かあっても、悲しむ人なんて誰もいないのに……。」
ぽつり、とそんな言葉が思わず私の口からこぼれ落ちる。
「ゆうちゃん!少なくとも私はゆうちゃんに何かあったら悲しいよ。たぶんけいちゃんだってそう。それとも、ゆうちゃんには私たちをそんなふうに思ってるの?」
「そうじゃないけど……。」
「ならさ、私なんかって言うの止めようよ。私の友達を侮辱するのは、たとえゆうちゃんだって許せない。」
私には、言葉を返すすべがなかった。今だって、ゆかちゃんにこんな悲しそうな顔をさせている。自分の存在がゆかちゃんを傷つけていると思うと、こんな自分がのうのうと生きていることにすら腹が立ってくる。いたたまれなくなって、私は逃げ出すように歩調を速めた。だから、私はゆかちゃんが後悔するようになにか呟いたことには気づけなかった。
「謝らないといけないのは、ゆうちゃんじゃないのにさ……。」
その日から私とけいちゃんたちは、ばらばらになった。けいちゃんとは未だに会話すらまともにできていないし、ゆかちゃんにはまともに視線すら合わせてもらえない。どうしたら元通りになれるのか全くわからない。……ちょっと前まで楽しみでさえあったのに、今では学校に行くことが苦痛になっていた。
それからしばらくして、私はとうとう学校に行けなくなった。ある日いつも通り学校に行こうとして玄関に立つと、足がコンクリートで固められたかのように全く動かなくなってしまったのだ。学校にいかなければいけないと思っても、体が言うことを聞いてくれない。そろそろ出ないと遅刻するって思っても、それでも足は動いてくれないのだ。仕方なく、その日は体調不良で休むことにした。でも、次の日もその次の日も学校に行くことはできなかった。私がそうなってから、ますますけいちゃんとお互いに避けるようになった。もう、私たちの関係は修復不可能なまでに破壊されきっていた。
そんなある日、沈黙を保ち続けていた私のスマホが唐突に鳴った。ゆかちゃんからの電話だった。少し躊躇ったけれど、意を決して画面をスワイプする。
「……もしもし」
『ゆうちゃん!?大丈夫!?』
久しぶりに聞いたゆかちゃんの声は、焦りに満ちていた。でも、急に大丈夫?なんて聞かれても、なんのことか分からない。私が学校にいっていないことを心配して電話を掛けてくるなんて、今更すぎるしありえないんじゃないだろうか。
「なんのこと?」
『……もしかして、何も聞いてないの?』
「えっと、何を?」
ゆかちゃんは、何も答えなかった。嫌な予感がする。……私のこれまでの人生で、こういう予感だけは外れたことがないのだ。そして、数秒間の沈黙のあと。ゆかちゃんが恐る恐るといった感じで話し始めた。
『その、ゆうちゃんのお父さんが道で刺されて意識不明だって……。』
頭が真っ白になって、思わずスマホを取り落とす。あの人が死ぬかもしれないと聞いてほっとしている自分と、肉親を喪うかもしれない痛みを感じている自分に挟まれて、もうどうしていいのか分からなかった。
それからしばらくして、けいちゃんが帰って来た。そして、けいちゃんのお母さんに連れられて、けいちゃんとあの人が運び込まれた病院に行く。病院に着くと、白衣の男の人に沈痛な面持ちで病棟の反対側へと案内された。なんとなく、嫌な予感がする。霊安室、ただそう書かれただけのシンプルな扉の前に立ったとき、その予感は確信に変わった。
霊安室は中央にベッドが1つと、その横に花を添える小さな台があるだけの簡素な部屋だった。ベッドを覗き込んで、久しぶりに父の顔を見る。眠ったような安らかな顔とまでは言えないけれど、私の中にはもう遠い記憶としてしか残っていないような穏やかな顔をしていた。
この人は、私の恐怖そのものだった。この人は、私のお父さんを殺した。私の中のお父さんとの思い出を侮辱しきって、ゴミのように捨てた。それでも。この人は、私の父親だった。素晴らしい親とは到底言えないし、尊敬できる親でもなかった。この人に対する恨み辛みも多く抱えているし、蹴られたり殴られたり、いろいろされたことは絶対に忘れられないだろう。それでもやっぱり、私の親だったんだ。泣き崩れそうになる自分をどうにか叱咤して持ちこたえる。泣かないなんて決意をする時間も、覚悟する時間もなかった。でも、私はこの人の前では泣きたくなかった。