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10 亀裂

 私が何気ない日常というものを取り戻してから、もう1か月が過ぎようかというある日の帰り。ゆかちゃんは部活でいつも遅くなるのに加えて、今日はけいちゃんも用事があるとかで帰りが遅くなるらしく、私は久しぶりに一人で下校していた。


 例のコンビニの近くまで来たとき、コンビニから見覚えのある人影が出てくるのが見えた。それが恐らく父だということを理解した瞬間、私の体はなすすべなく恐怖に呑み込まれてしまう。体の震えが止まらない。こんなの無理だ。私は気がつけば学校に戻っていた。今はただ、ゆかちゃんとけいちゃんに会いたかった。


「はぁ……。」


 私は思わずため息をつく。学校に戻ってきたはいいものの、どこにけいちゃんやゆかちゃんがいるのか分からない。仕方なく、とぼとぼと教室に向かった。一人で帰る勇気なんてものはもうこれっぽっちも残っていないのだ。教室に近づくと、誰かが残っているのか話し声が聞こえてきた。入っていいものかわからず、窓から中を覗く。驚いたことに、教室内で話しているのはけいちゃんとゆかちゃんだった。見つからないように慌てて身を屈める。なぜだか、今ここで見つかってはいけない気がした。


 いけないことだと分かっていても、ついつい耳をそばだててしまう。……けいちゃんとゆかちゃんの会話は断片的にしか聞き取れなかったけれど、決定的な言葉をゆかちゃんが口にしたところだけはっきりと聞こえてしまった。ゆかちゃんとけいちゃんが付き合う――?その意味に気づくと同時に、タールのように黒くてどろりとしたものが胸に満たしていくのを感じる。私はその感情に名前をつけることができなかった。つけてしまえば、認識してしまえば、私がゆかちゃんに抱いたその感情を認めることになる。最低な自分に、なってしまう。気がつけば、私はその場から逃げ出していた。わけがわからないほどの惨めさや怖さが私を駆り立ててくる。ぐちゃぐちゃに乱れた思考のなかでも、たったひとつだけわかることがあった。それは、私がたったひとつの居場所すらも喪ってしまうかもしれないということだ。


 けいちゃんの家に行くこともできず、かといって帰る場所もない。そのままあてもなく歩いた私は、けいちゃんの家の近所にある寂れた公園のベンチにへたりこんだ。昨日まであんなに光輝いてみえたはずの景色が、今日はなんだがほの暗く見える。もはや私には涙を流す気力さえ残ってはいなかった。けいちゃんやゆかちゃんとはやはり生きるべき世界が違ったんだ。一度気付いてしまえばもう耐えることはできなかった。この街で暮らしている限り、父に見つかる可能性は高い。いつ殺されるか分からない、いつこの平穏を喪うかわからない不安に怯えながら暮らし続けるなんて到底できそうもなかった。自分の思考が底無しの沼に沈んでいくように、どんどん悪い未来ばかり思い浮かぶ。


 どれくらいそうしていたのだろうか。日は西に傾き、空が赤みを帯びはじめた頃、ぽつりぽつりと雨が降りだした。雨はあっというまに勢いをまし、ぐっしょりと髪や服を濡らしていく。けれど、私にはもはや帰るべき場所というものは無かった。


 ふと、制服のスカートのポケットの中で、携帯が鳴っていることに気付いた。取り出して画面を確認する。……けいちゃんからだった。でも、出るべきか出ないべきか逡巡しているうちに切れてしまった。少しして、もう一度けいちゃんから電話。今度は少しだけ迷って、電話に出た。


『汐!?汐か!?』


 私が電話に出るや否や、けいちゃんは開口一番そう言った。


「う、うん。そうだけど……」


『無事か!?今どこにいる!?』


「え、ねぇ、けいちゃん?何があったの?」


『何があったの、ってお前なぁ……。今何時だと思ってるんだ……。みんな心配してる。早く帰ってこいよ。』


 けいちゃんに言われて時計を見ると、7時半を示していた。いつもなら夜ご飯の時間だ。それでも。


「ごめんなさい……。それでも、私は帰れないわ。」


『は!?なんでだよ!?』


「だって、私がいたら迷惑になるわ。もう、これ以上迷惑掛けられないもの。……本当にありがとう。夢みたいな時間だったわ。でも、もうおしまい。」


『潮のことは迷惑なんかじゃない!迎えに行くから今どこにいるか――』


 けいちゃんはまだ何か話していたけれど、電話を切る。このまま話していると、未練が残ってしまう。これでよかったんだ。これで、いいはずなんだ。


 ……やっぱり、私は雨が好き。雨は私を洗い流してくれるような気がする。それに、弱くてわがままで泣き虫な私を隠してくれるのだ。少し塩辛い雨は、少しだけ激しさを増しながら降りしきっていた。

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