第七話
「……騙し、た?」
僕は、思わず妹に問いかけていた。
「そうだ、兄様」
妹は、僕のその問いに、はっきりと頷いて見せた。
「今日、兄様の高校ではオープンキャンパスなんてやって無い、兄様、これからは自分の通っている学校の行事の日程くらい、きちんと把握しておいた方が良いぞ? だからこんなに簡単に騙されるんだ」
腰に両手をあて、咎める様に言う妹を、僕は黙ったまま睨んでいた。
「……勝手な事、言ってんじゃねえよ」
低く、ドスの利いた声で言う、だが妹は、それについて何も言わず、さらに続けた。
「兄様の高校を受験したい私の友人なんていうのも、もちろん存在しない、そもそも考えてもみろ、兄様」
妹は、そこで自分の胸をぽん、と軽く叩く。
「この私に、兄様以外に友達だとか、恋人なんてものがいると思うか?」
「……」
僕は何も言わない。妹は、くすくすと笑いながら続けた。
「私は兄様の事が好きだ、兄様の事を愛している――」
僕は、まだ何言わない。
「だから私には、兄様以外の人間なんか、はっきり言ってどうでも良いんだ、兄様の他に友達とか、恋人なんて、今の今まで欲しいと思った事も無いし、今後もそんな相手を作るつもりも無い、ああ、因みに学校の奴らに良くしてやっているのは、学校の中でくだらないトラブルに巻き込まれて、家に帰るのが遅れたらその分、兄様と過ごせる時間が減ってしまうからな、それが嫌だから、誰からも好かれる人間を演じているだけだ」
「……お前、一体何を言ってるんだ?」
僕は、思わず問いかけていた。
……こいつは、一体……
一体、何なんだ?
今までは、僕の事を恋愛的な意味で好きだ、と言い張る変な妹でしか無いと思っていたのに……
今のコイツは……
目の前にいる、この少女は……
一体……何なんだろう?
解らない。
だけど……
だけど、一つだけ確かな事がある。
僕は――
僕は今日……
コイツに――
そうだ。
コイツは……
この少女は、僕を……
僕を、騙したんだ。
もう、良い。
どうでも、良い。
目の前にいるこの少女が、血を分けた妹だとか、こんな……
こんなか細い体つきの、ちょっとでも小突いたら倒れてしまうような少女だとか。
そんな事も忘れてしまいそうになるくらい、どす黒い感情が湧き上がって来る。
そうだ。
こいつは、人を……
僕を、騙したんだ。
そんな奴は……
そんな奴は……
そんな奴は――!!
僕は、自分でも気がつかないうちに握りしめていた拳を、一気に振り上げようとした。
だが、それよりも早く――
あはははははははははは……!!
「っ!?」
突然横から聞こえた甲高い笑い声に、僕は思わず息を呑んでいた。
頭と心に渦巻いていた怒りが、一瞬にして霧消して行く。僕は思わずそちらを睨み付けていた、鬱陶しい、今大事な話をしている時だというのに……
目をやればそれは、さっきも見た二人組の女子高生だった、さっき見た時と同じ様に、手を繋いで、何が楽しいのか大きな声で笑い合いながら、僕の横を走り抜けて……
「……?」
そこでふと、僕は違和感を覚えた。
あの二人……
僕は、思い出す。
そうだ……
あの二人、確か……
確かさっきも、僕の横を通り過ぎて行かなかったか?
「……?」
僕は顔を上げ、辺りを見回した。
僕と妹の周りには、沢山の人がいた。
広場の真ん中のオブジェに寄りかかり、携帯電話を弄っている大学生風の若者。
休日だというのに、携帯電話に向かって何事かを大きな声で捲し立てながら、足早に駅舎の中に入って行く、スーツ姿のサラリーマン。
こちらもスーツ姿だけれど、時間には余裕があるのか、腕時計を見ながらのんびりとした足取りで歩いているOL。
買い物にでも行く途中なのか、赤ん坊を抱いて歩いているエプロン姿の若い主婦。
杖を突いてゆっくりと歩きながら、のんびり散歩を楽しんでいるらしい老人。
そして……今し方も見た二人組の女子高生も、手を繋いで、楽しそうに笑い合いながら、通りの方からこの広場に向かって走って来ていた。
おかしい……
僕は、胸の中で呟く。
僕がこの広場に来てから、少なくとももう十分以上が経過しているはずだ。
その間にみんな、一度は駅の中だったり、あるいは通りの方だったり、とにかく一度は何処かへ移動していったはずだ。
それなのに……
それなのに、どうして……
どうして、みんなまだ『ここ』にいるんだ?
まるで……
まるで、何処かで回れ右でもして、もう一度この駅前広場に戻ってきたみたいに……
否。
きっと、そうなのだろう。そうで無ければ説明が付かない。
どこかに去って行くフリをしながら、またここへ戻って来る、この駅前広場にいる全員で、そんな事をずっと十分間繰り返していたに違い無い。でも……
でも、一体……
一体、何の為に?
「兄様」
「……」
妹が、小さい声で呼びかける。
僕は、その声に妹の方を振り向いていた。さっきまで感じていた怒りは、今やすっかり消え、得体の知れない恐怖が、僕の心にまとわりつき始めていた。
「何だよ?」
僕は、妹に問いかける。
その声は、自分でも解るくらい震えていた……
何かが……
何かが、起きようとしている。
あるいは、もう既に起こっているのだろうか?
解らない……
僕には……何も……
何も、解らない……
妹が、口を開きかける。
だが、それよりも早く――
がしゃ……
「っ!?」
背後から、耳慣れない金属音が響く。
僕は、思わずばっ、と振り向いていた。
振り向いた僕の視線の先にいたのは……あの大学生風の青年。
僕よりも、多分二つくらい年上だろう、鮮やかな金髪に染められた髪は長めで、前髪が左目に少しかかっている。
着ている服は白い薄手の長袖シャツ、手入れされているのか新品なのか、皺も汚れもあまり見当たらない。青いGパンを履き、その出で立ちはラフだった、多分休日に家にいるのも暇なので、ぶらりと家を出て街へ出て来た、というところだろう……さっきまで退屈そうにスマートフォンを弄っていたのも、待ち合わせの相手が来るまでの退屈しのぎ、というよりは、街に出たのは良いが、何処へ行くかも考えていなかったから、とりあえず適当に遊べそうな場所を探していたとか、そんなところなのかも知れない。
だけど……
だけど今……
その手には……
スマートフォンの代わりに……
ぎらり、と。
陽光を受け、鈍く輝く金属製の、小さい筒が握られていた。
「……拳銃?」
僕は、小さく呟いていた。
そう。
その青年の手には、拳銃が握られていたのだ。
玩具なんかじゃない。もちろん僕は、本物の銃なんか見た事は無いけれど、それでも、それが偽物なんかじゃ無く、本物の銃だと言う事は解った。どうしてかは解らない、でも、生物の本能みたいなものが、僕にそう告げていた。
そして……
そして今……
その銃は……こちらに……
僕の顔に、真っ直ぐに向けられていた――
そして……
青年が、下卑た笑みを浮かべながら……
銃の引き金に指をかけるのが見えた。