第五話
午前九時五十分。
休日の駅前広場には、大勢の人がいた――
広場の中央に設置された、何を象徴しているのかよく解らないオブジェに背中を預け、ずっとスマートフォンをいじっている大学生風の若者。
何が楽しいのか、キャッキャッと笑い合いながら手を繋いで駆けていく制服姿の女子高生。
休日だというのに、スーツ姿で、携帯電話を片手に、何事かを大きな声で話しながら、足早に駅構内へと消えていくサラリーマン。
こちらもスーツ姿だったけれど、時間には余裕があるのか、のんびりとした様子で歩いて行く若いOL。
買い物にでも行くのか、赤ん坊を抱いたエプロン姿の若い主婦。
散歩の途中なのか、杖をついた老人の姿もあった――
「……」
それらの人の流れを、なんとはなしに見つめながら、僕は、ゆっくりと息を吐いた。
やはりまだ――緊張する。何しろ初めてのデートなのだ――
否――
「……」
僕は、ごくり、と唾を飲み込んだ。
さっきから気分が落ち着かない、掌には拭っても拭っても汗がにじみ出てくる……
無論、緊張している、というのもあるけれど――それ以前に……
それ以前に――僕の心にのしかかってくる――
そう――
僕は――恐れていた。
もしも……
もしもまた――
今日も――
この『デート』も――
『あの時』と――同じ様に――
「……っ」
僕は、軽く頭を振る。
考えるな。
そんな事は、もう考えるな。
そうだよ――
そんな事が、あるはずが無い。『あれ』はもう過去の出来事、全て終わった事だ。あんな事はもう起こりはしないさ。
だいたい――僕は自分に言い聞かせる。
――今日の『デート』の相手は誰でも無い、妹の友達なのだぞ。
そうだ。
あいつが……
あの妹が――『あんな事』をするはずが無い。今回の『デート』の相手、つまりは妹の友達を疑う、という事は、妹の事も疑う、という事じゃないか。
そうだよ。
アイツは、あの妹は、少しばかりおかしな所もあるけれども、あんな風に……
あんな風に僕を傷つける事は、絶対にしない奴だ。
僕は自分に言い聞かせながら、小さく頷いた。
妹の事を、ぼんやりと考える――
「……」
真っ先に浮かんだのは――今朝、家を出る時に見せた、あの表情だった。
何かを――必死で堪えているような――あの辛く、苦しそうな表情。
そして……
家を出る時に感じた、あの嫌な予感――
アイツは……一体……
一体、何を隠しているのだろう?
何か、辛い事でもあったのだろうか? アイツは僕が悩んでいると、それをすぐに察知するくせに、自分が悩んでいたりすると、それをおくびにも出さない。
まあ――そういう事を察してやれない僕も、もしかしたらまだまだ、兄貴としては未熟なのかも知れない。
――そうだな。
僕は胸の中で呟く。
――今日帰ったら、何か悩みがあるのかどうか、少し話でも聞いてやろう。
そんな事を、考える。
「妹、か――」
僕は、小さく呟いた。
アイツは一体、いつまでああして僕に付きまとうつもりなのだろう?
ぼんやりと、そんな事を考える。
そもそもアイツは何故、あんな風になってしまったのだろう?
――解らない。
だけど……このままではいけないんだ。
「……」
僕は、目を閉じる。
今日の『デート』を受けたのは無論、困っている妹の友達の力になってやりたい、というのも、もちろん理由の一つだ。
だけど――
だけど本音は――
妹から言われた時、僕の心に、ある考えが浮かんだ。
もしも――
もしも僕に、妹よりも大切な『誰か』が出来れば――
アイツは、僕から離れてくれるかも知れない。
そして僕自身も、あの妹から少しでも離れるきっかけになるかも知れない。
だからこそ、僕は今日の『デート』をOKした、無論、妹の言う通り、今日一日だけで、その相手の子と、いきなり恋人同士になれる、とは思っていない。
でも……何か……
何か、妹以外の誰かと繋がれるきっかけがあれば――
それは、僕と妹を引き離す要因になるかも知れない。
「……」
そこまで考えて、僕は軽く笑った。
考えて見れば、最悪だな――結局僕は、妹との関係を改善する為に、今日の『デート』相手である彼女を利用しようとしているだけなのだ。
だけど――
だけど、こうでもしないと――
僕達兄妹は、前へと進めない。
だから、まあ――
相手の子には申し訳ないが、少しばかり利用されてくれ――
そう、思ったのだ――
その代わりと言ってはなんだが、今日は僕が、君を精一杯楽しませるから――無論これも、もう一度会いたい、と言えるほどに仲良くなって、妹と離れるきっかけになって欲しい、という理由からだけれど……
それでも――僕は、今日の『デート』を、成功させるつもりだった。