第三十話
そのまま僕達は、ゆっくりとした足取りで林を抜けて道路に出る。
僕は無言で後部座席を開け、弥生の身体をシートに横たえようとした。
だけど……
「兄様」
妹が、鋭い口調で言う。
「……」
僕は黙って、妹の方を見る。
「その女は、助手席に乗せる、具合が悪いならシートを倒しても良いが、とにかくその女は助手席だ」
「何でだよ?」
僕は問いかける、寝かせるのならば、後部座席の方が良いじゃないか。
だけど……
妹は、首を横に振る。
「理由は二つだ、まずその女が、まだ兄様に何かするつもりである可能性を、私は捨ててない、だから……」
「後ろから、彼女に刺されないようにする為、という事か?」
僕の言葉に、妹は頷く。
「そういう事だ、横で私が見張っていれば、少なくとも兄様に手出しはさせない」
確かに、それはそうだろう。
「もう一つの理由は、兄様だ」
「……?」
僕は首を傾げる。
「兄様を、後部座席に座らせる為だ、因みに兄様、後部座席に座ったら、シートに横になっていてくれ、絶対に顔を上げるな」
「……それは……」
何故だ、と問いかけようとして、僕は息を呑む。
今は、『戦争』の最中。
そして……
「この『戦争』に参加しているのは、何も街の人ばかりじゃない、って事だな?」
僕は、妹に向かって言う。
妹は、黙って頷いた。
『戦争』。
そう。
僕は今、『戦争』の只中ににいる。
そしてこの『戦争』には、あの『蜘蛛』の様に、本物の『殺人鬼』も参加している。
そして……
もう一人……
その正体は、まだ不明だけれど――
『蜘蛛』に操られたあの杖をついた老人が……
そして……僕達の家の地下に仕掛けられていた物を、妹が逆利用したもの……
あの『爆弾』。
あれを造った人間も、この『戦争』に参加している。
つまりは……
「この『戦争』には、様々な『プロ』が参加している、という事さ」
妹が言う。
僕も、頷いた。
そうだ。
『蜘蛛』の様な、『人殺し』の『プロ』。
その『蜘蛛』に爆弾を売った、『爆弾造り』の『プロ』。
ならば……
「……走っている車に、遠くから銃を撃ってくる様な『プロ』とかが参加していても、おかしく無いって事か?」
僕は問いかける。
妹は、その問いに頷いた。
「そういう事だ、そして……その手の輩が兄様を狙ってきた場合、車の中ではどうすることも出来ない」
「……」
確かに、そうだろう。
「だから兄様は、後部座席に座って、シートに横になっていてくれ、無防備な頭を絶対に晒さないようにして欲しいんだ」
「解ったよ」
僕は頷く。
妹の言う事は正しい、僕も、そうするべきだと思う。
僕は言われたとおりに、弥生の身体をそのまま助手席に横たえた、妹がしっかりとシートベルトを着用させ、動けないようにする、それでも弥生は目覚める事無く、黙ってシートに身体を預けていた。
僕はそのまま、後部座席にそっと入る。
「……?」
そこでふと、僕はシートの下に、何か黒い大きな物が置かれている事に気づいた。
ぎょっとしつつ見て見ると、それは黒いランチジャーだった、どうやら、このワゴンの持ち主であるあの男性のものらしい。
運転席の方を見る。
助手席のボックスの正面に、写真が貼り付けられていた。
写真は二枚、赤ん坊を抱いた年若い女性が、にこにこと微笑みながら写っていた、その隣にある別な写真には、年を取った夫婦が写っている、いずれも撮影場所は同じ家の門の前だった、つまりはあの男性の自宅なのだろう、そして写っているのは、彼の妻子と両親に違い無い。
「……」
僕は、シートの下のランチジャーをもう一度見た、開けられた形跡は無いから、多分中にはまだ弁当が入っているのだろう、作ったのはあの写真に写っていた妻か、それとももう一枚の写真に写っている老夫婦の妻の方、即ちあの男性の母親なのか……
それは、僕には解らない。
だけど……
あの男性は……もう……
もう、このジャーの中に入っている、妻か、あるいは母か、とにかく家族からの愛情が詰まった弁当を、もう永遠に口に出来ない……
否。
それだけじゃ無い。
写真に写っている妻、或いは両親は、みんな満面の笑みを浮かべていた、撮影者は多分あの男性なのだろう、その笑顔から、彼は家族に本当に、心から慕われていたのだと解る。
だけど……
だけど、もう……
あの男性は……
永遠に、あの笑顔を見られないのだ。
そう。
そしてそれは……
それは……
べりっ、と音がした。
妹だ、貼り付けられている写真をあっさりと剝がし、ぐしゃり、と丸めてあっさりと道路に投げ捨ててしまった。
そのまま運転席に乗り込む。
「さて」
妹が、そのまま平然と言う。
「兄様、私が言った事を忘れるなよ?」
「……ああ……」
僕は、暗い表情で頷いて……
そのまま、シートに横になった。
そして……
妹が、車を走らせた。