第二十九話
それから十数分後。
『まずは車の確保だ』という妹の言葉に従い、僕達三人は工業地帯から離れ、市街地へと戻る為の道路の方に来ていた。
この街外れは、小高い丘になっており、道路の脇には林も生い茂っている、僕達は、その道路脇の林の中に身を潜めていた。
「……」
少し離れた位置に見える道路には、ビュンビュンと車が走っている、あの工場を吹き飛ばした爆発を見た人達が、まだあそこに僕達がいるかも知れないと、車で向かっているのだろう。
僕は、目を閉じる。
みんな……
みんなそうまでして……
僕を……
「……」
腕の中の弥生を見る。
額に汗が浮かんでいた、何だか最初に触れた時よりも暑くなっている気がする、汗を拭ってやりたいけど、彼女を抱きかかえているこの姿勢では出来ない。
とにかく、早く医者に診せないと……
僕は、横にいる妹を見た。
「……」
妹は、黙ったまま正面を見ていた。その表情は、能面の様な無表情で、何を考えているのかは窺い知る事が出来ない。
「……玲奈……」
僕は、妹に問いかける。
早く、車を……
そう言いたかった。
だが妹は、僕が何かを言うよりも早く。
「ああ」
それだけを短く告げると……
ゆっくりと、歩き出す。
「……」
僕は黙って、その妹を見ていた。
妹は、そのままどんどん進んで行き、道路に近づいて行く。
そして。
妹が突然歩く速度を速め、だっ、と走り出し。
そのまま、道路に飛び出した。
「っ」
ぎょっとする僕の視線の先で、妹が道路に転ぶ。
一台のワゴン車が、けたたましくクラクションを響かせながら妹に向かって行くのが見えた。
「れ 玲奈っ!!」
思わず声をあげる、だけどワゴン車のクラクションの音や、タイヤが道路にスリップする音のせいで、その声は多分、妹にも、そして運転手にも聞こえなかっただろう。
そして……
妹のすぐ目の前で、ワゴンが停車する。
がちゃり、と運転席のドアが開き、大柄な男性が飛び出して来た、タンクトップのシャツに、頭には安全ヘルメット、口の端には煙草をくわえた、いかにも『ガテン系』な男性だった、妹に向かって何事かを激しく怒鳴っているけれど、距離があるせいで会話が聞き取れない。
やがて妹は、男にペコペコと頭を下げ、さらにこちらを……
僕達が隠れている辺りを指差して、男に何かを言う。
その言葉に、男はきょとん、とした顔になったけれど、やがて……
ばっ、と、こちらを見た。
「っ」
僕は慌てて、近くの樹の陰に隠れる、隠れるところを見られてはいなかっただろうか?
しばしの沈黙の後……
聞こえて来たのは……
ざっ……
ざっ……
ざっ……
と。
下生えを踏みしめながら歩いて来る、足音。
さらに……
ざ……
ざ……
ざ……
と、その後ろからもう一つの足音も聞こえて来る、多分、あの男と妹だろう。
僕は、そっと木陰から顔だけを覗かせてその音がする方を見る。
男が、サバイバルナイフを片手にゆっくりとこちらに近づいて来ていた。
その後ろに、妹がついて来ている。何の表情も無い、能面の様な顔で……
「おい、お嬢ちゃん」
やがて、男が背後にいる妹に声をかける。
「本当にこんなところに、その賞金がかけられたガキがいるのかよ?」
野太い声で問いかけるその男の声に……
「ああ」
妹が、頷いた。
「そこの樹の陰に、隠れているよ」
妹がそのまま、すっ、と。
僕が隠れている樹を、指差した。
「……っ」
僕は息を呑んだ。
男が、ばっ、とそちらを見る、まともに目が合う。
その瞬間、男が口元に、下卑た笑みを浮かべた。
「いたな……」
ざっ、ざっ、ざっ、と。
男が下生えを践みながらこちらに近づいて来た……
だけど……
「ただし……」
妹の声。
そして。
妹が、銃を構えていた。
「貴様はその人に、全く触れる事も出来ないし、殺す事も出来ないし、傷つける事も出来はしない」
そして。
ぱあんっ!!
乾いた銃声。
「……ぐお……」
微かな呻き声。
そして……
大柄な男の胸元から、噴水の様な勢いで血が噴き出した。
そのまま、ぐらり、と男の身体が傾き、どさ、とうつ伏せに倒れる。
妹はそのままゆっくりと、その男に歩み寄り、ぐっ、と背中を踏みつけた。
「残念だったな?」
それだけを吐き捨てる様に言うと、妹は男が握りしめていたナイフを引ったくり、ポケットにねじ込んだ。
そして。
こちらを見た時、妹の顔には、またしても……
またしても、いつもと何も変わらない笑顔が浮かんでいた。
「待たせたな、兄様、車を確保出来た」
「……」
僕は、何も言わない。
妹の顔を、ただ……
ただ、見ている事しか出来なかった。