第二十八話
「……」
僕は、ゆっくりと……
ゆっくりと、目を開けた。
妹の顔が、すぐ目の前にあった。
「……どうした、兄様?」
妹が、問いかけて来る。
「……急に黙ってしまって……」
「……別に、何でも無いよ……」
僕は、妹から慌てて顔を背けて、ぼそぼそと小さい声で言う。
「……もしかして……」
妹が、にやり、と笑って言う。
「何か、思い出したのでは無いか?」
「……っ」
僕は、何も言わない。
だけど……
妹は、にやにやしたまま、すっ、と僕に顔を近づけて来る。
「思い出したんだろう? この女の事とか、中学時代の事、とか……」
「……」
僕は、何も言わない。
「あの日の兄様と来たら、本当に、見ていられなかったぞ? 無理をして笑っている姿が、とても痛々しくて、可哀想で、抱きしめて慰めてやりたかったよ」
妹が、言う。
「……」
僕は、黙って俯いた。
そう。
あの後、僕はいつもの様に、あの三人に散々殴られ、蹴られ、財布の中身を全部抜かれ、そのままアスファルトの上に転がった。
僕は、そのままふらふらと起き上がり、『彼女』と行くはずだった映画館の前に立ち、しばらくそこでぼんやりとしていた、それしか出来なかった、早く帰れば家族に怪しまれるし、映画を見ようと思ってもお金はみんな取られてしまった。
その後も同じだ、彼女と行く予定だったファミレス、彼女と行く予定だったゲームセンター、彼女と行く予定だったバッティングセンター、何処も彼処も、お金も無いまま外でぼんやりするだけ……
そうして夕方に帰宅した僕を、玄関でこの妹が待っていた。
『お帰り兄様、楽しかったか?』
そう問いかける妹に、僕は……
僕は、曖昧な笑顔を返すしか出来なかった。
「……お前は……」
僕は顔を上げて、妹に問いかける。
「みんな、知ってたのか?」
僕が虐めを受けている事。
弥生との『デート』が、あいつらと共謀した罠だった事。
全部……こいつは知っていたのか?
妹は、その問いににっこりと笑う。
「ああ、知っていたよ、兄様が毎日虐められていた事も、それに……」
ちらりと、妹が弥生を見る。
「実はこの女との『デート』の時は、離れたところから見ていたんだ、何せ兄様の初めての『デート』のお相手だからな、どんな人物か見極めようと思ったのさ、まあ、結果はああいう事になってしまったが……」
妹は、寂しげに笑って言った後、ぎろり、と弥生を睨めつける。
「あの日は私も大変だったぞ、兄様、いいや……」
妹は、そこで軽く首を横に振る。
「あの日、どころか、あの頃は毎日大変だった、何しろ大好きな兄様が、学校で虐めを受けているのだからな、あの『デート』の時だって、本当はすぐにでも飛び出して、あの三人組を絞め殺してやりたかったよ」
妹は、憎々しげに吐き捨てる。
「だけど……兄様が、家族や私に心配をかけまいと、ずっと黙って、一人きりで戦っている事を知っていたからな、私が余計な事をすれば、その兄様の戦いを汚す事になってしまう、だから知らない振りをしていたのさ」
僕は、何も言わない。
やはり……この妹は……
多分、父さんや母さんも……
僕が虐められている事を、知っていたんだ。
「だけど……」
がちゃ、と。
妹が、弥生に銃を向ける。
「今は、あの時とは状況が違う、今は、『戦争』の最中なんだ、少しでも『敵』に情けをかければ、こちらが殺されてしまう、『暴力』では済まないんだ」
「……それは……」
確かに、それはそうだ……
「だから、私は容赦しない、この女には……死んで貰う」
妹はそのまま、銃の引き金に指をかける。
だけど……
だけど……
「……玲奈っ!!」
がっ、と。
僕は、妹の手首を押さえた。
「……兄様」
さすがに呆れた顔になる妹に、僕は必死で言う。
「頼む、彼女は……殺さないでくれ、見逃してやってくれ……どうせ意識を失ってるんだ、僕達に何かをしようと思っても、何も出来ないじゃないか」
それは嘘じゃなかった、彼女は完全に眠ってしまっている、これだけ騒ぎ立てても目を覚まさないのは、よほど具合が悪いのか……?
「……だから、殺す必要は無いだろう?」
そうだ。
医者に連れて行くのは無理だとしても、せめて……
せめて……
「……兄様もしつこいな」
妹が、ため息をつく。
「……ごめん、だけど……」
僕は、妹の顔を見て言う。
このままには、しておけない。
しておくわけには、いかない。
あの時の事を思い出す。
それに関しての、彼女に対しての負の感情が消えたわけじゃない……
でも……
僕は……
僕はまだ……
「『彼女』を、信じたいんだ」
妹は、はああ……と、長いため息をついた。
「解ったよ、兄様、その女を医者に連れて行こう」
「……っ」
僕は、表情を明るくした。
「ただし」
妹は、じろっ、と弥生を見る。
「この街の中心にある総合病院、その入り口に、彼女を置いていくだけだ、中には入らないし、私も兄様も病院の中には入らない、病院に着いてもまだ、この女が意識を取り戻さなければ、建物の前に置き去りにする、その後目覚めて、この女が自分で病院の中に入るかどうか、入っても医者が中にいるかどうか、それは私達は一切関知しない」
「……」
僕は、その言葉に押し黙る。
つまりは、本当に入り口に置いてくるだけ、という事か……?
「……それでも良いか? 兄様」
「……解った」
僕は頷いた。少なくとも、病院の中ならば、看護師か医者かいるかも知れない、誰もいないとしても、ベッドだってあるのだ、ちょっと休むくらいは出来るだろう、きちんと彼女が治るまで付き添うなんて事は、当然今の僕には出来ない、僕と一緒にいれば、彼女まで危険に巻き込む可能性があるのだ、その程度の事はいくら僕でも解る。
「それで、良いよ」
僕は、頷いた。妹としても、これ以上妥協は出来ないだろう、僕は自分で、自分の命も守れないのだ……なら……これ以上妹に、僕のわがままを押しつける訳にはいかない。
「では、行こう」
妹が言いながら、ゆっくりと立ち上がる。
「……」
僕も、黙って立ち上がり、意識を失った弥生の身体を、そのまま両手で持ち上げる。
「お姫様抱っこ……」
妹が、そんな弥生を見ながらぽつりと呟いたが、それ以上は何も言う事は無かった。
僕も黙ったまま、歩き出した。




