第二十二話
午前八時二十五分。
リノリウムの床の上を歩くたび、足下で、きゅっ、きゅっ、と音がする。
窓から差し込む陽光が、廊下の床に反射して、廊下全体が金色に輝いている。
眩しい日差し、差し込んだ光のせいで、周囲の空気が暖まり、廊下全体が、優しげなぬくもりに包まれている感覚。
爽やかな、朝の風景と言えるだろう。
「……」
僕は……
堂本雅志は……その爽やかな朝の廊下を……
俯いて。
そして……
沈んだ表情で、ただ一人……
ただ一人、とぼとぼと歩いていた。
教室に到着する。
僕は、ゆっくりと息を吐いて引き戸に手をかけ、がらり、と開ける。
途端、沢山の生徒達の大声が耳に飛び込んで来た。
笑っている声、大はしゃぎしている声、みんなが楽しそうにしている、みんなが……
そうだ。
みんなが、この教室の中では楽しそうにしているのだ。
だけど……
僕は、誰にも姿を見られない様に、顔を俯かせて教室に入った。
みんな騒いでいて、こちらに反応しない。
それで良い。
それで良い。
誰も……
誰も僕に構うな……
構わないでくれ……
僕は、必死でそう願いながら、そっと自分の席に座ろうとした。
だけど……
その時……
僕は、ふと、椅子の上に、朝日を受けて金色に輝く、小さい物が乗っている事に気づいて、足を止めた。
それは……画鋲だった、沢山あってはさすがに気づかれてしまうと思ったのか、たったの一つだけ、ご丁寧に針の方を上にして、椅子の真ん中に置かれている、当然、この上に座れば、僕の尻に画鋲が刺さっていただろう。
気がついて良かった。
僕は小さく胸の中で呟いて、そっと画鋲を摘まんで持ち上げ、ポケットに入れる、後で適当に画鋲入れに戻せば良いだろう。
そう思って、僕は椅子に座ろうとした。
だけど……
それよりも早く。
「おいおい」
声がする。
「おいおい、おいおい、おいおいおいー」
巫山戯た声。それと同時に……
ぐいっ、と、背後から首に腕が回される。
「うぐっ……」
僕は呻いた。
「俺様がせっかくプレゼントした『もの』を、なーに勝手に片付けちゃってるんだあ? 堂本君さあ?」
そいつが、ぐぐ、と後ろから首を絞めて来る。
「……あんなのが……プレゼントなものかよ……」
僕は、首を絞められながらも言う。
「はー……」
そいつが、少しだけ楽しそうに言う。
いつの間にか、正面に、大柄な男子生徒が二人並んでいた。
「てめえは、俺様からの折角の『プレゼント』を、『あんなの』とか言うのかい? それはそれは、ひどいなあ……堂本君は」
「ああ、ひどいな」
「ひどい、ひどい」
二人の男子生徒が下卑た笑顔で言う。
僕は、そいつらを睨み付けた。
「おいおい」
その顔に気づいたらしい、後ろにいる奴が、小馬鹿にしたように言う。
「おまけに俺の友達に、なんつー怖い顔してるんだよ? なあ? 堂本君さあー?」
「あーあー、怖い怖い」
「怖いぞー、怖いー」
その二人が言う。
そして……
ひひっ、と。
後ろにいる奴が、喉の奥で笑う。
「そういう奴には……やっぱり……」
「ああ」
大柄な男子の一人が言う。
「お仕置き、しないとなあ?」
もう一人が言い、そして……
そして……
二人の拳が、同時に繰り出された。
ぼすんっ!!
「うぐっ……」
僕は呻いた。
だけど、後ろから首を押さえられているから、倒れる事も出来ない。
そのまま、更に拳を突き入れられる。
「……ぐふ……」
僕は呻くけれど、相手は全く手を緩めない。
クラスメイトの他の連中は、いじめっ子達が僕に絡んで、自分達の方に目を向けていないという事で安心し、誰もボクの事なんか助けようとはしない。
さらに、拳が腹にめり込んだ、こいつらは決して、顔だとかは殴らない、跡が残って、自分達のしている事がバレてしまうからだ。
そんな知恵だけは……回るんだ。
それなのに……
『虐め』は悪い事だと、こいつらは認識出来ない。
そして……
「そろそろ先生来るよ!!」
誰かの声。
その声に、背後から僕の首を押さえている奴が、ちっ、と舌打ちした。
そのまま、するっ、と首に回されていた腕が離れる。
僕は、その場にどさり、と倒れた。
「……はあ……はあ……はあ……」
息が、口から漏れる。
だけど……
倒れた僕の髪の毛を、誰かが上から鷲掴みにして頭を無理矢理持ち上げた。
あの、後ろから首を押さえていた奴だ。
そいつが、顔を近づけて言う。
「良いか、余計な事を担任にチクんじゃねえぞ? もしも喋ったら……」
「……」
僕は何も言わない。
どうせ、僕が言ったところで……
担任は、それを信用しないのだろう。
何故なら……
僕の髪を鷲掴みにして、頭を持ち上げているこの男子生徒。
僕の『虐め』の主犯格であるこの男子生徒は、親が文科省のお偉いさんか何かで、教師一人の進退くらいはどうとでも決められる。
だから誰も、こいつには逆らわない、教師達ですら同じだ、一言二言、『そんな事をしてはいけない』とか何とか言って、それで終わりだ。今まで……
今まで何回も、そういう事があったのだ。
「けっ!!」
ダメ押し、と言わんばかりに、僕の頭を床にごん、と叩きつけて、そいつは、ずかずかと歩き去って行った。
「……」
床に倒れたまま……
僕は……
僕は、目を閉じていた。
そう。
これが……
これがこの僕……
堂本雅志の、日常だった。