第二十一話
爆発音が、響く。
僕達が隠れている瓦礫のすぐ脇を、大小様々な大きさの金属の塊が、がらんっ、がらんっ、と大きな音をさせながら転がって行く……
「……」
僕は……
僕は……
僕は、それを見ながら……
そっ、と、瓦礫の影から身を乗り出し、車があった方を見た。
車体が炎に包まれている、もはや一体、何処の部分がまともに残っているのかすらも解らないほどだ。
あちこちに、鉄の塊が沢山飛んで行く、その中にはかなり大きな物も見える。
そして……
がらんっ!!
一際大きな音が響き、細長い鉄の塊、どうやら車のバンパー部分とみられる鉄が、こちらに飛んで来る。
「……」
僕は……
僕は、それを……
それを、黙って見ていた。
そのバンパーが、どんどんこちらに近づいて来る。
僕は、さらに身を乗り出そうとして……
突然、背後から襟首を掴まれ、ぐいっ、と身体を引っ張られた。
そのまま、背後にいる誰かの胸の中に、無理矢理抱き寄せられる。
その直後……
さっきまで身を乗り出していた位置を、あのバンパーが転がって行くのが見えた、あのまま顔を出していたら、あれがまともに顔面に当たっていただろう。
ぎゅっ、と。
首に腕を回され、抱きしめられる感触、大きな胸が後頭部に当たり、一瞬ドキリ、とした。
僕は顔を上げて、そいつを見る。
妹だ。
僕の妹。
堂本玲奈が、僕を抱きかかえていた。
ややあって。
爆音が治まり、飛んで来る金属の数も、大分少なくなって来た頃。
僕は、未だに首に回されている妹の腕を、軽くポンポンと叩いた。もう離してくれ、という合図だ。
「えー……」
妹が、不満そうな声をあげる。
「折角兄様を抱きしめていられるのだ、せめてもうあと五分くらい……」
「良いから離せよ、今はそういう事を言ってる場合じゃ無いだろう?」
僕が呆れた様子で言うと、妹は、ふうう、とため息をついて、そのまま渋々、という様子で、僕の首に回していた腕を離した。
僕は、ゆっくりと身体を起こす。
「仕方無いなあ、まあ……今は確かにそういう場合じゃ無いし、それに……」
妹が、背後で言う。
次いで。
がしゃ、と、金属音が響く。
「っ!?」
それは、もうすっかり馴染んでしまった音。
銃の、撃鉄を起こす音だ。
僕は慌てて振り返る。
「今は、『余計な奴』もいるからな、兄様と二人きりの空間を邪魔される前に始末しないと」
その言葉と共に。
妹が、例の少女に銃口を押し当てていた。
「お おい、玲奈……」
僕は慌てて言うが、妹は無視して……
「兄様の優しさに感謝するんだな、あの爆発で死ぬところを、ほんの少し生き残る事が出来たんだ、満足だろう?」
そのまま妹は、銃の引き金に手をかける。
「ちょ ちょっと待って、待ってよ……!!」
少女が、慌てた様子で言う。
「わ 私は、知らなかったの、あれが……爆弾だなんて、ただ、ある人に、貴方達の車にあれを仕掛けろって言われただけなの」
少女が慌てふためいて言う。
「そうか、だが、それがお前の命を助ける理由にはならないんだ」
妹は、冷たく言い放つ。
「玲奈、待ってくれよ」
僕は慌てて言う。
「その子は、嘘をついてる様には見えない、多分本当に、僕達を殺すつもりは無かったんだ」
僕は言う。
だが妹は、ふんっ、と鼻を鳴らした。
「それがどうした? 理由はどうあれ、この女は私達の車を破壊した『敵』だ」
「……いや、だから……」
僕は言い縋る。
「それにな、兄様」
妹が、僕の方を見る。
「兄様は、さっきからこの女の言う事を、どうやら本気にしている様だけど……こいつが本当の事を言っている、とは限らないんだ」
「……っ」
その言葉に、僕は……
そして、例の少女も、ぎょっとした様に息を呑む。
「……それは、つまり」
「わ 私が、嘘をついてるって言うの?」
僕の言葉を、少女が引き継いだ。
「ああ、そうだ」
妹は頷く。
「『命令された』なんていうのはでっち上げ、本当は全部がお前自身の意志でやっている事、もっともらしい事を言って、私や兄様の同情を引いて近づき、油断したところを本性を現して襲いかかる、貴様がそういう事を考える人間では無い、と何故言える?」
妹は、はっきりと告げる。
「……そ そんなの……私は……」
少女は言う。
その様子を見て、妹はふん、と鼻を鳴らす。
「まあ、私も正直その可能性は低いと思っている、だけど……」
妹は、銃口を少女の顔面に、より近づける。
「今は、僅かでも『危険』を感じる要素があれば、それを排除しない、というわけには行かない、それが……」
それが……『戦争』なんだ。
妹の言葉の続きは、聞くまでも無く予想出来た。
そうだ。
確かに、今は……
今は、そういう状況なんだ……
僕は、妹を止めたかった。
だけど……
今の妹の言葉に、何一つとして……
反論出来る要素を、今の僕は持っていない。
どうして……
どうして、こんなにも僕は……
僕は、弱いのだろう?
自分が情けない、僕は、顔を上げて少女を見た。
少女もまた、縋る様に僕を見ていた。
また再び、少女と目が合う。さっきは遠くて、あまりはっきりとは見えなかった少女の姿が、今ははっきりと見える。
この街でも偏差値の高いお嬢様学校の制服、チェック柄の赤いスカートに、赤いブレザー、その下には多分ブラウスを着ているのだろう、胸元にはやはり赤色のリボンがついている、とても可愛らしい制服。
何処か落ち着いた雰囲気の顔立ち、やや大きめの瞳が印象的だ。
腰まで伸びている黒い髪は、何処となく妹に似ている……
そして……
その顔には……
やはり……
やはり、見覚えがあった。
「……君……まさか……?」
僕は、小さく呟く。
「……」
少女も、僕を見て、目を見開いていた。
「貴方、もしかして……?」
少女が言う。
「……弥生、なのか?」
僕は、問いかける。
弥生。
そう。
彼女は……
僕の、中学時代の……
「……ま 雅志、なの……?」
少女。
弥生が、驚いた様に言う。
僕は……
僕はその問いに、何と言えば良いのか解らず……
黙って、弥生の顔を見ていた。
だけど……
「知り合いか?」
妹の声。
「ああ、僕の……中学の時の同級生だ」
僕は、ぼそぼそと言う。
そうだ。
彼女の名前は……弥生。
高里弥生。
僕の中学時代の同級生で……
僕の……
僕の……
「そうか」
妹が、冷たい声で言う。
そのまま、銃口をより一層弥生の額に近づける。
「お おい……」
僕は声をあげるが、妹は眉一つ動かさない。
「玲奈、頼むから止めてくれ、彼女は……」
「私達を、殺そうとはしていなかった、という話なら、もう聞き飽きたぞ兄様」
妹の言葉に、僕は黙り込んだ。
「どんな理由であれ、こいつは私達の車を壊して移動手段を奪った『敵』、それだけだ」
妹が、銃の引き金に指をかける。
「……あ……う……」
弥生が呻く。
その顔が、どんどん青白くなっていく。僕は、妹を止めようと、手を伸ばそうとした。
だけど……
それよりも早く……
「……ひう……」
弥生が、小さい声をあげながら、その場に……
その場に、へなへなと仰向けに倒れ込んだ。
「弥生?」
僕は声をかける。
だが弥生は、その時もう……
もう、その場に倒れていた。
「……」
慌てて、手を伸ばして、弥生の身体を支えて起こす。彼女が倒れた理由は、すぐに理解出来た。
「……熱い」
僕は、呟く。
「凄い熱だ!!」
僕は、叫ぶ様に言う。
「早く医者へ連れて行かなきゃ、玲奈、手伝ってくれ」
僕は妹に言う。
だけど……
妹は、まるでゴミでも見る様な目で、僕の腕に抱きかかえられた弥生を見ていた。
「玲奈!!」
僕は叫ぶように言う。
「兄様、一体何を言っているんだ?」
妹が言う。
「な 何って……彼女を医者に診せないと……」
「今この状況で、暢気に病院で働いている医者がいると思うか?」
妹の、その言葉に……
僕は、鼻白んだ。
「……そ それは……」
「それに、病院へ連れて行く、という事は、良いか? 街に戻るって事なんだ」
「……っ」
その言葉に、僕はまた鼻白む。
街に戻る。
それは……つまり……
僕を狙って、まだ大勢の人間がうろついている危険地帯に……
自ら、飛び込もう、という事だ。
「……だけど……」
僕は弥生を見る。
今は、意識を失って倒れてしまっている……けれど、その顔は酷く苦しそうだ。
「こんな状態の、しかも女の子を放っていくなんて……」
僕はもごもごと、小さい声で言う。酷く言い訳めいた口調になったけれど、そう思ったのもまた事実だ。
「……兄様」
妹が、ため息と共に言う。
「なんでそんなに、この女を庇うんだ?」
「……っ」
その問いに、僕は……
僕は、息を呑む。
「それとも……」
妹が、すっ、と。
こちらに、身を乗り出してくる。
「そんなに大切なのか? この女は、兄様にとって……」
「……っ」
僕は、妹の顔からわずかに身を退かせた。
「兄様」
妹が、口を開く。
「答えてくれよ、兄様」
「……」
僕は、何も言わない。
「この女は、兄様にとって、そんなに大切な相手なのか?」
「べ 別に、そういうわけじゃ……ただ、このままにして置くのは可哀想だからってだけで……」
僕は、しどろもどろに言う。
「嘘だな」
妹が言う。
「っ」
僕は、びくっ、と肩を震わせた。
嫌な予感が、胸の中に生まれる。
まさか……
まさか、こいつ……
いや。
そんなわけが無い。
そんなはずは無い。
こいつが……
この妹が……
『知って』いるわけが……
「兄様」
妹が、言う。
僕の顔を、真っ直ぐに見ながら。
妹が、言う。
「私は、兄様が好きだ」
「……」
紡ぎ出された言葉は……
いつものこの妹の、巫山戯た言葉。
だけど……
「兄様の事を、愛してる」
だけど……
その雰囲気は……
明らかに、いつもとは違っている。
そして……
その表情も……
「兄様の物であれば、私は何だって愛おしい」
すっ、と。
妹が、手を伸ばす。
白い、細い、妹の手。
それが……
それがまるで……
獲物に音も無く食らいつく蛇のように……
僕の、右頬に触れる。
「兄様のこの顔も、兄様のその瞳も、兄様の鼻も、兄様の口も、兄様の耳も、兄様の腕も、兄様の足も、兄様の身体も心も全てが大好きだ」
言いながら……
妹が、うっとりと僕の頬を撫でる。
「兄様の身体から出たものであれば、血だって、汗だって、涙だって私は大好きだ、それを口に入れることだって平気さ」
にぃい……と。
妹が、笑う。
いつもの、穏やかな笑顔と、全く違う。
横倒しになった三日月のように、左右の口の端を釣り上げた笑顔。
大きく見開かれた目は、異様にギラつきながら、僕の姿を一瞬たりとも視界の外に出すまいと言わんばかりに、じっと僕を見据えている。
「兄様が今、何を思い、何を感じ、何を考えているか、何がしたいか、何をして欲しいか、何をしてほしくないのか……兄様はどうすれば喜んでくれるか、どうすれば笑ってくれるか、どうすれば私を好きになってくれるのだろう? そんな事ばかり、私の頭には浮かんでいる、兄様が好きだ、兄様が愛おしい、兄様が欲しい、兄様に笑って欲しい、兄様に幸せになって欲しい、兄様が、兄様を、兄様、兄様、兄様、兄様兄様兄様兄様兄様……私の中は常に兄様で一杯だ」
「お前……何言ってるんだよ?」
さすがに気味の悪いものを感じて、僕は妹を引き離そうとした。
だけど……
「もちろん」
妹が、もう片方の手を伸ばし、僕の左の肩に手を乗せる。
「そんな大好きな兄様の事を、私は何だって知っている」
「っ!?」
その言葉に……
僕は……
僕は……
今度こそ……
今度こそ、言葉を失った。
「兄様の好きな色、兄様の好きな食べ物、飲み物、兄様の好きな漫画やアニメやゲーム、兄様の好きな曲や歌手、得意科目に苦手科目、ああそれから、エッチな本を部屋の何処に隠しているのか、とかも……」
「……」
僕は、何も言わない。
言う事が、出来なかった。
そして……
妹が、言う。
「そしてもちろん……」
にいぃ……と。
妹が、更に口の端を釣り上げて笑う。
「兄様が中学時代に、どんな毎日を過ごしていたのか、とか」
ちらり、と。
妹が、弥生に視線を向ける。
「この女が、兄様に何をしたのか、とかも、なあ?」
「……」
僕は、項垂れる。
やっぱり……
妹は、『知って』いた。
『知って』いたんだ。
項垂れて、弥生の顔を見ながら……
僕は……
僕は、思い出す。
中学の頃の、毎日。
弥生と、出会った時の事。
僕が……
僕が彼女に、初めて……
初めて、恋をした時の事を……